──常闇の王の城
「央国の遠征?何故俺がそのようなものに手を貸さねばならぬ」
ヴァルトリエ帝国に聳える、常闇の王の居城。
そのサロンには城主である吸血鬼と、客人らしき堕天使が向かい合っていた。
「ククク…そう面倒臭がるでない、フローヴェルよ。《黄金》たる者達へ試練を与えるは、我々「逢魔ヶ刻」の唯一であり絶対のルールである。それにそなたの目的である「可能性を持つ者」の選別とも合致していよう」
城主である吸血鬼の王は、ワイングラスを傾けながら堕天使へ語りかける。
「クリムト卿よ。言葉を返すようだが、逢魔ヶ刻に身を置いているとはいえ央国の一員になったつもりは無い」
フローヴェルと呼ばれた堕天使は不機嫌そうに、クリムトを睨み付ける。
自分より何千年も前から魔王として君臨している言わば「先輩」の言葉であっても、納得がいかないらしい。
「それは余とて同じこと。そしてそれで良い、我らが人間達の覇権争いに肩入れすることなど永劫あり得ぬ」
「ならばこの程度の小さき戦、我らが介入せずとも…」
「ククク…相手が聖国の者達だと言ったらどうする」
クリムトが妖しい笑みを浮かべ、眼前の堕天使を見据える。
「ほう…それならば少しは楽しめそうだ」
同じくフローヴェルも、吸血鬼の王に笑みを返すのだった。
──セフィド神聖王国、国境付近
「来たぞ!央国の連中だ!」
「総員、構えよ!」
聖国に所属する傭兵達が声を荒げる。
彼らの陣の前方からは央国の傭兵部隊が近付いて来ていた。
「道を切り開く、俺に続け…!」
大剣を持った銀髪の男が地を蹴り、敵前へ向かっていく。
2メートルはあろう巨躯と、自身の身の丈程の大剣の重量からはおよそ想像できない速度で。
「大剣聖様…!」
「皆、剣聖様に続け!」
聖国の傭兵達が銀髪の男に続いて駆け出す。
「あいつ…間違いない、聖国のエーレンベルクだ!」
「何だと…!何故こんな僻地に剣聖が居やがる…!」
央国の傭兵達に動揺が走る。
刹那。
空間がぐにゃりと歪む。
「愛する聖国の雛鳥達に試練を与えに来てみれば…中々に腕に覚えのありそうな男がいるではないか」
漆黒のオーラと共に、突如金髪の男が現れた。
男の持つ尋常ならざる凶に聖国の傭兵達が気圧される。
「なんだあいつ…人間…じゃねえよな…!?」
「堕天使…!?お、おいどうする!?」
「惰弱な。この程度では輪廻の理を断ち切ることなど叶わんではないか」
金髪の男が傭兵達を一瞥し、つまらなそうに呟く。
銀髪の男が割って入り、傭兵達に指示する。
「彼は俺が引き受ける!貴方がたは先へ!」
「大剣聖様…ありがとうございます!」
「すみません、お願いします…!」
傭兵達が金髪の男の横を通り過ぎ、先へ進む。
「意外だな…追わなくていいのか?」
「脆弱な人間に興味は無い。卿の指示とは違えるが…貴様の方が楽しめそうだ」
身の丈程もある大剣を軽々と構える銀髪の男。
悠然な佇まいを崩さず、余裕を見せつける金髪の男。
二人の構えは対照的であった。
「貴方が何者であれ…聖国の人々を傷つけるつもりならば…ここで斬り伏せる!」
「やってみるが良い。《案内人》に選ばれし《黄金》たる英雄よ。俺を楽しませてみせよ」
「行くぞ…!人ならざる者よ!」
銀髪の男が加速し、瞬時に相対する金髪の男を両断する。
金髪の男の周囲の空間が歪み、両断したはずの男は黒いオーラとなり霧散した。
「ほう、中々に良い太刀筋である」
銀髪の男が背後を振り向くと、そこには斬ったはずの男が立っていた。
「転移か…!」
「存じていたか。博識ではないか」
高位魔族が戦闘時に用いる回避運動、空間転移。
銀髪の男はかつて斬り伏せた魔族との戦闘による経験から、自らの剣閃が空を薙いだことを悟った。
「これでも魔族と戦ったことはあるからな」
「然し先の一撃、見事であった。威力、剣速、太刀筋…いずれを取っても申し分無い」
「それはありがたいな。次は当てさせてもらう」
銀髪の男が再び大剣を構え、眼前の男を見据える。
すると金髪の男は妖しい笑みを浮かべ、口を開いた。
「そう急くこともあるまい。久方振りの強者との戦だ…長く、長く楽しませてもらうとしよう」
「生憎、俺としては貴方を斬り伏せて仲間と合流したいのだがな」
「ふはははは!中々に豪胆ではないか。面白い、名を名乗れ」
「人に名を訪ねる時は自分から…まずは貴方の名から聞かせていただこうか」
「ふっ…礼儀を知らぬ男だ。まぁ良かろう。我が名はフローヴェル。数多の闇を従えし魔王の一角也り」
「魔王…か。道理で先の一撃も当たらないわけだ」
「さて、次は貴様の番であろう。名を名乗るが良い」
「俺は…エーレンベルク。人々の為に剣を振るう傭兵だ…!」
「ほう、聖国の大剣聖とは貴様のことであったか。ならば先の一撃も得心が行く」
「ここからは俺も本気で行く。次は避けられると思うな…!」
エーレンベルクの体から青白い陽炎のようなオーラが噴き出る。
大気がざわめく程の闘気がフローヴェルに向けられる。
「ふはははは!それが貴様の全力か!素晴らしい!ならば俺も応えねばな…!」
フローヴェルの体からどす黒い闇のオーラが溢れる。
それはエーレンベルクのオーラとぶつかり合い、大気が悲鳴をあげる。
「行くぞ!魔王フローヴェル!」
エーレンベルクが肉迫する。
転移する暇さえ与えない程の速度で。
「顕現せよ、スペルヴィア」
フローヴェルの手に大鎌が出現し、瞬時にそれを振り抜く。
キィン!
剣聖の大剣と魔王の大鎌。
二つの武器の激突による衝撃は、大地を揺らす。
「あれを受けきるとは…魔王の肩書は伊達では無いということか」
「誇って良いぞ、俺にスペルヴィアを使わせる者はそう多く無い。さて、次は此方から仕掛けるとしよう」
フローヴェルの片手に魔力が集中する。
集約された魔力は巨大な黒色の球体を成していく。
「絶望を教えてやろう」
その言葉と共に、エーレンベルクに向かって球体を投擲する。
巨大な魔力の塊は軌道上の全ての障害物を消し去りながらエーレンベルクに向かっていく。
「俺は…!聖国は…!絶望などしない…!」
エーレンベルクが青白いオーラを武器に込め、全力で魔力の塊を両断する。
魔力の塊は左右に逸れ、着弾した。
その爆発が目標に届くことは無く、周囲の物を無に帰すに留まった。
「…これほどか」
「はぁ、はぁ…聖国は…人々は俺が護る…!」
「ふはははは!素晴らしいぞ、大剣聖よ…!」
「さぁ、続けよう…フローヴェル」
エーレンベルクが剣に力を込める。
その瞬間、彼方からの歓声が2人の耳に入った。
「そうしたいところではあるがな…どうやら戦が終わったらしい」
フローヴェルが顕現させていた大鎌を消す。
「そのようだな…聖国の皆は無事だろうか…」
次いでエーレンベルクも構えを解く。
「頃合いだ、俺は消えるとしよう。楽しませてもらったぞ、聖国の大剣聖よ」
「央国の傭兵達のことはいいのか」
「人間達のくだらぬ争いに興味等あるまいよ。エーレンベルクよ。次に相対する時まで、その命預けておくぞ」
「こちらの台詞だな、フローヴェル。貴方を討つのは俺の役目だ…!」
「貴様が聖国に身を置いているのなら…その時は早く来るだろう。心せよ」
「何?どういう意味だ」
「また会おう、剣聖よ。お前のような男がいれば聖国も……」
そう言い残すと、フローヴェルの周囲の空間が歪み、黒色のオーラと共に魔王は消え去った。
──王都セリオン、フローヴェル邸
「あら、陛下。随分ご機嫌ですね」
フローヴェルの腹心であるノワールが訪ねる。
「そう見えたか。なに、久方振りに俺と対等に渡り合える男を見つけてな」
「お父様と?そいつも相当の化け物ね…」
父の強さを知る真宵が驚愕する。
「真宵よ。さり気無く父を化け物扱いするでない」
「じゃあじゃあ、その人も凄く強いんだねっ」
ヒナが無邪気に笑ってみせる。
「奴との決着はいずれ着けるとして…あれほどの男がいれば聖国も安泰であろう」
「お願いだから街中で戦闘はやめてね、お父様」
魔王の目的である「黄金の可能性を持つ者」の選別。
その条件に見合った英雄を見つけた魔王は楽しそうに笑うのだった。
-Fin-
──王都セリオン、フローヴェル邸
王都のはずれの丘の上に静かに聳える屋敷。
人ならざる存在が居を構えるその屋敷内で、3人の人外が談笑していた。
「そうそう。買い物帰りにハールト商会の前を通ったけど、店主が暇そうにしていたわ」
「相変わらずだな、あそこの店主も。また近々顔を見に行ってやるとしようか」
「無駄遣いは駄目ですからね、陛下」
辺りが宵闇に包まれ始める時間。
彼らも人間達と同じく、夕食を済ませ、ひと時の雑談に興じていた。
「そういえば、あの独特な訛りの風の精霊…なんて言ったかしら」
「ヤカザミさんですか?」
人の名を覚えるのが苦手な真宵の質問に、ノワールが答える。
ヤカザミ。
確かギルド「リバー・ルクス」に所属するヒナの連れだったか。
精霊にしては珍しく、社交的で気の良い男だったと記憶している。
それにしても珍しい名が出てきたものだ。
多少の興味が沸いた。
「それで、ヤカザミがどうかしたのか」
「あ、うん。ヤカザミから手紙が来ていたわ」
手紙…か。
ヤカザミが俺に手紙を送る理由が思い当たらない。
「ほう、読んでくれるか」
さて、どういった用件か。
面倒事で無ければ良いが…。
───フローヴェルはんへ
先日はお屋敷にヒナを招待してもろうて、おおきにな。
ヒナも楽しかった~言うてた、感謝しとる。
ところで酔っぱらったヒナがフローヴェルはんちの天井に大穴空けてしもうた件やけど…
修理代代わりにうちのヒナとウィズを働かせてやってくれへんか?
社会勉強にもなるし、遠慮なくこき使ってやって欲しい。
ついでに…虫のいい頼みかもしれへんが、ヒナは家族というもんを知らん。
フローヴェルはん達さえ良かったら、ヒナと家族のように接してやって欲しい。
よろしく頼むで!
───ヤカザミ
「だそうよ?」
ヤカザミからの手紙を読み終えた真宵がふぅ、と息を吐く。
「天井の穴か…気にせずとも良いものを」
自分がやったわけではないのにしっかり気を回す辺り、ヤカザミという精霊は人付き合いが上手いと思う。
「でもあの後こっ酷く叱られたわよね」
「このお屋敷、王女様からの借り物ですしね…」
聖国へ滞在する間の住まいとして、アルテミシアから貸与されているのがこの屋敷だ。
人が住んでいたほうが屋敷内も綺麗に保てるということで快く貸してくれたが、流石に天井に穴を空けた時は散々注意された。
「あの小娘め…この俺に説教とは、全く腹立たしい」
「完全に私達が悪いんですけどね」
それもそうだった。
過ぎたことを思案しても仕方がない、今後のことを考えるとしよう。
「さて、ヒナか…」
「陛下と仲のよろしい方なんですか?」
以前屋敷で宴を催した際に顔は見ているだろうが、流石に覚えてはいないか。
天井の穴も気付いたら空いていたといった具合だった。
「いや、特別仲が良いわけではないな。数回話した程度だ」
「お父様の世話係は大変だから…逃げ出さないといいわね」
「失礼なことを言うな、真宵」
「あら、自覚が無いのですか?陛下」
──数日後
「こんにちわ~!」
玄関から天真爛漫な少女の声が響く。
そういえば今日からリバー・ルクスのヒナが来ることになっていた。
ノワール辺りが出迎えているだろうが…俺も顔くらいは出しておくとしようか。
そんなことを考えながら玄関へ向かう。
「よく来たな、ヒナ。歓迎しよう」
「あ、魔王さん!えへへ、こんにちわっ」
穏やかな笑顔を浮かべる少女を出迎えながら、傍らの青年へと目をやる。
銀髪に白い肌。
なんとなく真宵と似ていると思った。
彼がヤカザミの言っていた「ウィズ」だろうか。
「ほら、ウィズさんもご挨拶っ!」
「えっと……僕は……ウィズ」
俺の視線に気付いたのだろうか、ヒナが銀髪の青年に挨拶を促す。
すると青年は消え入りそうな細い声で、ウィズと名乗った。
「フローヴェルだ。取り敢えず、客間へ案内しよう…ノワール、紅茶を頼む」
「畏まりました、陛下」
「それから、真宵はどうしている?」
「まだ寝ていると思いますが…」
「もう昼間だ、叩き起こしてこい」
「お、仰せのままに」
腹心であるノワールに仕事を頼み、客人達を客間へと案内する。
正確にはここで働いてもらう以上客人では無いのだが、いきなりそんな扱いをするのは無粋というものだ。
「ところでウィズ…お前も精霊か?」
「……うん。どうして…わかったの?」
2人を客間へ通し、親睦を深める意味も込めてしばしの歓談に興じる。
「お前から感じる魔力は人間のものでは無いからな。ヒナと共にいるならば精霊かと推測した」
しかし同じ精霊でも、ヤカザミとは性格が真逆と言える。
あまり意思の疎通を図るのが上手くなさそうだが、やっていけるのだろうか。
「ウィズさんはね、風の精霊さんなんだよっ!凄く頼りになるんだ~」
「ほう。それは俺も頼りにさせてもらうとしよう。してお前達、家事はどの程度出来る?」
先ずは戦力の把握といったところか。
それぞれ向き不向きもあるだろうから、上手く仕事を割り振っていかなくては。
「「…………」」
何故黙る。
「どうした、何か苦手なものがあるのか?」
「……料理」
ウィズがぽつりとこぼした。
なるほど、ウィズは料理が苦手か…。
「料理以外は出来るのか?洗濯や掃除…後は買い出しなどか」
「……それは……大丈夫」
ならばウィズには料理以外の家事をやってもらうとしようか。
料理が苦手なのは…精霊ならば仕方の無いことか。
むしろ料理が得意な精霊などいるのだろうか。
「さて、ヒナは何が苦手なんだ?」
これでヒナも料理が苦手だと少々困る、そんなことを考えながら恐る恐る尋ねる。
「えへへ…全部やったことないかなぁ」
ヤカザミィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!
