最近なぜか編みものが大人気で毛糸がどこの手芸店でも品不足とか。なぜなのかサッパリわからないけれど、80代半ばの私にとってはなにやら懐かしく嬉しい感じ。

 思い返せば終戦直後に小学校に入学してから、食べ物はもちろん衣類も本当に何もなくて、5人の子供を抱えた戦争未亡人の母はどんなに苦労したことだろう。特に寒い冬の間、暖かく体を包んでくれるセーターは貴重で、数少ない純毛のセーターが古くなると、いったんほどいて弱っていない部分を繋いでいいとこどりをした毛糸を使って手編みを繰り返してくれた。

 今のように、趣味などと優雅に言えるものではなく必要にせまられてだった。色が冴えないセーターにはきれいな色で花などの図案を編み込んだり縫い付けたりしてくれた母。

 担任の先生がきれいねとほめてくれて とても嬉しかった思い出。そんな時代を経て、自分が結婚し子供を持つようになってからは、セーターだけでなく帽子、手袋などほとんど全て棒針、鍵針で編んだものだ。その頃のニット類はもう今はほとんど残っていないが、もしもあればさぞ懐かしいだろうに。

 世界中どこの国でも様々な民族の人々が、絶えることなく編みものを楽しんでいるようだ。編みものはやり始めるといくらでも工夫が広がって夢中になってしまう。ハイテクの現代で昔の手作りのものがはるかかなたに遠のいてしまうと、かえってまだるっこい手仕事が懐かしくて復活してきたのか? もしも身近に誰か編みもののできる人がいたら ちっちゃな襟巻でも教えて、とお願いしてみたらどうかしら?

 棒針2本と少しの毛糸があれば世界に一つだけの素敵な襟巻が出来上がります!

今年の初めに新聞の読書ページで、超分厚い「山田洋次が見てきた日本」(クロード・ルブラン著 大野博人、大野朗子訳 大月書店 9,900円 2024.9.13 初版)を知って図書館にリクエストを出した。

2か月近く経って手元に届き、今夢中で読んでいるところ。手にしてびっくり、779ページの大著、値段もさることながら著者がフランス人であること・・・。そして、本当にこれがフランス人によって書かれたことも合わせて、内容の濃さ、山田洋次に対する深い敬愛の念にも感動。世に多い熱烈な寅さん映画ファンからみれば、私のごとき、およそうんと浅い経験しか持たない人間が何をか語らんや、ではあるが。

何しろ、寅さんを初めて見た(しかも映画館ではなくビデオで)のは、今からほぼ10年ぐらい前のこと、70歳を過ぎてから。

ビデオを友人から借りて、全編50巻、一気に見た後、また何度も繰り返し見た。山田洋次監督に関する著作、寅さん以外の作品もいろいろ見たり読んだりした。現在進行中の朝日新聞の月一回の「山田洋次 夢を語る」もスクラップして楽しんでいる。

テレビでの対談などもなるべく逃さぬように見ている。それにしてもこのような名著が出版されたことは本当に素晴らしい。読了まであと少しかかると思うが、この著作をまだご存じない方も多いと思われるので、ぜひ一人でも多くの方が読まれることを心から願う。そして、次の機会には読後の感想をあれこれ語りたい。

 

 

2011年3月11日の東日本大震災の日以降、私のそれまでの日常は表向きそれほど大きな変化はなかったが、精神的に何かが大きく変わってしまった。

後になって思い返すと、あの日以来、以前のように音楽を聴いても心の安らぎ・なぐさめが得られなくなり、むしろ離れていく感覚になった。あれほど身近だった音楽を拒む感じ。レコードをかけることは全くなくなり、カセットテープをデッキにかけることも皆無に。コンサートにもほとんど行かず。その後のコロナ禍もあり、空白状態はごく最近まで10年以上に及んだ。

もうこのままこうした状況で最期を迎えるのだろうか?と思っていた。ただ心の空白をずっと埋めてくれたのが子供時代からいついかなる時も継続してきた読書の習慣だった。

太平洋戦争終結後、昭和21年に新制小学校1年生になった私。

国中が貧乏のどん底にあって、音楽が楽しめる環境ではなかった。

けれども、学校で習った音楽の授業は楽しかった記憶が残っている。オルガンに合わせていろいろな唱歌を合唱した思い出が懐かしい。田舎暮らしだったからみんなで「ふるさと」、「もみじ」、「おぼろ月夜」などをのんびり畦道を歌いながら登下校したことなど。

家には居間の天井に近いところに小さいラジオがあり、そこから降りてくる様々なジャンルの音楽は貴重な娯楽だった。伊藤久男や東海林太郎、淡谷のり子などは親子共通の好きな歌手だった。高校は名古屋市内でそれまでよりガラッと都会的で、音楽の授業もなかなかレベルが高くて、オペラのアリアなども教えてもらえて嬉しかった。また、月に一回、放課後、講堂でクラシックレコードコンサートが開催されて、そのことが私の後々、今日に至るまでの音楽にどっぷりつかる暮らしの基盤になったようだ。

休日に名古屋大学のコーラス部員の男性グループと一緒に岐阜の長良川や金華山にハイキングをし、たくさん合唱曲を教えてもらったりした。何度かはちゃんとしたクラシックコンサートにも出かけた。ピアニストは誰だったか忘れたが、「皇帝」が素晴らしく、指揮の渡辺暁雄氏はよく記憶している。

その後、教員養成の大学に進み、そして卒業。地元の中学校の教師を経験ののち、結婚。3人の子供の母親となって音楽との関わりは遠のいてしまう。ただ、隣家のご主人がオーディオファンで、その人の導きで私もどうしてもオーディオセットが欲しくなり、資金作りのためにささやかな塾を開き、一年して目標を達成、自分のステレオセットでレコードを楽しめるようになった。