- ●最近色々な駅で「通勤時間の禁煙タイム」というのが設けられていますよね。でも、それってほんとに出来てますか?出来て無いでしょう絶対。ステッカー貼ったくらいじゃ、誰も喫煙の手をやめることはないのです。
御覧下さい。本日私が某H駅にて電車を待っていた時のものです。盗撮はすみませんでしたが、禁煙タイムの時間内だったのでおいおい!と思って撮りました(すみません、でも一応の良心で顔はボカシてます)。この時間、まだ8時30頃ですから9時(禁煙タイム終了)まで少なくとも30分はあるわけですよ!なのに堂々と喫煙をする人たち。何もこのおじさま一人ではなく、後から来た人達も目の前に喫煙者がいるからとばかりに次々に火を点け始め、電車が来る頃には煙だらけになりました。
私はタバコは吸えませんし吸う気もありません。間接的に煙を吸うだけでも頭が締め付けられているような感じで気持ちが悪くなるんです。友人で喫煙者がいるには居ますが、そういう方はあまり無理には止めませんがなるべくやめられるように頑張って欲しいとは思います。どっちにしたって体に悪いのは事実なのですが、問題は一時的な精神安定の効果があるっていうところです。苛々するとタバコ吸うとかよく有りますよね。そういう風な喫煙習慣がついている人だと余計に、タバコを断ち切るのが難しいんですね。吸えないことで余計に苛々するわけですから、今度は精神的によろしくないということになってくるんです。身体的には悪いものを如何にしてストレスを最小限に抑えてやめられるようにするかというのが最大の問題です。
- 成瀬 雅春
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困ったことに自分にはパラドックス的なところがあって、実は自分に被害の及ばない範囲(例えば写真とかマンガとかのモテイーフとして)の喫煙者、というのは人によって凄く「手」のあたりがかっこよかったりするんです!身近に居たら絶対ウザイが、キャラクター的には好きな「ナルシスト」・性格ブス(顔は可愛いから・・)と一緒です。困ったものです。しかし、写真・映画・ドラマではなく、「マンガ」なら絵に描くだけで実際には存在しません。こうなったら、カッコイイタバコを吸う人物を書いていただくしかないですね(笑)魚喃キリコさんあたりがオススメですね。系統は違いますが楠本まきも良いですよ。さらにもっと絵画的にいくと、宇野亜喜良さんの絵だったら壁に飾ったら良い感じなんじゃないでしょうか(前述したマンガ画のお2人の絵も白の壁に飾ったら素敵に映えると思います)。
煙草を吸うのは単純に「止めろ」とは言えませんので、せめて他人を巻き込んでいることだけは意識していただきたいところです。歩き煙草とか結構大変なんですよ。私結構な頻度で灰とか顔に当たったり手に当たったりして熱い痛い思いしてるんです。あと、喫煙者ならば絶対にポイ捨ては止めて欲しいですね。タバコが原因の火事だって結構あるのではないかと思います。
●ポイ捨て、といえば、自動販売機がありますよね。さらに24時間営業のコンビニエンスストアなどもあって、「手軽に、外でも食べれる・飲める」というマナーなんて完全無視の文化をここまで育ててきてしまいました。ガムだって頭のエンジンをかけるのにいいとかなんとか言いますが、ガムって「食べもの(飲み込んで消化するもの)」ではなくて「噛みもの」なんですよね。だから、食べたらゴミが出る。そのゴミをきちんと処理しないしために、日本の歩道や駅のホームはいたるところが黒っぽい円形の汚れだらけです。
