「俺より、お前のラグビー、来週からだよな? 今年はどうなんだ?」
去年は初戦の1勝だけだった。
「いやーどうかな。 ただ新人で一人結構やれるのが来たから少しはマシかもな。 それよりお前こそどうすんだよ、まあ今日明日どうこうってことでもねえだろうけど。 トレはやってんだろ?」
「まあ週2、3回はな。 12月一杯は空っぽにして論文を仕上げるよ。」
「おう、俺も3月には上げるからな。 しかし、ゆーりは主賓としてよく頑張ってるよな。」
今も輪の中心に居て、いろんな人と話をして、写真を撮られている。
「ゆーりが居たからできたってお前が言うのが、何となく解る気がするよ。」
「実際そうなんだからな。」
ゆーりってそんな凄いことしたんだと、隣の怜奈が呟く。
「しかし6年まで出来なくて、中1でやっと泳ぎ始めたお前が、ここでとんでもないことやらかしたんだよな。」
「そう言うなよ、俺がまだよく理解できてないだから。」
「うちの姉二人が、シーザを届けたのが不思議な出会いの始まりだって、いつも言ってるぜ。 それに明るく綺麗になったってな。」
「今、あの娘は自分のいろんなことにチャレンジしようとしてるからな。」
「そうか、変わるもんだな。 これからいろんなことがあんだろうな。 いいんじゃねえか、可能性一杯で。」
「まあ何をしてやれるか、見当がつかねえよ。」
「一人で背負い込むなよ、俺たちも居るし。 気楽に構えることも必要だぞ。」
確かにそうかもなと、3人分の水割りをお代わりする。
怜奈を二人に頼んで、桂介と父のグループに挨拶に向かった。
遅くなりまして失礼しましたと、一人一人に鄭重に頭を下げる。
夫々から名刺を貰い、ゼネコンと銀行の要人の顔を覚えて、内心必死で名前と顔を一致させる。
中には、賢の先輩で教授から話を聞いているのか、よかったら会社に来てみて下さいと、社交辞令ではあろうが言ってくれるゼネコンの常務という人が居た。
でありながら、会話の中でお互いの言葉を値踏みしているようで、当たり障りなく話を聞くだけのスタンスに留めることにする。
一祝賀会の集まりでも、腹の探りあいのような会話があることに少々驚かせられた。
これがビジネス橋頭堡の在り様かと、覚えておくべく、注意して会話を聞き取り、名前と顔を重ね合わせ記憶していく。
そこに、颯爽と挨拶しながら、ゆーりが桂介の横に現れた。
おめでとう、会長お孫さんが可愛くてたまらんでしょうと矢継ぎ早に声が掛かる。
流石にこの時はビジネス絡みの思惑がない、賞賛の言葉ばかりだった。
中3でたいしたことだ、綺麗でスタイル抜群ですなとの声の中で、桂介がハンカチを取り出し眼を押さえた。
理香が前に立ち、そのままでお聞き戴けますでしょうかとマイクを使い始めた。
あっという間の宴でございますが、お開きに際しまして江川優里愛の母、江川佳織がご挨拶を差し上げますと紹介し、佳織の鄭重な言葉の挨拶でお開きとして、ホールの出口で二人並んで手土産を渡して閉宴になった。
それでも20名ほど近しい者だけが残り、もう少し呑んで食べようとテーブル二つに集まる。
昂太郎がグラス片手にまだビデオを撮っているので、桂介がいいからゆっくり呑みなさいと言うと、いや皆さん今最高の笑顔ですから両家のプライベートビデオとして撮っときますと、一息でグラスを空けてカメラを廻す。
母が、パパ野菜もですよと注意するが、今日は見逃しだと肉を噛みグラスをお代わりする。
フルーツ盛りが運ばれ、ゆーりと怜奈、理香3人には大きいアイスパフェが置かれた。
聖とドクが、理香、立て板に水だったねと冷やかすと、佳織が理香さんが仕切ってくれてほんとに有難いわと安堵している。
プレスやマスコミからの依頼を総て断わり、感謝の宴も終わったことで、これで一応ケリはついたなと、どこかにほっとした思いがあり、水割りの味も少し甘い感じがする。
「安心して気が抜けた?」
ドクが、見抜いたかのように聞いて来た。
「うーん、多少はそうかな。」
「いいけどさ、来て泳ぐのよ。 止めちゃ駄目。 とにかく続けなさい。」
「でもさ、ただ泳ぐだけでいいのかなあ?」
「今は何も考えなくていいから、ただ泳いで身体を動かしなさい。 いいわね。」
