さて、その2です^_^

 

実写版を見てない人は見ないでくださいね!(笑)

 

 

実は映画を見る前に他の人の感想を読みました。

 

あまりに評判悪ければ見るのやめようかなと。

 

気持ち悪いとかモヤモヤして意味わからないという感想もあり危惧しましたが、杞憂でした。

 

事前に読んだ感想として、貴樹は30近くになっても明里を忘れる事ができない男で明里は結婚していてすっかり大人になって生きている。

 

みたいなのが多かったようですが、

 

そんな感想は、どこを観てそう思うのか?

ちゃんと観てないで、そういう感想書いてるとしか思えませんでした。

 

少なくとも実写版の明里は、貴樹に教えてもらった天文にずっと興味をもち続け、大人になっても本屋さんにコーナーを作っていて、宮崎あおい演じる女性に、初恋の相手との思いは思い出ではなく、今でも日常と話してました。

 

そして、2009年に栃木県岩舟にある桜の木で会おうと約束するのは、貴樹がちゃんと大人になってなければという条件付きでした。

 

この2点と、中学生の時にホームでの別れ際の時の明里の言葉、「貴樹君はこの先も大丈夫だと思う」という言葉は、明里にとって、自分の存在のせいで、彼を縛ることしたくないという気持ちが隠れていたのではないでしょうか?

 

この考えはとても古風な考えですが、奥ゆかしい日本女子として昭和まではいたのです。

彼に自分はふさわしくない。

だから身を引く女性が。

事の良し悪しは抜きにして。

 

そして貴樹も、さらに遠距離となる2人の関係に決別する為に岩舟まで雪の中来るのです。

 

つまり、小学生の時にたまたま知り合い意気投合した2人は大人の事情により、物理的な距離が遠くなってしまった為に、貴樹は別れるつもりで岩舟に行きました。しかしその手紙は風で飛んでいってしまいました。

 

でも遅くなっても駅舎で待っていてくれた彼女。2人で彼女の作ったお弁当を食べて、桜の木下でのファーストキス。

 

そのことが、2人に別れる事が言えなくなってしまい、そのまま会えなくなりました。

 

そして、大人になって貴樹は、ずっとその事を引きずって生きてきたというより、忘れようとして生きてきたというのが本当なのではないて^_^しょうか?

 

そして、パニック障害を抱える彼女との別れの後、会社を辞めました。

 

その後、プラネタリウムに再就職。

 

その繋ぎとして実写版では、高校時代の先生と会社の先輩が出てきました。

 

高校時代の先生は高校時代の女友達の妹でした。

 

先生は遠距離恋愛してたけど別れてしまい、何故か東京にきて、本屋で働いています。そしてそこに明里も働いています。

 

会社の先輩は、貴樹に雑談は仕事を進める上で必要なんだと諭します。

 

この年上の先輩の存在により、明里との接点がまた生まれます。結果的には会えませんでしたが、2人は出会いからずっと忘れた事は無かったという事が映画で描写されてます。

 

大人になれば、昔の彼女や彼氏のことは忘れてしまう。もしくは子供の恋だったとして忘れてしまうのかも知れませんが、貴樹にとって、将来、JAXAに入って立派な大人になるという夢が、いつの間にかプログラマーとして会社で毎日毎日遅くまで働くサラリーマンになっていたという現実。

 

しかしプラネタリウムで働き、ナレーションまで担当する事となり、約束の日、明里はそのプラネタリウムに円満手帳を持ってきました。

 

さらに彼のナレーションを聴きながら、星を眺めたのです。そして帰りのバスの中で彼がナレーションをしていた事に気がつきます。

 

たとえ淡い恋だったとしても、天文手帳を届ける行為が、今でも彼女の中で大きなウェイトを持っているのは確かで、かつて貴樹からもらった天文手帳に好きでしたと書いて渡そうと思った気持ちは、今でも変わっていないと思いました。 

好きだからこそ別れる。

 

個人的に、好きな女の子をいじめるタイプの男子がいますが、私には理解できません。

 

貴樹は立派な大人になって明里を守ってあげたいという気持ちが、遠距離という物理的な問題のせいで、諦めてしまった。それとJAXAで働くという夢も種子島でロケット打ち上げを見ていた時は捨ててなかったはずなのに、いつのまにか東京でサラリーマンになってしまっていた。

 

この二つの喪失感が、この映画の底流として流れていて、当時のアニメを作った新海監督、今回の実写版での奥山監督、さらに貴樹を演じた松村北斗君。

 

みな、30歳前後の年齢なので、余計に気持ちが伝わってきます。

 

古いかも知れないけど、男は好きな女の子できたら、守ってあげたいと思うもの。先ほどのいじめる男子は論外。

 

貴樹はそういう男の子。

 

守れなかった自分を許せなかったのかもしれません。

 

そして明里も自分のせいで苦しんでる貴樹を見たくなかったから、大丈夫だからと言ったのではないでしょうか?

 

自分と別れても貴樹君なら大丈夫って、自分に言い聞かせた。

 

2人の恋は淡いものでしたが、映画は、またこの2人、どこかで会うのかなという印象を残して終わってます。

 

それは何故か?

 

東日本大震災という未曾有の出来事が起きる2年前が舞台だからです。

 

2009年に隕石が落ちて人類が滅亡すると思ってたからこそ、2人は桜の木でその最後を一緒に過ごしたいと思ったのです。

 

2011年、人智を超える災害は、新海さんの、あの三部作、君の名はから始まり、天気の子、スズメの戸締りを見ればわかります。

 

人の生命は儚いもの。

 

たとえ一時でも結ばれた2人は時を超えて永遠なのです。