俺は心の中で緑髪の精霊への文句を叫んだ。
「な、成程…ではヒナには真宵とノワールに家事を教えさせよう、今後の為にも…」
年頃の少女が家事も出来ないのは色々とまずいだろう…
「ところで、ヒナもウィズも料理が出来ないのなら、普段の食事はどうしているんだ?」
まさかヤカザミが作っているというのだろうか。
「えっとね!ランディが作ってくれてるのっ!上手なんだよ~」
意外だ…。
あのような、それこそ第4師団にいても違和感の無いような男が料理…
「ひ、人は見かけによらないものだな」
どうやらランディを見くびっていたようだ。
同時に彼の苦労が偲ばれる。
今度酒でも振る舞ってやるとしよう。
「さて、当家に滞在する間は客室を宛がおう。仕事中以外は自分の家だと思って寛いでくれ」
「えへへ、嬉しいなぁ。魔王さん、ありがとねっ!」
「それでは、今日はゆっくり休むと良い。明日からよろしく頼む」
──翌朝
「魔王さんっ、朝だよ~」
「……主……起きる時間……だよ」
聞き慣れない2つの声に起こされ、目を開ける。
そういえば、今日からヒナとウィズがうちで働くのだったか。
「…おはよう。良い朝だな、2人とも」
眠い目を擦りながら起き上がる。
するとそこには
「……主……おはよう……」
純白の燕尾服を身に纏ったウィズと
「えへへ、魔王さんおはよっ!」
メイド服に身を包んだヒナがいた。
「お前達、その服はどうしたんだ?」
「真宵ちゃんがね、うちで働くならこれを着なさいってくれたの!」
ヒナがよくぞ聞いてくれたとばかりに話す。
真宵め…完全に遊んでいるな。
しかしヒナは普段着ている着物では何かと動きづらいだろう。
存外良い按配かもしれないな、真宵はそんなことまで考えてはいないだろうが。
「そうか、似合ってるぞ。二人とも」
そう言うとヒナは満足気に微笑んだ。
ウィズはいつも通りの無表情だが、口角が僅かに釣り上がっているところを見ると、どうやら満更でも無いらしい。
「えへへ、魔王さん。朝ごはんできてるよっ!頑張って作ったんだよっ」
ヒナが得意気に報告する。
ほう、昨日の今日でもう朝食を作ったというのか。
今まで家事をしたことが無いだけで、案外向いているのかもしれないな。
「ノワールさんが!」
ヒナよ、3秒前の賛辞を返せ。
「おはよう、お前達」
「あら、陛下。おはようございます。」
「おはようございます、お父様」
仕度をして食堂に向かうと、既に娘達が集まっていた。
「さて、今日からヒナとウィズがうちで家事をしてくれることになった」
「ええ、存じております。先程も食事の用意を手伝って頂きましたよ」
どうやら2人も少しは手伝ったようだ。
うむ、向上心があるのは良いことだ。
そんなことを考えながら料理に手を付ける。
「何故かヒナが作った物は皆黒い物体になったけどね…」
真宵が青冷めた顔で呟く。
「ところでヒナ、ウィズ。お前達はそこで何をしている。早く座れ」
後ろで待機していた2人を呼び寄せる。
「……主……従者が…主と一緒に食事は…どうかと思う」
「知ったことか。正式な従者でも無いのだ、気にする必要もあるまい。何より俺が共に食事を取れと言っている、従え」
有無を言わさぬ口ぶりに観念したのか、ウィズは渋々と席につく。
「えへへ~、ご飯~♪」
「ふふ…ヒナは素直だな。それで良い」
──王都セリオン、商店街
朝食を終えた後、ノワールがヒナに買い出しを頼んだ。
しかしながらヒナはあまり王都に慣れていない様子だったので、付添で俺が同行することになった。
「えへへ、人がいっぱいだね~」
ヒナは珍しい物を見るかのように、辺りをきょろきょろと見渡していた。
「王都だからな。しかしそんなに珍しいものでもなかろう」
「でもルクスより全然多いよ~?」
「村と王都を比べてやるな…と、寄りたいところがある。少し良いか」
既に買い出しは終えていたが、ふとあることを思い出した。
今日は王都に移動図書館が来る日だ。
逸れぬようヒナの手を引き、人だかりの中心へと向かっていく。
「ごきげんよう、館長。息災か」
人だかりの中にあっても一際目立つ出で立ち──タキシードにシルクハット、おまけに仮面──の男を捕まえる。
「ヤァヤァ、王様。おや、ヒナ嬢も!これはこれは、奇遇ですなぁ」
「あ、カモネさんだ!えへへ、こんにちわ~」
奇怪な風貌とは裏腹に、人当りの良い態度で接する男の名はカモネ。
普段は図書館業を営んでいる彼だが、御伽噺の世界の力を現実世界へ引き出すという稀有な能力を持っている。
「館長、魔導書をあるだけ頂いていくぞ。ああ、禁書の類もな」
「王様、うちは図書館なのですが…返して頂けるので?」
「気が向いたらな」
カモネの反論を無視し、魔導書を次々と攫っていく。
これで当面の暇潰しには困らないだろう。
「魔王さん魔王さん!これも借りていいかなぁ」
ヒナが一冊の本を持ってくる。
タイトルや表紙から察するに、料理の本のようだ。
うむ、向上心があることは素晴らしい。
実に素晴らしい。
「勿論だ。なんならその本はお前に進呈しよう、ヒナよ」
「コマリマス!」
「えへへ、本当?嬉しいな~」
「コマリマス!」
そう言うとヒナは嬉しそうに本を小脇に抱えた。
「さて、館長。それではな」
「カモネさん、またね~♪」
「またの…お越しを…」
帰り際、心なしかカモネの声色が沈んでいる気がしたが、愛用の仮面はいつも通りの笑顔だった。
うむ、問題無い。
──フローヴェル邸、真宵の部屋
夕食が終わり、私は自室で魔導書を読み耽っていた。
お父様が移動図書館から大量に強奪してきたそうなので、何冊か拝借してきた物だ。
コンコン。
「開いているわよ、どうぞ」
扉の向こうにいる者に、入室を促す。
「真宵ちゃん、ちょっといいかなぁ…?」
そう言いながら入ってきたのはヒナだった。
自分より遥かに年下の少女にちゃん付けされるのは複雑だが、この外見では仕方ないか、と諦める。
「どうしたのかしら、ヒナ」
「えっとね、魔王さんの好きな食べ物って何かな~?」
その手には料理の本らしき物が抱えられていた。
どうやらお父様の好物を作りたいらしい。
「そうね…お父様はグラタンが好物だけど…難しいわよ?」
厳密にはグラタンは簡単な料理なのだが、今のヒナの料理スキルでは絶望的と言える。
「が、頑張るから大丈夫…!」
「そう、じゃあ明日から教えてあげるわ。頑張りなさい」
「えへへ、真宵ちゃん!ありがと~!」
ヒナのせいで、遠い記憶を思い出してしまった。
…なぜお父様がグラタンを好きなのか。
お父様に拾われて数年。
どうやら父親というのは、娘が手料理を振る舞うととても喜ぶらしい。
少しでも父が誇れる娘でありたかった私は、こっそりと厨房へ忍び込み、グラタンを作ってみた。
勿論焦げだらけの、グラタンと呼んでいいのかすら危うい代物になってしまったのだが。
上手く出来なかったと泣きじゃくる私の前で、お父様は焦げグラタンを美味しそうに食べてくれた。
その時の嬉しさと申し訳無さから、私はアリシアお母様に料理を教わるようになった。
まさかその私が、今度は誰かに料理を教えることになろうとは思いもよらなかったが。
料理で一番大事なのは、その人に美味しい物を食べて欲しいという気持ちだと母に教わった。
だからヒナもきっと大丈夫。
お父様や、行く行くは自分の家族の為に、きっと美味しい料理を作ってくれるだろう。
──フローヴェル邸、食堂
「ほう、今日の夕食はグラタンか」
「ええ、美味しそうでしょう?」
「早く食べてみるといいわよ、お父様」
何故か娘達が頻りにこちらを見てくる。
「どうした、お前達」
「「いいから、いいから」」
この調子だ。
ヒナはとても真剣な目つきでこちらを見ている。
ウィズは何やら暖かい視線をヒナに向けている。
まぁ良い。
皆が食べぬのなら先に頂くとしようか。
そう思い、グラタンに口を付ける。
「フローヴェルさん、どうかな?美味しい…?」
「ああ、美味い」
率直に感想を述べる。
作ったのは真宵だろうか。
しかし味付けが昔の…アリシアに料理を習い始めた頃の真宵のものに近い。
「それ、ヒナが作ったのよ」
真宵がさらりと告げる。
「これを…ヒナが?」
「ええ、ここ数日間、頑張ったのよ」
「えへへ、ちゃんとできたかなぁ」
ヒナが照れくさそうに笑う。
その手には火傷の痕が見受けられた。
察するに、相当の努力をしたのだろう。
「ヒナ、よくやった。素晴らしい夕食だ」
「えへへ、どういたしましてっ」
よくやったとヒナの頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
──フローヴェル邸、エントランス
「さて、2人とも今日までご苦労だったな」
玄関には仕度を済ませた2人と、彼女達を見送りにきた娘達が揃っていた。
流石にいつまでも借りているわけにはいかないので、ヤカザミと期間を取り決めた。
今日がその約束の日。
「なんだか寂しくなりますね」
「また今度、料理を教えてあげるわ」
それぞれが別れの言葉を口にする。
「……とても楽しかった……ありがとう」
穏やかな笑顔を浮かべるウィズとは対照的に、ヒナは今にも泣きそうな顔をしていた。
「ベルさん、また来てもいいかな…?」
「当然だ。お前達は既に俺の家族だ。家族が帰って来るのを歓迎しない奴はいまいよ」
そう言いながら、ヒナの頭を撫でてやる。
「えへへ、本当に…?」
「いつでも帰って来るがいい。我が家族達よ」
「行ってしまいましたね…あら真宵、それは?」
2人を見送った後、ノワールが真宵の持っている紙袋に目をやる。
「ヒナの着物だそうよ。料理を教えたお礼と言っていたわ」
「あら、それは可愛らしいですね。着るんですか?」
「考えておくわ」
真宵は満更でも無い顔をしていた。
「ふふ、娘達よ。人間も中々面白いであろう」
尤もヒナの魔力から察するに、純粋な人間というわけでもなさそうだが。
「そうですね、良い勉強になりました」
「あの子達が特別なだけじゃないのかしらね…」
「真宵は随分とヒナが気に入ったようだな」
「だ、誰が…!他の人間とは違うなって思っただけよ…!」
「ふはははは!相変わらず真宵はわかりやすいな!」
「な、何よもう…!」
「…多くを知り、自らの糧とせよ。我が家族達よ」
──魔王は遠ざかっていく家族を見つめ、小さく呟いた
-Fin-
王都のはずれの丘の上に静かに聳える屋敷。
人ならざる存在が居を構えるその屋敷内で、3人の人外が談笑していた。
「そうそう。買い物帰りにハールト商会の前を通ったけど、店主が暇そうにしていたわ」
「相変わらずだな、あそこの店主も。また近々顔を見に行ってやるとしようか」
「無駄遣いは駄目ですからね、陛下」
辺りが宵闇に包まれ始める時間。
彼らも人間達と同じく、夕食を済ませ、ひと時の雑談に興じていた。
「そういえば、あの独特な訛りの風の精霊…なんて言ったかしら」
「ヤカザミさんですか?」
人の名を覚えるのが苦手な真宵の質問に、ノワールが答える。
ヤカザミ。
確かギルド「リバー・ルクス」に所属するヒナの連れだったか。
精霊にしては珍しく、社交的で気の良い男だったと記憶している。
それにしても珍しい名が出てきたものだ。
多少の興味が沸いた。
「それで、ヤカザミがどうかしたのか」
「あ、うん。ヤカザミから手紙が来ていたわ」
手紙…か。
ヤカザミが俺に手紙を送る理由が思い当たらない。
「ほう、読んでくれるか」
さて、どういった用件か。
面倒事で無ければ良いが…。
───フローヴェルはんへ
先日はお屋敷にヒナを招待してもろうて、おおきにな。
ヒナも楽しかった~言うてた、感謝しとる。
ところで酔っぱらったヒナがフローヴェルはんちの天井に大穴空けてしもうた件やけど…
修理代代わりにうちのヒナとウィズを働かせてやってくれへんか?
社会勉強にもなるし、遠慮なくこき使ってやって欲しい。
ついでに…虫のいい頼みかもしれへんが、ヒナは家族というもんを知らん。
フローヴェルはん達さえ良かったら、ヒナと家族のように接してやって欲しい。
よろしく頼むで!
