21日間続けて、コンフォートゾーンを抜ける取り組みの今日は2日目です。

現在23時11分。

あぶなかったー(;'∀')
あやうく1日でこのブログが途切れるところでした。


今日は、数秘のセラピストでもあり、ハンドメイド作家でもある女性の方と、
カフェでお会いして2時間たっぷり話してきました。

僕はこれからやろうと思っていることがあって、それを相談するということもあったのですが、

いつしか僕は聞く側にまわって
彼女の活動や想い、気づきを丁寧に言葉にしてもらう
という時間に変わっていました。

「ガクさんに話すと、なんだか気持ちがスッキリするし頭の中が整理できる気がいつもするんですよ」

そんなありがたい感想をいただいて、僕にとっては至福の時間となったのでした。


人の話を聞く。
そのときに絶対的に必要なことが2つあると思っています。

『コントラスト(人それぞれの違い)が世界のバランスを完璧に作っている』
これは僕の大好きなチャネラー、エイブラハム(エスターヒックス)の言葉ですが、
ひとそれぞれ違うからこそ世界は面白いのだ、豊かなのだということを腑に落とすこと。

もうひとつは、相手に対して興味を持つこと。
とくにその人がどう感じているかを知る、共感することにワクワクしていること。

自分が望むありかたを深く問うたびに、僕にはこの2つがかけがえのないものに感じられます。

スピリチュアルには「お役目」という考え方がありますが、
たぶん「人の話を聞くこと」が僕のお役目なんだろうなぁと感じてもいます。

もちろん、多少テクニック的なこともあります。
たとえば、抽象度の高い、どうにでも取れてしまうような言葉を相手が使ったら、
あまり時間を空けずにできるだけその場で、その言葉の奥にある思いをさらに言葉にしてもらうとか。

一緒に考えるとか、個人的に感想を話したりはしますが、「こうすればいいよ」的なアドバイスはしないとか。

僕はこの一点にこだわって、ライフワークにしていこうと思います。


さっき書いてみてしっくりきた「共感セラピスト」、これ、いい感じです。


ブログを書き続ける以外に、stand.fmで21日間連続してラジオ配信することにもチャレンジしています。
一晩寝て明日の朝、ここに書いたことをもう少し深く語ってみようかな。

それでは、おやすみなさい。

「52ヘルツのクジラたち」という小説を読んでいます。
(中央公論社 町田そのこ著)

去年(2020年)にベストセラーになったんじゃなかったかな?
今でも書店に並んでいる小説ですね。

心に関することをライフワークにしたいと願っている僕にとって
この小説の前半は、胸に迫るものがあります。

母親からの酷い扱いを体験して育った26歳のキコ。
彼女が流れ着いた港町で出会う少年との物語。

エンパス気質の僕はすでに、
キコや少年に、自分ならどう接するかを
重く想像してしまってます。



町に来る前に、主人公には、安らぎを与えてくれる、
寄り添ってくれる人がいました。

その人との詳しいエピソードがこれから語られるというところまで読だのですが
改めて、心からシンプルに「人に寄り添いたい」という気持ちが溢れてきました。

誰かに出会ったときに、
見た目、性別、年齢、話し方などで
その人がどんな人か一瞬のうちに「判断・解釈」してしまいませんか?

正直に言うと、私は必ずと言っていいほどやってしまいます。
さすがに今は、その判断解釈にあまり引きずられずに話したりできますが。

必ずと言っていいほどやっている、と認められたから、
ようやく何とかなり始めたという感じかな。

僕は「人の話を聞く人」を極めたいと心から望んでいます。

少しはアドバイスするぐらいのことはあると思いますが、
それはそういうお役目を持っている方にお任せするとして

自分なりの「人に寄り添い」「判断解釈しないで」「人の話を聞く」を
極めていきたいのです。イメージするととても嬉しい気持ちになります。

これからキコに寄り添い、唯一、彼女に安らぎを与えた人の話を読み進めます。

僕自身の在り方に、また深く光を照らしてくれるのではないかと
とてもワクワクしてます。






 

先ほど、これまでで一番といっていいくらい、深い瞑想ができました。
とても嬉しく、すがすがしい気分です。


なかなか苦手だった瞑想
いろいろ工夫してみようとして
短い時間に区切って入ってみることに。

どうしても雑念に意識を取られるので
深い呼吸からはじめて
まずは体に感じる肉体的感覚に意識を向け
そこから感情へ
さらにその感情の向こう側にある
望むものへ・・・・


