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いくつか今日の題材として取り上げたいのだけど一個ずつ行くね。
これから講座を検討されてる方に向けて結論から書くとね、もう何回も書いてるように、私は具体的な相談には乗らないよ、なぜなら私には依存できないからだよっていうことね。
なぜなら、私の話は抽象度の高い話で、よそのコンサルとは違うんだよってことは再三書いてきてましてね。
具体的なお悩みにこたえることは根を無視してその方が問題と思う枝葉部分の剪定をすることに過ぎず、それだと世の中にすでに溢れてるスピや自己啓発と同じなんだよ。
「○○はこうですか?」に対して「それはこうですよ」っていう具体的なアドバイスは意味がないということも何度も書いてきた。
そうではなくて、そもそもなぜその疑問がわいてくるのか?という、もっともっと外枠の仕組みが理解できない限り、今気になる問題を解決してもまた時期が立つと別の問題が立ち現れてくるからだ、ということを常にこのメルマガでお伝えしています。
でもやっぱり、何回かいても皆さんそれを求めてらっしゃるのだなぁということが頂いたご感想からもよくわかります。
そしてね、今日はじゃあ違う書き方をしたいんだけれどもね、こう書くと伝わるかな?
皆様が疑問に思うことの様々の諸問題の答えは、皆様の想定の範疇にはない
ということです。
だからこそ、私が答えを話していてもそれが答え(もしくはそこに繋がる誘導)だと気づけない。
相談には乗らない、誰も聞いたことがない話をするだけだ、といってるのはそういう意味です。
でも多くの方は無意識にでもうっすら欲しい答えを想像して期待してるのね。
だからそれと違ったときに「そういうことが聞きたいんじゃなくて、私の質問に答えてよ!」という発想になってしまうんです。
どっかバックナンバーにほとんど↑のまんまのタイトルの記事もあったと思います。
そしてこれはSさんに限らずコンサルを受けた半数くらいの人に起きる反応です。
その傾向としては探求上級者やIQが高い人に起こりがちです。
理由は
「私はある程度のことはわかっている」
「私はこれだけやってきてます(仕事や探求など)」
という確固たる私というアイデンティティや信念のようなものがある人は
「自分は答えをすぐに理解できるはず」
「自分はこれまでどんなこともなんでもすぐに理解・吸収してきた」
「今回も聞けばすぐわかるはず」
という無意識の自負があるからです。
そしてそこには「それによって評価を受けてきた」という経験もくっついてるのね。
だから、評価されるどころか、どこが繋がってるかよくわからない、答えとは思えないようなことを私が淡々と話し続けることに反発を感じやすいのです。
すぐに答えを知りたがる気持ちは真理を遠ざけます。
聞いて一言でわかるようなことは、すでに誰もがどっかで知ってるような情報で、そんなことを私は言う担当ではないのです。
そしてそれは質問ではなくて「不安を解消したい!!」という不足感の補充をしたい気持ちに過ぎないの。
だからとにかく手っ取り早く安心したい。でもそれでは一時しのぎに過ぎないんですよ。
根本的に「なぜそこが不安になるのか?」?ということを理解できないと、同じことの繰り返しなんです。
「欲しい答えじゃないから気に入らない」という気持ちは、説明を素直に聞けないという引っかかりになってくるのですね。
誤解を生まないようあえて書いておくと、「私のいうことを聞け!!」とコントロールしたいわけではないのね。
単なる現象の説明です。
なぜなら私は私の言ってることだけが正解だななんて思ってもいないし、ただ私個人がある一定の視座にたどり着いた基礎をお話ししているだけですからね。
要するにね、お申込みをくださる皆様は今までどこ行っても何聞いても誰に教わっても「これぞ!!!!」としっくりくる答えが見つからないから、どうも最近毛色の違っている私のところへ来るんじゃないのかなって思うのね。
この人なら答えを知ってるのではないか?っていう主観的な動機にしろ、この情報は信ぴょう性が高そうだという客観的評価による選択だとしても。
そしてね、そうだよ。
でもね、その答えって何度も説明している通り、全く視座の違うところから投げかけるものなのね。