意識のどこかでそうしなければと思う部分は確かに有り、解った取り敢えずはそうすると言い聞かせ半分で応えた。
身体が考えるロケーションもあるわよと、肩を叩いてドクが席に戻る。
スポーツドクターとして、目標レスで、精神、身体とも俺が腑抜けになるのを心配してるんだろうなと胸の内で感謝する。
このことは、姉の精神科医である聖が危惧して、ドクと話し合ってアドバイスさせたことを賢は知らない。
ではそろそろほんとのお開きにしましょうとの佳織の言葉で、賢はゆーりを呼んで二人並んで前に立ち、有難う御座いましたと深々と御辞儀して、拍手で宴
を終える。
男どもで別会場の二次会だからと父の母への断わりに、大の二人の姉、亜紀と紗枝が、いいなあ私達も行きたいなとねだる。
他で埋め合わせるからいいだろと大が宥めると、いいじゃないかね大君と、
桂介がとりなし、7人で出掛けることになった。
ゆーりは佳織、祖母と怜奈を送って自宅に帰る。
タクシー2台に分乗してO座のクラブに向かうが、ビルの表示サインは点いてないし、
上がったフロアの店舗名表示の明かりは消されていて、入口前のダウンライトとウォールウォッシャーだけが明るく光っていた。
桂介がドアを開けると、ママがいらっしゃいませ、お待ちしておりましたと迎えてくれる。
奥の席に座り、黒服ではないダークスーツの支配人と、夫々の私服らしい女性5人が手際よくお絞りやビールを運んでくる。
休みなのに済まないなと断わる桂介に、いいえ私は嬉しいんですと、髪を下ろし、スーツのママがその話題を巧みに遮る。
ママが大の二人の姉に挨拶した後、桝井さんやっぱりご子息でいらっしゃたんですね、改めましておめでとう御座いますと挨拶する。
父は笑顔で、軽く右手を上げて応えた。
早速、シャンパンの栓が飛び、乾杯の声が上がる。
ウイスキー、芋焼酎が出され、夫々の好みの飲み物が作られ、キャビア、生ハム、チーズ、果物が並ぶ。
「4日前、佳織とお昼を食べました。 とても嬉しそうで。 ゆーり、大きく綺麗になったそうですね。」
「聞いたよ、牧子が自分のことみたいに喜んでくれたってね。」
「だって嬉しいですもん、この3~4日なんか浮かれてて、今日を待ってました。
ゆーりに会いたいわ、もう2年近くでしょうか。」
「家に来なさい。 ゆーりがどうしてるか聞いただろ。」
「聞きました。 益々賢クン、大クン、昂クンのファンになりましたわ。」
佳織、ゆーりを呼び捨てする、牧子と呼ばれたママのことが、どういう人なのか解らなくて頭が混乱したが、ここでどうこう聞くべきではないと思い、黙って会話に聞き入る。
大と昂も気付いたのかどうか聞き流して、肴とお湯割りを交互にやっている。
父は事情を掌握しているようで、別段変わりなく水割りを舐めていた。
「キャビア、初めて食べました。 ウメエ、ビールにぴったりです。 生ハムも滅多に喰えません。 とにかく旨いっす。」
昂太郎がビールをがぶ飲みしている。
確かにお前は一人暮らしだけど、ちったあ遠慮しろよと、大がたしなめる。
父が笑いながら、いいじゃないか、牧子さんどんどん出してあげなさいとオーダーすると、ママが今日大トロのいいのがありましたの言葉と同時に支配人と女性二人が肴をだし、酒が作られる。
いやあ一人暮らしの飯が淋しくなりますねと、昂太郎が箸を出す。
吟味された肴が、確かにお湯割りを旨くしている。
「桝井さん、二年前は想像もできまなかったことです。 感謝しきれません。」
「会長お止め下さい、お互い様ですよ。 見守りましょう。」
「そうですな、旨い酒を飲ませてくれる彼等を護りますよ。」
二人が嬉しそうにがっちり握手する。
「大、いいわねえ、凄いお店で呑めて。」
「止せよ、自分じゃ来れないよ。」
「そういえば、お二人のペットサロンにゆーりが行ってからですかな?」
「そうだと思います。 二年前の夏休みの初っ端に賢クンに手伝いに来てもらって、最初の日の朝にゆーりがお婆ちゃんと来たんですよ。」
思い出すように、亜紀が虚空を見る。
「びっくりしてたんでしょうね、シーザが歯を剥いて抵抗したのを、賢クンがあっさりと手懐けたんですよ。 そしたらそのことにゆーりが驚いたようでした。」
賢にも、随分以前のことのような気がした。
