平成とは皆さんにとってどんな年だったでしょうか??
自分は、この世に命を頂いた年、そして死を考えさせられた年でした。
高1の10月22日と23日は自分の好きなバンドのライブに行っていて、その時父とは一緒にいませんでした。電話に出ても、お酒を飲んでいて呂律があまり回ってない状態で、正直面倒と思っていました。なので電話があってもほぼ無視状態でした。反抗期だったのでしょう。
翌翌日の25日学校に行くと昼休みに先生から呼び出され、母に連絡するよう言われました。電話をすると、父が亡くなっているかもしれないという知らせでした。その時思ったことは、「はやすぎるよ。」ただそれだけでした。自分は何をしていいかわからないのと現実が受け入れられないのとで、学校に居ました。
その夜、父の家へ行くと牛丼が机の上にポツンと置いてありました。「あー。食べる気やったんやろうね。」母はそう言いながら涙をこらえていました。その日の晩御飯はみんなで牛丼を食べました。正直、泣きながら食べたので、涙の味しかしなかったですね。
そーして思い出に浸りながら話し合い、次の日に備えて眠りました。
翌日はお通夜(お別れ会)でした。お茶の準備や食事の準備をして、母や兄はお客さんと父の話をしていました。。
父は人付き合いが苦手なイメージがあり、お客さんは少ないのかと思いきや、学生時代の友人やつい最近飲みに出て仲良くなったお兄さんなど、様々な人達が父のために100人は軽く超えていました。
父は事故に何度あっても絶対死なない不死身かなと思うぐらいの男でした。なのでみんな悲しんでいました。
葬式になり兄が代表の言葉で、「どうか笑って見送ってやってください。」といった時のことは一生忘れません。
火葬場へ向かう際、父の好きだったコーヒーカラーの人生に乾杯をという曲を流しながら向かいました。向かう途中「お父さんは勝ち組と思う?負け組と思う?」と母に聞かれ自分は「当然勝ち組でしょ」そう言いました。
火葬を行い骨になった父を骨壷に入れると、あれだけ大きかった父の体が小さくなって信じられませんでした。
父は61で亡くなり、自分の晴れ姿を見ずに旅立ってしまいました。だから私は自分が旅立ち堂々と報告できるように今を精一杯生きたいと思いました。
平成にもう1人、自分の妹的存在を失いました。
その子は当時中学2年生で不登校になりがちの子でした。いじめなどがあったのではなく、ただ学校が面倒くさくて行ってなかったみたいでした。
その子は、バンドを組んでボーカルをすると言っていました。勉強の合間にギターを弾き練習をしていました。会う度に上手くなっていき、歌声も綺麗で、将来ほんとにデビュー出来るんじゃないかと思うぐらいすごかったです。
角島へみんなで遊びに行き、とても楽しく過ごしました。しかし、その3日後彼女は亡くなりました。
原因は何か。何故なのか。など色々頭の中に思い浮かびましたがわからないことだらけでした。
ほんとに妹のような存在だったので、将来の事とかを考えていたのにとても悲しく涙が止まりませんでした。自分はその子に話しかけたりしたけど、やっぱりダメでした。
火葬をしたあと骨を拾う時に、ピアスだけ残っており、それを見てまた泣きそうになりました。
人間の死には2つあると言われています。
一つめは、亡くなった時。
二つめは、人々がその人を忘れた時です。
自分は2人のことを忘れないよう、思い出しながら、2人のために生きていこうと決めました。
これからも辛く悲しいことがあるかもしれないけど負けないよう歯を食いしばってでも生き続けようと思います。
平成ありがとう。