
私は猫派!
本文はここから二年前の12月、
可愛がっていた猫が他界しました。
交通事故でした。
以来、散歩をしていても、通院の途中でも
可愛い小型愛玩犬さんや
大きな優しい犬さんを眺めたり、
撫で撫でさせていただいたりすることが
多くなりました。
近所にも小型愛玩犬が一頭飼われていますので
窓からその姿を眺めることもあります。
犬の温かさにはふっと気持ちが和むやさしさがある、
そう感じるようになりました。
今、わたしの体はぼろぼろで
漢方治療とステロイド離脱で立て直している途中です。
犬を飼って、躾けをして、散歩に連れて行って…
ということができません。
出来ないからよそ様の犬さんの温かさに慰められているのです。
勿論猫を飼うこともできません。
免疫の異常で皮膚がぼろぼろになっているからです。
痒みとあかぎれの痛み、掻きむしって腫れた脚の
疼く痛み。
掻き壊したことへの自己嫌悪の痛み、
心身共にぼろぼろですから
家の中で猫を飼うことは
いろいろな意味で無理なのです。
でも、やはり猫が好き。
猫が好きです。
猫には猫の優しさがあり、温かさがあります。
けれども
猫には
手の届かないような何かを感じます。
生活を共にして、寝食を共にしていても
心は別、とでも言えばいいのでしょうか。
猫という生き物が持つ
そんな魅力を最初に感じたのは
子供のころに読んだ
『青い鳥』のチレットというキャラクターでした。
彼女は青い鳥を探す主人公たちとともに
旅をしますが、
彼女の目的はべつのところにあります。
彼女はそれを、誰にも言わず、
誰の助けも借りず、
時には非協力的な態度をなじられがらも
独り、
自分の望みをかなえるため
静かに時を窺っているのです。
(『ポケモン』のにゃーすには
なぜかチレットの末裔のような雰囲気を感じました。
どこか辛そうな淋しげな表情を感じたが故に、でしょうか)
後年、
わたしが実際に接した猫たちもそれぞれ
そんな雰囲気を持っておりました。
賢く狩りが巧く、よい母猫であった
初代虎猫。
野生的で強い女性性を持っていた黒猫(♀)と
応用闊達で賢く、喧嘩が強かった虎猫(♂)の番。
彼らはまれびとのように、ある時庭に現われ、
ともに時間を過ごし、やがて去って行きました。
亡骸を見せなかった、という点において
彼らは
古典的な猫のイメージを地で行っている感がありました。
猫は異界の生き物、
喜怒哀楽の幾許かを共にすることができたとしても
心は別。
彼らと共に過ごした時間からわたしが学んだのは
そう言うことだったような気がします。
2008年8月19日朝から
2010年12月9日未明、
交通事故で他界するまでの時間を
家で過ごした猫もまた、
自分の生活を大切に守っている猫でした。
生後3か月ほどでうちに来た彼女は、
家で育ったけれども、
彼女を慈しみ育て、
猫としての在り方を教えたのは
近所の雌の猫、
美しく誇り高いアメリカンショートヘア猫
(以下、アメリ猫)でした。
うちに来た当初から
うちの猫はアメリ猫を慕ってついて歩きました。
アメリ猫は最初、戸惑い、うちの猫を拒んでいました。
けれど
冬が過ぎ春が来るころには
うちの猫を迎えに来て
テリトリーを連れ歩くようになりました。
アメリ猫が鈴の音とともに現れると
うちの猫は嬉しそうに駆け寄り、
二頭は連れだって
ご近所の庭などに姿を消したものでした。
また、
アメリ猫は
アメリ猫自身が親しくしている猫(=近所の老いた雌猫)に
うちの猫を引き合わせたりもし、
そこのうちの庭遊んだりもしていたそうです。
(老いた猫のオーナーさんがそんな話をしてくれました。)
2009年5月3日、アメリ猫は、うちの猫に、
塀から屋根へ飛び移る要領を伝授していました。
アメリ猫は隣の塀の上で、
塀の垂直面に前足の掌をつけ、
バランスをとり、
掌に力を入れ、跳ぶ、
その一連の動作を、
アメリ猫の隣に坐ったうちの猫を振り返りながら
何度もやってみせました。
(野村潤一郎氏の著作に
長老格の猫が若い猫たちに、
ドアの開け方を伝授する場面があります。
自分がそのような猫の授業を目の当たりにするとは
思っておりませんでした。)
うちの猫はまた、テリトリーを歩き
異常を確認し、狩りをすることを日課としていました。
生後4カ月ごろから、近所を歩き、
テリトリーを検分する習慣を
確かなものにしていったようです。
小雨ならばさして苦にすることもなく
でかけていったものでした。
猫は猫の勉強や仕事にでかけ、
帰ってきて休み、空腹に目覚めて食事をする。
それが猫の日常であり、生業である、
ということだったのだと思います。
それは、人間であるわたしには
立ち入ることが許されない、
離れて見ていることだけが許される世界でした。
そんな世界を持っている猫が好きです。
人とつかず離れず、
その距離は猫それぞれだけれど、
どんな猫にも人には立ち入ることを許さない世界がある。
猫の、そう言うところが好きです。
猫と共に過ごした時間から得たものが、
わたしにとって宝です。
わたしは猫が好きです。
生きている猫も、他界した猫も
現実の猫も、虚構世界の猫も。