27歳で結婚をした。

それを機に週刊誌の仕事を辞め、編集プロダクションのアルバイトに入った。

ここでは単行本の編集を学ぶ。

 

 

単行本を作るのは、週刊誌と違い、ひたすらの根気がいる。

緻密な計算力と注意力も。

現場仕事なら得意なわたしだが、職人は職人でも一文字ずつを織っていく絨毯職人のような単行本編集者になるにはしばらく時間が掛かった。

でも楽しいことはとても楽しい。

活字の仕事はとにかく好きなのだ。

 

 

2年後、わたし自身が単行本を書きおろすチャンスが訪れた。

週刊誌の編集部で仲よくなった女性編集者が、新書本のシリーズを出していたはまの出版を紹介してくれたのだ。

毎月2冊出す予定が、来月分がまだ1冊しか決まっていない。

締め切りまで4週間しかないが書いて欲しい、という話だった。

 

 

「ノー」はいわないわたし。

4週間も短いとは思わなかった。

テーマは当時注目されはじめていたOLにしよう、というのもすぐに決まった。

 

 

わたし自身は一度も経験のないOLの日常生活。

中学から大学までの女子校人脈を最大限に活用して、電話取材に集中した。

そのなかで生まれたのが「お局さま」という言葉だ。

 

 

大学の日本文学科の同級生が、職場のけむたい先輩を「山口(仮名)の局」と呼んでいるという。

「へええ、『お局さま』だね」とわたしが返した瞬間に誕生したのだ。

わたしたちが日本文学科で出会っていなかったら、彼女に軽妙なウィットがなかったら、単行本出版の話がなかったら、「お局さま」は世に出なかった。

言葉が生まれる確率は、人が生まれる確率と同じくらい小さな数字ではないだろうか。

 

 

電話取材はすべてカードにメモを取り、100枚ほど貯まってから、自宅の床一面に並べて構成を考えた。

章立てを作り、ページを割り振り、見出しを作り、行数を決めてから、OASYSワープロで文章を書いた。

編集の時間を節約して執筆の時間を多く取るためだった。

あの時期、わたしは一瞬たりとも気を緩めていなかったといま思う。

とても充実した4週間だった。

 

 

それまでわたしは本名で仕事をしていたが、結婚していたこともあり、ペンネームをつけようと思った。

部屋を見回すと、友人の画家から贈られたスイカズラの木版画が目に入る。

花びらがくるんと巻きあがり、ティンカーベルのようにかわいらしい。

 

「スイカズラ、スイカズラは英語でハニーサックル...」

 

テーブルの上にあったレシートの裏にペンでいくつか文字を書いているうちに

 

「羽生さくる」

 

ができあがった。

木版画を見てからたぶん2分くらいだったろう。

 

 

 

 

そして単行本もできあがる。

新卒入社半年の担当編集者がタイトルをつけてくれた。

『部長さんがサンタクロース』

文中でわたしが書いたOL俳句の一部である。

1988年10月、わたしはこうしてエッセイストとしてデビューした。

 

 

ここから思いきりはしょらせてもらおう。

先を急ぐので。

 

 

翌年2月には続編の『お局さまのリングは中指』を出版し、雑誌連載もいくつか始まった。

出版もバブルの時代で、わたしは立て続けに7冊の単行本を上梓することになる。

32歳で出産するときには、臨月まで校正刷りを抱え、退院後もまたすぐに校正をチェックする忙しさだった。

 

 

ただ、わたしの人生は出産前後から仕事以外でつらくなってくる。

ここからが人生本番ということだったのだが、そのときはまだ、泣きっぱなしの新生児を1日10時間抱っこして「子育て幽霊」になっていたわたしだった。

向こうが透けて見えていたらしい。