フェチダイトウのブログ

フェチダイトウのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
日和(九歳)との初めてのライヴ

うん
やりきったな

泣けてしまって歌えなかったらどうしよ・・・
て心配があったけど大丈夫やった。


僕にとってはひとつの夢が叶ったような高揚感があり、このテンションが残っているうちに、誰かに伝える必要性が一切無い事を宣言したく・・・


フェチダイトウ無期限活動休止!
(そうは言っても一年以内くらいには復帰したいと結構ゆるく考えている!)


いやいや
「なんじゃそれ」とコケていらっしゃる事でしょう。

そうそう

お前、サボる時にゃ一年二年平気でなんもせんかったやろが!と

そしてこの宣言により誰かに与える影響は微塵もなく、何ともナルシズムな発言で非常に恥ずかしい限りだ。


ただ今回はちょっと能動的にサボります。

そろそろ「次なる夢」にもトライしたく・・・

夢・・・つうと何とも青臭く、「次なる」てお前何一つ完結させてないやないか!

て言われそうやけど

そうそう僕はきっといつまでたっても青臭く、そして何一つ完結させないまま、残りの人生をみっともなく食い散らかしていくのだと思う。


人間を突き動かすのはやはり「欲望」だと思うのね。

で、僕の場合は自分の内なる部分をさらけ出したい自己顕示欲が非常に強く、もしも誰かと何かを分かち合えたらっていう共感欲、挙げ句あわよくばオンナにモテたらという性欲とか


本当に下衆で哀しい事この上無く、よくミュージシャンが言いますやん。
「きっかけは女の子にモテたくて」とかさ。
ギターを鳴らし出してそろそろ25年とかになるのだが、僕はいまだにそういう思いを持ち続けていて、さすがにそれは「ホンモノ」だと思うのね。


で、25年間やってきて一回も!ただの一回もオンナが寄ってきた事はないがな。

あ、話が逸れた。


えーと
ここ何年かソロで活動させて頂きまして、つまりマスターベーションによってそういう欲望を小出しに満たしてたのね。
表現する事が大切なのだと思っていたけど、いやいや、ろくなもん出来ひんかったな。


で、しばらく机に向かってシコシコやろうと思いまして・・・
決して小出しにせずにとことん悶々としたいのだ。

フェチを立ち上げた時のあの感じや、フジキ君が抜けて何年か休んで「机」が出来た時の感じとか(あれも今となっては何てことない曲だがな)。

簡単に言えば寸止めを繰り返して繰り返して潮ふいちゃいたいのさ。

大量放出だ
ドバっとな

と言う訳で、しばらくは部屋で寸止めの作業に入ります。
個人的にはとてもワクワクしています。


心残りは「対バン」しようね、なんて話してた
かっきーさんやエディさん、ガラスヤのみなさん。
ごめんな。実現はもう少し先になりそうです。

もちろん!リスナーとしてオーディエンスとしてライヴにはまた遊びに行きますのであしからず。
打開策見えぬ問題を抱えたまま日々を泳ぐしかなく、いやいやそんな事は全然、本当に全然大丈夫なのだけど、それをふまえ「生きている」という事であり、受け止め受け入れていく才能が自分にはあるのだが、それらの厄介者とのらりくらり歩いていくスタンスは間違っているのだろうか?
「お気楽過ぎる」のも分かってんだけどさ。そう早急に具体的な改善策を迫られたって消耗するばっかりでさ。


最近気付いたんだけど

僕は重大な問題や悩みやスランプ、コンプレックスなんかを自分の手(例えば血の滲むような努力とか、熟考に熟考を重ねてだとか)で解決、克服した事が人生で一回もないのね。で、経験的にいつだって想像だにしないとんでもない方向から光が差し込み、解決に導いてくれんの。

でもそれは僕がいつだってポジティブでリラックスでオープンでエンジョイだったからそうあれたのだと思う。

例えば今の僕にはさ

機嫌よく歌わせときゃいいんだよ。

それで絶対うまくまわる思うんだ。いろ~んな事が巡り巡ってさ。
これだけ科学が進歩しても不可解な事はいくらでもあるというのに、ましてや「人生」なんていう予測不可能なものにさ。いちいち「根拠」なんて求めないでほしいのだ。
笑顔が消えつつある日常。

己のダメさに自嘲的な笑みをうかべたりエロい妄想をしてにやけていたりする自分に気付いた時、それもまた笑顔、何もないよりマシ。大切にしようと死んだ目をしながら思うのでありました。