「努々省みるな、手遅れ故」

平沢進氏の「Parade」の詩からの抜粋だが

近々強く意識する言葉であると感じる。

元より「未来より今」「今より過去」の方が大事に思ってしまう性分の為、自分のやってきた事・言ってきた事、成し得た事・しでかした事。そんな事象の方が、明日どう生きる事なんかより重要に感じてしまう。

では「省みるな」なんて言葉は全く的外れじゃないか?なんて思うかもしれないが、

「鍵のかかった檻から出ないと外に有る林檎にあり付けはしないが、その林檎に毒が無いかは食べてみるまで分かり得ない。ならばいっそ檻から出ないで居る方が良いのかも知れないし、毒林檎を食べて死んだ方がマシかもしれない」

物事単一的な思考だけ持ち合わせるのではなく、遂になる思考まで考察しておかなければ、真に自身の本筋の思考を語る事は出来ない。

正しく俺は残虐な大魔王であり、物言わぬ一般大衆であり、あの日助けた鶴であり、亀をいじめる子供である。

思考とキャラクターはリンクし、現実味が増してくる。人は分かりやすい物を好む。濃い味の食べ物を好むのと同じように。

大枠を作れば簡単だった。後は周りが望みそうな言動をするだけでいい。日を重ねる毎に周囲にその人格が馴染んでいく。

「長く自分を偽ると侵食される」聞いた言葉だ。

いや、本当はそんな事を意識する前からそうだったじゃないか。

それでも自分の本心を捨てるなんて事が出来る訳無いので。

自分がどんな人間がなんて自分が1番よく分かってる。

何か秀でた物があるわけでもない、好かれるような人間でもない、それでも立っていないと俺は俺自身に示しがつかない。

そんな思考も明日になったら馬鹿らしくなってるさ。

あらゆる状況に当てはまる考え方なんかあるわけ無いのは明白であり、だからこそ多角的に考えるべきであり、考える事自体に美しさを見出すべきであるとまでおもう。

だからこそ状況に当てはめた「良し悪し」より、「好き嫌い」が大事なんだと。

状況分析で弾き出した物なんかより、最後はセンスが答えを出してくれるはず。

但し、正しいとは言えない。でも大切な物であると思う。


本質は文章の外にある


「ブルー、ブルー、エレクトリックなブルー。俺の居る部屋の色」