日々のちょっとしたことをやる際に自分は何を基準にするだろうって、ちょっと、考える機会があったのでメモ。
誰かが見てるとか、んなわけないけど、神様が見てるとか、そんなのって個人的にはかなりどうでもよくて、規範となるのは「自分は見てる」ってことではないのかな。
原因とか行動規範を外に設けちゃうのって、環境に合わせていちいち変えなきゃいけないわけで、それって無理。表面的な部分はいくらでも変えられるけれど。大事なところは無理。
そのズルも、手抜きも、横柄な態度も、後で自分に恥じないか?を問いながらやるようにしてるのです。ただ、自分に言い訳ばっかする日々で、だって眠いし、飲みたいし!、仕事難しくていっつもできないし、秋の空は澄んでて、緑がキラキラして、風が気持よかったら秋限定なビールも飲むっつーわけで、ぜーんぜんまだまだですけど。恥ずかしいことばかりですけど。
で、理由あればある程度はズルとかそういうのやっちゃってもよかったりするかもなわけで、その後悔も覚悟の上のズルさならバッチ来いって感じです。その覚悟は潔い。
でもなんとなくのズルはやめておいて、できるだけ気持ちよく生きたいのです。
数少ないいくつかのことだけでも、「自分は見てる」ルールでもって、ブレずに進みたいと思うのです。ルール破るともやもやするし。そういう自分ルールに殉ずるってスキだし。
時々会う友人からはそんなズルい人の話を聞くこともあるけれど、日々会う友人から聞かないのは、近いほど気持ちいい友人を持った友人が多いってことだろな。
新たに合う人達もそんな気持ちいい人が多くて、プライベートな関係なほどそんな感じな訳で、我が審美眼もそんなに捨てたものではありません。ちゃんと心地よい人たちを選べているのだな。
とてもありがたいことです。

こんなガリガリ君の棒とか袋もね、ポイっとするのは自分ルール違反。信号はそんなに気にしないけど(基本守ってるけど)。そのあたりの基準は自分の内に。