「賢クンは両膝を着いて、ゆーりはしゃがんで白い下着が見えてましたけど、ただ驚いたようで隠すことなんか頭にない様子でしたね。」
やっぱり見てたんだと納得したが、実はあれが2回目で、車を降りる時1回目があったことは心に蓋をする。
「多分、あの頃飼い始めたばかりで、懐かないというか、コントロールできてなかったと思います。」
桂介は微かに頷き、経緯を知らない父と大は聞き入り、昂は聞きながら食べて呑んでいる。
「ゆーりが何故うちのサロンに来たのか解りませんけど、4日間お預かりして、最終日の朝、佳織さんが賢クンに届けて欲しいと電話がありまして賢クンに行ってもらいました。 でも、それから後のことは知りません。 大から家庭教師していることは聞いてましたが。 1年後に凄いことがありましたけど。」
そうだ、佳織さんがハイヤーを用意してくれて、それに乗って行ったなと思い出す。
「そうだったんですな。 佳織がゆーりを旅行に連れて行くので、ネットや知り合いにいろいろ調べてお二人のサロンに決めたようなことを言ってましたな。」
「うちは二人とも獣医で、トリマー資格持ってまして、丁寧細やかでやってます。CMでした。」
紗枝が、グラスを持っておどける。
「なるほど取っ掛かりはよく解りました。 しかしその二ヶ月後くらいかな、佳織が、家庭教師の支払いをちゃんとしなければと言い出して、その時初めて彼と話をしたんだが。 うん、その返事に驚いたんだな。 しかし、何故家庭教師になったのかそのプロセスの報告はどっちからも無いままなんじゃ。」
桂介が、賢の顔をじっと見る。
大トロでお湯割りをぐびっと流し込んで、何となくそうなりましたとだけしか答えることが出来なかった。
涙を流して御免なさいと謝り、涙と鼻水で顔を汚して、時々傍に来てと泣き叫んだゆーりの姿を消し去ることは出来ないし、この事実は決して口外しないという3人の暗黙の約束がある。
「その時はゆーりが僕を必要としていたと思いますが、2年半後の今とこれからは多分違ってますね。」
出会いがそうであったとしても、今、そしてこれからのゆーりが大事だし、いろんな可能性があることを滲ませて補足の言葉を口にした。
桂介が、一瞬悲しそうな表情を浮かべたのは見逃さなかったが、もうそれ以上の説明をするつもりは無かった。
翌日曜日の午後、父母、理香と、和菓子と茶葉を携え、江川家に御礼に出向いた。
ゆーりは怜奈と外出して不在だった。
お互いの御礼の言葉はあったが、金銭には一切触れることは無かった。
ゆーりが桝井家で生活することを含め、父母と佳織、桂介との間で、高度な判断での取決めなり、約束がある筈だが、自分が口出しすべきことではないと充分認識していて、黙って頭を下げる。
昨日のことで一つ聞きたいがと、桂介が切り出した。
「以前は必要だったが、これからは多分違うというのは 、、、、、もうゆーりは知らないということかね? 分けて言うのはきついから一気に聞くが、私は君がゆーりと結婚してくれて、会社を継いでくれるのが一番望むところなんだが。」
いつか聞かれるだろうなと、昨夜寝ながら考えたことを急いで整理するが、昨日の今日かと少し慌てた。
しかも、誰も桂介の言葉を遮らないのをみると、みな多少なりとも気にしていることなんだろうなと思い至り、むしろ判然とさせることは必要かと、きちっと対処しようと急いで整理を仕上げる。
「これからは、ゆーりが僕を必要とする質が大きく変わります。 その質を見極めてできることをします。 後のことについては、ゆーり本人がそう思ってませんよ。」
「見放すことではないというのは解ったが。 まあ、普通、二人をみれば男女関係があってもおかしくないし、悪いことでもなかろう。 まあゆーりの様子と佳織の見方ではそういう様子は無いようだが、まだ早いという気がしないでもないが、逆にそうなってくれればと願う思いが微かにあるのも正直な気持ちだ。 聞きすぎだったら許してくれんか。」
母を見ると、笑顔で頷く。
「ゆーりが社会人になるまで、何かで僕が必要であればそうします。」
ゆーりの涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔での言葉と、動物園の象の前で自裁を望んだことを聞いてから決めたとは言わなかった。
