No ブログネタ 幽霊 | feelsayo 2 

feelsayo 2 

猫を眺め 猫を被る日々。  
内心 ・・・ です。

幽霊はいると思う? ブログネタ:幽霊はいると思う? 参加中

私はいないと思う派!

本文はここから

「幽霊はいると思う?」
一見単純素朴な疑問のような投票ネタですけれど
このネタで
問われているのは詰まる所死生観、なのでしょうか。

わたしの場合、例えば

自分個人の死について考えれば
幽霊になる可能性は否定したい。
霊として存在する可能性も否定させていただきたく存じます。

なぜか。

死後に何らかの形で存在する、ということに
耐え得ないのです。
言い換えるなら
死が全き消滅であることを願う、ということです。

死によって食物連鎖に組み入れられ、
リサイクルされるときに、「私」「エゴ」といった
痕跡が残ることを認めたくない、ということです。

死は絶対的なものであってほしい、
という願いです。

けれども、死を「絶対的なもの」とすることは、

生前したしかった他者との永訣を

永遠に取り返しのつかない
やり直しのきかない
一回生の事柄として立ち現れる、
峻厳たる事実である

と認める他ない、という結論を導きます。

かくて、
幽霊も霊も信じない、そう言い放つ人間の前に

死の絶対性、をどう乗り越えるか、
という問題が現れます。

乗り越え難いその冷厳さをどうやってやり過ごすか。

死後の世界を否定する人間、
無神論者にとってそれは時に深刻な問題となります。

わたしの場合は一種のごまかし、
そしてつい幻想のようなものを
緩衝材として
死と生の間にさしはさむことにより
その問題を回避する傾向があります。

すなわち。

あまり良い癖ではないのですが、
わたしには
死者について、あたかも
「使者として存在するもの」であるかのように
語るヘキがあります。

悪癖、と言わなければならないほど著しいものではなく、
家族の間だけで語られる密やかなものです。

例えば、

他界した祖父母などについて

「そんなことしたら○○さんが
『そーいうことを言うたらあかん』っていうよw」

「○○さんだったら、『あれっこわやのぅ』って言って
済ましちゃうね!」

等という言葉が何の違和感もなく
交わされます。

「他界したもの」、として
「在る」という感覚、と言えば適切なのかもしれません。

無論、
それがまやかしであることは
理性的な部分で充分理解できています。

よってその感覚は
「霊」「幽霊」に近しいものとして
感知されるものではないのです。

なぜなら
それはそういった超常的なものではなく
心理的なもの、心情的な詐術によるものであり、
かつ、
詐術であると自覚されているものであるからなのです。

この種の言葉が交わされる場には
一種のフィクション、対幻想のようなものがあります。

対幻想の中で
死者は「他界したもの」として「ある」。

「ある」というのは言葉の彩と思っていただいて結構です。

繰り返しますが
霊や幽霊のように超常現象的なものとしてあるのではなく
所詮、
心理的な詐術の所産でしかないのですから(笑)

神を信じず、霊と幽霊を否定し、
それでもまだ死者の世界のようなものがある、と仮定し
そこに死者が「ある」
「かのように」振る舞いたい、

つまるところ、そういう気持ちなのだろうと思います。

死生観を問われることで
死に対する姿勢のダブルスタンダードが露呈してしまうのは
恥ずかしいことですが、
偶にそういった部分を
見つめ直すのも必要なことなのかもしれません。

そんなわけで。

幽霊の存在、
多分心のどこかで信じたいと願いつつ
信じられず、
さりとて
諦めきれない、というのが
自分の「幽霊観」
であるとおもいます。

幽霊はいると思う?
  • いると思う
  • いないと思う

気になる投票結果は!?