●昨日の朝、やっぱり思ったとおり大学の帰りではなく、大学に行く前にりぼーん最新巻を買ってしまい、しかもバスを待ちながら真顔で読んました、そんなこんなで、最近いそのさんからご紹介していただいた黒曜3人・・・が出ていたりぼーんについてちょこっと書きます。いそのさんに捧ぐ(笑)
●私は最近までDグレも読んでなかった上に、Dグレを知ってからはDグレしか見てなかったという感じにWJに疎い、現在連載されているマンガに疎い人間なので、リボーンもごくごく最近読み始めました。ドタバタコメディー調をメインとしながら時折シリアスな場面を挟み、ツナ君の成長をこっそり(?)描いていく物語だと思いますが、リボーンの最新巻(9)に収録されている話の中で、ランチアとフゥ太にツナが言った台詞が特に印象的でした。
ランチアに言った言葉
「あんたはそんな悪い人じゃない」
「あなたを最初見た時からおかしいと思ったんだ
まるでうちにいる子供(ランボ)みたいにあったかくて怖い感じがしなかったから」
フゥ太に言った言葉
「おまえは悪くないぞ 全然おまえは悪くないんだ
みんなフゥ太の味方だぞ
安心して帰ってこいよ」
マインドコントロールを解く方法が「一番望むこと」を言い当てることというのがいままであったようでなかったようなそんな新鮮な一場面でした。操られている人は心の中までは操られていないので大抵、無表情で闘いながら涙を流していたり、心の叫びが描かれていたり、とどめを指す瞬間に自分を刺して止めたりなどそういう描き方が多いように感じるのですが、ツナ流は言葉が武器です。
私はこの場面を見て、ツナは英チャンのようだ。と思いました。英チャンとは吉田秋生の『BANANAFISH』に出てくる、奥村英二君のことです。『光の庭』というアッシュが死んだ後の話の中で、チャイニーズアメリカンのゲリラ戦を得意としていた昔はちびっこで今はブランカのような巨漢になったシン・スウ・リンがこう言う場面があります。
(シン)「他人のギリギリのSOSってやつをなんて敏感に感じ取るんだろうな・・・」
英チャンは、彼の暗い過去を知らないうちから、自分よりもずっと強いアッシュを「守りたい」と思っていたことがバナナフィッシュ最終話の英チャンの手紙で書かれています。英チャンは見えないところで一人で苦しんでいる人達や内在する苦しみを察知できる才能があったわけです。
さて、英チャンに対しアッシュです。アッシュはブランカやユーシス、そして彼をボスとして慕う、あるいはライバルとして見ている人達全てが感じていたことと思いますが、奥村英二に接触することは、彼の殺人鬼としての完璧さを崩すこと、殺人マシーンがただの人に戻る瞬間が生まれることになるわけで、闇の世界で生きてきた彼にとっては、ブランカが言ったうにアッシュは「破滅(死ぬ、殺される)」してしまうんですね。
(アッシュ)「オレは今幸福なんだ こんな幸せな気分は生まれて初めてだ・・・
この世に少なくともただ1人だけは・・・なんの見返りもなくオレを気にかけてくれる人間がいるんだ」
(ブランカ)「・・・だがそれではおまえは破滅するしかない・・・・・・」
(アッシュ)「にせものにかこまれて生きるよりずっといい」
結果として本当に彼は英チャンからもらった手紙でスキを作ってしまい、ラオに刺されてそのまま図書館で、英二の手紙を読みながら天国へ導かれるように安らかに息を引き取りました。
アッシュが「神の器」と言われ「選ばれたもの」であるのと同じで、リボーンに登場した六道骸という人物も、人為的な面もあるとはいえ選ばれた人間であるとも言えるのではないでしょうか。しかし共通点を見出すのはそこではなく、骸がツナに興味を抱いた根本的な理由はなんだったのかということです。前述したように、ランチアもツナに救われた(あまり目立った形では描かれていませんが)と思いますし、フゥ太に至っては完全にツナのあの言葉がなければクラッシュはしなかったにせよツナを刺していたかもしれません。骸とツナが実際に戦うまでの時間(日数)がどれくらいあったか、骸がツナを知ったのがいつごろだったのか具体的には分からないですが、骸が猫をかぶってツナと接触した時間がもう少し長かったら、例えば、彼がツナと自分の部下との戦いを見ていたら、ツナという人物を避けるという選択を選んだかもしれないと私は思います。骸が自分の部下や周りの人間を道具としか見ていないあの無機質っぷりに対して、ツナはかなり人間的な素朴であったかい人物だからです。
骸が「躯」という意味も含めて、生きた人間ではないもの・死者、魂の無いものであるとするならば、ツナの影響で彼が感情を抱くようになったら、彼はもうあのような強さを発揮することはできなくなってしまうのではないでしょうか。特に、彼の人に憑依する力は他者を道具としてみない限りは骨が折れようが血が出ようが動く限り「使う(消費する)」のは不可能でしょう。また、人に憑依するというのは移り手か受けてかがどちらかが「空っぽ」でなければ成立しないものではないでしょうか。人に霊が宿るとき、受け手は眠った状態(無意識)になる必要があると思います。それと同じです。骸はファンタージエンを蝕んだ「虚無」と同じような存在であると考えれば「空っぽ」の力を使ってファンタージエンを支配しようとした女王ザイードが救世主バスチアンに「愛の心」を与えられて滅んだように、雪の女王のように孤独と寂しさで凍った心が、春の愛と希望の力で溶かされて(消えて)いくように、ツナによって骸が救われることは彼の死を意味するのではないかと私は想像していました。

もっと日常的な次元でいえば、ツナはプリ・プリの坂本サマだろうとも思ったり。とにかく彼は癒し系(笑
◇Passion For The Future:書きたがる脳 言語と創造性の科学
ほんとうは一個前の記事にリンク貼るつもりでしたが。基本的にあとでいいやと思うと忘れるのでこっちでいいやと思って今はっつけました。面白いです。大変興味深い。