突然、頭を殴られたような衝撃が私の中に走った。
友人のインスタで知った、マルチポテンシャライトという存在。
早速TEDで見たら、とても救われた思いがして涙が止まらなかった。

将来の夢なんて大学を受ける頃にはなくて、大学受験を辞めようと本気で思った時期もあった。
就活ではこれだと一旦決めて飛び込んだ業界からも、いつの間にか離れている。
病気になって何者でもない時期も経験した。

私には体力もなく、何か大成しているわけでないのに、好奇心旺盛な気持ちだけは抑えられない。
体が複数あればいいのに。
諦めがつかない、何か一つにハマりに行かなきゃいけない、私の周囲にいる人たちはわりとキャリアも変えてないし、なんなら学生の頃になりたかったものになっている人たちが多いのに、私は仕事もプライベートも落ち着かずに、何やってるんだろう。

そんな私が、一つ言葉を与えられただけで、カテゴライズされて、なんだか許された気がした。
今、彼女の本を買って勉強中。
マルチポテンシャライトの在り方も多種多様で、時間が過ぎればモデルを変えたっていい。
マルチポテンシャライトって日本語で言えば「器用貧乏」が当てはまるけど、すごくネガティブなイメージを持った言葉だし、これを見ても天職に出会うことが良いこととされるほか、継続が美徳とされ、また奨励される社会だと感じる。だからこそ、そこに当てはめきれない自分がダメなんだと思っていた。

だからこそ、自分の内なる情熱を大切にしてくださいと最後に締めくくる彼女の言葉に、涙腺が崩壊した。

体力もないし、いい加減、仕事も楽に福利厚生もしっかりしたものにしなきゃと焦っていた。
でも、仕事という枠組みだけに捉われるんじゃなくて、生活そのものをもっと主体的に設計していってもいいんだ。
自分の人生は自分しか生きれないから、人に迷惑をかけない程度に楽しめるものにやっぱりしたい。

もちろん健康も大切だから、健やかにいられることを前提に、興味あることを整理して一日の時間を費やしていきたい。休息や運動も含めて。

多様であるって何だろう、と時々考える。
私は今まで受けてきた教育のおかげで、今の私がいる一方、道を一つに決めなきゃいけないと頭がかたくて、柔軟に考えられなかった。
例えば学校生活で言えば、回り道したっていいと思うし、公立が合わなかったら私立だって通信だって、他にも色んな選択肢を気軽に選べるようであってほしいと思うこともある。
だから漠然と、私みたいな人が減ってほしいなと思う。
そう思うと、誰にとっても少しでも生きやすい世界に、というのが私の夢なのかもしれないな。

もっと早くこの言葉に出会っていれば、と一瞬思ったけれど、きっとこのタイミングだったからすごくしっくり来たんだろうな。

ロールモデル的な人がいなくて不安だけど、日々を大切にしながら、もっと幸せになる覚悟をそろそろ決めたい。
私のこと大好きでいてくれてるんだなと思うし、寝ぼけて抱きしめてくれるの嬉しい。

そういう言葉は自分から言わないタイプだけど、行動が示してくれるし、
子供っぽい部分を楽しいなと思えるから一緒にいたいなーと思う。
もっと落ち着いた人と恋愛してもいいんだろうけど、「一緒にいて楽しい、笑える」ことを楽しみたい。

話し合いができることも嬉しい。
私もっと頑張りたい。
相談してみた。

「俺と違って、人のためになってることにやりがいや喜びを感じたりするんだから、自分のためっていうのを無理に優先しなくてもそっちで突き抜けたらいいと思う」

私はどこかで「人のことを優先しすぎるから、自分のため、稼がなきゃ、楽しまなきゃ」と思ってた。だから民間企業を選んだ節はある。

そっか、それでいいんだ。
「やってみないと分からないしね」というのは私の親友の意見と全く同じで、なんだか嬉しかったな。