───ヤカザミ
「だそうよ?」
ヤカザミからの手紙を読み終えた真宵がふぅ、と息を吐く。
「天井の穴か…気にせずとも良いものを」
自分がやったわけではないのにしっかり気を回す辺り、ヤカザミという精霊は人付き合いが上手いと思う。
「でもあの後こっ酷く叱られたわよね」
「このお屋敷、王女様からの借り物ですしね…」
聖国へ滞在する間の住まいとして、アルテミシアから貸与されているのがこの屋敷だ。
人が住んでいたほうが屋敷内も綺麗に保てるということで快く貸してくれたが、流石に天井に穴を空けた時は散々注意された。
「あの小娘め…この俺に説教とは、全く腹立たしい」
「完全に私達が悪いんですけどね」
それもそうだった。
過ぎたことを思案しても仕方がない、今後のことを考えるとしよう。
「さて、ヒナか…」
「陛下と仲のよろしい方なんですか?」
以前屋敷で宴を催した際に顔は見ているだろうが、流石に覚えてはいないか。
天井の穴も気付いたら空いていたといった具合だった。
「いや、特別仲が良いわけではないな。数回話した程度だ」
「お父様の世話係は大変だから…逃げ出さないといいわね」
「失礼なことを言うな、真宵」
「あら、自覚が無いのですか?陛下」
──数日後
「こんにちわ~!」
玄関から天真爛漫な少女の声が響く。
そういえば今日からリバー・ルクスのヒナが来ることになっていた。
ノワール辺りが出迎えているだろうが…俺も顔くらいは出しておくとしようか。
そんなことを考えながら玄関へ向かう。
「よく来たな、ヒナ。歓迎しよう」
「あ、魔王さん!えへへ、こんにちわっ」
穏やかな笑顔を浮かべる少女を出迎えながら、傍らの青年へと目をやる。
銀髪に白い肌。
なんとなく真宵と似ていると思った。
彼がヤカザミの言っていた「ウィズ」だろうか。
「ほら、ウィズさんもご挨拶っ!」
「えっと……僕は……ウィズ」
俺の視線に気付いたのだろうか、ヒナが銀髪の青年に挨拶を促す。
すると青年は消え入りそうな細い声で、ウィズと名乗った。
「フローヴェルだ。取り敢えず、客間へ案内しよう…ノワール、紅茶を頼む」
「畏まりました、陛下」
「それから、真宵はどうしている?」
「まだ寝ていると思いますが…」
「もう昼間だ、叩き起こしてこい」
「お、仰せのままに」
腹心であるノワールに仕事を頼み、客人達を客間へと案内する。
正確にはここで働いてもらう以上客人では無いのだが、いきなりそんな扱いをするのは無粋というものだ。
「ところでウィズ…お前も精霊か?」
「……うん。どうして…わかったの?」
2人を客間へ通し、親睦を深める意味も込めてしばしの歓談に興じる。
「お前から感じる魔力は人間のものでは無いからな。ヒナと共にいるならば精霊かと推測した」
しかし同じ精霊でも、ヤカザミとは性格が真逆と言える。
あまり意思の疎通を図るのが上手くなさそうだが、やっていけるのだろうか。
「ウィズさんはね、風の精霊さんなんだよっ!凄く頼りになるんだ~」
「ほう。それは俺も頼りにさせてもらうとしよう。してお前達、家事はどの程度出来る?」
先ずは戦力の把握といったところか。
それぞれ向き不向きもあるだろうから、上手く仕事を割り振っていかなくては。
「「…………」」
何故黙る。
「どうした、何か苦手なものがあるのか?」
「……料理」
ウィズがぽつりとこぼした。
なるほど、ウィズは料理が苦手か…。
「料理以外は出来るのか?洗濯や掃除…後は買い出しなどか」
「……それは……大丈夫」
ならばウィズには料理以外の家事をやってもらうとしようか。
料理が苦手なのは…精霊ならば仕方の無いことか。
むしろ料理が得意な精霊などいるのだろうか。
「さて、ヒナは何が苦手なんだ?」
これでヒナも料理が苦手だと少々困る、そんなことを考えながら恐る恐る尋ねる。
「えへへ…全部やったことないかなぁ」
ヤカザミィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!
俺は心の中で緑髪の精霊への文句を叫んだ。
「な、成程…ではヒナには真宵とノワールに家事を教えさせよう、今後の為にも…」
年頃の少女が家事も出来ないのは色々とまずいだろう…
「ところで、ヒナもウィズも料理が出来ないのなら、普段の食事はどうしているんだ?」
まさかヤカザミが作っているというのだろうか。
「えっとね!ランディが作ってくれてるのっ!上手なんだよ~」
意外だ…。
あのような、それこそ第4師団にいても違和感の無いような男が料理…
「ひ、人は見かけによらないものだな」
どうやらランディを見くびっていたようだ。
同時に彼の苦労が偲ばれる。
今度酒でも振る舞ってやるとしよう。
「さて、当家に滞在する間は客室を宛がおう。仕事中以外は自分の家だと思って寛いでくれ」
「えへへ、嬉しいなぁ。魔王さん、ありがとねっ!」
「それでは、今日はゆっくり休むと良い。明日からよろしく頼む」
──翌朝
「魔王さんっ、朝だよ~」
「……主……起きる時間……だよ」
聞き慣れない2つの声に起こされ、目を開ける。
そういえば、今日からヒナとウィズがうちで働くのだったか。
「…おはよう。良い朝だな、2人とも」
眠い目を擦りながら起き上がる。
するとそこには
「……主……おはよう……」
純白の燕尾服を身に纏ったウィズと
「えへへ、魔王さんおはよっ!」
メイド服に身を包んだヒナがいた。
「お前達、その服はどうしたんだ?」
「真宵ちゃんがね、うちで働くならこれを着なさいってくれたの!」
ヒナがよくぞ聞いてくれたとばかりに話す。
真宵め…完全に遊んでいるな。
しかしヒナは普段着ている着物では何かと動きづらいだろう。
存外良い按配かもしれないな、真宵はそんなことまで考えてはいないだろうが。
「そうか、似合ってるぞ。二人とも」
そう言うとヒナは満足気に微笑んだ。
ウィズはいつも通りの無表情だが、口角が僅かに釣り上がっているところを見ると、どうやら満更でも無いらしい。
「えへへ、魔王さん。朝ごはんできてるよっ!頑張って作ったんだよっ」
ヒナが得意気に報告する。
ほう、昨日の今日でもう朝食を作ったというのか。
今まで家事をしたことが無いだけで、案外向いているのかもしれないな。
「ノワールさんが!」
ヒナよ、3秒前の賛辞を返せ。
「おはよう、お前達」
「あら、陛下。おはようございます。」
「おはようございます、お父様」
仕度をして食堂に向かうと、既に娘達が集まっていた。
「さて、今日からヒナとウィズがうちで家事をしてくれることになった」
「ええ、存じております。先程も食事の用意を手伝って頂きましたよ」
どうやら2人も少しは手伝ったようだ。
うむ、向上心があるのは良いことだ。
そんなことを考えながら料理に手を付ける。
「何故かヒナが作った物は皆黒い物体になったけどね…」
真宵が青冷めた顔で呟く。
「ところでヒナ、ウィズ。お前達はそこで何をしている。早く座れ」
後ろで待機していた2人を呼び寄せる。
「……主……従者が…主と一緒に食事は…どうかと思う」
「知ったことか。正式な従者でも無いのだ、気にする必要もあるまい。何より俺が共に食事を取れと言っている、従え」
有無を言わさぬ口ぶりに観念したのか、ウィズは渋々と席につく。
「えへへ~、ご飯~♪」
「ふふ…ヒナは素直だな。それで良い」
──王都セリオン、商店街
朝食を終えた後、ノワールがヒナに買い出しを頼んだ。
しかしながらヒナはあまり王都に慣れていない様子だったので、付添で俺が同行することになった。
「えへへ、人がいっぱいだね~」
ヒナは珍しい物を見るかのように、辺りをきょろきょろと見渡していた。
「王都だからな。しかしそんなに珍しいものでもなかろう」
「でもルクスより全然多いよ~?」
「村と王都を比べてやるな…と、寄りたいところがある。少し良いか」
既に買い出しは終えていたが、ふとあることを思い出した。
今日は王都に移動図書館が来る日だ。
逸れぬようヒナの手を引き、人だかりの中心へと向かっていく。
「ごきげんよう、館長。息災か」
人だかりの中にあっても一際目立つ出で立ち──タキシードにシルクハット、おまけに仮面──の男を捕まえる。
「ヤァヤァ、王様。おや、ヒナ嬢も!これはこれは、奇遇ですなぁ」
「あ、カモネさんだ!えへへ、こんにちわ~」
奇怪な風貌とは裏腹に、人当りの良い態度で接する男の名はカモネ。
普段は図書館業を営んでいる彼だが、御伽噺の世界の力を現実世界へ引き出すという稀有な能力を持っている。
「館長、魔導書をあるだけ頂いていくぞ。ああ、禁書の類もな」
「王様、うちは図書館なのですが…返して頂けるので?」
「気が向いたらな」
カモネの反論を無視し、魔導書を次々と攫っていく。
これで当面の暇潰しには困らないだろう。
「魔王さん魔王さん!これも借りていいかなぁ」
ヒナが一冊の本を持ってくる。
タイトルや表紙から察するに、料理の本のようだ。
うむ、向上心があることは素晴らしい。
実に素晴らしい。
「勿論だ。なんならその本はお前に進呈しよう、ヒナよ」
「コマリマス!」
「えへへ、本当?嬉しいな~」
「コマリマス!」
そう言うとヒナは嬉しそうに本を小脇に抱えた。
「さて、館長。それではな」
「カモネさん、またね~♪」
「またの…お越しを…」
帰り際、心なしかカモネの声色が沈んでいる気がしたが、愛用の仮面はいつも通りの笑顔だった。
うむ、問題無い。
──フローヴェル邸、真宵の部屋
夕食が終わり、私は自室で魔導書を読み耽っていた。
お父様が移動図書館から大量に強奪してきたそうなので、何冊か拝借してきた物だ。
コンコン。
「開いているわよ、どうぞ」
扉の向こうにいる者に、入室を促す。
「真宵ちゃん、ちょっといいかなぁ…?」
そう言いながら入ってきたのはヒナだった。
自分より遥かに年下の少女にちゃん付けされるのは複雑だが、この外見では仕方ないか、と諦める。
「どうしたのかしら、ヒナ」
「えっとね、魔王さんの好きな食べ物って何かな~?」
その手には料理の本らしき物が抱えられていた。
どうやらお父様の好物を作りたいらしい。
「そうね…お父様はグラタンが好物だけど…難しいわよ?」
厳密にはグラタンは簡単な料理なのだが、今のヒナの料理スキルでは絶望的と言える。
「が、頑張るから大丈夫…!」
「そう、じゃあ明日から教えてあげるわ。頑張りなさい」
「えへへ、真宵ちゃん!ありがと~!」
ヒナのせいで、遠い記憶を思い出してしまった。
…なぜお父様がグラタンを好きなのか。
お父様に拾われて数年。
どうやら父親というのは、娘が手料理を振る舞うととても喜ぶらしい。
少しでも父が誇れる娘でありたかった私は、こっそりと厨房へ忍び込み、グラタンを作ってみた。
勿論焦げだらけの、グラタンと呼んでいいのかすら危うい代物になってしまったのだが。
上手く出来なかったと泣きじゃくる私の前で、お父様は焦げグラタンを美味しそうに食べてくれた。
その時の嬉しさと申し訳無さから、私はアリシアお母様に料理を教わるようになった。
まさかその私が、今度は誰かに料理を教えることになろうとは思いもよらなかったが。
料理で一番大事なのは、その人に美味しい物を食べて欲しいという気持ちだと母に教わった。
だからヒナもきっと大丈夫。
お父様や、行く行くは自分の家族の為に、きっと美味しい料理を作ってくれるだろう。
──フローヴェル邸、食堂
「ほう、今日の夕食はグラタンか」
「ええ、美味しそうでしょう?」
「早く食べてみるといいわよ、お父様」
何故か娘達が頻りにこちらを見てくる。
「どうした、お前達」
「「いいから、いいから」」
この調子だ。
ヒナはとても真剣な目つきでこちらを見ている。
ウィズは何やら暖かい視線をヒナに向けている。
まぁ良い。
皆が食べぬのなら先に頂くとしようか。
そう思い、グラタンに口を付ける。
「フローヴェルさん、どうかな?美味しい…?」
「ああ、美味い」
率直に感想を述べる。
作ったのは真宵だろうか。
しかし味付けが昔の…アリシアに料理を習い始めた頃の真宵のものに近い。
「それ、ヒナが作ったのよ」
真宵がさらりと告げる。
「これを…ヒナが?」
「ええ、ここ数日間、頑張ったのよ」
「えへへ、ちゃんとできたかなぁ」
ヒナが照れくさそうに笑う。
その手には火傷の痕が見受けられた。
察するに、相当の努力をしたのだろう。
「ヒナ、よくやった。素晴らしい夕食だ」
「えへへ、どういたしましてっ」
よくやったとヒナの頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
──フローヴェル邸、エントランス
「さて、2人とも今日までご苦労だったな」
玄関には仕度を済ませた2人と、彼女達を見送りにきた娘達が揃っていた。
流石にいつまでも借りているわけにはいかないので、ヤカザミと期間を取り決めた。
今日がその約束の日。
「なんだか寂しくなりますね」
「また今度、料理を教えてあげるわ」
それぞれが別れの言葉を口にする。
「……とても楽しかった……ありがとう」
穏やかな笑顔を浮かべるウィズとは対照的に、ヒナは今にも泣きそうな顔をしていた。
「ベルさん、また来てもいいかな…?」
「当然だ。お前達は既に俺の家族だ。家族が帰って来るのを歓迎しない奴はいまいよ」
そう言いながら、ヒナの頭を撫でてやる。
「えへへ、本当に…?」
「いつでも帰って来るがいい。我が家族達よ」
「行ってしまいましたね…あら真宵、それは?」
2人を見送った後、ノワールが真宵の持っている紙袋に目をやる。
「ヒナの着物だそうよ。料理を教えたお礼と言っていたわ」
「あら、それは可愛らしいですね。着るんですか?」
「考えておくわ」
真宵は満更でも無い顔をしていた。
「ふふ、娘達よ。人間も中々面白いであろう」
尤もヒナの魔力から察するに、純粋な人間というわけでもなさそうだが。
「そうですね、良い勉強になりました」