だから、聞いてすぐ現実が変わったり「うわーー!!わかったーー!!」「なぞが解けた!!」と感じたりの高揚感を伴うものでもない。
その時すぐにはわからないからです。
あとは私がクライアントさんを評価するってこともないから「その通りですよ、よく理解できましたね!」的な褒められ感も全くないです。
なので、これまで受けたどんなコンサルとも絶対に違うはずで、むしろ何だったのかよくわからなかったり、モヤつく人は一定数いると思います。
「思ってたのと違う!!」という感想や「私をわかってくれない!!」と言う感想になるからです。
自分の想い通りにならないことを人は嫌うものですし、私は私の「これぞ!!」をお伝えするだけにとどまり、誰にも何にも寄せないからです。
Sさんは最終的には私の話をご理解くださったとのことなので、こう書くとまた怒られちゃうかもしれないけどね。
>「結局私の疑問の答えになってないんだけど…」ってずーっとイライラしてたんです
最後ね、依存の話をしたけれどもね。
これこそがね、依存だってことに気づけたかな?ということですね。
【夫婦共依存】の記事でも書いたけど、依存ということは「私の思うように相手が振る舞ってくれたらいい」という状態のすべてをさします。
要はSさんは無意識に「私の欲しい答えだけをいいなさいよ!」「そのことによって私の不安を解消してスッキリ安心させなさいよ!」と私をコントロールしたかったということなのね。
でも、できない。だから、いらいらした。
世の中の苦しみの原因はすべてここだと言っても過言ではないほど、どんな案件にしても多くの人に見られる傾向です。
つまり他人や現実が自分の思うようにならないからイライラする!すべて自分の想い通りになればいいのに!という状態です。
それが「外側が変われば私は幸せになれるはずなのに」という依存の状態そのものをさします。
いつぞやどっかの記事で、世の中は依存に溢れてると書いたのはそういう意味です。
そしてそのすべての根は無価値観です。
例えば鏡の法則なんかを学んだりして「これはきっと自分の内側の問題だろう」とか、心理学を学んで「投影なんだろうな」くらいのことは頭では知っていても、落とし込みが出来ないとどうしても外側の世界に対して憤慨したり悲しんだりする気持ちがでてくるものなんです。
そして厳しい書き方をすると、それは「わかっていない」ということそのものを差します。
つまりは、知識を智慧に変えられていないということです。
それは、知らないのと同じことだということです。智慧になっていないものは使えないからです。
これは「無知の知」ってことを理解できると一歩進むってどっかで書いたことです。
「自分は何もわかっていないのだ」ということを受け入れられたとき、学びなおしが起こります。
少なくとも私はそうでした。
>私たちは迷路のようなクエストのような空間にいる。
迷路に入っている自分には、その全体像はわからない。
ただ、天井はあいていて、上から見るとどうやって目的地に向かうのかは見えるつくりになってる。
うん、そうですね。
以下は後略していますが、要するに巨大迷路の中にいる人(クライアント)に(講師が)上のフロアからの指示だしをするってことを書いてくださいました。
そしてこれも私が別の記事でそのままそのことを書いてた件だったりします。
そのままそのように説明してた日があり、視座の違いをその表現でね、してたのね。
私はここのところ毎回のように「同じことを何度も書いてる」「このことも再三書いてる」と書きますよね。
これは何も「もっとよく読め!」と怒りたいわけではないんです。
そうじゃなくて、それすらもなぜそうなるかをわかってて言ってるのね。
人には脳幹網様体賦活系(のうかんもうようたいふかつけい)通称RASと言われている機能が備わっています。
これは簡単に言うと「その人にとって重要と感じる情報しかキャッチできない」という機能のことです。
なので、私はいつも何度も同じことを書いてるし、皆様同じ記事を読んでくださっているのだけれども、その人にとって「自分にとって重要と感じた」部分しか実は読めてないということなんですね。
だから、私からすると何度も書いてるけど、読者さんからすると「そうだっけ?」ということは普通に起こりえるというわけなんですね。
まあそれに、単純に毎回こんな長い記事を全記事網羅してる人の方が少ないかも(笑)(笑)
