偽善者は自己顕示の夢を見るか?























うちの前の通りは



あまり除雪がされることはない。




というよりかは、除雪がほどほどにされているといったほうが正しいのかもしれない。




連日の気温の高さにより


うちの前の通りの雪は



溶け、



車の轍がはっきりと見える。




アスファルトが見えるほどに。





そんな今日。



まさに家の前で



延べ2台の車が



轍にタイヤをとられて



立ち往生していた。





急いでいるときの僕は



こういうとき



その車を



そっとしておく。





しかし、



今日は特に急いでいるわけではない。



お使いなのだから。




だから



僕は一言






『押しましょうか』







と言って



車を押す。




車が抜けるまで



押し続ける。





それを今日は



2台やった。






『せーの』
『行け!』
『抜けるぞ』
『よし!!』






ふと思う。












自分は





善人なのか



はたまた




偽善者なのか。







ドライバーさんのためだけに



車を押したのだろうか。





自分の一時の好感度を上げるために



車を押したのだろうか。





ドライバーさんは本当に喜んでいるのか。






僕が押さなくとも
車は発進できたのではなかろうか。







僕が車を押したことに



意味があったのか?






押したという状況に満足感を得てるのではないのか?






その場に居合わせたかっただけなのか?






ドライバー第一だったか?






ジーパンの裾の汚れは一体何を表すのか?
















偽善者は自己顕示の
夢を見るか?