- 星野 桂『D.Gray‐man (4) 』
●D.Gray-manが来週再開するとのことです。やったー。あんだけの密度で週刊誌で仕事してたらそらぶっ倒れて当然です。とにかく体調回復したようで何よりです今月末に最新刊も出るし、今後の展開に期待は膨らむばかりです。
さて、今回は珍しく冒頭からマンガの話題です。D.Gray-manの四巻の表紙にもなっているラビというキャラクターとラビを連れてきた裏の歴史の記憶者、ブックマンについて細々と気になっていることを書いてみようと思います。
ブックマンというのは裏歴史の記憶者に授けられる共通ネームということですよね。で、引き継いだ者はそれまでの名前を捨ててブックマンになる、と。ブックマンの仕事は歴史書になることですが、情的なものが絡んだ出来事に足を踏み込まないこと、というたとえその渦中にいながらもあくまで第三者的な立場で物事を見る目が必要になってきます。その時、感情を殺す、というのは大変エネルギーのいることなので、ブックマンには感情があるのか、ないのか、という点がまず気になります。あとは、それまでの記憶が残るのか否か。色々なファンサイトでは「なくなる」という見方が強いです。展開的に考えて、その仕事の性質上、そうなるのが普通だと私も思います。ラビという一個人としての記憶がなくなる、パーソナリティの危機は名前が無くなるということと合わせて考えるとさらに納得できます。
名前、というものとパーソナリティの関わりは『不思議の国のアリス』の名無しの森や『千と千尋の神隠し』で千尋が名前を取られて千になってしまったときに記憶を失いかけるというところからも理解できるだろと思います。「こどもの権利条約」にはパーソナリティに名前もしっかりと含まれていました。『Itと呼ばれた子』ではItと呼ばれること事体、虐待の一つなのです。名前で呼ばれなければ「わたし」を呼んでいるという確証は得られない。物に名前があることでその現象が現実に成り立っている。名前をつけられるということは「わたし」が「わたし」であるために必要なことなのです。
『千と千尋の神隠し』では千と同様にハクもまた、名前をとられて記憶を失いかけていました。しかし、根本にあるもの(多分表現されている限りでは大らかな心、水に関連する一種の母性的な優しさ)は記憶に左右されていません。何故でしょうか。それは身体的に培ってきた歴史まで奪うことができない、ということを示しているのではないでしょうか。『蟲師』(原作)の5巻あたり(うろで申し訳ない)に載っていた記憶をどんどん失っていく女性の話でも、日常的な習慣はなかなか忘れることはありませんでした。
ラビという名前を失うときに、彼はそれまでの記憶を失ってしまうのかもしれません。けれど、彼の持っている天性の明るさや優しさはなくならないと思います。優しさ、に関しては少し難しいかもしれませんが。
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