「あの子達が特別なだけじゃないのかしらね…」
「真宵は随分とヒナが気に入ったようだな」
「だ、誰が…!他の人間とは違うなって思っただけよ…!」
「ふはははは!相変わらず真宵はわかりやすいな!」
「な、何よもう…!」
「…多くを知り、自らの糧とせよ。我が家族達よ」
──魔王は遠ざかっていく家族を見つめ、小さく呟いた
-Fin-
王国動乱
あるところに こころやさしいおうさまがいました
おうさまはくにのひとびとを かぞくのようにあいしていました
くにのひとびとも おうさまのことがだいすきでした
あるひ とてもふしぎなじけんがおきました
それいらい やさしかったおうさまはかわりはて
ひとびとをおそうようになってしまいました
やさしいおうさまは ざんこくなまおうになってしまったのです
──移動図書館に保管された、一冊の絵本より
──イリアスフィーナ王都、城下町
「ふむ、王都も変わらず賑わっているようで何よりだ」
「何を仰いますやら。陛下のお力あってこそと言えましょう」
「俺だけの力ではあるまい。王を支えてくれる民の存在あってこそだ」
「面と向かってんなこと言われると流石に照れますねえ」
城下町の一角で、フローヴェルと商人の男が談笑していた。
フローヴェルは定期的に王都や各地方を視察に回る。
勿論、数値として国の経済状況などは逐一提出されている。
しかし実際にこの国で生活を営む人々を自分の目で見たいと考え、フローヴェルはいつからかこの視察を始めた。
無論彼が町々に赴いている間、彼の仕事を肩代わりするノワールを始めとする官僚達が悲鳴をあげていることは言うまでもない。
町の人々も王の視察を歓迎し、彼の周囲には常に人だかりが形成されていた。
「時にお前達。昨今何か問題などはあるか」
こうして生の声を掬い上げることこそ、政治に最も必要なものとフローヴェルは捉えていた。
国の舵取りは王妃達や愛娘に安心して任せることができよう。
数多の資料を元に思考を巡らせることも、優秀な腹心が行ってくれよう。
勿論最終的に承認の印を押すのは自分だが、そんなことはどんな愚王にもできよう。
ならば自分が成すべきことは何か。
それはかつて自分の描いた夢と現実のイリアスフィーナが剥離していないか。
常に生の声を聞き、現実を理想へと導いていくことこそ、自分にしか出来ないこと。
そういった考えの下、彼は今日も町々を視察して回る。
「そうですねぇ…最近、我々行商人が通行する街道に竜が現れまして…」
「竜か、珍しいな。察するにはぐれ竜であろう」
「今はその街道を迂回しているんですが…何とかなりませんかねぇ」
「竜族は高い知能を有する。民に手を出さぬのであればこの地に住まわせても良いと掛け合ってみよう」
「へ、陛下がですか…?いやいやいや、危険ですって」
「俺を誰だと思っている。それに交渉するだけだ。無論、そのはぐれ竜がこちらの要求を呑まぬのであれば討伐することになろうが」
「よ、よろしくお願いします!あの街道が使えるようになれば、今より更に良い品を仕入れることも可能になります…!」
「そうか、期待しているぞ」
行商人との会話を終えたフローヴェルは周囲の人々に手を振リ、その場を後にした。
彼が活気に溢れた街並みを満足そうに眺めながら歩いていると、1人の少女が彼の元へ駆け寄ってきた。
「…ん?どうした、娘よ」
「あのね、王様にね。クッキー作ったの…食べてくれる?」
そう言うと少女は小さな包みを差し出した。
「こら!イゾルデ…!何やってるのよ…!うちの子が申し訳ございません…!」
すると彼女の母親らしき女性が小走りでやってきた。
少女は悪戯が見つかってしまった子供のようにバツが悪そうな表情を浮かべていたが、フローヴェルが手振りで母親を制止する。
「俺の為に作ってくれたのか。ありがたく頂くとしよう」
笑顔でそう言ったフローヴェルは、少女から包みを受け取った。
「えへへ…あのね、王様。私大きくなったら王様のお嫁さんになる!」
「ほう、それは楽しみだな」
「ほんと…!?もらってくれるの?」
「ああ。イゾルデと申したか。お前なら必ずや美しく成長するであろう。あと10年もしたら我が妃として…」
「…陛下!」
「冗談だ」
少女の母親に睨まれたフローヴェルは、少女と同様に悪戯が見つかった子供のようにバツが悪そうな表情を浮かべていた。
「あまり軽薄な振る舞いをされていると、王妃様達に怒られますよ!」
「くっくっく…肝に銘じよう」
母親からの忠告を受け、彼はくつくつと笑いを零した。
そして両手を大きく広げ、天へ向かって呟くのだった。
「父よ、見ているか。かつて俺が描いた夢は今日も眩く輝いている」
──イリアスフィーナ王国、議事の間
静まり返った室内で、少女は1人書類に目を通していた。
内容はこれから始まる会議に関する資料。
無論彼女にとっては既に何度も目を通した資料だった。
内容もとうに頭に入っているものだが、それでも読み続けてしまうのは一種の暇潰しと言えようか。
「……遅いわね」
少女がぽつりと呟いた。
会議の時刻はとうに過ぎているのにも関わらず、誰一人として議事の間に姿を現さない。
苛立ちを抑えきれなくなった彼女は参加者の面々を捕まえようと、部屋を後にした。
「おや、ノワール様。そんなところで如何されたのですかな」
廊下に出たところで初老の男に声をかけられ、少女は振り返る。
「大臣…如何されたのか、ではありません。会議の時間はとっくに過ぎていますが」
「会議…ですか?はて、本日はそのようなものは無かったかと記憶しておりますが…」
「何を言ってるのですか…ボケるには少々早いのでは無いかしら」
そうは言ってみるものの、男からは冗談を言っている様子は感じられない。
大臣と呼ばれた男のそれは、本当に会議のことを知らない素振りだった。
「そもそも会議と言うならば陛下のお姿がどこにも見当たりませんが…」
「そういえばそうですね…。全く、あのインペリアルニート…!」
「ふむ…伝達が行き届いていなかったのですかな。ちなみにノワール様、本日はどのような議題で?」
「決まっています。刻碑歴1000年を迎え、我がイリアスフィーナ王国が他国に遅れを取らぬよう今後の方針を…」
「刻碑歴1000年?はっはっは、ノワール様も存外面白い冗談を仰る」
「何がおかしいのですか?未来を見据え国の舵を取っていくことは重要な…」
「今年は刻碑歴997年ではありませんか」
「え…?」
「私がボケたわけではありませんぞ。まぁ我々魔族にとっては人間達の定めた暦はあっという間ですからな、間違えるのも無理はありますまい」
違う。
確かに魔族にとっては人間の定めた「1年」という単位はとても短い。
だからと言って暦を間違える自分では無い。
国の政の全てを管理する彼女にはその自負があった。
「むぅ…納得いかないと言ったお顔をされてますな。おおい、そこのお前。今年は何年だったかの」
大臣が城内を警備していた兵士を捕まえ、尋ねる。
「は!今年…ですか。刻碑歴997年ですが…如何されましたか?」
「いや、いい。呼び止めてすまなかったの」
「さて、私がボケていないことはお分かりいただけましたかな」
兵士が去った後で大臣が口を開く。
どうやら自分が呆けたわけではない、と主張したかったらしい。
「え、ええ。私の勘違いだったみたいです。…と、とりあえず陛下を探してきますね」
漠然とした胸騒ぎを感じ取ったノワールは、自らが全幅の信頼をおく王を探しに走り出した。
「…陛下!」
視察から帰宅したところだろうか、城の入り口から歩いてくるフローヴェルとその妻メリーベルを見つけた彼女は、彼の元へ駆け寄っていく。
「ノワールか、出迎えご苦労。そんなに息を切らしてどうした」
「陛下…!今日は会議があったはずですが、お忘れですか…!」
必死に問い詰める彼女を訝しげに見つめていたフローヴェルだったが、やがて落ち着いた様子で口を開いた。
「会議か。ノワールよ、今日はそのようなものは無かったであろう」
「そんな…!」
信じていた王から聞きたくなかった言葉を聞いてしまったノワールは、王妃メリーベルへと視線を向ける。
「メリーベル様…!メリーベル様は如何です…?」
「そうねぇ…あったような気がしなくもないけど、フローヴェルが無いって言うならきっと無かったのよ」
そう言いつつフローヴェルの腕に抱き着くメリーベル。
曖昧な返答ではあるが、彼女は確かに「あったような気がする」と口にした。
「メリーベル様、陛下を甘やかすのはおやめください。先程の口ぶりだと確かに会議はあった、ということですね」
「え、ええ。冗談を言える雰囲気でも無さそうね…確かにあったわよ、今日のお昼から」
メリーベルは今度こそ確実に「あった」と口にした。
多少の落ち付きを取り戻した彼女は、平時のようにその思考を高速回転させる。
「陛下」
「ど、どうした。ノワールよ」
「先程、陛下は「会議をサボりたいから」そんなものは無かった、と仰ったのですね?」
「くっ…違いない」
嘘がバレて彼女に説教をされると思ったのか、フローヴェルは非常にバツが悪そうに答える。
だが、次にノワールが取った行動は彼の予想を大きく外れるものだった。
「よかった…陛下…」
本来ならば容赦なく説教をしてくるであろう彼女が安堵の涙を零す様を見て、フローヴェルは事態が只ならぬ状況であることを理解した。
「ノワール、何があった。ゆっくりでいい、話してみろ」
ノワールを抱きしめ、その小さな頭を撫でながらフローヴェルが優しく語りかける。
「なるほどな…まさかそのようなことになろうとは。可能性の1つとしては考慮していたが…まさかな」
「陛下…何かご存じなのですか?」
「少なくともお前よりはな。ノワール、メリーベル…今からあげる者達を連れてこい。こうなっては会議が嫌だなどと言ってはいられぬ。これより緊急会議を行う」
「陛下…アリシア様と真宵も会議の場に現れなかったのですが…もしかして…」
ノワールの抱いていた不安。
アリシアと真宵も「あちら側」なのでは無いだろうか。
しかしその不安はフローヴェルの言葉により一蹴される。
「アリシアと真宵ならば今日は学園に顔を出すと申していた。恐らく長引いているのであろう。すぐに呼び戻せ」
「は、はい…!」
「メリーベル、お前はエヴァルトを連れて来い。この時間ならば部下の鍛錬に付き合っているであろう」
「わかったわ、ちょっと待ってて」
メリーベルはその言葉と共に、霊体らしくその場から消え去った。
──イリアスフィーナ王国、議事の間
「さて、親愛なる我が家族達よ。よくぞ集まってくれた」
そう言ってフローヴェルは集まった面々を見渡した。
魔王、大天使、霊姫、王女、司令官、剣聖。
国の最高戦力と言っても過言ではない、錚々たる顔ぶれが円卓を囲んでいた。
その表情は一様に険しく、これから始まる議題の重大さが伺えた。
「さて、まず初めに言っておく。これより我が国…いや、この世界はある一定の時を永劫彷徨うことになる」
フローヴェルが至って真面目な顔つきで口を開いた。
「ちょっと…どういうこと、それ?」
皆が驚きの表情を浮かべている中、同様に驚きながらも真宵が問いかける。
「そうだな。まずはこの国に起こった出来事から説明しよう。ノワール」
「…はい。今日のお昼のことです…」
フローヴェルに促され、ノワールが説明を始めた。
「…以上が私が経験した内容になります」
自身の実体験を話し終えたノワールがふぅ、と息を吐く。
「この中に「今年が刻碑歴997年」だと思っている者はいるか」
フローヴェルの問いかけに、誰も名乗りをあげない。
それを確認したフローヴェルは続ける。
「いないな。先に事実から述べよう、今は刻碑歴997年だ」
「間違っているのは私達ってこと?」
自らの認識を誤りと指摘され、メリーベルが反論する。
「ああ。間違いなく今は刻碑歴997年だ。後で暦表でも確認して来るといい」
「ベル、じゃあそれって…」
「恐らくお前の察する通りだ、アリシア」
「皆、よく聞け。今日まで俺達が過ごしてきた刻碑歴997年から1000年までの3年間は確かに存在した。今は997年に巻き戻ってしまっているが、ここにいる者達は皆その記憶を引き継いでいる」
フローヴェルの言葉に場が静まり返る。
「陛下…どうしてそのような超常的とも言える現象が?」
動揺しつつも精一杯冷静な口調で、エヴァルトが問いかける。
「天上の意思とでも言うべきか。いずれにせよ、今の我々にはどうすることも出来ないような相手だ」
「今が997年ということはわかったわ。それでもしこのまま、1000年を迎えたらどうなるの?」
次いで、真宵が問いかける。
「同じことだ。また今日と同じように997年に戻る。俺達はその記憶を引き継いだまま、な」
「つまり、大多数は世界が巻き戻るという事実も知らずに、延々と同じ時を過ごすわけね」
メリーベルの補足に、フローヴェルは小さく頷く。
「そうして私達は誰にも知られず、永遠の時を生きていくことになるのですね…」
ノワールが溜息混じりに呟く。
「で、勿論何か策はあるのよね。ベル?」
「無論だ。鍵はブリアティルト大陸にある」
「ブリアティルトって…随分遠いわね」
両親のやりとりに真宵が割り込む。
「ブリアティルトの中央に存在する黄金の門…言ってしまえば神器の一種か。此度の輪廻はそれの暴走と言われている」
「時間・空間系に作用する神器なのかしらね、それ。全世界を巻き込むなんて相当だけど」
メリーベルが頬杖をつきながら分析を始める。
「黄金の門をどうにかしようと思ったところで、我々だけでは戦力が足りぬ。輪廻を断ち切るには可能性溢れる英雄が必要だ」
「英雄…ですか?」
ノワールが訝しげに聞き返す。
魔王の口から英雄とは何の冗談かと思ったらしい。
「既に「案内人」が動いているはずだ。それによりこの世界に送られてくる英雄の卵や雛鳥達。まずは彼奴らを鍛えあげねばな。人のうねりは何より大きな力となろう」