RASについてはまた別記事で。
最後に、魂や輪廻はあるか?というSさんが一番ききたかったことについてあえてここで少し触れておきたいと思います。
多分、同じような疑問をお持ちの方も多いとも思うので。
こういう形而上学的(けいしじょうがくてき)なこと(実体がなく確認しようがないもの)は、誰にも立証しえないことがらです。
なので「在ると思いますよ」や「いや、それはないですね」などの私の個人的見解を答えることに意味がないということを申し上げておきたいと思います。
そしてまた仮に私がシンプルな答えだけを投げたら納得できるか?というと、どうでしょう。
「まあそれはあなたがが死んだらわかりますよ。この世の人は誰もまだ死んだことないからそのあとどうなってるかを考えて不安になっててもしょうがないですよね」と言ったら?ということです。
それこそ、「そうかもしれんけど、そういうことが聞きたいんじゃなくて!」となりはしないかな?ということですね。
そしてそれだと納得できない上に1分でコンサルが終わってしまうし、憤慨ものではないでしょうか…(笑)
魂や輪廻に限らず、すべてのことはそれが真実かどうかは関係ないということです。
例えば幽霊やらご先祖様の霊魂なども同じ。
人は、その人が信じた世界を生きてるの。ひとり、ひとり。
在ると思ってる人の世界にはそれがあるし、ないと思ってる人の世界にはない。
ただ、それだけ。それが答えです。
実体のないこの世には、何ひとつとして確固たる答えと言うものはありません。
それが「空」ということです。
何を答えにするかは自分で選ぶしかないってことです。
人は、一人一人違う現実を構築しています。
なので、しつこく脳の話をするんですね、私。
その一人一人が構築している完全に独立した「現実」というものが何なのかを理解できない限り、人は彷徨うからです。
…と、書いてるところへまた別のご感想が届きました。
NMさんからのご感想を一部抜粋します
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あの日、けいこさんに吹かれた矢はすごい威力で、あの日から私の頭は毎日けいこ節です。
今まで色んなセミナーやブログで見聞きして来たものとは違い、聞いて数日は、諸行無常…こんな世界なのか、なんか寂しいな、と感じていました。
パートナーシップの専門講座を受けても、現実が変わらない理由も、これか…と解った気がしました。
そりゃ、ぶつかるよね。。と思いました。
無価値観をどうにかしたい!ってもがき続けて来て、ちょっと剪定出来た事があったから余計ややこしくなってた気もします。
でも仕組みを教えてもらったから、地味に地道にやっていこうと思っています。
録画良いですね!
優しい極道の美女から、ズドンと響くコンサル!って感じでした(*^^*)
おさらいコンサル受けたくなりました‼︎
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NMさん、ご感想ありがとうございます^^
おかわり、いつでもお申し出くださいね。
>諸行無常…こんな世界なのか、なんか寂しいな
そうだね、真理って本当に無機質な世界だけど、しつこすぎるけどどっかの記事に書いたけど(笑)、我々はいつでもその中に温かさや光を感じることはできると私は思ってますよ。それも自分次第だよね。
私は、どなたの具体的トピックにもお答えせずにその人に合わせて高い視座から一番必要なことをお話ししています。
でも、どなたにも結局ほとんど同じ話をしています。
やはり基礎の基礎の話にどうしてもなるのね。
それでも、ご感想がこれくらい違ってきます。
当然のことながら、どちらがいいとか言う優劣の二元論的な話ではありません。
ただ、同じ外部刺激を受けても人によって大きな違いがある、という話です。
これこそが、それぞれの解釈をもってそれぞれの独立した現実を生きている証です。
どんな現実を形作るか?は、どっかでも書いたように(しつこい笑)
我々の意思とは関係なく常に眼前に立ち現れるこの諸行無常の現象を、「私」というフィルターを通してどのように見るか?でしかない
ということです。
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