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過去に書いた日記を再掲するシリーズ



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2008年夏

高校3年間をシンガポールで過ごした私が、地元の変態・Y輔のシンガポール旅にお供したときのお話。

在学中愛し続けた小籠包の美味しいお店「京华小吃」。通称チンホア。
私が高校3年間で激太り、いや身体が仕上がったのはこの店のおかげでもある。

約2年ぶりに店の前に着いたとき、目の前には日本人観光客の母と娘が並んでいた。
ガイドブックを片手に、しきりに時計に目をやる。
見るからに海外初めてですオーラが漂っている。
ぶらり旅の我らと違って、シンガポールを楽しむ時間があまりないのかな?などと、いらぬ詮索をしてしまう。

そうこうしているうちに、母娘があの店主に呼ばれる。
案内された先は…、ポマードテカテカの典型的な若いポーリアンボーイ2人組との相席だった。
少し遅れて我らはその2つ隣に席を取り、ジャージャー麺に始まり、小籠包、野菜蒸し餃子、水餃子などなど、あの頃の味に舌鼓を打っていた。

しかし、その頃の母娘はというと、やたらと積極的なポーリアンに絡まれ、少々戸惑っていた。
旅行の楽しみの一つでもある食事。それが楽しめない由々しき事態。

シンガポールで育った人間の一人として、シンガポールを嫌いになって欲しくない。
海外旅行に嫌なイメージを持ってもらいたくない。
と思った小籠包エクスタシー状態だった私は、何の躊躇もなくお会計で母娘の分も払った。
店主の「知り合い?」の言葉に対し、「知らない。そんなことより写真撮ろう!」と返した瞬間が、この写真である。

 

この後、我らは何も告げずに店を出た。もちろん、食後のデザート「海南チキンライス」を食べに行くために。

おそらく母娘は会計時混乱することであろう。
店主の親父が笑顔で「already pay lah !」と説明してくれるであろうことは想像に容易いが、英語いやSinglishがあの母娘に通じる保証はない。
そもそも見ず知らずの誰かが何故代わりに支払ってくれるのか、全く意味が分からない。
Y輔も言っていたが、こっちがただの頭おかしい奴である。
大した金額ではないが、そちらの方に恐怖を感じる可能性だって存分にある。

なので、何を頼んだのかも読み取れない字の伝票に「旅行楽しんでください!」とだけ書いて、念のため置いてきた。

シンガポール来てよかったなぁ!また海外旅行来たいなぁ!
そう思ってくれたら、それでいいんです。

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この後、数年経って仕事でシンガポールに行く機会が何度かあり、その都度店に顔を出した。
ブギスや銀座に支店を展開していたり、餃子を包んでいたおばあちゃんが変わっていたりと、
時の流れを感じた。
そして、写真に写っている親父も身体が弱くなって、店にはほぼ出なくなった聞いた。


味の記憶だけではない。高校時代の悪友と通った思い出が詰まっているお店。


高校3年間は、学生生活の中で圧倒的に楽しく濃い3年間だった。
そんな経験をさせてくれた親に感謝するとともに、大人になって初めて親の偉大さを痛感している。