私はソースそのものであり、一部であり

自分の世界を広げていく過程を体験するために
この世界へ来た。

求めているのはホンモノ。

人との会話
自分のワクワク
肉体を作っている食べ物


人との違いは楽しみの一つ


人に教えることが目的ではなく

自分の世界を広げていく在り方が
世界に人に現実に影響していく



なだらかで穏やかな風景に

 

自由な望みを描いていく

本当の望み



思い込まされた世界ではなく

誰かのための虚像ではなく


感情に封じ込められてしまったその奥に
しっかりと、初めから存在する望み

そのために僕たちは生きている!



はぁ、気持ちよかった~

さて、節目の意図確認をして

今この瞬間から楽しみ続けよう!


良い一日を。

 

心のこととスピリチュアルにもう一つ、
切り離せないと思っているものがあります。


それは・・・歴史と文化のミステリーです!


はい、「都市伝説」とか、トンデモ論として扱われる分野です。
ご興味ない方も多いかと思いますので(笑)
詳細はここでは書きません。


でも、歴史、それも日本の古代の歴史を知れば知るほど


「なんでそんな思想が生まれてきたんだろう??
なんで世界でも類を見ないほど特徴的な文化を日本人は持っているのだろう??
なんで日本の古代には文字がなかったと言われているのだろう??
なんで、なんで、なんで????」


と疑問というか知的欲求が湧いてきちゃうわけです。

日本人である僕自身も、
今はもう失われてしまった「何か」を
実は知っている?
DNAか、魂か、なにかに刻み込まれてる?



2回目のヒプノセラピーを体験するにあたって
「なにか気になること、行ってみたい過去はありますか?」
と聞かれて、僕は、その太古の日本へ行ってみたいと答えました。


それも、現在の神道が生まれる前、自然崇拝だったといわれている時代へ。
(なぜ神道前なのかは別の機会に。)


前回のブログで18世紀を体験したことを書きました。
その経験を通して、「これはほんとに行けちゃうのかも!」
と、もう遠慮しませんでした。
(この時点では、僕が前世でその時代に生きていたかは知りません。)



では、と、横たわって深呼吸をはじめました。


セラピストさんのやわらかな声を頼りに
呼吸に集中、リラックスを重ねていきます。


いろんな雑念が湧きますが、
ほおっておいて呼吸に意識を戻します。


・・・・・
・・・・
・・・

浮かんでくるビジョンを
素直に言葉に

 

・・・

・・



草の生えた、地面が見えてきました。



視線を上げると
やわらかく光の差し込んでくる森林の中。

地面からはここちよい湿気が感じられます。
暑くも寒くもなく快適な場所。


僕はどうやら岩に腰を掛けています。
靴は履いていません。


視線を上げると

左手、10mぐらいのところに女性がたたずんでいます。


「妻・・・ですね」
と僕は答えました。

髪の長い、少し面長で知的な顔をした美人です。

「知ってる人ですか?」
と、セラピストさん。

「いいえ、(現世では)知らない人です。」
僕は答えます。


彼女は茶色い、シンプルな茶色い布のようなものを着て
手には小石と、細長い草を持って思案している様子。

「何か作れないか、役に立たないかと考えてるんだなぁ」
そんな感じが僕の中に流れます。


視線を右へ


少し離れた窪地で
子供がはしゃいで転げまわったりしています。
めっちゃ笑っている

「あ、知ってる!今の息子です・・・」

伝わってくる感覚、彼の笑顔の質が
現世の息子そのものです。

そのしぐさを見ていて自然と微笑んでしまう。


また少し視線を移動。


窪地の反対側の斜面には日が当たっています。

がっしりした感じの男が
地面に穴を掘っています。

なかなか真剣です。
そばに子供がいて、応援しているようなしぐさ。


近くに行ってみます。


男は、僕の方を見て
自慢げにニッと笑います。
見ろ、見てくれ!どうだ!すごいだろう!
息子もはしゃいで僕にアピール。


言葉はありません。


でも、妻を見た時と同じように
「ああ、みんなに役に立つことを楽しんでやっているんだなぁ」
という感じがありありと伝わってきます。


ちょっと楽しいような気分になりました。
男には、うなずきながら笑顔を返します。
男もうれしそうです。



さらにその右のほうへ移動。


また男が一人作業をしています。
たぶん、石を割ろうとしているのかな。


ここで、その世界での僕が石を割るのがとてもうまい
というか、きれいに割る方法をよく知っていることがわかりました。


僕はまた手前の岩場の方に戻って
少し小高いところに座りました。


僕はいつもそこから

仲間?家族?のことを見下ろして(見守って)
励ましたりしているようです。
 

 

