自営業というのもあるけれど、
仕事して、家事して、子供の世話して、気づくと1日が終わってる。
雑務がとても多い。
ゆっくり映画とか観たいけれど、そんな時間は無い。
1日、何もしなくてよい日とか欲しいけれど、
子供が自立してからだろうな、と思う。
それだけ充実してるって事なのかな‥
母はかなり家事を手抜きしていたが、
そりゃあ週に3回も集会に行き、開拓奉仕をし、姉妹達としょっちゅう交わり、家を空けていたわけだから無理もない。
母に朝ごはんを作ってもらった記憶がない。
一般的な家庭では朝ごはんがあるのか知らないけれど、中学生の頃には、朝ご飯の材料さえない時もあった。
学校でバランスの取れた給食が食べれた事に、本当に感謝。
じゃなかったら、夜ご飯も一品とかだったので、もっと早い段階で病気になってただろうな‥
母が作ってくれた弁当は、いつも白いご飯、炒り卵、きゅうりの塩揉みのみ。
よく兄と、母が作る弁当が雑な件で笑ってたっけ。
学友の弁当は、いつも色とりどりで可愛かったから、作ってもらったお弁当がなんだか恥ずかしくて、一人でこっそり食べていた。
そのうち自分で作るようになったけど、一度でいいから可愛いやつ作ってもらいたかったな‥
給食の時に使うナフキン。
一応2枚持ってたはず。
でも、なぜかいつも無かった。
無いからそのまま学校に行くと、仕方がないので先生がA4のコピー紙を代わりにくれた。
それ敷いて給食食べたっけ。
少し大きくなってから気づいたけど、母はあまり洗濯をしないので、ナフキンも洗ってないのだった。
そのうち自分で手洗いして持っていくようになった。
アイロンの存在を知ったのは5年生の家庭科の授業の時だったので、それまでは自分だけシワシワのナフキンだった。
家のアイロンは物置の奥にしまい込んであった。
母はアイロンもしない人だった。
一つだけ得意なのがあった。
お裁縫だ。
服などは買ってもらった事はあまりないが、作ってもらった事はある。
母は普段奉仕で忙しいのだが、一度だけサーモンピンクのチェックのワンピースを、JWの大会のために作ってくれた。
とても嬉しかったから、今でもサーモンピンクの色が好きなんだろう。
でも大会の昼食時に、カレーをひっくり返してワンピースを台無しにしてしまった。
その時の母の落胆した顔が今でも忘れられない。
何が言いたいのか分からなくなってきた。
要するに私は
母に宗教よりももっと自分の事を優先して欲しかったんだろう。
昔の事を思い出すと、寂しくなるのはそのせいだ。
ご飯を作ってもらって、可愛いお弁当作ってもらって、ナフキンを洗濯してもらって、もっと自分のために時間をさいて欲しかったんだろう。
宗教の話などではなく、もっとたわいのない親子の会話をしたかったのだろう。
忙しい母が、ワンピースを作ってくれた時の喜びは、今でも忘れられない。
母は純粋な人だった。
神のご意志ならば、なんでも従う人だった。
JWの教理に従順な人だった。
母は開拓奉仕でいつも疲れていた。
元気な時も奉仕奉仕。
病気の時も奉仕奉仕。
母には家庭を顧みる時間は無かった。
神に時間を捧げていたから。