幼稚園受験を入れれば人生三度目の受験でした。
大変だったことは胸の中にしまっておこう、割愛!って思ってたけど、今は暇だし・きっと新しい生活が始まれば あんなに頑張ってたこともわすれちゃうのかしら、っておもうと寂しいので 受験の最中に感じていたことを書いてみようと思います。
おそらく誰の参考にもならないと思うけど、自己完結的・表出的コミュニケーショのひとつとして。あるいはこれも現実を隠蔽するためのひとつの装置ではあるけれど。
わたしは二月の始めから 受験に便利だということで、御茶ノ水のパパのマンションにしばらく住んでいました。
東京は、わたしの住む横浜の端っこなんかよりもずっと人が多くて、自分が誰なのか 時々本気でわからなくなってしまうほどでした。
ほんとうに噂通り、都会の針は常に三分前 道行くひとは皆 早足。
料理のできないわたしは三食外食だったけれど、御茶ノ水の辺りは大学が多いため 安くて美味しい処がたくさんありました。
気が付くと食券ばかり買っていたし お店の中にいる女の子はわたしだけ、なんてことが多々あったけど それにも次第に慣れっこになりました。
また、文京区は土地柄 図書館や公民館が多くて 勉強をする場所には困りませんでした。わたしは文京区内の図書館を全制覇するまでに至りました。
そんな中 わたしは色々な大学に行って試験を受けたのですが、試験の最中にわたしがボンヤリ感じていたのは、人間はひとりで生きて ひとりで死んでゆくのだなぁ、という悟ったような気持ち。
テスト中に未知の単語に出会ったところでそれを誰にも尋ねることは出来ない。これは当たり前すぎるくらい当たり前のことですが、わたしは改めてこの事実に向き合い、社会は怖いと思ったのです。試験中、解けない問題・どうしても思い出せない言葉に出会うたび わたしが今まで 他人や辞書やいつもそこにある解答例に頼り過ぎていたという事実に 嫌という程向き合いました。否、向き合わされました。
完全なる実力主義、そして運。
わたしはいま 自分を省みて、その運の強さに驚きます。
こう書くと、わたしの合格は偶然によってもたらされたもののように思われるかもしれない。
運と偶然の要素が強かったのは確かですが、強運は合格のための十分条件ではあっても 必要条件ではないと思う。
わたしは出来る限りのことをやりきり、そのうえで運命が降りてくるのを待っていたのです。
わたしの言う 運、というのは具体的には 読んだことのある英文や評論文、古文が 一回のみならず何度も出題されたことや、直前に見ていた箇所がそのまま問われたといったことです。
後者は運といえるとしても、前者は単なる乱読癖の賜物ともいえるかもしれません。
わたしが受験を終えて潮風の吹く 坂の多いこの街に帰ってきたのち、いつも同じ図書館で勉強していた友達に、試験中に感じた孤独の話をしました。
驚いたことに、彼女はわたしと正反対の考えをもっていました。
彼女は試験を受けながら 孤独ではなく、家族や先生や友達といった存在に護られている自分を強く意識したというのです。
嗚呼、そんな考え方もあるのね と納得すると同時に、わたしは自分が冷血でつまらない人間のように思えたのも本当です。
確かにわたしはひとりでやってきた訳じゃない。自分ひとりが努力していたと思うなんて、傲慢にも程があります。わたしは心が狭いし 自分の平凡さや空虚さの弁解をいつでも探している、そして自分のつまらなさを埋め合わせるために 物語世界に悲劇のテーマや見えない力を求めている。気がつくと思い込みが激しく 酷く利己的な人間になっている。
勉強嫌いで頭のわるい わたしがヤケをおこさずやってこられたのは周りの気づかいあってこそなのに。もう。
感謝の気持ちというのは自然に生まれるものでなくてはならないはずなのに、わたしの場合 頭で考えないと そして そういった感情があることを理解しなければ なにも思えない。
ごく偶に わたしのことを感受性豊かだと表現するひとが居ますが、それは間違いです。わたしは普通のひとが感じそうなことを想像して口にしているに過ぎない。わたしが人一倍 小説を読むのは ヒトが特定の状況において覚えているべき感情を学習しようとしているからです。
友達と話していて、よくそのことに気づかされます。そしてもっと自然に物事を感じられるようになりたいと思います。
さて、受験勉強をしてきて1番良かったと思うことは 集中力の出し方がわかるようになったこと。
時間の使い方にメリハリが付いたこと。
自分にとって1番適切な睡眠時間がわかったこと。(5時間より長くても短くてもだめっぽい)
勉強友達が出来たこと。
逆にデメリットもありました。
それは趣味を制限しなければならなかったこと。
受験をしない人たちよりも 社会にでるのが遅れること。
趣味、つまり美術展に行くこと・文章を書くこと・本を読むこと・ダラダラすること・高価な甘い食べ物を探しに電車に乗って出掛けること・ショッピング なんかを我慢するのは、いちばん大変だった。そして実際秋ぐらいまではあまり我慢はしていなかった。
しかし試験を意識し出すと、自然とそういった欲望は抑えられるものです。
わたしは今まで本が無くては生きていけない、なんてこと 何の臆面もなく言っていたものですが、今ではそれをとても恥ずかしく思っています。
受験を通して、わたしは自分を過小評価してたのかも って自信を持つこともあれば、逆に 模試の数字の残酷さに直面して ただひたすら泣くことで日々を過ごしたこともあった。
でも受験は自分の破壊応力、極限強さを知り、精神の多結晶物体化を促すきっかけになったと思っています。
努力が嫌いでハングリー精神に欠けるといわれていたわたしが、初めてちゃんと未来に繋がる今 を意識し 頑張れたのは、これも大人への一歩なのかなって…。
大人になりたくない って言い続けてた、でも 今は反対に大人にならなくちゃ って焦ってる。自分でも不思議だけど なんの苦労もないままこの居心地のよいモラトリアムに浸かっているのは危険なんだって本能がいってるのかもね。
わたしの 青春 に対する幻想は ある意味 誇大妄想の域に達していて、この「多感な時期」にやるべきことがもっとあるはずだったという釈然としない想いがあったのですが
星新一のある言葉を知ってから 落ち着いて受験勉強に打ち込めるようになりました。前にもちょっと載せたかな。
青春とはもともと暗く不器用なもので、明るくかっこよくスイスイしたものは商業主義が作り上げた虚像に過ぎない
受験期にはなぜか軍国主義に共鳴したりしました。
月月火水木金金 だとか 贅沢は敵だ だとか 欲しがりません、勝つまでは なんて、20世紀のスローガンを唱えたりしてた。
神風特攻隊の使命感に憧れを抱き、坂口安吾を耽読して 予想し得ぬ新世界への不思議な再生の為に 自らのこの運命を甘受しよう、ってうっとりしてた。
今おもうと頭おかしめだけど、そんな想像のお陰でなかなか楽しく勉強できたよ。
セーラー服は戦闘服であって死に装束ではないのです。
謎にお守りファッションもしてたの。
クロネッカーの青春の夢がケミカルウォッシュした空に溶けて消えてゆくよ