あとは空の様子を観察することをしているみたい。


天候とか、星座の運行とか
たぶんそういう知識を持っていて
みんなに伝えるような役割がある。


力仕事とかはあまり得意ではなく
頭使う方らしい。
だから、ほかの男たちを頼りにしてます。




そこでセラピストさん

「では、意識を息子ちゃんに移してみましょう・・・
深呼吸して・・・3つ数えたら、あなたは息子さんの中に入ります。」





長くなるのでいったんここで切ります。
すぐに続きを。


息子の意識に入れるなんてびっくりでしたの巻き。


長文、よんでくださってありがとうございました!









 

10月27日のブログの続きです。

8月に初めて体験したヒプノセラピー。
そのときには過去性に思いが及ばず
「ソース」に触れてみたり
「胎児だったころ」にもどってみたり
で終了しました。

それでもインパクトは十分で
ああ、こんなに深い世界が本当にあるんだ
という実感を得て帰宅しました。


今日はその夜のことを書きます。


昼間の催眠療法の影響なのは間違いなく、
その夜はいつも以上に意識に集中しやすかったのです。

目の前のものではなく、
自分の感じ方や、その奥にあるものに
自然と焦点が合っていく。

とても落ち着いて、わりと心地いい感じでした。



深夜になって、そろそろ寝ようかと。
でもなんだか、この集中する感じがもったいなくて

そうだ、一度自分で過去性に意識を向けてみよう
そうだな、ひとつ前の人生に触れてみよう

ちょっと冒険するような感じで
ベッドでリラックスしながら目を閉じたのです。

深呼吸に意識を向けて


・・・・・

 

・・・・

 

・・・

 

・・

 


ぼんやりと風景が見えてきました。



内容は個人的な過去性のことなので詳しくは書きません。

感じ方だけ。


普段の自分の意識もありながら
別のビジョンが浮かんでくる

それは昼間の催眠と同じでした。


最初はその映像が本当に見えているのか疑わしいのですが
素直に見ようとしてみるとどんどん展開していきます。

18世紀ごろのヨーロッパで、「彼」(自分)は何かの技術者。


(こんなイメージの風景です)

セラピストならここで服装や名前を聞いたりするようです。

それはしませんでしたが、
同僚や職場の風景がはっきり見えます。


その「彼」は、悩んでいました。


その悩みの方向性が、現代の自分とほんとによく似てる。


「彼」は仕事の合間に建物の屋上に出て景色を眺め、
本当の自分の気持ちに思いを巡らせます。
(もちろんヨーロッパの古い町並みです)

ああ、やっぱ俺に似てるわ!
悩み方が!

お、重い・・・




・・

 

・・・

・・・・

・・・・・

なんだか苦しくなってその場から離れたら
意識が戻ってきました。

目が覚めても涙が出そうなぐらい

「彼」の気持ちが理解できます。


翌日になって、仕事中もふと、

「彼」に意識がいきます。

悩みから抜け出して、「彼」は幸せになれるだろうか。
そうなってほしい・・・

強い共感がまだまだ残ってました。

仕事に差し支えそうなぐらい。


これではいけない!と思い、
意識を現実のことに向けるようにして

その翌日にようやく引きずられなくなりました。


普通の夢なら、こんなに強く気持ちを引きずることなんてないと思います。

そして、「カルマ」という言葉の意味がちょっと分かった気がします。



この体験を、催眠をかけてくださったYさんに話したら
「戻ってこれなくなる人もいるから注意してください!」
と強く助言をもらいましたね。



実はこれを書いている2日前、
別のセラピストさんですが都合4回目のセラピーを受けました。

その内容が非常に重要な気がすると
私もセラピストさんも思っていて

きっちり記録を残すようにしようとなりましたので
ちょっと前の体験ですが、書くことにしました。


とても奥深い世界が、まだまだ続いています。

また近いうちに続きを書きたいと思います。


最後まで読んでくださってありがとうございました!