4月になり、ファンデ様は超忙しくてリネ2で遊んでる暇がありません。
いや、少し狩りするくらいの時間はあるけどやる気出ません。
考える事が多く、そして自ら考える事を増やし続けています。
それは世界の成り立ちだったり、自己の世界であったり、はたまたもっと現実的な事柄であったり。
ゴチャゴチャと考える事は嫌いではないので、更なる材料を求め暇さえあれば本を読み耽っています。
かと言って本ばかり読んでいるわけにはいきません。
考えるべき自身についての問題もあります。
いや、もしかすると読書はただの現実逃避なのかもしれませんが、
しかし、一冊の本を読み終える前と後では同じ問題についてもまた違った視点を加えて考える事ができるでしょう。
最近読んだ本の中の一節でこういう節がありました。
この世には不思議な事など何も無いのだよ。
物事は起こるべくして起こるし、起こりえない事は起こらない。
細かい文章は違うかもしれませんが、大体こういうニュアンスです。
また、どこかの偉人の言葉でこういう言葉があります。
我々の想像しうる事は全て現実に起こりうる。
つまりこれらを統合して考えると、私達の想像の及ぶ範囲の事は全て現実に起こりうる。
そしてそれは起こるべくして起こった事であり、起こりえない事は想像すらできない。
例えM76星雲からウルトラマンが飛んで来ようと、突然地球が太陽に激突しようと、です。
私見ですが、これは私達全人類が知識を出し合おうともこの世の極極一部しか知らない事に起因するのでしょう。
物事の全てを知るには最初と最後の両端を把握しなければなりません。
両端を把握し、その間を網羅してこそ全てを知る事になるのです。
例えばある端に目を向けてみましょう。
私達はヒトです。動物、植物、その他無生物等が集い(または集わせ)、地球という社会を形成しています。
地球は太陽やその他惑星、衛星、彗星等によって太陽系を形成しています。
太陽系はその他の系等により銀河系を形成しています。
銀河系はその他色々により小宇宙を形成しています。
私はこれより先は知りません。
おそらく小宇宙が集い、何かを形成しているのでしょう。
そしてその何かが集い、また何かを形成する。
現在人類がそれをどこまで把握しているのか定かではありませんが、宇宙の端は到底見えません。
逆に考える事もできます。
人間は細胞の集まりであり、細胞は・・・・
私にはもう詳しく分かりません。
しかしこれも煎餅をどんなに割っても無にはならないように尽きることなく細分化されていく事でしょう。
現状「端」だと思われているのは「人類の知識の端」であって「物事の端」ではないのです。
このように考えると、私達の知識とは実は帯状の物の中途半端な一部に過ぎない事が分かります。
あたかも微積分のように極一部を知り、それから全てを逆算するような方法にすぎませんし、またそれしか手段がありません。
現在の人類の技術では実際に見る事ができないので仕方ありません。
幽霊がいる、いないを論じても「確認する方法」が無いのです。
死後の世界を想像しても答えは出ません。
見えないから無い、ではないのです。見えないけど在るかもしれません。
但し、霊や死後の世界とは私達生者が無知な部分の辻褄を合わせる為に空想した偶像に過ぎません。
故に私達の想像とはまた違った形で死後の世界は在るのかもしれません。
またもや要領を得ない文章になりましたが、私がこの当時何を考えていたかの記録としてここに記します。