「得よう」とするのをやめたら解放が起きる | カボチャの馬車でドリフトする方法♡

これは私が経験者だから言えることなんですけれども


自己啓発を辞めると解放が起きます爆笑


つまり、何かを得ようと頑張るのを辞めるということです


自分がやってることが自己啓発だということさえ気がついていない人もきっと多いと思うんです


ウィキによると


自己啓発(じこけいはつ)とは、自己人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為である。「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す。


とのこと


別に自己啓発を批判して、やるな!という意味ではなく


この記事は自己啓発やってるんやけどなぜかうまくいかないとか、楽しいはずなのにどこか違和感があるという人向けです



人が進化成長しようとする時

※結果として進化や成長がおきるのではなく自発的にそれを成し遂げようとするとき


土台には必ず、今のままではダメという発想があります


その状態のまんま何を得たって絶対に本物の幸せは訪れない


私の言う本物の幸せというのは「減らない幸せ」とでも言うか、心の安寧とか平安と言えるものです



私も長い間気がついていませんでした


若い頃から常に何かを頑張っていましたが、それは自分は向上心が強い性格なんだって思ってました


起業してからはいつのまにやらそれ自体が自己啓発のようになって、一時期は


理想のライフスタイルを構築する!

というのを声高に掲げていました


声高に、ってとこがポイントです


人は根底に恐怖が潜んでいるものに対しての回避動機による行動に関してはやたらと強く主張したがるものなんです


自然体で楽しんでいる事柄には人は落ち着きを持てるのでギャアギャア言ったり圧のある言動をしたりはしません


それにはなかなか気がつけないものですけれどもね




それに

人間、進化成長してナンボやろがい

ダラダラダラダラしてチンタラポンタラしてるヤツ、「働かざる者食うべからず」言う言葉知っとるんかい!?


とか思ってました


無駄に攻撃的なところもまたポイントなんです笑


自分がいつも頑張ってるもんですからゆるっとしてる人許せない笑


まぁまたこれも、その時は気づけないものですが。




立ち止まって何かを得ようとするのをやめてみるのは、これまで頑張って生きてきた人ほど、そしてそのことで成果を上げていれば上げているほど恐ろしいものです


自分には何もなくなってしまう


自分が自分でなくなるような気がする


そんな恐怖が襲ってくる

自我は暴れます



さほどの「結果」を出せていない人は


今でさえ何もないのに何もしなくなったらどうなってしまうんだ!?


という恐怖が襲ってくるでしょう




でもね

得られるものは失うもの

でもあるんですよね


この世の摂理は諸行無常で、変化しないものは何一つありません


ていうか本当は我々は何も得ることはできないし、反対に何をも失うことはありえないのです



何かを得て安心しようとする行為そのものが苦しみを強化する原因だったことが本当にわかったとき、一気に肩の力が抜けて自分の存在そのものに安心を感じられるようになります


自分を信じられるようになるといってもいい



わたし的にはこれが解放ってことかなと思っています