一般的には自己肯定感が高いと生きやすいと思われていると思います
確かに上がっている時はそうなんじゃないかな
でも本当の生きやすさはそこにはありません
え!?
って感じでしょうか笑?
自分は自己肯定感が低いんだと気づいたとき肝心なのは「上げよう!!」と何かのメソッドなどを行動実践することではない
ということを知っている人はほとんどいないと思うんですね
自己肯定感が高いことと低いことは同じことです
そんなわけがない!!
と思う人が多いのではないかな笑?
つまりはね
自己肯定感ってもの自体に強いフォーカスが当たっていて、それの高低という両極の中を行ったり来たりしているだけという意味です
その二極性の中にいる間はどちらかの極に振り子が触れ続けるということなんです
上がったものは下がるときが必ずあります
逆もまたしかり。
自己肯定感みたいなものが下がったと感じたとき、人は何か本を読んだりブログを読んだり占いやセミナーに行ったり、なにかグッズでおまじないなど、とにかく何でもいいんですが、なんとかしてそれを上げようとするんですよね
そして一時的には上がるんですけどまた元に戻ってくる
もしくは結構長い間いい感じでも何かの出来事などが起こると簡単に撃沈してしまい、また何か他の「方法論」で上げないといけなくなる
自己肯定感のことを気にして「上げるのがいいことだ」と思っているうちは、一生「上げ続けないといけない」というしんどさがついて回ることになります
そして「上げよう!」という発想が起きるとき必ず根底には「低いから!」があります
自己肯定感を上げようと「いいこと」をしているように見えて実際に脳内で起こることは「低い」を強化することになってしまうという悲しきパラドックスがあります
悲し過ぎるよね
この前、得られるものは失うものって書きましたけど、それと同じことです
上げられるものは絶対に下がることがあるものです
高という極があれば必ず低という極があります
そしてその二極性の中にいるとき、絶対に永遠にどちらかの極だけにとどまり続けるということはありません
それが摂理なんです
この二極性から離れることが中庸だと思ってます
ウィキによると中庸とは
「中庸」の『中』とは、偏らない、しかし、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではない。よく、「中途半端」や「50対50の真ん中」と混同されている。中間、平均値、足して2で割るというものではない。常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解できるものである。
図解にしてみました↓
多くの人が中庸というと、この図の青のバツをつけている極と極の間のことだと思ってる
でも違うんですよ
自己肯定感というものでいうと、その高低の間を取ることが中庸じゃない
そうじゃなくて自己肯定感というもの自体から離れるということなんです
真に幸せに楽しく生きている人はそもそも
自分は自分のことを肯定的に捉えているだろうか?
みたいなことを気にしていません
そのことにフォーカスを向けてさえいないってことです
上げたものを下がらないようにするのは苦しみの原因になります
頑張らないといけなくなるからね、維持するのを
これが二極性の中で「安定」を求める動きです
でも絶対あり得ないよ
この世の仕組みは諸行無常だから変化しないことは何一つないからです
じゃあどうしたらええんや!?
ということを長くなったので続きます