ファーザー・コンプレックス
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黒いランドセル

母は、私が“女の子らしい”ことをするのを嫌った。

スカートを履くことや、髪を伸ばすこと、人形を持つことさえ許されなかった。

近所を歩いているとよく、男の子に間違われたりした。


本当は他の子みたいに、かわいい服を着てみたかった。
髪を伸ばして、母にみつあみを結ってもらいたかった。
リボンを付けてもらいたかった。



「ママは男の子が欲しかったから、だから、全部私が悪いんだ。」

と思った。




小学校に入る時、

初めて母とふたりでデパートに行った。


本当に嬉しくて、嬉しくて、ずっとはしゃいでた。



そこで、ランドセルを買ってもらった。


母は、迷わず黒を選んだ。

私はもう慣れていたから、何も思わなかったけれど、

店員さんは何度も、

「本当に黒でよろしいのですか?」

と聞いていた。




今みたいに、色んな色があったらよかったのに。



女の子で黒いランドセルを背負っていたのは、私だけだった。


それを見た他の子供たちに、

「どうして黒なの?」

とか

「本当は男なんだろ?」

と、からかわれた。



みんなの言葉が、アイスピックのようにグサグサと

私の小さな胸を刺した。

『病気』

時々、母は狂ったように暴れた。


家中の物をめちゃくちゃにして、大声で泣き叫んだりした。



そういう時、私は、カーテンの後ろやテーブルの下に隠れ、

耳を塞いで目を閉じて、ただひたすら、早く終わりますように…と願う。



父はいつも、

「ママを許してあげてね。ママは病気なんだ。かわいそうなんだよ。」


そう言って、私を優しく抱きしめてくれる。


父だけは、いつも変わらずに優しかった。



母は病気なんだ。

かわいそうなんだ。


私は決して、母を恨んだりしなかった。

『名前』

私の名前は、希望が有ると書いて『有希』(ゆうき)。

男の子を欲しかった母が、付けた名前。




産まれる前からずっと、医師からも周りの人達からも、

「きっと男の子だよ。」

と言われ続けていたらしい。



けれど、いざ産まれてみたら、女の子でした…というオチ。




母が私を嫌うのは、ずっとそのせいだと思っていた。



私が女の子だったから。





私が産まれた時、母はどんな顔で私を抱いたのだろう。




いまでも、ふとそんなことを思う。