「ちょっと待ってお父様…じゃあ」
「ああ。俺はブリアティルト大陸へ向かう」
「向かうって…国はどうするのよ!お父様が離れていいわけが無いでしょう!?」
「そう熱くなるな。国ならば王妃達がいるだろう。それに此処とブリアティルトを転移門で繫ぎ、俺自身も行き来はするつもりだ」
「だからって…お父様が行かなくても…」
「真宵…いや、この場にいる全員に問おう。この国で最も強き者は誰だ」
フローヴェルの問いを受け、場が静まり返る。
「決まりだな。俺がブリアティルトへ渡り、雛鳥達を鍛え上げる。無論こちらで公務も行うゆえ、案ずるな」
「フローヴェル…大臣達にはなんて説明するつもり?記憶、引き継いで無いんでしょ?」
メリーベルが現実的な疑問を呈する。
先に聞いた大臣の様子から察するに、大多数の臣下達は記憶を引き継いでいないのだろう。
「ふむ…そうだな。イリアスフィーナをより良い国にする為、人間達の営みを視察するとでも伝えておけ」
「確かにちょっと強引だけどそれなら…」
アリシアがフローヴェルの提案に賛同する。
「でもお父様…お父様がそこまでする必要あるの?」
「先程城下町を視察した際に、イゾルデと言う少女に会った」
「…?」
「彼女は俺の妻になることが夢だそうだ」
「…可愛らしいわね」
「彼女以外にも、多くの子供はこうありたいと夢を持っているはずだ。真宵、エヴァ。かつてのお前達がそうであったように」
「…そうね」
「…子供は夢を見るのが仕事ですから」
幼き日の自分達を引き合いに出された真宵とエヴァルトは、遠き過去を懐かしむように呟いた。
「この忌まわしき輪廻を断ち切らぬ限り、子供達の夢が叶うことは永劫無い。残酷だとは思わないか」
フローヴェルの言葉を受け、皆それぞれ小さく頷いた。
「子供達は夢を追い、大人達はその成長を楽しみにする。俺は明日に希望が抱けるイリアスフィーナを取り戻したい」
フローヴェルの演説が終わり、真宵が口を開いた。
「…我が親ながら、本当に勝手なんだから。…仕方ないから手伝ってあげるわ」
娘の言葉にアリシアが続く。
「あら真宵。ベルは昔からこんな感じよ?いっつも一人で突っ走って、その度に周りがフォローしないといけないんだから」
「…俺とて学習はしているつもりだ。今回はお前達に相談したであろう。ヴァルハラの時と同じ轍は踏まんよ」
フローヴェルとアリシアのやりとりを見ていたメリーベルが割って入る。
「あー!またそうやって二人で昔話して…お姉様ずるい…。まぁこの国がいいところなのは確かだからね、勿論協力はするわ」
続いてノワールとエヴァルトが現実的な提案を述べる。
「では先ずは国内の混乱をなんとかしなくてはなりませんね。他にも記憶を引き継いでいる者はいるでしょうし、騒動になっていなければいいのですが…」
「その場合は多少力技になりますが、我々がなんとかしましょう。荒事には慣れています」
皆口振りこそ違えど、それぞれ協力を申し出た。
そんな彼らの申し出を受け、フローヴェルが口を開く。
「…お前達と出会えたことに心より感謝する。家族達よ…我らの祖国の為に、その力を貸してくれ」
「さて、それではこれより各々に指示を出す。エヴァルト、お前は騎士団を連れて国内の騒動の鎮圧に当たれ。記憶を引き継いでいる者とそうでない者が混ざり合っている現状、暴動に発展していることもあろう。多少手荒でも構わん、鎮圧しろ」
「はっ!仰せのままに」
「転移門を自由に使って構わん。大陸内全てをまわれ」
「ちょっとお父様…大陸中って流石に…」
自分でも無茶な指示を出していることは、フローヴェルにもわかっていた。
今すぐに動かせる者はそう多くは無く、エヴァルトに頼む他無かった。
しかしその指示を受けたエヴァルトは、ひとつの動揺も見せず、強い眼差しで主君を見つめていた。
「陛下、憶えていらっしゃいますか。かつて私が…陛下や国が窮地に陥った際、自分が道を斬り開く剣となりたいと願ったこと…」
「…無論だ」
「今がその時と言えましょう…国内のことは全てお任せください」
立派に成長したかつての少年を前にし、そしてその力強い言葉を受け、フローヴェルは笑顔で告げた。
「エヴァ…立派になったな。今のお前になら安心して任せられよう…頼んだぞ」
「アリシア。お前にはヴァルハラへ向かって欲しい」
「まぁそう来ると思っていたけどね。任せて頂戴」
ヴァルハラへ入れる者は多くない。
大天使であるアリシア。
そして今では魔王となったが、かつてヴァルハラを救った英雄、叛逆神フローヴェル。
そんな彼らの娘である真宵、以上3名のみだった。
そんな中でかつて師団長を務めた大天使であり、現在のヴァルハラにおいても発言力が期待できるアリシアを選んだのは当然の人選と言えよう。
「ヴァルハラも混乱しているだろう、まずは親父と共にヴァルハラの混乱を治めてくれ」
「グレゴリウス様は間違いなく記憶を引き継いでいそうだしね…」
ヴァルハラを治める大天使、グレゴリウス。
神格を有するにまで至った彼は、フローヴェルすら上回る力を持つ。
そんな彼が記憶を失っているということはまず無いだろう。
「その通りだ。あちらが片付けば今後の助力も期待できよう」
「あら、お父さんに頼っちゃうの?いつもは自分でやるって聞かないのに」
「この俺とて学んだと言っているであろう。もう「自分さえ犠牲になれば」などとは考えんよ。ああ、それから「馬鹿ども」に関してだが」
「第4師団の皆のこと?」
「彼奴等には記憶の有無に関わらず、真実を話して構わない」
「…それで大丈夫なの?」
「ああ。あの愛すべき馬鹿どもは、たった数年の記憶が無かろうと…何も言わずに力になってくれるであろう」
「……そっか、そうだね」
過去を思い出すかのように目を瞑ったフローヴェルを見て、アリシアは優しい笑顔で頷いた。
「真宵。お前は学園へ行け」
「学園ね、わかったわ」
「教師達も記憶を失っているかもしれぬ、まずは記憶を引き継いでいる教師を洗い出せ」
「その次は生徒かしら」
「ああ。記憶を引き継いでいる生徒はこれから先、何度も同じ内容を学ぶことになってしまう。そう言った者達を集めて特別学級を組織してくれ」
「わかったわ。可愛い後輩達の為だしね…頑張って来るわ」
「頼りにしているぞ、愛娘よ」
「メリーベル、お前は配下の魔王達の元へ向かい、状況を説明しろ」
「あいつらのところかぁ…ま、いいわ。引き受けてあげる」
「彼奴等も一筋縄ではいかぬ問題児ばかりだからな。それなりに力のある者が行った方が早い。お前が行けば彼奴等も大人しく言うことを聞くであろう」
「各自領地の管理をしっかり行うように伝えておくわ。後は…一度王都に集めた方がよさそうね。日取りを決めておくわ」
「察しが早くて助かる、頼んだぞ」
「ノワール、お前はドゥルニール領だ」
「畏まりました、陛下」
「お前の父、領主オルトヴィーンが記憶を引き継いでいるかどうかはわからぬ。引き継いでいないようなら状況を説明しろ。その後のことは言わずともわかるな」
「ええ。イリアスフィーナで最も広大な領地。責任を持って治めて参ります」
「それでいい。最高司令官をわざわざ派遣する意味、理解しているようで何よりだ」
「俺は王都を見て回る。まずは民を落ち着けねばな。何かあったら転移門ですぐに報告に参れ。さぁ動け、新たな時を刻む為に!」
──イリアスフィーナ王国、議事の間
「納得できません…!王である貴方御自ら視察へ出向くなど!」
今日は王国の定例会議。
国をより豊かにする為に、人間達の国へ視察へ出向く。
そう提案したフローヴェルに対し、腹心であるノワールが難色を示す。
尤も彼女のそれは演技であり、この会議の着地点は既に決まっている。
記憶を引き継いでいない者達へのパフォーマンスとしての会議だった。
「不満があるなら申してみよ、ノワール」
「陛下がご不在の間、国はいかがされるおつもりなのですか!」
「俺が不在の間は、全権を王妃達に委ねる。俺自身も週に何度かは戻るつもりだ。それでも問題があるのか?」
王妃や司令官を始めとする国の重役達が皆すんなりと承諾してしまったのでは、他の者に怪しまれる。
そういった点からノワールは王の命により、あえて反対派を演じているのだった。
雛鳥達に試練を与えるとは、即ち人間と戦うということ。
万が一のことで家族には傷付いて欲しくない。
故にフローヴェルは自らがブリアティルトに赴くことを望んだ。
「ちなみに私も一緒に行くわよ。いいわよね、お母様」
「…え?」
これは完全に真宵のアドリブだった。
八百長の会議に託けて、自らの同行も許可させてしまおうという真宵の作戦である。
「フローヴェル…あなたのそういうところは今に始まったことでは無いので、今更何を言っても仕方ありませんが…真宵に何かあったらと思うと心配ですね。ノワール…あなたも一緒に行ってくれますか?」
ちなみにこれもアリシアのアドリブだった。
娘の突然のカミングアウトに動揺はしていても公の場に出る際の「王妃としての口調」を崩していないのは流石だった。
「わ、私ですか…!?」
一方、王妃直々に指名されたノワールは完全に素の状態で、目を丸くしていた。
それもそのはず、会議の内容が明らかに筋書きと異なっているのだ。
「よし、決まりだな。真宵、ノワール、準備にかかれ」
「楽しくなりそうね、お父様」
「どうして私まで…うう…」
アドリブ会議を無理矢理まとめたフローヴェルは楽しそうに告げた。
こうして彼らの遠征が決定したのだった。
向かう先は遥か南方、ブリアティルト大陸。
人間達が治める5つの勢力が犇めき合う戦乱の地。
未だ統一されていない地で、異大陸の覇者はどのような物語を紡ぐのか。
無論、それは誰にもわからない。
彼らと共に次なる物語を紡ぐのは貴方なのだから。
あるところに こころやさしいおうさまがいました
おうさまはくにのひとびとを かぞくのようにあいしていました
くにのひとびとも おうさまのことがだいすきでした
あるひ とてもふしぎなじけんがおきました
それいらい やさしかったおうさまはかわりはて
ひとびとをおそうようになってしまいました
やさしいおうさまは ざんこくなまおうになってしまったのです
「さぁ、人間よ。そなたに試練を与えよう」
-Fin-
あるところに こころやさしいおうさまがいました
おうさまはくにのひとびとを かぞくのようにあいしていました
くにのひとびとも おうさまのことがだいすきでした
あるひ とてもふしぎなじけんがおきました
それいらい やさしかったおうさまはかわりはて
ひとびとをおそうようになってしまいました
やさしいおうさまは ざんこくなまおうになってしまったのです
──移動図書館に保管された、一冊の絵本より
──イリアスフィーナ王都、城下町
「ふむ、王都も変わらず賑わっているようで何よりだ」
「何を仰いますやら。陛下のお力あってこそと言えましょう」
「俺だけの力ではあるまい。王を支えてくれる民の存在あってこそだ」
「面と向かってんなこと言われると流石に照れますねえ」
城下町の一角で、フローヴェルと商人の男が談笑していた。
フローヴェルは定期的に王都や各地方を視察に回る。
勿論、数値として国の経済状況などは逐一提出されている。
しかし実際にこの国で生活を営む人々を自分の目で見たいと考え、フローヴェルはいつからかこの視察を始めた。
無論彼が町々に赴いている間、彼の仕事を肩代わりするノワールを始めとする官僚達が悲鳴をあげていることは言うまでもない。
町の人々も王の視察を歓迎し、彼の周囲には常に人だかりが形成されていた。
「時にお前達。昨今何か問題などはあるか」
こうして生の声を掬い上げることこそ、政治に最も必要なものとフローヴェルは捉えていた。
国の舵取りは王妃達や愛娘に安心して任せることができよう。
数多の資料を元に思考を巡らせることも、優秀な腹心が行ってくれよう。
勿論最終的に承認の印を押すのは自分だが、そんなことはどんな愚王にもできよう。
ならば自分が成すべきことは何か。
それはかつて自分の描いた夢と現実のイリアスフィーナが剥離していないか。
常に生の声を聞き、現実を理想へと導いていくことこそ、自分にしか出来ないこと。
そういった考えの下、彼は今日も町々を視察して回る。
「そうですねぇ…最近、我々行商人が通行する街道に竜が現れまして…」
「竜か、珍しいな。察するにはぐれ竜であろう」
「今はその街道を迂回しているんですが…何とかなりませんかねぇ」
「竜族は高い知能を有する。民に手を出さぬのであればこの地に住まわせても良いと掛け合ってみよう」
「へ、陛下がですか…?いやいやいや、危険ですって」
「俺を誰だと思っている。それに交渉するだけだ。無論、そのはぐれ竜がこちらの要求を呑まぬのであれば討伐することになろうが」
「よ、よろしくお願いします!あの街道が使えるようになれば、今より更に良い品を仕入れることも可能になります…!」
「そうか、期待しているぞ」
行商人との会話を終えたフローヴェルは周囲の人々に手を振リ、その場を後にした。
彼が活気に溢れた街並みを満足そうに眺めながら歩いていると、1人の少女が彼の元へ駆け寄ってきた。
「…ん?どうした、娘よ」
「あのね、王様にね。クッキー作ったの…食べてくれる?」
そう言うと少女は小さな包みを差し出した。
「こら!イゾルデ…!何やってるのよ…!うちの子が申し訳ございません…!」
すると彼女の母親らしき女性が小走りでやってきた。
少女は悪戯が見つかってしまった子供のようにバツが悪そうな表情を浮かべていたが、フローヴェルが手振りで母親を制止する。
「俺の為に作ってくれたのか。ありがたく頂くとしよう」
笑顔でそう言ったフローヴェルは、少女から包みを受け取った。
「えへへ…あのね、王様。私大きくなったら王様のお嫁さんになる!」
「ほう、それは楽しみだな」
「ほんと…!?もらってくれるの?」
