【いちいけいこの咆哮】女たちよ、まずは自分だけが幸せになることにとことん執着せよ! | カボチャの馬車でドリフトする方法♡

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今日はですね、前回の記事でちょっと触れた、

まずは彼のこととかほっといて、自分だけが解放されることだけに集中する

って書いた部分を解説してみようと思う。

 

と思ってたらちょうどこのようなお便りが届いたので引用しつつトピックとしますね。

NYさんより・一部抜粋

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けいこさんは、自分に集中していればパートナーシップが自然とよくなる、と書かれています。

でも先日のメルマガで、けいこさんご自身がここ一年パートナーと真剣に向き合い、もしかしたら離婚の可能性もある、とも書いてあったと思います。

私も今、離婚したいと思っているのですが、
私が自分に集中し足りないから努力不足なのか?と思ったりします。
離婚を安易に選ぶのは単なる逃げなんではやいか、と。

この辺り、何かご意見きかせていただけたら嬉しいです。

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NYさん、ご質問ありがとうございます^^

 

>けいこさんご自身がここ一年パートナーと真剣に向き合い、もしかしたら離婚の可能性もある、とも書いてあったと思います

いや、書いてないです(爆)

 

>ここ一年パートナーと真剣に向き合い

→特にここ…(笑)

そんな事実ないから書くわけもないけど、あまりにもナチュラルにおっしゃるので私思わず自分の過去記事確認したけどそんなこと一言も書いてないです。

私がやってきたことは、今年に入ってからめっちゃアンラーニングしつつ現実世界の勉強をして、ひたすら「私」というものの稼働のめぐりや個々の現実が出来上る仕組みの理解に努めて来た、ということでしかありません。

「一年」とか一回も書いてないし、【夫婦共依存】の記事でも、私はパートナーシップのことだけを考えているのではなく、もっと根のことを常に見ていると書いたと思うよ。

 

多分NYさんは、引退表明記事の、ここの部分を超訳したと思うんだけど、どうでしょう?

引退表明記事より一部抜粋

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これから私と夫に起こることは、すべてガチの本質に沿ったものとなっていきます。
私も夫も、今から本物の自分たちに出会っていきます。

そうする中では、真のパートナーとなっていくか、夫婦というコラボの解消があるか、どちらかになっていくはずです
私は頭がお花畑の状態で家に入るのではなくて、幼児と乳飲み子抱えての離婚を視野に入れてでも、自分を誤魔化さずに生きていくためにそうします。

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この部分を雰囲気で上記のような解釈に転換されて、ご質問に至ったのではないか?と思うんですが。

そうだとしたら、全然、違います。(違ったらご一報ください、私の記憶違いもあるかもだから)

 

私は今年の2月くらいからすんごい本腰入れて最後の探求に乗り出しました。

それは「パートナーと向き合う」なんてこととは程遠い、脳の勉強とかそんなんでしたよ。

んで、それが仕上がってきた今、妊娠も相まって家に入る決断をした。

自分で言うのもなんですが、私自身が仕上がって来て目覚め始めているので、そうなるといよいよお互いの本質があらわになるので、その中では本物のつがいとなれるか、夫婦のコラボの解消があるか、どちらかしかない、と書いたんですね。

 

だから、どっちかっていうと私も夫と「向き合う」のは今からが本番。

そして多分NYさんの「パートナーと向き合う」という概念と、私のそれとは全然違うものです。

NYさんの言うそれは、おそらくは前回の記事で書いたそれだと思います。

本音で接してどうのこうのってやつですね。

 

でも私のそれは全然違います。

彼との関係を、見直すとか何かを実践するとかそういうことじゃないんです。

逆に何もしないの。

私が私を極限まで削ぐだけです。触るのは、自分だけ。

 

「向き合う」という表現で私がそれを説明してみると。

ただひたすらに「開花した私」として彼と生々しい生活、つまり「ともに生きる」という「生活そのもの」を「自然のなり」でやっていくという意味です。

「向き合う」という表現は無形の概念なので、NYさんの想定してらっしゃるそれと私のそれとは根本的に違っていると思われるので話が全然かみ合っていない感じになるんですよね。

 

>私も今、離婚したいと思っているのですが

→私「も」という表現から見て、いちいも夫と離婚したがってるって解釈されたってことでしょうか!?