後のことはと言い掛けて、理香と同じに妹としてという言葉を飲み込んだ。
母は知っているし、そう発言することは嘘になり、理香のためにも、同等にして触れるべきでないと咄嗟に判断した。
「後のことは、そうですね、ゆーりに直接聞かれたらどうでしょうか? 多分パートナーという返事だろうと思いますが。」
佳織が携帯を母に見せると、母がまた笑顔で頷く。
怜奈の家に居たようで電話してから5分で帰宅して、迷わず賢の隣に座った。
思いもよらぬ展開なのだろう、桂介は何も言えず佳織を見るが知らぬ顔でお茶を入れ、母は和菓子を取分ける。
助け舟が無いと悟った桂介が、意を決したかのように口を開いた。
「ゆーり、中3になって、昨日一段落してな。 でな、賢聖君を恋人というか、結婚したいとか、そんなことはどうなんだね?」
桂介の言葉がいささかしどろもどろになり、額に汗が浮いている。
ゆーりがぽかんとして、桂介と佳織を交互に見て、最後に賢を見て、空気を感じたのか、いやーだ、もうと賢の左手にしがみつく。
どうなんだねと、桂介が性急に重ねて聞いた。
何かおかしいなと呟いて、座りなおしたが、それでも賢の左手は離さない。
「じゃあ聞かれたから答えるよ。 私には賢は先生かな、うーん、ちょっと違うな。 あのね、神様なんだよ。 私の命を救ってくれた。 ほんとにそうだよ。 ついでだけど、今度のワールドレコード、私がコーチでいたから出せたって賢の優しさだもん。 私が居なくても賢は努力したし、賢の力なんだけど、私を頑張らせようって公式に発言してくれたの。 賢の優しさの包みと突き放しでここまでやってこれたんだから私の神様なんだ。 だから、もっと近づくように頑張らないと。 恋人とか、結婚とかそんなんじゃないよ。」
賢自身にも予想外の答えだった。
「あーあ、妬けるな。 羨ましいわ。」
いささかどよんとした雰囲気を吹き飛ばして、理香が背伸びする。
「駄目よ、理香。」
母が笑顔で窘めるが、賢は理香に感謝し、母も理香の言動の意味は充分判っている。
「江川さん、二人とも純粋に成長してますよ。 やはり見守るべきでしょう。」
父の言葉に、大きく二度三度と桂介が頷いた。
「下司の勘繰りでした。 賢聖君には実に失礼なことを言ってしまいました。」
真直ぐ賢をみて、年寄の要らぬ心配でした、お許し下されとテーブルに両手を着け、頭を下げて謝罪した。
同時にゆーりへも済まないと謝った。
父が、江川さんそこまでは無用です、顔を上げて下さいと執り成した。
私も多少は気になって心配していましたから、失礼には当たりませんし、江川さんが頑張られて確認できたことを吉としましょうと水に流す。
年寄の冷や水と受け止めて頂ければ、気が軽くなりますと、どうやら安堵したようだった。
ではこれでと、4人で辞去したら、賢君お詫びに晩飯をと桂介から誘われたが、この後用事がありますと断わり、ゆーりを後で佳織が送ることになった。
賢が運転する車の中で、夕飯お断りして良かったのと母が聞いたが、さっきのでちょっと気が重くてねとさらりと流す。
しかし、ゆーりは賢をしっかり見てるけど、賢が常に傍に居ることを微塵も疑ってないなと、父が独り言のように言ったが、聞こえない振りをして、理香さっきは有難うなとマジで礼を言った。
理香が解ってくれたかとおちょくる。
夕方、外で呑みたくて、大と昂を呼び出し、駅前の居酒屋で、金に余裕が無い若者らしい酒を呑んだ。
12月中に一つ試験をクリアすれば全単位取得の目途がつき、9時から3時迄僅かのゼミと図書館に専念して、週3回アリーナで泳いでいる。
ゆーりが一緒の時もあり、3時からは臨機応変というか、柔軟な時間にした。
昼間は原チャで何ともないが、さすがに夜は顔に当たる風が冷たい。
欲を言えば、データを入れた小型のPCを持ち歩きたいところだが、その余裕は無く、CDとメモリーを持って大学のPCで纏めているが、必要と思われるデータを事前に用意することで不自由さをカバーするしかない。
贅沢を言えば限りが無いし、データ準備と纏めで二重にチェックすることで間違い防止といいほうに考えることにする。
