http://www.youtube.com/watch?v=k3ko1aIOjQE
go with fatima!:
It's so arabic!
世界一の建物を建てるお金があるのに、お友達の国のアルジェリアやエジプトでは、ついつい、騒動が起きてしまいます。この土地の人たちは、昔から、ピラミッドを作ってしまうほどのパワーを持っていたわけで、今も昔も、一途な気質は変わらないのかもしれません。
アフガニスタンやパキスタン、スーダンやソマリア、イエメンなど、天然資源に恵まれない国は、いつまでたっても、貧しいままで、なかなか発展しません。何か産業が起きても、独裁政権の王様たちが権益を独り占めしてしまうありさま…。それも、「神の定め」なので、貧困にあえぐ人たちも、それを苦痛や不幸と感じていないところが、アラブの人たちの不思議なところです…。
そんな、貧富の格差を、何とも思わない?ドバイの女性記者は、超高層ビルの取材に出かけてこられて、やはり楽しそうです…。「アラブの神様」って、実は不公平な方なのでしょうか…。しかし、あちらの人たちには「公平」という概念も存在していません。一度火が付いたら富をこれでもかというくらいのパワーで集積してゆくアラブの人たちのエネルギーの背景には、いったい何があるのでしょうか…。
アルジェリアの騒動も、「信仰を持たない人間なら殺しても、人間の盾にしても、人間が動物を食料にするのと同じ」といった感覚なのか「人間の尊厳」という概念自体が存在しないようで、こちら側から見ると、困ったものだと思ってしまいます。「神のために戦う」といっても、相手から逆により厳しい締め付けをくらうような戦い方は、自分たちのためにならないと言う事に、早く気付いてほしいところですが、盲目になってしまっているようです…。思い込んだら一途なところが、彼らの特性の様です…。
日本語や英語では、挨拶に「ご機嫌いかがですか」などと思いやりの要素が含まれています。一方ラテン系のフランスやイタリア、スペインあたりでは、個人主義の国らしく「よい一日を」などと相手と間の「距離感」が目立ちます。アラブでは「あなた方に平和がありますように」と平和を日々口にしているはずなのに、やはり、アラビックな神様は、スケールが大きいようで、何でもアッラー?なのでしょうか。
この表現は、決して神を冒涜するものではなく、「神はすべてを超越する存在である」というあちらの方々の価値観を代弁する意図をもって、書かせていただいています。家族を亡くされた日本人の方々は、やり場のない怒りをお持ちかと思いますが、「神の国」まで行って、エネルギーを買ってくるわけですから、命がけとなってしまうのは、やむを得ない面もあるのかもしれません…。これも日本では不謹慎な表現だと思いますが、そういったとらえ方をするのが、あちらの人たちなのです…。
価値観の違い、とは想像を絶する別世界である、と考え、お付き合いをしなければならない、という事実の一例なのでしょう…。無責任な発言をお許しください。
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It's so arabic!
世界一の建物を建てるお金があるのに、お友達の国のアルジェリアやエジプトでは、ついつい、騒動が起きてしまいます。この土地の人たちは、昔から、ピラミッドを作ってしまうほどのパワーを持っていたわけで、今も昔も、一途な気質は変わらないのかもしれません。
アフガニスタンやパキスタン、スーダンやソマリア、イエメンなど、天然資源に恵まれない国は、いつまでたっても、貧しいままで、なかなか発展しません。何か産業が起きても、独裁政権の王様たちが権益を独り占めしてしまうありさま…。それも、「神の定め」なので、貧困にあえぐ人たちも、それを苦痛や不幸と感じていないところが、アラブの人たちの不思議なところです…。
そんな、貧富の格差を、何とも思わない?ドバイの女性記者は、超高層ビルの取材に出かけてこられて、やはり楽しそうです…。「アラブの神様」って、実は不公平な方なのでしょうか…。しかし、あちらの人たちには「公平」という概念も存在していません。一度火が付いたら富をこれでもかというくらいのパワーで集積してゆくアラブの人たちのエネルギーの背景には、いったい何があるのでしょうか…。
アルジェリアの騒動も、「信仰を持たない人間なら殺しても、人間の盾にしても、人間が動物を食料にするのと同じ」といった感覚なのか「人間の尊厳」という概念自体が存在しないようで、こちら側から見ると、困ったものだと思ってしまいます。「神のために戦う」といっても、相手から逆により厳しい締め付けをくらうような戦い方は、自分たちのためにならないと言う事に、早く気付いてほしいところですが、盲目になってしまっているようです…。思い込んだら一途なところが、彼らの特性の様です…。
日本語や英語では、挨拶に「ご機嫌いかがですか」などと思いやりの要素が含まれています。一方ラテン系のフランスやイタリア、スペインあたりでは、個人主義の国らしく「よい一日を」などと相手と間の「距離感」が目立ちます。アラブでは「あなた方に平和がありますように」と平和を日々口にしているはずなのに、やはり、アラビックな神様は、スケールが大きいようで、何でもアッラー?なのでしょうか。
この表現は、決して神を冒涜するものではなく、「神はすべてを超越する存在である」というあちらの方々の価値観を代弁する意図をもって、書かせていただいています。家族を亡くされた日本人の方々は、やり場のない怒りをお持ちかと思いますが、「神の国」まで行って、エネルギーを買ってくるわけですから、命がけとなってしまうのは、やむを得ない面もあるのかもしれません…。これも日本では不謹慎な表現だと思いますが、そういったとらえ方をするのが、あちらの人たちなのです…。
価値観の違い、とは想像を絶する別世界である、と考え、お付き合いをしなければならない、という事実の一例なのでしょう…。無責任な発言をお許しください。