「ああ。イゾルデと申したか。お前なら必ずや美しく成長するであろう。あと10年もしたら我が妃として…」
「…陛下!」
「冗談だ」
少女の母親に睨まれたフローヴェルは、少女と同様に悪戯が見つかった子供のようにバツが悪そうな表情を浮かべていた。
「あまり軽薄な振る舞いをされていると、王妃様達に怒られますよ!」
「くっくっく…肝に銘じよう」
母親からの忠告を受け、彼はくつくつと笑いを零した。
そして両手を大きく広げ、天へ向かって呟くのだった。
「父よ、見ているか。かつて俺が描いた夢は今日も眩く輝いている」
──イリアスフィーナ王国、議事の間
静まり返った室内で、少女は1人書類に目を通していた。
内容はこれから始まる会議に関する資料。
無論彼女にとっては既に何度も目を通した資料だった。
内容もとうに頭に入っているものだが、それでも読み続けてしまうのは一種の暇潰しと言えようか。
「……遅いわね」
少女がぽつりと呟いた。
会議の時刻はとうに過ぎているのにも関わらず、誰一人として議事の間に姿を現さない。
苛立ちを抑えきれなくなった彼女は参加者の面々を捕まえようと、部屋を後にした。
「おや、ノワール様。そんなところで如何されたのですかな」
廊下に出たところで初老の男に声をかけられ、少女は振り返る。
「大臣…如何されたのか、ではありません。会議の時間はとっくに過ぎていますが」
「会議…ですか?はて、本日はそのようなものは無かったかと記憶しておりますが…」
「何を言ってるのですか…ボケるには少々早いのでは無いかしら」
そうは言ってみるものの、男からは冗談を言っている様子は感じられない。
大臣と呼ばれた男のそれは、本当に会議のことを知らない素振りだった。
「そもそも会議と言うならば陛下のお姿がどこにも見当たりませんが…」
「そういえばそうですね…。全く、あのインペリアルニート…!」
「ふむ…伝達が行き届いていなかったのですかな。ちなみにノワール様、本日はどのような議題で?」
「決まっています。刻碑歴1000年を迎え、我がイリアスフィーナ王国が他国に遅れを取らぬよう今後の方針を…」
「刻碑歴1000年?はっはっは、ノワール様も存外面白い冗談を仰る」
「何がおかしいのですか?未来を見据え国の舵を取っていくことは重要な…」
「今年は刻碑歴997年ではありませんか」
「え…?」
「私がボケたわけではありませんぞ。まぁ我々魔族にとっては人間達の定めた暦はあっという間ですからな、間違えるのも無理はありますまい」
違う。
確かに魔族にとっては人間の定めた「1年」という単位はとても短い。
だからと言って暦を間違える自分では無い。
国の政の全てを管理する彼女にはその自負があった。
「むぅ…納得いかないと言ったお顔をされてますな。おおい、そこのお前。今年は何年だったかの」
大臣が城内を警備していた兵士を捕まえ、尋ねる。
「は!今年…ですか。刻碑歴997年ですが…如何されましたか?」
「いや、いい。呼び止めてすまなかったの」
「さて、私がボケていないことはお分かりいただけましたかな」
兵士が去った後で大臣が口を開く。
どうやら自分が呆けたわけではない、と主張したかったらしい。
「え、ええ。私の勘違いだったみたいです。…と、とりあえず陛下を探してきますね」
漠然とした胸騒ぎを感じ取ったノワールは、自らが全幅の信頼をおく王を探しに走り出した。
「…陛下!」
視察から帰宅したところだろうか、城の入り口から歩いてくるフローヴェルとその妻メリーベルを見つけた彼女は、彼の元へ駆け寄っていく。
「ノワールか、出迎えご苦労。そんなに息を切らしてどうした」
「陛下…!今日は会議があったはずですが、お忘れですか…!」
必死に問い詰める彼女を訝しげに見つめていたフローヴェルだったが、やがて落ち着いた様子で口を開いた。
「会議か。ノワールよ、今日はそのようなものは無かったであろう」
「そんな…!」
信じていた王から聞きたくなかった言葉を聞いてしまったノワールは、王妃メリーベルへと視線を向ける。
「メリーベル様…!メリーベル様は如何です…?」
「そうねぇ…あったような気がしなくもないけど、フローヴェルが無いって言うならきっと無かったのよ」
そう言いつつフローヴェルの腕に抱き着くメリーベル。
曖昧な返答ではあるが、彼女は確かに「あったような気がする」と口にした。
「メリーベル様、陛下を甘やかすのはおやめください。先程の口ぶりだと確かに会議はあった、ということですね」
「え、ええ。冗談を言える雰囲気でも無さそうね…確かにあったわよ、今日のお昼から」
メリーベルは今度こそ確実に「あった」と口にした。
多少の落ち付きを取り戻した彼女は、平時のようにその思考を高速回転させる。
「陛下」
「ど、どうした。ノワールよ」
「先程、陛下は「会議をサボりたいから」そんなものは無かった、と仰ったのですね?」
「くっ…違いない」
嘘がバレて彼女に説教をされると思ったのか、フローヴェルは非常にバツが悪そうに答える。
だが、次にノワールが取った行動は彼の予想を大きく外れるものだった。
「よかった…陛下…」
本来ならば容赦なく説教をしてくるであろう彼女が安堵の涙を零す様を見て、フローヴェルは事態が只ならぬ状況であることを理解した。
「ノワール、何があった。ゆっくりでいい、話してみろ」
ノワールを抱きしめ、その小さな頭を撫でながらフローヴェルが優しく語りかける。
「なるほどな…まさかそのようなことになろうとは。可能性の1つとしては考慮していたが…まさかな」
「陛下…何かご存じなのですか?」
「少なくともお前よりはな。ノワール、メリーベル…今からあげる者達を連れてこい。こうなっては会議が嫌だなどと言ってはいられぬ。これより緊急会議を行う」
「陛下…アリシア様と真宵も会議の場に現れなかったのですが…もしかして…」
ノワールの抱いていた不安。
アリシアと真宵も「あちら側」なのでは無いだろうか。
しかしその不安はフローヴェルの言葉により一蹴される。
「アリシアと真宵ならば今日は学園に顔を出すと申していた。恐らく長引いているのであろう。すぐに呼び戻せ」
「は、はい…!」
「メリーベル、お前はエヴァルトを連れて来い。この時間ならば部下の鍛錬に付き合っているであろう」
「わかったわ、ちょっと待ってて」
メリーベルはその言葉と共に、霊体らしくその場から消え去った。
──イリアスフィーナ王国、議事の間
「さて、親愛なる我が家族達よ。よくぞ集まってくれた」
そう言ってフローヴェルは集まった面々を見渡した。
魔王、大天使、霊姫、王女、司令官、剣聖。
国の最高戦力と言っても過言ではない、錚々たる顔ぶれが円卓を囲んでいた。
その表情は一様に険しく、これから始まる議題の重大さが伺えた。
「さて、まず初めに言っておく。これより我が国…いや、この世界はある一定の時を永劫彷徨うことになる」
フローヴェルが至って真面目な顔つきで口を開いた。
「ちょっと…どういうこと、それ?」
皆が驚きの表情を浮かべている中、同様に驚きながらも真宵が問いかける。
「そうだな。まずはこの国に起こった出来事から説明しよう。ノワール」
「…はい。今日のお昼のことです…」
フローヴェルに促され、ノワールが説明を始めた。
「…以上が私が経験した内容になります」
自身の実体験を話し終えたノワールがふぅ、と息を吐く。
「この中に「今年が刻碑歴997年」だと思っている者はいるか」
フローヴェルの問いかけに、誰も名乗りをあげない。
それを確認したフローヴェルは続ける。
「いないな。先に事実から述べよう、今は刻碑歴997年だ」
「間違っているのは私達ってこと?」
自らの認識を誤りと指摘され、メリーベルが反論する。
「ああ。間違いなく今は刻碑歴997年だ。後で暦表でも確認して来るといい」
「ベル、じゃあそれって…」
「恐らくお前の察する通りだ、アリシア」
「皆、よく聞け。今日まで俺達が過ごしてきた刻碑歴997年から1000年までの3年間は確かに存在した。今は997年に巻き戻ってしまっているが、ここにいる者達は皆その記憶を引き継いでいる」
フローヴェルの言葉に場が静まり返る。
「陛下…どうしてそのような超常的とも言える現象が?」
動揺しつつも精一杯冷静な口調で、エヴァルトが問いかける。
「天上の意思とでも言うべきか。いずれにせよ、今の我々にはどうすることも出来ないような相手だ」
「今が997年ということはわかったわ。それでもしこのまま、1000年を迎えたらどうなるの?」
次いで、真宵が問いかける。
「同じことだ。また今日と同じように997年に戻る。俺達はその記憶を引き継いだまま、な」
「つまり、大多数は世界が巻き戻るという事実も知らずに、延々と同じ時を過ごすわけね」
メリーベルの補足に、フローヴェルは小さく頷く。
「そうして私達は誰にも知られず、永遠の時を生きていくことになるのですね…」
ノワールが溜息混じりに呟く。
「で、勿論何か策はあるのよね。ベル?」
「無論だ。鍵はブリアティルト大陸にある」
「ブリアティルトって…随分遠いわね」
両親のやりとりに真宵が割り込む。
「ブリアティルトの中央に存在する黄金の門…言ってしまえば神器の一種か。此度の輪廻はそれの暴走と言われている」
「時間・空間系に作用する神器なのかしらね、それ。全世界を巻き込むなんて相当だけど」
メリーベルが頬杖をつきながら分析を始める。
「黄金の門をどうにかしようと思ったところで、我々だけでは戦力が足りぬ。輪廻を断ち切るには可能性溢れる英雄が必要だ」
「英雄…ですか?」
ノワールが訝しげに聞き返す。
魔王の口から英雄とは何の冗談かと思ったらしい。
「既に「案内人」が動いているはずだ。それによりこの世界に送られてくる英雄の卵や雛鳥達。まずは彼奴らを鍛えあげねばな。人のうねりは何より大きな力となろう」
「ちょっと待ってお父様…じゃあ」
「ああ。俺はブリアティルト大陸へ向かう」
「向かうって…国はどうするのよ!お父様が離れていいわけが無いでしょう!?」
「そう熱くなるな。国ならば王妃達がいるだろう。それに此処とブリアティルトを転移門で繫ぎ、俺自身も行き来はするつもりだ」
「だからって…お父様が行かなくても…」
「真宵…いや、この場にいる全員に問おう。この国で最も強き者は誰だ」
フローヴェルの問いを受け、場が静まり返る。
「決まりだな。俺がブリアティルトへ渡り、雛鳥達を鍛え上げる。無論こちらで公務も行うゆえ、案ずるな」
「フローヴェル…大臣達にはなんて説明するつもり?記憶、引き継いで無いんでしょ?」
メリーベルが現実的な疑問を呈する。
先に聞いた大臣の様子から察するに、大多数の臣下達は記憶を引き継いでいないのだろう。
「ふむ…そうだな。イリアスフィーナをより良い国にする為、人間達の営みを視察するとでも伝えておけ」
「確かにちょっと強引だけどそれなら…」
アリシアがフローヴェルの提案に賛同する。
「でもお父様…お父様がそこまでする必要あるの?」
「先程城下町を視察した際に、イゾルデと言う少女に会った」
「…?」
「彼女は俺の妻になることが夢だそうだ」
「…可愛らしいわね」
「彼女以外にも、多くの子供はこうありたいと夢を持っているはずだ。真宵、エヴァ。かつてのお前達がそうであったように」
「…そうね」
「…子供は夢を見るのが仕事ですから」
幼き日の自分達を引き合いに出された真宵とエヴァルトは、遠き過去を懐かしむように呟いた。
「この忌まわしき輪廻を断ち切らぬ限り、子供達の夢が叶うことは永劫無い。残酷だとは思わないか」
フローヴェルの言葉を受け、皆それぞれ小さく頷いた。
「子供達は夢を追い、大人達はその成長を楽しみにする。俺は明日に希望が抱けるイリアスフィーナを取り戻したい」
フローヴェルの演説が終わり、真宵が口を開いた。
「…我が親ながら、本当に勝手なんだから。…仕方ないから手伝ってあげるわ」
娘の言葉にアリシアが続く。
「あら真宵。ベルは昔からこんな感じよ?いっつも一人で突っ走って、その度に周りがフォローしないといけないんだから」
「…俺とて学習はしているつもりだ。今回はお前達に相談したであろう。ヴァルハラの時と同じ轍は踏まんよ」
フローヴェルとアリシアのやりとりを見ていたメリーベルが割って入る。
「あー!またそうやって二人で昔話して…お姉様ずるい…。まぁこの国がいいところなのは確かだからね、勿論協力はするわ」
続いてノワールとエヴァルトが現実的な提案を述べる。
「では先ずは国内の混乱をなんとかしなくてはなりませんね。他にも記憶を引き継いでいる者はいるでしょうし、騒動になっていなければいいのですが…」
「その場合は多少力技になりますが、我々がなんとかしましょう。荒事には慣れています」
皆口振りこそ違えど、それぞれ協力を申し出た。
そんな彼らの申し出を受け、フローヴェルが口を開く。
「…お前達と出会えたことに心より感謝する。家族達よ…我らの祖国の為に、その力を貸してくれ」
「さて、それではこれより各々に指示を出す。エヴァルト、お前は騎士団を連れて国内の騒動の鎮圧に当たれ。記憶を引き継いでいる者とそうでない者が混ざり合っている現状、暴動に発展していることもあろう。多少手荒でも構わん、鎮圧しろ」
「はっ!仰せのままに」
「転移門を自由に使って構わん。大陸内全てをまわれ」
「ちょっとお父様…大陸中って流石に…」
自分でも無茶な指示を出していることは、フローヴェルにもわかっていた。
今すぐに動かせる者はそう多くは無く、エヴァルトに頼む他無かった。
しかしその指示を受けたエヴァルトは、ひとつの動揺も見せず、強い眼差しで主君を見つめていた。
「陛下、憶えていらっしゃいますか。かつて私が…陛下や国が窮地に陥った際、自分が道を斬り開く剣となりたいと願ったこと…」
「…無論だ」
「今がその時と言えましょう…国内のことは全てお任せください」