アリーナでは、ドクからクリアラインとして、体脂肪率維持と筋力UP、平100と200のクリアタイムが提示され、ジムとプールで結構指導があるが、黙ってこなす。
ゆーりが居る時は、一緒にジムをやり、ゆーりがプールでのフォームをビデオに撮るのを始めた。
「ゆーり、身長と体重は?」
「171で42kgだよ。」
「ちょっと細くね?」
「いいんだって。 こないださ、3人でお風呂入ったのよ。 聖ねえが、心配要らないから、食べて運動してね、勉強もしなさいって。 いろいろ説明してくれたよ。」
「そうか、聖ねえが言うんなら間違い無いね。」
「りょうねえも、骨粗鬆と貧血にならないように食事の注意とメニューのアドバイスくれたから、ツーママに渡してあるよ。」
そんなことまでしてくれてるのかと、聞いて初めて知った。
「ねえ、あのカフェでパフェご馳走して。」
「いいけど、晩飯食える?」
「食べるよ、帰って洗濯して、御飯のお手伝いだもん。」
バタバタと走って、賢のバスタオルや水着、着替えたもので洗濯機を廻して、キッチンで理香と母に教わりながら忙しく動いている。
申し訳ないなと思いつつ、PCに向かいデータの整理を先に済ませていると、ビールとサラミを届けてくれた。
ビールで元気付けして、後で勉強だよと返事する。
7時半過ぎに、御飯だよと呼ばれるまでに急いで整理と準備を済ませ,ダイニングでまたビールを出す。
聖と父はまだ帰ってないが、二人の食事終わりに併せ、自分の部屋で二人の勉強を見る。
理香は本人の希望で化学、ゆーりには数学のテキストの課題を与え、自分はお湯割りを舐めながら論文を進める。
1時間で1ページ済ませ、二人が風呂に行き、塩辛と干し魚でPCの文字を追う。
やがてまた呼ばれ、ダイニングで母と聖の食事と父の晩酌に付き合い、理香とゆーりはタオルを頭に乗せたまま、果物やケーキを出す。
「ゆーり、ブラしてないの?」
「家ではしないよ。 みんなそれでいいって。 外じゃするけど、賢と一緒だったらしなーい。」
「まだ痒いの?」
「だいぶ慣れたけどまだ少しね。」
「初めての日、表彰式から帰ってひどかったわね。 ミミズ腫れになってて、3日くらい薬塗ったのよ。 可哀想だったわ。」
「綿にして、慣れるしかないけど頑張ってね。 医者としてはさ、無くてもと思うけど、いろいろとね。 だから賢、注意してあげて。」
「了解。」
教授の言葉を思い出し、男は気楽だなと実感する。
AM10時、少し緊張して、佐山教授室のいつも開け放しのドアをノックした。
ソファではなくて、ディスカッションテーブルを笑顔で示され、バッグを椅子に置いて、コーヒーサ-バーからカップ二つに注いでテーブルに着いた。
単刀直入に、論文原稿が出来ましたので見て下さいと、10㎜弱厚のペーパー綴りとCD2枚を取り出して、頭を下げてお願いする。
「預かろう。 4~5日後私から連絡するよ。 予定は?」
「大丈夫です。 明日、大の応援に行って、後は二人の勉強です。」
「彼の頑張りは、グラウンドで見てるよ。 勝って欲しいな。」
はい、宜しくお願いしますと退出して、グラウンドに向かい、横の木に凭れ、練習中のラグビーを眺める。
試合形式の練習をしたいのだろうが、部員が少ないのでパート毎の練習しかできないようだ。
20分くらいで笛が鳴り、選手が文字通りのベンチに引き上げて来る。
おおーいと手を振ると、気付いた大がドリンクのボトルを持って走って来る。
「実戦形式は無理みたいだな。」
「まあ、しょうがねえよ。」
こっちに来てくれと、選手達のほうに行く。
ワールドレコードの桝井だと、皆に紹介すると、うおーっと声が上がり、明日は怪我しないで頑張って下さいと挨拶すると、うおーっすと返事が返る。
大が一人呼んで、こいつが1年だけどかなりやれると肩を叩くと、桝井先輩お久し振りですと挨拶してくる。
誰かなと思い見返すと、佐藤将吾です、あゆみの兄ですと頭を下げる。
あゆみの兄と聞いて、思わずあの時の高校生のお兄さんかと聞き返した。
大がこっちだと芝生に座り、知り合いかと聞く。
賢の頷きに、あゆがお世話になりました、合格してラグビー部に入りましたと短くお礼を言う。
