「女メシア」としてお生まれになられた「お母様」は、
イエス様と生まれた経緯がよく似ています。
『イエスは私生児か?
・・・生前のイエスがユダヤ人からどう見られていたかについて、次に記そう。
当時のユダヤ人には姓がなかった。通常は自分の名の次にベン(ヘブル語)もしくはバル(アラム語)をつけ、次に父の名を置いた。正確ではないが、イエスがヨセフの子なら、イエス・ベン・ヨセフという言い方をする。この点、ロシヤ人の父称とやや似ている。いわばイワン・イヴァノヴィッチ・イワノフとはイワンの息子のイワンで、もしイワノフという姓がなければイエス時代のユダヤ人と同じ言い方になる。当然のことだが、私生児には父称はない。トルストイの『復活』で、カチューシャが法廷の人定尋問で父称をきかれ、顔を赤らめて「私生児でございます」という場面があるが、父称のある国では私生児であるか否かが名前を見ただけでわかる。・・・
父称が姓のかわりをする社会で私生児がすぐにわかるのはユダヤ人も同じであった。ではイエスは一体なんと呼ばれていたのか。マルコ福音書(六3)に「・・・この人は大工ではないか。
では、イエスは私生児なのか。ユダヤ教ははっきりとイエスを私生児とし、タルムードには「姦淫の女の息子」「娼婦の息子」とさえ言われている。まことにこまったことにマリアは、聖母とされるか姦婦・娼婦とされるかどちらかであって、それ以外に呼びようのない対象になっている。・・・』
お母様の父親とされている、「韓承運氏」が、本来の父親でなく、御父様と御聖婚されることになってからか、なられてから、決まった(決められた)「父親」であったとしたら、
「お母様」も「イエス様」と同じように、「私生児」の立場で、この世にお生まれになっていると言えるのではないかと思います。
ルカによる福音書1章56
「マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。」
1973年洪順愛大母様の証
『私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。』
(東京・松濤本部での洪順愛大母様の証 1973年12月21日)
「お母様」が、御父様の妻に、第一のお母様の失敗で、妻になられましたが、
「イエス様」と同じようなお立場でこの世に生を受けられた「お母様」は、「再臨主」の妻となる「運命」と「再臨主」の妻ではないが、「再臨主」の血統を持つ方として、「神様の摂理」に対して重要な御使命を持たれ、それを果たすべき「運命」を持たれて、お生まれになられたと思います。
「イエス様」が「無原罪」の立場でお生まれになられた「私生児」の立場であるように、
「お母様」も「無原罪」の立場でお生まれになられた「私生児」の立場であったと思います。
先回の投稿「17歳までのお母様の「姓」は「韓」だったのだろうか? 1」の答えを十分な説明もなく、書いてしまいました。
平日は、仕事疲れで、余裕がありません。
「イエス様」のご生誕も「お母様」のご生誕も「神様の摂理」において、最重要な出来事であったと思います。
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