もしそうだとしたら、マジ全然私はそのようには思っていません(笑)!

できれば夫と添い遂げたいけど、これ以上私が目覚めて来たらそうはいかない可能性もあるなって思うから、最後の探求はそれも覚悟しているっていうだけのことです。

 

断っておきますが、「よく読めよ」的にNYさんを責めたいわけでも、言葉尻の上げ足をとりたいわけでもないんです。

そうじゃなくてね、双方の認識が違い過ぎているし話の出発点がズレズレのまま話を進めると、雪だるま式に話がズレていくってことはご理解いただけますでしょうか?

認識がまるで違うのに無理やりご質問に答えるって言うことは不可能なのですね。

 

でね、今の私には似たことは毎日起きます。

メルマガへの返信にしろ、個人コンサルや講座にしろ。

 

もうね、私の中の鈴木雅之、登場率超~高いから(笑)

違う違う・そうじゃ・そうじゃな~い!!

 

みんなね、本当に好き勝手に読む(聞く)んだよね、マジで。

怒ってるわけでもなんでもなく、みんな読んだ瞬間に独自の解釈が起こるからしょうがないんだよ。

それにしたってここ数か月は話がかみ合わない頻度が本当に高いけどね。

去年までの発信や対話ではこうはならなかった。

大したことをお伝えしていなかった証拠だと思います。

 

 

私がね、最後のメッセージとしてお伝えしようとしていることはね。

まずは自分だけが幸せになることにとことん執着せよ。

そしてそれを成し遂げたものだけに見える世界がある。

それは自分のことだけを考えているように見えて、結果的にはそれこそが周りの大事な人を幸せに巻き込むこととなる。

ってことが言いたいんですよね。

 

離婚の可能性もあるってさっき言ったじゃねーかよ、それのどこが幸せ?って疑問もあるかと思う。

その意味はね、女が先に目覚めて本物の開花をしたら、お互いが人生で初めて本当の自分に出会うわけだよね。

そうしたらね、「この人はパートナーじゃなかった」ってナチュラルに気づく瞬間が訪れることもあるだろうってことなの。

だってお互いこれまで一度も本当の自分を生きたことがないのよ?

みんなみんな、自分が誰だか知らないわけだから。

 

現状がね、金魚鉢が土入れながらシャンパン目指してた妻と、湯飲みがワイン入れながら金魚を求めてた夫だったら?ってことよ。

女が目覚めて本質がマジのガチで開花した時、それぞれのコップの形が浮き彫りになる。

そしたら初めてお互いがその姿を見ることになるでしょう。

それってもう初対面だよ。

そうしたらさ、「あ、私たち、違ったんだね」ってなることはあり得るってことです。

その時はなんの引っかかりもなく、世間ではありえないとされているいわゆる円満な離婚みたいなものが訪れるでしょう。

 

反対に、原子と電子がくっついてひとつの物質ができるように、カチッと結びついて完全体として結合することもあるでしょう。

女という原子核の周りを、それ専用の電子として男が飛び回ることで原子力が産まれるようなものです。

こうなったら、めったにめったにいない、本物のパートナーシップを築いている夫婦となり、あらゆる豊かさを二人で産み出していくこととなると思います。

 

これを読んでくださっている女性に言いたいことは、自分を諦めないで欲しいっていうことです。

そしてそれは同時に私が私自身に今も一番言いたいことなんです。

 

私の生活なんて、誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化して「これで良し」として最後まで生きることができるものです。

優しい夫がいる、かわいい子供がいる、不妊も治った、お金にも困らない、美貌もありますし、仕事も、人気も、友達も…。

何やかんや言うても、そんなどデカイ問題なんて抱えてないです。

私個人は足りないものを探す方が難しいという、イヤミに取られかねない状況でした、この約4年。

もう十分じゃないか、これで良しとすればいいじゃないかって、何度も思いました。

 