立派に成長したかつての少年を前にし、そしてその力強い言葉を受け、フローヴェルは笑顔で告げた。
「エヴァ…立派になったな。今のお前になら安心して任せられよう…頼んだぞ」
「アリシア。お前にはヴァルハラへ向かって欲しい」
「まぁそう来ると思っていたけどね。任せて頂戴」
ヴァルハラへ入れる者は多くない。
大天使であるアリシア。
そして今では魔王となったが、かつてヴァルハラを救った英雄、叛逆神フローヴェル。
そんな彼らの娘である真宵、以上3名のみだった。
そんな中でかつて師団長を務めた大天使であり、現在のヴァルハラにおいても発言力が期待できるアリシアを選んだのは当然の人選と言えよう。
「ヴァルハラも混乱しているだろう、まずは親父と共にヴァルハラの混乱を治めてくれ」
「グレゴリウス様は間違いなく記憶を引き継いでいそうだしね…」
ヴァルハラを治める大天使、グレゴリウス。
神格を有するにまで至った彼は、フローヴェルすら上回る力を持つ。
そんな彼が記憶を失っているということはまず無いだろう。
「その通りだ。あちらが片付けば今後の助力も期待できよう」
「あら、お父さんに頼っちゃうの?いつもは自分でやるって聞かないのに」
「この俺とて学んだと言っているであろう。もう「自分さえ犠牲になれば」などとは考えんよ。ああ、それから「馬鹿ども」に関してだが」
「第4師団の皆のこと?」
「彼奴等には記憶の有無に関わらず、真実を話して構わない」
「…それで大丈夫なの?」
「ああ。あの愛すべき馬鹿どもは、たった数年の記憶が無かろうと…何も言わずに力になってくれるであろう」
「……そっか、そうだね」
過去を思い出すかのように目を瞑ったフローヴェルを見て、アリシアは優しい笑顔で頷いた。
「真宵。お前は学園へ行け」
「学園ね、わかったわ」
「教師達も記憶を失っているかもしれぬ、まずは記憶を引き継いでいる教師を洗い出せ」
「その次は生徒かしら」
「ああ。記憶を引き継いでいる生徒はこれから先、何度も同じ内容を学ぶことになってしまう。そう言った者達を集めて特別学級を組織してくれ」
「わかったわ。可愛い後輩達の為だしね…頑張って来るわ」
「頼りにしているぞ、愛娘よ」
「メリーベル、お前は配下の魔王達の元へ向かい、状況を説明しろ」
「あいつらのところかぁ…ま、いいわ。引き受けてあげる」
「彼奴等も一筋縄ではいかぬ問題児ばかりだからな。それなりに力のある者が行った方が早い。お前が行けば彼奴等も大人しく言うことを聞くであろう」
「各自領地の管理をしっかり行うように伝えておくわ。後は…一度王都に集めた方がよさそうね。日取りを決めておくわ」
「察しが早くて助かる、頼んだぞ」
「ノワール、お前はドゥルニール領だ」
「畏まりました、陛下」
「お前の父、領主オルトヴィーンが記憶を引き継いでいるかどうかはわからぬ。引き継いでいないようなら状況を説明しろ。その後のことは言わずともわかるな」
「ええ。イリアスフィーナで最も広大な領地。責任を持って治めて参ります」
「それでいい。最高司令官をわざわざ派遣する意味、理解しているようで何よりだ」
「俺は王都を見て回る。まずは民を落ち着けねばな。何かあったら転移門ですぐに報告に参れ。さぁ動け、新たな時を刻む為に!」
──イリアスフィーナ王国、議事の間
「納得できません…!王である貴方御自ら視察へ出向くなど!」
今日は王国の定例会議。
国をより豊かにする為に、人間達の国へ視察へ出向く。
そう提案したフローヴェルに対し、腹心であるノワールが難色を示す。
尤も彼女のそれは演技であり、この会議の着地点は既に決まっている。
記憶を引き継いでいない者達へのパフォーマンスとしての会議だった。
「不満があるなら申してみよ、ノワール」
「陛下がご不在の間、国はいかがされるおつもりなのですか!」
「俺が不在の間は、全権を王妃達に委ねる。俺自身も週に何度かは戻るつもりだ。それでも問題があるのか?」
王妃や司令官を始めとする国の重役達が皆すんなりと承諾してしまったのでは、他の者に怪しまれる。
そういった点からノワールは王の命により、あえて反対派を演じているのだった。
雛鳥達に試練を与えるとは、即ち人間と戦うということ。
万が一のことで家族には傷付いて欲しくない。
故にフローヴェルは自らがブリアティルトに赴くことを望んだ。
「ちなみに私も一緒に行くわよ。いいわよね、お母様」
「…え?」
これは完全に真宵のアドリブだった。
八百長の会議に託けて、自らの同行も許可させてしまおうという真宵の作戦である。
「フローヴェル…あなたのそういうところは今に始まったことでは無いので、今更何を言っても仕方ありませんが…真宵に何かあったらと思うと心配ですね。ノワール…あなたも一緒に行ってくれますか?」
ちなみにこれもアリシアのアドリブだった。
娘の突然のカミングアウトに動揺はしていても公の場に出る際の「王妃としての口調」を崩していないのは流石だった。
「わ、私ですか…!?」
一方、王妃直々に指名されたノワールは完全に素の状態で、目を丸くしていた。
それもそのはず、会議の内容が明らかに筋書きと異なっているのだ。
「よし、決まりだな。真宵、ノワール、準備にかかれ」
「楽しくなりそうね、お父様」
「どうして私まで…うう…」
アドリブ会議を無理矢理まとめたフローヴェルは楽しそうに告げた。
こうして彼らの遠征が決定したのだった。
向かう先は遥か南方、ブリアティルト大陸。
人間達が治める5つの勢力が犇めき合う戦乱の地。
未だ統一されていない地で、異大陸の覇者はどのような物語を紡ぐのか。
無論、それは誰にもわからない。
彼らと共に次なる物語を紡ぐのは貴方なのだから。
あるところに こころやさしいおうさまがいました
おうさまはくにのひとびとを かぞくのようにあいしていました
くにのひとびとも おうさまのことがだいすきでした
あるひ とてもふしぎなじけんがおきました
それいらい やさしかったおうさまはかわりはて
ひとびとをおそうようになってしまいました
やさしいおうさまは ざんこくなまおうになってしまったのです
「さぁ、人間よ。そなたに試練を与えよう」
-Fin-
──イリアスフィーナ王国、議事の間
「死霊の軍勢?」
昼下がりの会議室。
手元の資料に目を通したフローヴェルは、眠気を押し殺したような声色で聞き返す。
如何に軍事会議とはいえ、食後の睡魔には抗い難いのだろう。
「どうやら冥界より現れし死霊達が、我が国に向かって進軍しているようです」
会議の場を取り仕切る騎士団長エヴァルトが、眠そうに目を擦る君主に詳細な説明を行う。
「低俗な亡者の分際でこの地を狙うとは…良い度胸だ」
「死霊って…幽霊のこと?そんなものが実在するのかしら」
魔王の娘、真宵が死霊の存在そのものに疑問を投げかける。
いきなり幽霊がやってくるなどと言われれば、それも当然の反応だろう。
「エーテル体やアストラル体とでも言った方が理解し易いか。強い怨念を抱いて死んでいった者は、死後自らの魔力により肉体…即ちエーテル体を形成することがある」
議題に興味を持ったのか、先刻から欠伸を連発していたフローヴェルが世に言う「幽霊」を理論的に説明する。
「しかしエーテル体に自我を持つ者は少なく、今回のように統率のとれた動きは難しいかと思いますが…」
イリアスフィーナ最高司令官ノワールが疑問を呈する。
死した後、肉の器を捨てエーテル体を形成する際に、殆どの霊は自我を失う。
しかし向かって来ている死霊達は、1つの軍として統制がとれているという。
「自我を持つ上位種が下級霊を率いていると見るのが妥当、かしらね。強力な死霊ならそれが可能よ」
王妃アリシアがノワールの分析に補足を加える。
魔族と同様に、霊にも「格」というものがある。
最上位に位置する死霊は上級悪魔や高位精霊にも近しい存在となり、自我は勿論のこと、それ以外にも強力な力を得る。
「我々も同様の見解です。大陸内に侵攻されると厄介、最北端に隊を配置し死霊を迎え撃つべきかと」
「異論無い。しかしエヴァルトよ、貴様は霊体と戦ったことはあるのか」
「いえ。お恥ずかしい限りですが、一度も…」
「彼奴等に剣や弓による攻撃は効き難い。魔導師を多く連れて行け。特に炎や光の魔法を使える者が良い」
「は!了解しました」
「兵士達の武器には私が光の加護を授けましょう。少しは戦えるようになるはずです」
「そ、そんな王妃様の加護など恐れ多い…!」
「死んで彼奴等の仲間になってしまっては笑えぬ、貰っておけ。アリシア、頼むぞ」
「それではエヴァルト。後程、皆を集めてもらえるかしら」
「は!身に余る光栄です。必ずや祖国を護ってみせましょう」
──イリアスフィーナ王国、謁見の間
軍事会議から一週間が経過し、大陸の北端では王国軍と死霊軍の戦が始まっていた。
謁見の間には伝令の兵士と、玉座に座り兵士からの報告に耳を傾けるフローヴェル、そして真宵の姿があった。
「──以上の事柄から、現時点では我らイリアスフィーナが優勢となっています」
「そうか、よくやった。伝令ご苦労であったな、下がって良いぞ」
「はっ!失礼致します」
伝令役の兵士が見えなくなると、傍らに控えていた真宵がぽつりと呟いた。
「こんなものなの?死霊って」
真宵は暗に拍子抜けであると告げていた。
「如何に大半が下級霊の軍勢とはいえ、些か容易すぎるな。敵が策を巡らせている可能性も捨てきれぬところだ」
「こちらの戦力を見極めている可能性や今侵攻している死霊達が尖兵である可能性は?」
「…有り得るな」
玉座に君臨するフローヴェルと、それに寄りかかるように寄り添う真宵。
静まり返った謁見の間で、親子は此度の戦について議論を重ねるのだった。
それから数時間が経過した。
「伝令!伝令です…!」
兵士の1人が息を切らしながら、広間に飛び込んで来る。
その様子からして、緊急を要するものと容易に推測することが出来る。
「何事だ」
焦る素振りを一切見せず、フローヴェルが口を開く。
「て、敵の将が姿を現しました!現在エヴァルト団長が応戦していますが、状況は不利と言えます…!」
「ほう…我が国が誇る剣聖を手玉に取るか。中々に骨がありそうだな」
「…幽霊に骨はあるのかしら」
「くっくっく…その通りだな、真宵よ」
「へ、陛下…それに王女殿下…御冗談を言っておられる状況では…!」
無論そんな状況でないことはフローヴェルも承知していた。
それ以上にこういった状況で上に立つ者が狼狽えては、国全体に不安が蔓延することを、彼は知っていた。
「承知している。それで、援軍の要請か?」
「いえ、敵の将が陛下に会わせろと要求しており…」
恐らく増援を寄越せといった内容であろうと推測していたフローヴェルは、予想外の内容に目を丸くした。
「まぁよかろう。どのみちエヴァが押されるような相手であれば、俺が出向くのが最善か」
フローヴェルは玉座から腰を上げると、娘に向き直った。
「真宵、しばし国を預けるぞ」
「仕方ないわね、留守番は任されてあげるわ。いってらっしゃい、お父様」
「ご多忙のところ恐れ入ります…!転移門の用意があります、こちらへ…!」
そう言いながら先導する兵士と共に、フローヴェルは部屋を後にした。
──イリアスフィーナ最北端、クロシアン海岸
「くっ…これほどとは…!」
大陸最北端の海岸では、騎士団長エヴァルトと…桃色のドレスを纏った金髪の少女が相対していた。
小柄な体と幼い顔立ちの少女は一見すると良家の子女のようにも見えるが、その雰囲気は明らかに異質だった。
「全く…面倒ね。さっさと死んでくださらない?」
悲痛な叫びをあげる死霊達に馬車を引かせ、その上に座する少女は退屈そうに呟いた。
周囲には王国軍によって倒された死霊の残骸、そして傷付き倒れる王国軍の兵士達の姿があった。
お互いに戦える戦力は自分のみ。
そんな状況でありながら少女の立ち振る舞いには余裕が感じられた。
「まだだ…貴様を祖国へ入れるわけにはいかない…!」
死力を振り絞り、エヴァルトが剣を握る手に力を込める。
「あなたはもう飽きたって言ってるでしょう?さっさとフローヴェルを呼べば助けてあげるって言ったのに」
少女がその手に魔力を集中させる。
暗澹たる魔力は死霊の怨念へとその質を変化させ、少女の周囲を取り巻いていった。
「さようなら。霊術・デッドリーテラー」
死者の魂を統合したエネルギーの塊が、エヴァルトに向けて放たれる。
「くっ…申し訳ありません…陛下…!」
「禁術・シャドウフレア」
突如後方より放たれた黒色の光は死霊の魂を燃やし尽くし、有り余る魔力はその余波で少女が座する馬車をも屠った。
「不敬にもこの俺を呼び付けたのは貴様か、女」
黒色の光を放った主フローヴェルが転移門よりその姿を顕現させ、着弾の瞬間に転移したであろう未だ身綺麗な少女を睨み付ける。
「あら、そうよ?あなたがフローヴェルね…ふぅん、思ったよりいい男じゃない」
「陛下…」
「遅くなってすまなかったな、エヴァ。医療部隊を連れてきた、これより負傷者の手当てに当たらせる」
幼き日の自分が囚われた日、助けに来たフローヴェルにかけられた言葉。
エヴァルトはその言葉に、未だ自分が未熟であることを思い知らされると共に、絶大な頼もしさを感じていた。
「ちょっと!私を無視しないでもらえるかしら!フローヴェル!」
「…煩い小娘だ。霊にも騒がしい者はいるのだな」
フローヴェルが心底鬱陶しそうに少女を見据える。
「腹が立つ男ね、小娘じゃなくてメリーベルと呼んでもらえるかしら。冥界の姫を前にして図が高くてよ」
「貴様が姫だろうが俺は王だ、敬意を払う必要は無い。そもそも何故貴様は俺の名を知っている、何の為に我が国へ攻め入った」
「あら、簡単な話よ。私の目的の達成の為に力のある手下が欲しくてね。それなりに名の知れた魔王であるあなたなら適任だと思わない?」
「…目的?」
