変わりゆく「家族の形」

変わりゆく「家族の形」


うつ病


躁鬱と抑うつ

人間不信

無職の自分 怒りと不安


朝、きちんと起きれなくなり、

ダラダラとした生活が、続いた。

息子は、中学生。

柔道部に入った。

自転車を買ってやり、しかし、徒歩通学。

それに納得のいかない息子は、自分で校長先生に直談判。あえなく却下。


妻は、自転車で老人ホームへ出社の日々。

シフト勤務の為に、毎日バラバラの時間の出退。


2人が、家からいなくなると、私だけの時間。

気分の良い日は、楽器店や、ドライブ。家では音楽は殆ど聴かなかったが、車では毎回聴いていた。


息子は、妻に似てか身長が高くなり、柔道部で筋トレをやる為か体が筋肉質になり始めてきた。

息子は、相変わらずの硬派ぶりを、家の中でも見せるようになり、逆に学校では、おちゃらけた存在だった。やはり、友達作りが上手かった。

私は、気分の悪い日は、部屋を真っ暗にし、ベッドで、寝ているだけ、兎に角、寝る。

そればかりだった。


朝、起きた時に、その日の自分の心の状態が理解出来た。


あえて、うつ症状は、書かない。


私は、息子といる時が、1番好きだった。自宅で会話が出来るのが息子だけだったから。


次第に息子の遊びも変わって来た。


テレビゲーム 任天堂DSや、古いプレイステーション。

一緒にやる事は、殆ど無かった。

彼は、彼に与えた部屋で、自分や、自分の友達と、遊んでいた。

親が入り込むものでは無かった。


ただ、ある日、彼が、サバイバルゲームをやりたいと言い出した。

ああ、あの、サバイバルゲームかと。

そうしたら、車で少し走った所に、インドアのサバゲーの出来る所を見つけた。


柔道の練習がない日や、ナイトゲームは、

「保護者同伴ならOK」

という約束のもと、あししげに、通った。


まずは、オモチャ屋へ行き、予算内で買えるガンを買い与え、最低限の装備品や、安全対策の道具を与えた。

まあ、そうやって、息子といるのが、私は幸せだった。


ギターには、一切興味を持たなかった。


ギター教室の日は、私も気合いを入れて、レッスン代を稼ぐ事を楽しみに、また、ギターを教える事に、喜びを感じていた。


妻のおかげで、最低限の機材を揃え、手狭になった家の中で、ぽつぽつと、ギター教室を、やっていた。


私は当時、面白いレッスン料金の決め方をしていた。

「投げ銭レッスン」

と、掲げ、レッスン終了後、私がトイレに入るのが合図で、逆さまにした私の帽子に、好きな金額を入れて貰う手法を取っていた。

「トイレ出まーす」

と言い、リビングに戻り、レッスン後の談笑と、次のレッスンの打ち合わせをして、生徒が帰ると、また、送迎した後に、私は自分の帽子の中を見るのが、楽しみだった。


「おお!今日は4000円だ!」

「おぅ、今日は6500円か!」

「あれ?今日は、500円かー」

と、学生さんの気持ちを読み取るのが、楽しかった。


私のレッスン、腕前に、彼らがどの様に反応しているかを、感じながら、


「金の無い奴からは金を取らない」主義で、やっていたが、レッスン内容や、時間、私というキャラクターも含めると、あまり、利益の出るギター教室では無かった。


だが、サッカーのコーチを辞めていた私には、人に自分の技を伝授する喜びは、多いにあったものだ。


息子は、礼儀正しい奴で、サバゲーへ連れて行っても、周りは大人ばかりだったから、気後れするかと思いきや、堂々と、関わっていた。 

たまには、私も息子とのコミュニケーションツールだと、一緒にやっていた事もある。

家で、共通して話せるのが、サバゲーだけだったからね。

息子は、拳法は、辞めていた。


勉強、テレビゲーム、部活、サバゲー、友達と、彼は、謳歌していた。


私は、体や心が不安定な時でも、家族に暴力や、暴言、八つ当たりなどは、一切無かった。


それは、私が幼少期から、圧制され、自分の気持ちを心で、殺して来た癖が身についていた事もあり、また、今、自分が、家族の力になってやれない事実を理解しており、自己表現するのは、ギター教室や、息子との時折の関わりの中で、優しさに変えていた。


