急ぐ旅でもありませんので、寄り道をします。

お父様とお母様、お母様と金孝律氏の関係を見極めるために、重要なことであると思いますので、

ブログ『新「平和の主人 血統の主人』のタイトル「御言葉→「メシヤが近親相姦関係まで行く」・・・お父様が言われる「近親相姦」とは如何なることか??」を見てみたいと思います。

 

サンクチュアリ教会に所属されているブログ主さんは、「お父様とお母様のご関係」がこの世で言う「近親相姦関係」(お父様は「近親絶対理想的相対関係」といわれています。)であることを否定することにより、その後の「お母様と金孝律氏の関係」を否定し、「お母様と金孝律氏の関係」後、お生まれになられた「亨進様」が、「金孝律氏」と何のかかわりもないことを肯定しようとされていると私は、かんぐってしまいますが、

 

『ですから、終わりの日(メシヤを迎える時)になれば、そのような四分五裂になった形態が広がるのです。自分の妻や夫を奪っていったとしても、神様が忘れることができないものを忘れたように、それを平凡なこととしてしまうことができるように忘れてしまう環境へと引っ張っていくのです。(※1)そのために近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。

 

(※)

「そのために近親相姦関係まで行くのです。」とありますが、誰が行くというのでしょうか??これはメシヤが行くということではないでしょうか。

何故なら、その前の御言葉が「神様が忘れることができない」とはサタン姦夫に堕落させられたエバとアダムの近親相姦のことです。これを「忘れたように」する為には蕩減復帰しなければなりません。そして、「そのために近親相姦関係まで行くのです」と語られています。

 

と語られながら、

 

「そして、天使長ルーシェルの誘惑を受けたエバが堕落し、エバがアダムを誘惑して堕落しました。お父様はこの人類始祖の堕落のことを「近親相姦」と言っているのです。決して、私たちの社会が言っている「近親相姦」の様相とは似ていても、意味合いは全く違っています。」

 

と語られています。

 

「そのために近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。」

とありますので、親子ではない「アダムとエバ」は、「近親相姦関係」に該当しません。

「人類始祖の堕落」は、「兄妹」の「近親相姦関係」となります。

その蕩減復帰は、「異母姉弟」の「お母様」と「聖進様」でなされる予定でしたが、「お母様」お父様と御聖婚されてしまったので、「聖進様」と「金東淑様」(反対派の方は、お二人が異母兄妹と主張している)で、象徴的に、されているのではないかと思います。

 

つまり、お父様の言われている『親子の関係の「近親相姦関係」』は、「人類始祖(アダムとエバ)の堕落」とは、違う状況で生まれた、「近親相姦関係」となります。

 

お父様は、その『親子の関係の「近親相姦関係」』を「近親絶対理想的相対関係」と定義されたと理解できます。

 

重要なポイントとして、

 

「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、今のオモニはオモニになれなかったでしょう。聖進のオモニがそのまま維持されていたことでしょう。」
(み言選集、337巻p18、2000年10月16日)

 

とあるように、お父様とお母様が、「近親絶対理想的相対関係(親子として)」となることがなければ、この御言葉は、地上に存在することはなかったと思われます。

また、ブログ主さんは、「そのために近親相姦関係まで行くのです。」を「これはメシヤが行くということではないでしょうか。」と言われていますが、上記の御言葉が実現されていたならば、お父様は「近親相姦関係」まで行くことはないという事がわかります。

 

お父様の御言葉の存在性や背景・事情を吟味することなく、強引につじつまを合わせようとすると矛盾が生じてしまいます。

 

『ですから、終わりの日(メシヤを迎える時)になれば、そのような四分五裂になった形態が広がるのです。」

とお父様が言われているのに、「四分五裂になった形態」を無視して、『人類始祖の堕落のことを「近親相姦」』と「近親相姦」を規定してしまっています。また、「親子の関係」と言われているのに、「兄妹」の「近親相姦関係」をお父様が言われている「近親相姦関係」であるとすり替えをしています。

 

お父様の全ての御言葉の正当性を立証しようとされるから、論理的破綻をしてしまったり、要点のすり替え、ごまかし等が生まれてしまうと思います。

 

また、

 

『しかし、ルーシェルは神様を裏切ってエバを誘惑して姦夫となり、更に、堕落の子孫を残すためにエバに新しい知恵を与えてアダムを誘惑して堕落しました。
即ち、ルーシェルとエバとアダムは「近親相姦」で堕落しましたから、これを蕩減復帰してメシヤの誕生を成す為には、エバの立場に立つマリアが蕩減復帰する内容も、下記の御言葉から分かるように、「近親相姦」でした。』

 

「ルーシェル」と「エバとアダム」は「近親相姦」で堕落しましたから」と言われていますが、根拠を、

 

「お父様によると、堕落前の神様と天使長とアダムとエバは親族・同族だったことになります。神様とルーシェルは兄と弟の関係であるとお父様は語られたことがありました。エバとアダムは神様お子供でありますから、アダムとエバにとって天使長は叔父さんになります。」

 

としていますが、

この御言葉は、「比喩」の可能性が高いため、エバとアダムの時ならぬ時の「近親相姦」に、「ルーシェル」が関わったのは、事実ですが、ルーシェルとエバの関係は、「近親相姦」に当たらないと思います。「霊的堕落」は、「天使」と「人間」の間に起きたことで、「近親相姦」にあたらないと思います。

 

「ルーシェル」は、エバとアダムの時ならぬ時の「近親相姦」きっかけをつくった「天使」でありそれ以上はありえません。

 

「本来、ルーシェルが堕落しなければ「近親相姦」ではなく、「近 親 絶 対 理 想 的 相 対 関 係」だったと(※2)でお父様が語られていました。」

 

と「ルーシェル」が「近 親 絶 対 理 想 的 相 対 関 係」を作ることのできる存在のように思えてしまう言い方をされていますが、

 

「ルーシェル」が堕落しなければ、アダムとエバが、「近親相姦」ではなく、「近 親 絶 対 理 想 的 相 対 関 係」だった、ということで、「ルーシェル」は、そのときには、「近 親 絶 対 理 想 的 相 対 関 係」となりえる「存在」がいませんので、関係のない話です。

「ルーシェル」と「アダムとエバ」が、「近 親 絶 対 理 想 的 相 対 関 係」を作りえることができるという方もいるかもしれませんが、「ルーシェル」は、「人間」ではなく「天使」ですので、「近 親 絶 対 理 想 的 相 対 関 係」の概念は、「ルーシェル」当人には、当てはまりません。「天使」の相対者が創造されれば、「ルーシェル」もその「天使の相対者」と「近 親 絶 対 理 想 的 相 対 関 係」を作ることができると思います。

 

「近 親 絶 対 理 想 的 相 対 関 係」という言葉は、「お父様とお母様」のご関係により生まれた「言葉」であると私は思います。

 

 

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