大に経緯を説明して、ここ3週間は行ってないが、あゆは何も言わなかったと言うと、お会いした時に挨拶をしようと思って口止めしていたことを聞かされた。
ワールドレコードおめでとう御座いますと、家でお祝いをしたことも教えてくれた。
でも何で桝井さんがと聞く1年生に、大が俺達は中学から一緒で、家族付き合いで呑みダチだと付け加える。
明日応援に行くから、怪我しないで頑張れと、学食の昼飯を約束して図書館に行き、ぼーっと考え事をして4~5日猶予があるなら炭焼きに行くかとふと思った。
12時半に学食で大、将吾と落ち合い、割り勘で昼飯を食べながら、監督了解で明日は二人でSHとSOを交代でやることを聞いて、大が抜けた後を考えているなと、全日本のSHが勤まる大の心中を思いやる。
将吾は、実利を取って法学部に入り、教員免許と法曹試験にチャレンジするらしい。
論文原稿を出したことは言わないが、自身が何をすべきかまだ漠然としているなと実感させられた。
アリーナに行き、いつもよりハードに40分ジム、1時間泳ぐがまだ切れはない。
少なくとも漫然とではなくて、一つ一つの目的意識をしっかり持って集中をしなければと、課題にすることに決めて、もう30分手足の引付と開放を意識して泳いだ。
5時前に帰ると、ゆーりが賢のデスクで勉強していて、後回しにした数学の問題のヒントを与え、理香の化学に疑問符を持ちながら同じようにキーにアンダーラインを引かせる。
二人ともぱっと解いて、ゆーりは洗濯、理香は夕飯の手伝いを始め、賢も風呂とシャワー室を洗った。
それにしてもゆーりは洗濯機に賢の洗い物を放り込んだあと、野菜の下洗いをしながら時間をみて乾燥機にと、実にてきぱきと動くのに猫たちが纏わり付くのを楽しそうに足で遊んでいる。
時にはしゃがんで撫でて抱き上げたり、ちょっと放り投げたり、それでも猫たちはゆーりにじゃれつくし、今は分け隔てもしない。
母が自分、理香、ゆーりに対するのと同じかなと、ふと気付いた。
冷蔵庫からビールを出そうとすると、理香にゆーりの物干し手伝ってと指示され、殆ど自分の物なのでそれもそうだと、乾燥機からゆーりが出すのをサンルームに干した。
「ツーママは乾燥機使わないで、陽に当てるんだよ。 そのほうが気持ちいいもんね。 でも、賢の水着は夜だからね。 使わない時は干してくれてるよ。」
なるほどと思いつつ、干し終わると籠を持つゆーりを猫たちが追い駆ける。
やっとビールを持った賢に、サラミとピーナッツを出して、明日大にいの応援に行きたいと言うが、勝てるから次だねと我慢させたが、連れて行きたい気持ちは大きくあった。
何時と聞く母に、11時と答えると、ゆーり休んで行けば、ママに聞いてみたらと思いがけない返事が返ってきた。
即、家電話で佳織の携帯に用件を伝えていたが、すぐ切れた。
「ママ、いいって。 朝学校に電話しとくってよ。」
「おふくろ、何で?」
「いいんじゃない。 いろんな価値観があるでしょ。」
言葉に表せない自分のもどかしさがあったが、理屈を断ち切りずばっと結論を出し、佳織に配慮した母と、それに応えた佳織に恐れ入るしかなかった。
9時過ぎに家を出る時、お昼と何か服でもと、母が3万くれた。
二人とも荷物を入れたザックを持ち、試合開始1時間前に競技場に着いて、スタンドから練習を見て、引き上げてきた連中に会いに行く。
大にいと飛び上がって手を振るゆーりを見つけて、来てくれたのかと大が走って来る。
ラガーマンでいつもと全然違うね、今日は私がビデオ撮るから頑張ってとハイタッチすると、ゆーりさんコンニチワと佐藤将吾が挨拶する。
?としているゆーりに、あゆみのお兄さんだよと耳打ちすると、ああそうなんだとすぐ理解して頑張って下さいと同じようにハイタッチする。
怪我するなよとだけ言って、相手チームのゴールポスト手前に座り、開始までに簡単にルールを説明し、最初の20分は眼で見るようにアドバイスしていると、賢の携帯が鳴り、紗枝に場所を教えスタンドで合流した。
ゆーり来てくれたんだ有難うと、詮索もしないで、二人で売店から飲み物とお菓子を買いに行き開始を待つ。
ホイッスルが鳴り、相手のハイパントで始まった。
バックスに出来るプレーヤーが1人入るとこうも変わるかと、ボールを支配し、バックスが走る。
