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今の気分は朦朧、
そんな気が致します。
話は遡ります。
ゴールデンウィーク前のよく晴れた
昼前のことです。
「梅雨や夏の暑い時期には調子が悪くなりますから
今のうちから節制してしてくださいね
もう遊びに出ようなどと思わずに」
いきつけの漢方医の忠告してくれました。
スコティッシュホールドの如き温顔が
真面目な表情に引き締って見えました。
その忠告が讖をなした訳でもありますまいが
6月に入って調子がよくありません。
とはいえ
蝶形紅斑だの結節性紅斑だの
腸脛靭帯炎だのに悩まされている
という程のことはないのです。
心臓神経症が頻りに起こるせいか
疲れやすく始終横になって
眠ってしまうことのほか、
さして不便はありません。
とはいえそんな
不相応な不似合いな、
高等遊民紛いの明け暮れの
続けていける筈もありません。
それが不安の素となり
心臓神経症がまた起こる、という
スパイラルに陥ってしまいました。
見かねてか、
猫ジャラシ(こと家人2)が
本を貸してくれました。
「猫もでてくるから」
そういって猫ジャラシは
優しいかおをしました。
血の繋がりと言うもののありがたみをかんじるのは
こんな折です。
本は、
この3月に上梓された
諸星大二郎の短編集「あもくん」。
怪談集と申し上げて
差し支えありませんでしょう。
その恐怖に
生理的に拒んでしまうほどの
生々しさを感じることはないのです。
ただ
振り払えない
漠とした違和感のような
空恐ろしさに囲まれます。
手の症状が軽い時間に
一話ずつ読み進めて
「猫ドア」という短編に行き着きました。
諸星大二郎という漫画家は
猫好きなひとであるそうです。
猫在りし日の幸せが思い出される
やさしくもものさみしい
掌編を期待して読み始めました。
(ねたばれあります。
ご自身でお読みになりたい方は
どうぞまた改めてお越し下さいますよう。)
使われなくなった猫ドアから
入ってくるものの気配に
昔可愛がっていた
猫の仕草を思い出す。
家人に話すと「うそ」とあしらわれる。
デジカメで写してみたら
似ても似付かぬものが写っていた。
おぞましさに猫ドアを封じたところ
入ってくるものの気配は
なくなった。
そんな話です。
実も蓋もない。
救いもない。
泣いてやろうかしら!
と、思いましたが
大人気ないので止しました。
猫はメディアのデータと
海馬の記憶と心の思い出の中にしかない。
まやかしに救いを求めることは
愚かなばかりか危うくさえありましょう。
自明のことです。
翌朝、猫ジャラシ(こと家人2)と
「猫ドア」について話しました。
「悲しい話ね!」
「そうでしょ」
「諸星さんだから猫の話しは
救いのある終わりにしてくれると
期待したのに・・・」
「そうそう!」
「"画像を検めると真っ暗だった。
レンズの真ん中に小さな傷が入っていた。
そういえば、
デジカメを向けると
レンズに爪を当てて来たのだった"
くらいの結末にしてくれれば
大抵の猫好きは救われたような気になると
思わない?」
「そそ!その気持ちを共有してもらいたくて
その本貸したわけ!」
実も蓋もない。
救いもない。
泣いてやろうかしら!
と思いました。
大人気ないので止めましたが。
血の繋がりと言うものの
滑稽を感じるのはこんな時です。
わたしがこの本を買っていたとしても
同じように猫ジャラシに貸し
同じように詰られ
同じように答えたことでしょう。
滑稽なまでにどうでもよいところが似ているのです。
「メチルメニオニンスルホニウムクロリド」
昼過ぎ、
胃腸薬の成分表示の
ナガナガシイカタカナのラレツを
読み上げ、
猫ジャラシは
「この"る"が不条理、なぜこんなところに?」
と笑いました。
「それサ変動詞じゃないから。
活用しないから。」
そう、茶々をいれると、
「吾妻ひでおだったら
化学式が活用変化しかねないんだけど」
と、応じ、
吾妻ひでおは"不条理"
高橋葉介は"夢幻"
そう笑いました。
では諸星大二郎は?
さしずめ朦朧、というところでしょうか。
梅雨空には朦朧が
よく似合うようです。
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