今日の予定は🎾のソワレのみで別にマチネも行けたのだけど、やる事をやるために行くのをやめた。
しかし、それはただの中弛みした時間を生んだだけであった。
まぁ、そんな中弛みの縁か🎾に向かう道中に道に迷ったのかなんなのか困っていそうな外国人を見かけた。
うん、実際困っていた。彼らは一瞥しただけの私の方に向かってきた。
私も海外旅行に行っては現地の人に助けられている身であるし、私は今日は当日引換券で早めに引き換えたいが為に開演1時間半前に到着できるように家を出ていたのでここで時間を潰すくらい痛くもない。
そして、ここ2年くらい私は仕事で英語を使う機会が増えていたので多少の英語が来ても対応できるだろうという自尊心があった。
まぁ、それが過ちだとすぐに気づいた。
訛がキッツイ。
彼らはファミリーで一家の長である父親のような人が話しかけてきたのだが、まぁわからん。最初は母国語で喋るんじゃねぇよって思ったけど、どうやら聴こえていた言葉は英語だったらしい。
コミュニケーションを重ねた結果。まぁ、なんとかことは収集した。一家の父親より娘の喋る言葉の方がまだ分かったが、まぁいつも仕事している時より全然分からない。最後に、一瞥するととりあえず笑ってた娘に何か話しかけられてハバナイスデイと言われたけれど何か話しかけられたの何かは分からなかった。
とりあえずあの家族が日本の記念すべき1日が雨だしホテルに人いないし、救ってくれそうなのが私みたいなポンコツなのが良い思い出になるかは分からないが、とりあえず思い出の1ページにはなっただろう。
そして、1番私の中で大きな事は「私は英語ができる」と大きな思い違いをしていた事に気づいた事だ。
なんか、なんかもう話せないのだ。もう何を話せばいいのか。最早何を言っているか分からない彼らの前では放たれる言葉を解析することに頭がいっぱいになって自分は英語でコミュニケーションをとることは出来ないのだと、そう痛感させられた。
英語が当たり前になる世代になった私はもっともっと学ばなければならないと肝に銘じたのである。