10分で初トライ、大がゴールキックを決め、早々とリードした。
横のゆーりは、ステップに併せ膝でリズムを取り、向うの紗枝は両手を握り締めて見つめ、夫々の反応の違いが面白い。
二人ともビデオカメラを持ち、ゲームを追い始め、前半を14-5のリードで終わり、三人で売店に行き、今度は逆サイドの5mライン傍に座った。
賢を挟んで横に座り見るだけで力が入って疲れると言う紗枝に、もっとリードするから気楽に見ればと、背中を撫でる。
風が殆ど無く、二人とも上着を脱いでポロシャツとトレーナーの袖を捲り上げている。
後半、大と将吾がポジションを変わり、10分後には大が更に一つ下がり、5mラインに入るまでステップと切り返しで相手を引き付け、バックスとウイングをゴールラインに飛び込ませる。
惚れ惚れする大の走りと支配に、思わず鼻の奥がつーんとして、何度も小さく拳を握った。
ノーサイドのホイッスルが鳴り、39-10の勝利ゲームが終わった。
相手チームの選手が、あれだけ支配され、ゴールキックまで決められたら仕方が無いという笑顔で、大と握手している。
大と将吾が3人の前に来て、ブルーのマウスピースを嵌めたまま手を振り、賢は拍手、ゆーりはビデオを撮りながら左手を挙げ、紗枝はホワイトジーンズの太腿を握り締め頷くだけだった。
1時で、昼食を誘ったが亜紀が待ってるからと紗枝が帰り、二人で中華レストランで昼を摂り、ビールを呑まない賢に、アリーナだねとゆーりが見破った。
デパートをぶらついて、あれどう、これはと勧めるが首を横に振り、そうだと賢と腕を組み、テニスウェアショップでピンクと白のヘアーバンドがいいと、すぐ使えるようにしてもらって買った。
あとパフェだねとカフェに入り、アリーナに向かった。
二人で30分、ジムで汗を絞り、賢はプールに行き、ゆーりはジムを続けている。
助手の洋美が、久し振りにみっちりねとゆーりのデータをチェックして、筋力がもう少しかと励ますと、ピンクのヘアーバンドをはずし汗を拭きながらいやーちょっと休憩させてとプールで泳ぐ賢を全面ガラス張りから眺める。
洋美も並んで見ていると、辛そうだなとゆーりが呟く。
見上げて、賢クンと聞く洋美に、かなりの間の後、7コースと答え、両膝を着いて木の手摺りに両手と顎を載せて眺めている。
洋美も膝を着いて一緒に眺めていると、やがて楽に泳げばいいのにねと言うのを聞いて、後ろを向いてドクに電話した。
すぐドクが来て、しゃがんで一緒に眺める。
7コースの泳者がプールにタッチして止ったのを機に、どうするのとドクが聞く。
胡坐で座り、タオルで汗を拭いていたゆーりが立ち上がり、プールに行くのに二人が後を追う。
スタートブロックに横座りして、7コースの泳者の泳ぎをじーっと見た後、タッチで止った女性泳者に意を決したように話掛けた。
「辛くない? 楽に泳いでみたら?」
8コースで泳いでいた賢もタッチして止り、ゆーりの声を聞いて隣の7コースを見た。
まだ若い女の子が、訝しげにゆーりを見上げている。
手招きして8コースに呼び、手を伸ばしてサイドに引っ張り上げ、ベンチに並んで座ったのを見て、賢も上がりバスタオルを使いながら少し離れて様子を見ていると、ドクと洋美も同じようにしている。
辛くない、楽に泳いでみたらと同じ質問を繰り返す。
一体貴女誰と聞く女の子にゆーりが返事をしないので、考えた上で、僕のコーチだよとゆーりの横に座った。
賢をじっと見た女の子が、もしか桝井さんですよねと小さく聞くのに頷いて答え、その時にはもうドクと洋美が横に立っていた。
「僕のコーチのゆーりだよ。」
「私、貴女のこと何も知らないけど、ごめんなさい。 何か、とても辛そうで。 楽に泳げばと思ってつい。」
長い沈黙のあと、女の子がどうするのと口を開いた。
上を向いてしばらく考えたゆーりが、女の子を7コースに連れて行き、プール底のコースセンターラインを指して、ずっとあのラインを見て泳いでと指示し、賢はその意味を即座に理解した。
まだ解らないようにゆーりを見る女の子に、下を向いてあのラインから眼を離さないで、ブレスは半分と重ねて指示した。
