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*以下は2011年11月01日の記事を一部書き直して再掲載したものです。
〈全体〉の流れには目的はない。
それはただ流れており、その流れは絶え間なく変化している。
そしてその流れは、僕たち一人ひとりに流れ込み、
それぞれをユニークな方向へ運んで行こうとしている。
僕が“魂の衝動”と表現してきたものは、
この〈全体〉の流れの一部として個人に流れ込んでくる
命のエネルギーのことだ。
そして、魂がしたいことをするというのは、
この命のエネルギーによって無心に動くことを意味している。
その行為には、達成すべき目的も、求めている満足もないので、
焦りも、不安も、フラストレーションもない。
その行為には、命の創造的エネルギーを表現する喜びがある。
それは、マインドの思考によらない行為、動機のない行為、
ひとりでに起こる行為だ。
そして、魂がしたいことをするというのは、
〈全体〉の流れが自分にさせたいことをすることであり、
潜在的な可能性を開花させていくことでもある。
それは、〈全体〉からの命のエネルギーによって
雑草がアスファルトの隙間から芽を出し、
太陽に向かって伸びてゆくのと同じだ。
では、マインドを使わずに、そうした行為だけで、
厳しい現実の社会を生き抜いていけるだうか?
「そんな生き方は、できっこない」
マインドは、普通そう言い張るだろう。
マインドは、思考による作為的な行動が不可欠だと信じている。
特に、生計を立てるためには――。
だが、先日も書いたように、魂がしたいことをしていけば、
結果として、より“本来の自分”でいられる状況が
ひとりでに現実化していくようになる。
〈全体〉の流れに行為をゆだねているからこそ、
その流れそのものによって“本来の自分”でいられる現実が
自然にもたらされるのだ。
しかし、これは「引き寄せの法則」によるものではないし、
その現実がいつも快適で安定しているなんて、
そんなイメージは持たないほうがいい。
〈全体〉の流れは、順境だけでなく、
時には逆境だってもたらすからだ。
常に変化し続けている現象世界では、
次の瞬間に何が起こるかは、決してわからない。
だけど、何が起こるかわからないからこそ、
“本来の自分”でいる自由には、常にスリルと新鮮さがある。
