ドラクエをやるたびに、いつも妙な感覚にとらわれる。
エンディングを迎えた後、なぜか、世界が少しだけ違って見えるのだ。
ビルの壁の色、コンビニの陳列、電車のアナウンス。どれも以前と同じなのに、少しだけ見方が変わっているような感覚。
そして俺は、自分が少しだけ大きくなったような賢くなったような錯覚に陥る。
視界が、少しだけクリアになる。
そして──
ほんのわずかだが、優しくなれる。
それまで他人だったものに、わずか数ミリだけ、想像力が届くようになる。
それがどうした、と言われれば、別にどうということはない。
だが、それは確かに、変化だった。
これは何なのか。
ただのゲームだ。ピクセルと音の羅列。
なのに、なぜ心が動く? なぜ記憶に残る?
自分の中の何が──
変わってしまったのか。
最近、ユング心理学の本を読んだ。
彼は、夢や神話が人間の心理構造にとって本質的だと言っていた。
それを読んで、少し納得した気がした。
ドラクエは、──夢だ。
自分自身とつながるための、象徴的な装置となっている。
それが、ファミコンのカセットに収まっていた。
その夢は、神話でできていた。
ドラゴンや剣や予言の言葉。それは単なるファンタジーじゃない。
もっと深い場所にあるもの──
人間が長い時間をかけて織り上げてきた、心の構造そのものだ。
神話の先にあるのは、たぶん、僕たち自身の心だ。
もっと正確に言えば、僕たちの心の「かたち」だ。
見えないけれど確かに存在しているもの。言葉になる前の衝動、輪郭のない叫び。
ドラクエは、それを鏡のように映し出す。
だから、あのゲームを通じて、僕たちは自分の心と対話していた。
テキストでも、戦闘でもなく、その奥にある構造と──
つまり、
僕たちは「自分とは何か」と、問いかけていたわけだ。
気づかないうちに。
「私たちは、どんな存在か」
それは哲学でも宗教でもなく、冒険という形式を通じて、僕たちは問い直していた。
だからこそ、心は喜んだんだと思う。
それはノスタルジーじゃない。回帰でもない。
むしろ前進だ。
感情でも理屈でもなく、もっと静かで深いレベルで、心が満たされた──
そんな気がする。