首をかしげ半信半疑で水に入ろうとする女の子を賢が押し留め、軽く柔軟体操をさせながら、今日泳いだ距離を聞いて、じゃ先ずゆっくり200を3本ねと一緒に7,8コースに入った。
賢はゆーりの指示の責任を持つ積りで横で泳ぎ、水中で下を指差してリードし100泳いだ。
駄目進まないとふくれる女の子に、下を見てない、中途半端だからラインを見てと100泳がせるが徹底していないのがよく解った。
200のあと、こんなのやってられないとサイドに上がった女の子に、いいよ、だったら今までと一緒でどうにもなんねえよと突き放し上がろうとした賢の横に、唇を噛んでもう一回入った。
同じように意味を理解したドクが、練習に使う黄色のテニスボールを賢に投げてよこした。
これを見て300とだけ言ってスタートし、賢は潜ってテニスボール左手で挟みラインの上に載せて真横で泳ぎ、最後の50で女の子の泳ぎが変わったのが解った。
息つく暇も与えず、もう200とリードすると、しっかり眼でボールを追い、2ストローク1ブレスでスピードが上がっている。
コースロープに凭れる女の子の肩を叩き、一緒に上がり、ゆーりと帰ろうとすると、待って下さいと女の子が前に立った。
ドクが女の子にバスタオルを渡し、プール横のミーティングルームに5人で入った。
「私、甲斐奈々美といいます。 高1で、でも全然できなくて。」
泣き出したのを、ドクが背中をさすって後を引き取った。
「この子ね、去年中3の中体連で100自由形でタイ記録を出してここに来るようになったんだけど、この前のインターハイで負けて思うように行かなくなってもがいてるの。 しかしあんなリードは賢クンだけしかできないっていうか、賢クンだからできるのかね、流石だわ。 なな、今日二人に会えて良かったね。 もう泣かないのよ。」
「はい、でもどうして? ちょっと見ただけでしょ?」
「なな、コーチの指示と賢のリードの意味判ってんのね?」
「判ってます。 私、変わったもん。」
「世界に一人しかいないFINAから表彰された女性コーチの指示と、二つのワールドレコードホルダーからのリードをしてもらったのよ。 ものすごいことだけどさ。」
「有難う御座います。 でも私なんかに、で何で判るんですか?」
「泳ぎが変わったのは判ってる?」
「はい、身体が楽になって、速さが変わりました。」
「だったら続ければいいよ、単純なことだからさ。」
「辛そうだったから、楽にすればと思ったの。」
「いいかい、底のセンターライン、下を見ること。 それと100だったら、そうだな200までなら同じだけど今はブレスを最小限にすること。 簡単だからやれるよね。」
「はい、やります。 有難う御座います。」
「洋美さん、これからななのビデオとかタイム、時々お願いね。」
洋美が黙って右指で丸を作った。
「あのう、どうしてか教えて下さい。」
「えーとそれはね、ドクが教えてくれるよ。」
「いいわよ、ここのコーチ連中の前で教えてあげるよ。 いい気味だわ。」
「あのう、ここにまた来るんですよね?」
「来るよ、時間は不規則だけど。」
「また会えますよね?」
「会えるよ、じゃこれで。」
シャワーのあと、ゆーりにせがまれ、ななと一緒にアイスを食べ、ゆーりが中学3年であることに驚いて、お互い呼び捨てを決めた。
駅近くのカフェでケーキを買って歩いていると、学校休んでいろんなことがあって楽しかったと腕を組んできて、大にいのステップ綺麗だよねと、独特の見方の片鱗が窺える。
でさ、何かしたいこと考えてるねと賢の顔を覗き込む。
よく見抜くなと感心しつつ、自分が居ない時間を考えて迷ったが、そうしようと決めて、明日別荘に炭焼きに行きたいと打ち明けた。
やっぱりというように笑って、ケーキを賢に持たせ、佳織に電話して、いいけど自分で電話しなさいと返事を貰ったところで家に着いた。
ただいまーと駆け上がり、母に報告し、着替えた後、賢と自分のものを洗濯機に入れ始める。
自室で、大村管理人宅に電話すると、奥さんの、待ってるから早く来てだけの返事で切れた。
母に二万返し、明日から別荘に炭焼きに行くと言うと、三万足した五万とお土産と一万くれたので、有難く頂戴して、おごそかにそろっとビールを取り出し、大に電話して明日から炭焼きで留守にすることと、次試合が1週間後を確認した。