3年ぶり!
久しぶりに、アメブロ
フォロワーさんのブログを拝読しました。

最近のブログで大切な人が亡くなられたという記事があり

あぁうちと、同じだなぁ…と思いました。

うちは、去年の8月に父が亡くなりました。

15年の7月にがんが見つかって、
自宅から遠く離れた地で手術、闘病し
その後に再発し、2次、3次治療とすすみ

自宅近くの病院に転院して
3次治療が開始した2ヶ月後に
抗がん剤による大腸炎で亡くなりました。 
自分で車を運転し病院に行ったあと
あっという間の出来事に、父が一番びっくりだったと思う。

がんだけなら、もう少し長く生きる予定でした。ここであらゆる手を使い救命できても、今までの様に動けない体になって、少ない余命を生きる父は幸せなのか。どうしたら良いのか我々家族は選択に悩みました。

今でもあの選択が正しかったのか分かりません。

薬により意識が薄れていく父を前にして
泣きながらこんな時に何も出来ない事を謝りました。

でも父はこれで良かったんだよと
言ってくれるのではないかと思います。

話はちょっと変わりますが、

妻や夫といった配偶者との死別はストレス値が半端なく高いのを昔、授業で習いましたが、

最愛の人を亡くした母をこの1年みて、
色々な状況の母をみて、何故このようになるのかと考えました。

失った悲しみは娘よりも確かに深い
でもそれ以上に、今まで何十年をあった生活が一変してしまうこと、

年老いてからもう一度、今度はひとりで
生活を立て直していかなければならない

これが、悲しみの中で行われる
やはりものすごいストレスだと思う。

でも、娘は立場が違うから、変わってあげられない。母は、一年経ってようやく前に歩き始めたところ。


死は悲しいけれど、生体が死ぬということを
父は静かに身を持って娘に教えてくれました。

病棟の頃、バイタル測りながら見た患者さんの死。まさか自分の父のその経過を見るとは思わなかったけど、あぁそうだったなって、改めて思い出した。

これから私は、仕事で抗がん剤治療に関わる。
父が教えてくれた事は必ず生きる。

もう、この世で父の姿を見ることは出来ないけど
姿や声はいつでも思い出せる。

いつか必ず人は死ぬし、
たぶんその時、父は迎えに来てくれて、
そこで会える、それまでの別れだから
見守っててね〜

いま、最愛の人をなくし悲しみの中の人も、
少し時間が経つと、少しずつそう思える日が
来ると思います。