でも、私は苦しかったの。

何もかもを持っていても、満たされない。

仕事でうまくいきさえすれば、と思ってそれをもぎ取りました。

母との確執さえ乗り越えられたら、と思ってそこもクリアしました。

もっとこうすれば、もっとああすれば。

 

でも、何かが違う。

表面上取り繕うことはいくらでもできる状況でも、自分の心の奥底にある違和感を自分に対して誤魔化すことは絶対にできないんです、人って。

特に私は多分、自分の内面に関するセンサーがとても鋭敏で網目が細かく、強引に感じないようにしようとしてもとても難しかったです。

 

引っかかるの、何かが。

何を手に入れても、ダメなのよ。

深い部分の渇きが、どうしても癒えないの。

それはもう外への誤魔化しがいくらできても、自分だけにはどんなに取り繕っても通用しないと観念したんですね。

 

なので、私は徹底的に自分をその苦しみから解放すべく最後の挑戦をしたって感じです。

どうせまたできないと決めつけないで、私は絶対できるはずって自分を信じて、最後の挑戦をしたの。

私は、自分を諦めなかった。

どうしても、本当のことを知りたいという気持ちがあった。

このままで終われないって、本気で思った。

 

これまで私もどっかで聞きかじったような、人生は感情の高低差をひたすら味わうものだ、なんて。

そんな人生ほんとジョーダンじゃなくて、もっとちゃんと、正式に生を楽しみたいと私は思った。
何かがおかしいとずっとずっと思っていたから。


本当には欲しくはないものを人はどうしてこれほどまでにも渇望するのか。

そしてそのことにさえどうしてこんなにも気づけないのか。


その正体をしれた時、人は拍子抜けするほど肩の力が抜けるってことを知ったのは最近です。


漠然とした不安とモヤモヤとにさいなまれて生きていて、いつか自然にそれがなくなるほど人生は長くない。
次の瞬間にもこの生が終わるかもしれないなら、せめて一瞬でも多く楽しくいたいと心底思った。
家族と共に、ね。

 


だからね、ある意味では私が一番往生際が悪かったのだと思います。

ものすごく執念深くて、幸せに生きるってことに誰よりも激しく執着したのだと思います。

だからこそ、ようやっとここまで来れたのだけど、まだまだこれからなんです。

ここからが、スタートなの。


生きながら、生まれ変わることはできる。
いつかも同じフレーズでなにかの文章を書いたことがあるが、そのときと今では見えている世界があまりにも違いすぎる。


生きながら、自分の屍を超えていく。
多分、この先も、まだ何度かあります。
そのたびに成熟した大人の女性になれるのだと思う。
悩める女の子を卒業出来たら、やっとやっとそのフェーズに入ることができるようです。

 


もう綺麗事はかなぐり捨てて、私さえ幸せならばそれでいいというところから始めるんです。
そうすると、ほんとにそれができたとき、驚くほどに周りを幸せにすることができるんだと思う。
それは意図などしなくても。

私もそうなってきてて、でも本番はこれからだから偉そうに言えないんだけどね。

 

だからこそ一度皆様の前から去るのです。

頑張って築き上げた「いちいけいこ」も、それを見てくださる方も捨てて、行くとこまで行くの。

そしてすべてが終わったら、今度こそは好きなように気楽にやろうと思ってる。

 

目覚めて来た自覚はあるとはいえ、最近私を「悟ってる」って表現なさる方が結構多いけど、まだです。

今からそれが本当にできるかどうかってとこです。

ま、できると思てるけど(笑)

だって私はとても執念深いもの(笑)

 

そこに怖さがないかと言われたら、ないわけないよ。

もしかしたら夫と別れるかもしれないのよ?

怖くないはずないって。

でも、それでももう止まれないのです。

出来れば私も原子力を産み出すパートナーシップを築きたいなって思うけどさ。

 

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