●アメリカ発祥のハンバーガー。生涯学習の講義中に先生から頂いたプリントに面白い話が書いてありました。ハンバーガーのミンチ肉は、アメリカの「平等」の精神の証で、実際のところはどうだかわかりませんが、様々な部位の肉を混ぜるということはそれまでのヨーロッパの食文化の中ではなかったこと(ステーキは部位ごとに出てくるし、高価)であると同時に、ハンバーガーという手でつかんで食べるというスタイルは堅苦しい食事のマナー(ナイフとフォークで頂くとか、順番はどうとか、周囲に合わせたペースで食べるとか云々)から人々を解放した、ということです。なるほど、そういうことですか、と思いました。私も普段の食事で相手に合わせて食べるというのは程ほど気にしては居ますが、ほぼ自分ペースで食べていますから、テーブルマナーの授業ではナイフ&フォークの扱いもさることながら、周囲を気にしつつペース配分するというのにかなり苦心しました。それに単純に言って、フランス料理とかのフルコースなどは、たとえ高価であっても、庶民の口に合う代物じゃないってことです。私はそこそこ安くて美味しいものであれば満足。リッチな料理は高カロリーなものも多いですから、長生きしたければ質素に落ち着くのが一番でしょう。
●平然と車内で化粧をする女性が急増する世の中、化粧って一体どんな理由でしているのでしょう。私は滅多に化粧をしないので、その理由がサッパリ分かりません。化粧とは主な意味は粧すこと、ですよね。化粧が身だしなみだというのなら、なぜその身だしなみとやらを家で済ませてこれないのでしょうか。
化粧をする人たちの中には、「綺麗な自分をより綺麗に」と思う人、「綺麗じゃない自分をカバーしたい」と思う人が居るのではないかと思います。電車の中で化粧ができる人は「綺麗な自分をより綺麗に」と思う人の方なのではないか、と私は予想しています。何故か。自分の元が綺麗じゃない、可愛くないと思っている人は、化ける課程を他人に明かしては意味がないからです。普通、コンプレックスに思っているものを平気で人に晒せませんよね。或る意味、実はそれほどコンプレックスではないのかも知れません。寧ろ車内で化粧するというのは「化粧技術公開」なんて意味もあるのかもしれませんね。化粧のテクニックは「短所をカバーする」という事でもありますし。人前で化粧するのが平気な人同士で誰かが化粧をしながら回りを取り囲んで化粧品の話で盛り上がるという光景も珍しくはありません。自分の外見に気を使うのは確かに良いことです。見習いたいですが、自分は「いくら化粧をしてもブスはブス」という意識が強すぎて、化粧をする意欲は余り沸かないのです。それが悪循環を生むのは分かっているので、一応少しずつ「苦しゅうない薄化粧」「素肌美人」をひっそりこっそり目指してます。
ノーメイクの是非は社会的には非です。人と接する際には薄化粧をする、というのが最低限にあるようで、就活指導にも化粧の指南が含まれて居ます。人から見て、「化粧をしているな、というのが分かる程度」、それが会う人に対しての敬意の表れになるのです。確かに、あまりにも汚い状態で人に会うのはまずいですよね。しかし、ここで考えるべきは、素肌美人ならお化粧なんて殆ど要らないということでしょう。とりあえず化粧をする、のではなく、素肌美人になる方法を学ぶのが本筋。因みに下着でシルエットを矯正するのも身だしなみに含まれています。上手に下着を選ぶと、服をかなり自由に着れるようになるのだそうです(一番は下着ラインを消せることです)。
大学やバイト先は、女子大、販売、ということもあって、女性だらけの環境です。同い年どころか、年下でもえらい綺麗な人がかなり沢山居ます。目立つ人はやはりいかにも化粧をしている人ですが、そういう人でもやはり地をきちんと整えているからこそ綺麗なのであって、化粧に頼っているわけではありません。自分とNさんは「オジサン」なので、可愛い人がいると可愛いかわいいと煩いです。Nさんは御本人も十分に可愛いけれど「オジサン」、でもとっても乙女な先輩です。可愛いのに、というと襲い掛かってきますが、本当に可愛いです。可愛い人だらけなので自分が販売に居てごめんなさいと度々思います。でも目の保養になりますので自分自身は幸せだったりします・・(笑)

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