一方、

妻は、仕事に追われ、疲れ、仕事の宿題を持ち帰り、仕事の愚痴が増え、家事をやれなくなっていた。忙しい仕事だった。


彼女は、仕事に必死だった。

私は、有難いと感謝をしていた。


私も、ボランティアで、介護の現場を知っていたから、彼女の愚痴は理解出来たし、聞いてあげるのは、私なりの愛情だった。

そうすれば、ケロッとして、次の日も出社していった。


ある日、

私は、彼女をベッドへ誘った。


妻は、言った。


「私は毎日毎日、老人さんのしもの世話ばかり、もう、見たくも触りたくもないです!」


「老人と、俺のは違うやろ?」

「俺は夫やろ?」


「同じです!!!」


そして、

私はこれまで、言った事の無い言葉。


「誰の為に働いてるか分かってるの!!」

それが、妻からの言葉だった。


言い返す気力も無く、的を得た言葉に、私は無言になった。


それ以降、夫婦の営みは全く無くなり、

あの、息子が小さい頃の、ほんわかな、夫婦関係は、そこにはもう無かった。

言葉づかいも、態度も、目つきも、妻は、変わっていた。


後で、分かったが、

その頃には妻は、隠れて電話で、自分の母親に愚痴を話す様になっていた。

私では消化出来なかったんだろうし、

私の事も愚痴の一部になっていた。


子供は子供の道。

妻は、妻の道。

私はぐーたら夫。

好きな事だけ、やってる夫。


うつ病を、理解していたのは、

心療内科の先生だけだった。

人気のある心療内科で、私も気を遣い、症状を伝えるだけにして、それだけの日々が続いた。


男としては、愛情表現の一つの妻という女を抱けない事に苛立ちを覚え、しかし、硬派にいた私は、性の、いわゆる、

はけ口は無かった。


不安定になっていく中、ギター教室を、

一旦休講にし、たまに楽器店で、ギターを弾いては、うさ晴らしをしていた。


息子もどんどん離れていく。

反抗期の頃でもあり、これだけ彼の遊びに付き合っても、

「うざい!!」


心と体が、ねじれる当たり前の時期の息子には、責任は無く、

私が仕事に行っていれば、自分がこんな苦しい気持ちにもならなかっただろう。


老人ホームでの給料は、安く

妻の稼ぎでは、もっと、生活レベルを、

さげないと、、、

しかし、食べ盛りの息子にはと、、、


そんな時、老人ホームで、ノロウイルスが流行り、それを拾った妻はしばらく出社停止になり、給料が出ず、、、


私は、あの500円位でも、有難く手にした、貴重なギターを、売りに出した。

教室の機材も全部。


また、楽器が無くなった。

結婚資金ではなく、生活資金の為に。



妻の代わりに、家事をする位の事は、

簡単だったし、それが逆に生活にメリハリを与え、私は具合も良かった。


しかし、次第に、妻や息子は、外食に行きたいとばかりになり、私は自分のカードローンを、黙って下ろしては、

ニコニコしながら、

「おお、金はあるからな」

と、見栄を張り、食べさせに行き、彼らを喜ばしていた。


うつ病の人なら分かる。


出来ない 出来ない。

苦しい。心が苦しい。


だから、何か一つでも良いから

家族の役に立つならと、それだけだった。


私は、時に

妻の言い放った言葉や、息子の態度に、腹を立ててはいたが、

それぞれ2人が、飛躍していくのを、黙って見ているしか無かった。






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