数年前にライター見習いをやっていた頃、価値がある文章とはどういうものであるかということを、知ることとなった。その雑誌の編集部にいて、という限定が現実になるものか、僕の慰めになるものか、未だに判じかねる。

その頃、編集長に散々と言われていたのは、


書く文章に価値があるのではない。書く価値のある人間が文章を書くのだ


ということだった。彼は、たとえ話として、沢木耕太郎を挙げて、こう言った。

彼の「深夜特急」という本は彼が書いた文章の内容だけが評価されたのではない。内容も素晴らしいことに違いはないけれど、彼があの旅に出る頃にはライターとして評価されており、彼の書いた文章だからこそ多くの人間に感動を与えることができたのだ。

その編集部にいてと言う限定は、二種類の作用をもたらせた。一方では―当たり前のことながら―僕がどんな物を書こうとも一回の新卒ライター見習いにしか過ぎないのだということを目の当たりに突きつけられたが、他方では僕の書きたいものが必要とされないのはこの場所だからだと自慰することも可能であった。

彼の言葉は依然として、心に深く突き刺さっている。おそらくは今後ずっと抱え続けるだろう。そして、この日記群にはそのくらいの価値しかない。認めないわけにはいかない。


沢木 耕太郎
深夜特急〈1〉香港・マカオ