「それを今のあなたに言う必要は無いわ。私に隷属して…そうね、首輪でも付けたら教えてあげる」
「…不愉快な小娘だ。しかしながら、叶わぬ夢を口にする様は可愛らしくもあるな」
「ちょうどお気に入りの馬車を壊されてしまったことだし…まずは代わりに馬車でも引いてもらおうかしら!」
「その愚かな願い、打ち砕いてくれよう…!」
──────────────────────────────
「さて、小娘。確か先刻、誰かに首輪を付けると申していたな」
「ひっ…!」
「馬車馬にするとも聞こえた気がするが…俺の気の所為だったか」
「え、ええ!きっとそうよ…!」
「と、申しているが…お前達、どうだ?」
フローヴェルが治療中の兵士達に尋ねる。
「陛下、俺も聞きましたぜー」
「私も、この両の耳でしっかりと」
「陛下に犬耳付けて散歩に連れていくとかぬかしてやがったな」
「そ、それは言ってないわ!」
メリーベルが慌てて否定する。
が、その瞬間フローヴェルに小さな頭を鷲掴みにされる。
「ほう…それ以外は確かに申した、ということで相違無いな」
「いえいえいえ滅相もございません…!」
勝負は一瞬でついた。
確かにメリーベルは上級の魔族すら軽く超える力を有していた。
しかし、基礎戦闘能力、魔力、経験。
フローヴェルはそのいずれをとっても少女を上回って余りあった。
特に経験の差に寄る部分は大きく、勝負になるはずも無く現在に至る。
「さて、この小娘。どうしてくれようか」
「イリアスフィーナに弓を引いたのです、処刑でよろしいのでは?」
治療を終え、傍らに控えていたエヴァルトが進言する。
「しかしエヴァルト。既に死している死霊を処刑して何の意味がある」
「そ、それは…」
「扱いに困るな…とりあえず投獄しておけ。転移を封じる結界を忘れるな」
「あら、この私を捕虜にするつもり?それならふかふかのベッドがあるお部屋で…」
「黙れ小娘」
──イリアスフィーナ王国、地下牢
「メリーベル、お前の処遇が決定した」
薄暗い地下牢。
結界札に囲まれたその牢獄内の前で、フローヴェルが口を開いた。
「…好きにしなさい」
牢獄内で静かに佇む少女が小さく呟く。
「そう邪険にするな。取って食おうとは思っていない」
「…何をさせるつもり?」
「お前には俺の召使いとして働いてもらう」
「…へ?」
「明日より勤務開始だ。部屋を宛がってやる故、今日のところは休むが良い」
「敵の将である私を引き入れるつもり?どうかしてるわ」
「我々も人手が足りているわけでは無いのでな。霊の手も借りたいと言ったところだ」
「私が隙をついてあなたを襲う、とは考えないの?」
「好きにしろ。どうせお前の力量ではこの俺に対して何も出来まい」
フローヴェルはそれだけ呟くと、静かに牢獄を後にした。
──イリアスフィーナ王国、王室
「陛下、おはようございます」
翌朝。
侍女に優しく起こされ、フローヴェルは目を覚ました。
眠い目を擦りつつ、ベッドから起き上がる。
「ほら、メリーベル!あなたも陛下にご挨拶よ!」
「うぅ…お、おはようございます…」
そこにはメイド服に身を包んだメリーベルが立っていた。
「くっくっく…中々に似合っているじゃないか、メリーベル」
「うるさい!この馬鹿!」
「メリーベル!あなた新入りの癖に陛下になんて口を…!」
「良い、好きにさせろ。無論、業務に支障が生じるようであれば罰を与えて構わぬが」
「畏まりました。メリーベル、まずは陛下の髪を梳かして差し上げなさい。これからはあなたの仕事よ」
「どうして私がこんなこと…」
メリーベルが渋々櫛を受け取り、フローヴェルの髪を梳いていく。
「っ…下手糞め、もっと丁寧にやれ」
「そんなこと言われたって、こんなことしたことないんだから仕方ないでしょ!今まではやってもらう側だったんだから!」
「メリーベル、「女子力」というものを存じているか」
「何よそれ。知るわけないでしょ」
「民から聞いた話なのだがな。女が持つ女としての力、器量、魅力。そういった類を数値化したものらしい」
「そ、それがどうしたのよ…」
「お前の女子力は間違いなく0だ」
「…な、何を…!」
「確かにこれは…酷いですね」
傍らに控えていた侍女が頷く。
「であろう?冥界では子女の教育も行っていないのか。そもそも死する前はどうしていたのか」
「し、仕方ないでしょ。生前の記憶なんて持ってないんだから…」
メリーベルが何処か寂しそうに俯く。
「ならばこれから出来るようになっていけばいい、期待しているぞ」
フローヴェルが少女の頭にぽんと手を置き、優しく告げた。
それから数か月の月日が流れた。
月が夜空を明るく照らす時間。
夕食を食べ終え寛いでいたフローヴェルの部屋に、来客が訪れる。
「入れ」
コンコンと扉を軽く叩かれ、フローヴェルは扉の向こうにいる者に入室を促す。
「フローヴェル、ちょっといいかしら」
フローヴェルの言葉を受けて部屋に入って来たのは、霊体の少女メリーベルだった。
霊体である彼女ならばそもそも壁などすり抜けられるのだが、そうしないのは彼女なりの礼儀だった。
「メリーベルか、何の用だ?」
「あら、侍女は用が無ければ主人の元へ来てはいけないの?」
「何の用かと尋ねただけであろう…来るなり面倒な奴だ」
「顔に書いてあるのよ、顔に」
言葉では面倒と言いながらも、フローヴェルは自らの部屋を訪ねてきた少女を自室に招き入れる。
「ねぇ、フローヴェル。今日のお夕食どうだった?」
「悪くなかったな、俺好みの味付けだった。シェフもさぞ工夫を凝らしたことであろう」
「ふふふ」
「…?」
「残念でしたー!あれを作ったのは私よ」
「なんだと……くっ」
「あら、訂正してももう遅くてよ?あなたの本音はしっかりと聞かせてもらったわ。このメリーベル様の作った夕食がとびきり美味しかったって…ねえ?」
「謀ったな小娘が……と言いたいところではあるが、美味であったのは事実。素晴らしい成長だ、褒めて遣わす」
「あら、素直じゃない。…まぁ、アリシアお姉様のおかげなんだけどね」
フローヴェルに頭を撫でられ若干照れくさそうにしていたメリーベルが白状する。
「お前がアリシアに師事していたのは知っている。それを含めても、素晴らしい成長だと言っている」
「お姉様に教われば誰でも上達する気はするけどね、お姉様だし」
「……随分と仲良くなったものだ」
「ところでフローヴェル、今の私の女子力はどれくらいかしら?」
メリーベルがさも自信ありげに胸を張る。
自信でも納得のいく成果だったのだろう。
「ふむ、53万程度か」
「それ高いの?」
「惑星を1つ征服出来る程度の女子力だそうだ」
「ふーん、相変わらずよくわからない数値ね…」
そうは言いつつも満更ではない様子のメリーベルを見つめ、フローヴェルは呟いた。
「アリシアに対してもそうだが……随分とこの国に馴染んだものだな」
「おかげさまでね。ここはいいところよ、自分が霊であることを忘れてしまいそうになるくらい」
「イリアスフィーナはかつての俺が描いた夢そのもの。そう感じてもらえたなら王としてこれ程嬉しいことはない」
「……だからこそ、この国はあいつらなんかに渡せない」
メリーベルがそれまでとは一転して真剣な表情でぽつりと呟いた。
彼女が抱いている不安、それを聞き出す為にフローヴェルは問いかける。
「…?あいつらとは誰のことだ」
「冥界の王族よ…とてつもない力を持った死霊の王の軍勢」
「お前の仲間がお前を取り戻しに来るとでも言うのか」
「その逆よ…生者に破れた恥晒しの後始末に来るのでしょうね。あなたが気にする必要はないわ。元々彼らとは考えが合わなかった…生者を皆殺しにして死霊の王国をつくるとか興味無いのよ。だから私はこの国を攻め落としてあなたを従え、霊王を倒すつもりだった」
「……なるほど、目的とはそのことか」
「そうよ。あなたほどの魔族なら…倒すまでとはいかなくても、致命傷くらいは与えられると思ったから」
「メリーベル、お前の事情は大体把握した。どのみちこのままではイリアスフィーナも狙われるのであろう。であれば然るべき備えはしておかなくてはな」
「いいえ、その必要は無いわ…」
それまで真剣な口調で通していたメリーベルが、突如穏やかな笑顔を見せた。
「…何?」
「私の策は…あなたを捨て駒にし、霊王に致命傷を与えることだった」
「俺が勝てないと思われているのは心外だが…まぁ良い、続けろ」
「でも、今の私にそれはもう出来ない。この国と…あなたを愛してしまったから」
メリーベルは寂しそうに呟き、儚く笑ってみせた。
「ならば何も問題は無い。我が闇の力の前では死霊と言えど跪く。俺がその霊王とやらを下す、お前はこれからもここにいれば良い」
拒絶の意味を込め、メリーベルが静かに首を振った。
「霊王は冥界に巣食う死霊の怨念を常に吸収し続けている。その結果、闇の力に対する絶対的な耐性を持っているの…いくらあなたでも倒すことまでは出来ない」
「お前と戦った時が全力だと思っているのなら勘違いも甚だしい。そもそも…」
そう言いかけたところで、彼が次に紡ごうとしていた言葉はメリーベルの唇によって塞がれた。
「大好きよ、フローヴェル……ごめんね」
「待て…っ…お前、何をした…!」
突如襲い来る強烈な睡魔に抗いながら、フローヴェルが恐らくの原因であろう少女を問い詰める。
「催眠魔法よ…勿論それだけじゃ効かないでしょうから、食事に薬も混ぜたけど」
「そういう…ことか…だからお前は…料理を振る舞うなどと…」
「勿論それもあるけど…本当は最後に…あなたに私の手料理を食べてもらいたかったの。いっぱい練習したから」
「最後…だと…何をする…つもりだ…!」
「あいつらは私が命に代えても止めるわ…元々死んでるけどね。あなたはそのまま寝ていればいい。本来なら一週間以上目が覚めないでしょうけど…きっとあなたなら数日で目を覚ますわ」
「やめ…ろ…馬鹿な…真似は…する…な…」
「さようなら、フローヴェル。短い間だったけれど…あなたの傍にいられて幸せだったわ」
静かにベッドに崩れ落ちた主の姿を見て、少女は部屋を後にするのだった。
翌日。
──イリアスフィーナ王国、王室
「……朝?いや、もう昼過ぎか…」
フローヴェルが辺りを見回すと、既に日は昇り切っていた。
「…寝こけてしまったか。メリーベルは何をしている、起こしにすら来ないとは…」
そう呟いたところではっと我に返る。
昨夜メリーベルと交わした会話を、薬と魔法の所為で朦朧とする記憶の中から必死に救い上げる。
彼女は自身を眠らせ、恐らく単身で敵の元へ赴いた。
寝起きの頭を全力で回転させ、フローヴェルは勢いよく部屋から飛び出す。
「へ、陛下…!?いかがなさったんですか、そんなに慌てて…」
「丁度良い、メリーベルはどこにいる…!」
手近なところにいた侍女を捕まえメリーベルの所在を尋ねるが、侍女はきょとんとした表情で答えた。
「メリーベル…ですか?そういえば今日は見ていませんね…どうしたのかしら」
「あの小娘…!早まったな…!」
「え、ちょ!陛下!どちらへ!」
「しばらく出てくる!皆に伝えておけ!」
それだけ告げるとフローヴェルは黒い霧状の魔力に包まれ、その場から消え去った。
──イリアスフィーナ最北端、クロシアン海岸
数か月前、まだ敵同士であったフローヴェルとメリーベルが戦った海岸。
その海岸に、再び少女は立っていた。
以前はフローヴェルが立った側…国を守る者が立つ側に。
その周囲には夥しい数の死霊の遺骸。
そして少女の眼前に相対するは、悍ましくも威厳のある風貌の骸骨。
一目で死霊達の王であると見て取れる強大な敵を前に、メリーベルは一歩も退かずに戦っていた。
「解せん…解せんな、メリーベルよ。腐っても冥界の姫の1人である貴様が、何故生者の肩を持つ」
地獄の底から響くような声で、霊王は自分達を裏切った少女を糾弾する。
「きっと…あなたには未来永劫わからないでしょうね…霊王」
「そんなにこの地が大切か。ならば貴様が倒れた後はこの地を我ら死霊の千年王国としよう」
「…そんなこと、させるわけないでしょこの骸骨…!」
メリーベルの手から霊術が発せられる…が霊王の周囲に揺蕩う死霊の壁に阻まれ、霧散する。
「この数が相手だ…万に一つも貴様に勝機が無いことはわかっておろう。今許しを乞えば罰を与える程度で許してやろうて」
「私はここで消えてもいい。でも…この国と…この国に住む人達は守ってみせるわ…!」
「愚かな。貴様程度の小娘が足掻いたところで、この国の運命は何も変わらぬ…!禁霊術・アンギッシュ…!」
「あああああああっ!!!!」
呪詛のような言霊がメリーベルの脳内に入り込み、メリーベルの精神に直接苦痛を与える。
「つまらぬ。さっさと忌まわしき生者達の国を落としに参ろうか」
「…待ちなさい…まだ…終わってないわ…」
メリーベルがよろめきながらも、再び立ち上がる。
「我が攻撃を受けてなお精神が崩壊しておらぬのは称賛に値するが、最早貴様には何も出来まい」
「やってみなきゃ…わからない…でしょ…っ…」
既に魔力も体力も限界を超えているメリーベルは、ついに自らの体を支えることも出来ずに、緩やかに地面に崩れ落ちていった。
その瞬間。
辺りに闇の魔力が広がり、それまで何も無かった空間から金髪の男が現れた。
倒れる寸前だった少女の体を抱き抱え、金髪の男は怒りに満ちた表情で霊王を見据えた。
「ほう、貴様がこの地の王か。なかなかどうして、良い面構えではないか」
「黙れ」
「今何か申したか。何やら無礼な言葉が聞こえた気がしたが…」
「二度言わせるな、黙れ」
普段ならば鋭い眼差しの中にも優しさを湛えていた魔王の碧い右目は、氷のように静かな迫力を宿し、霊王を唯々睨んでいた。
「フローヴェル…あいつと戦っちゃ駄目…早く逃げて…」
彼の腕に抱き抱えられたメリーベルが、精一杯の力で言葉を絞り出す。
「…小娘の分際で出張るからこうなる。後は寝ていろ」
フローヴェルはその場に少女を寝かせ、霊王へと歩を進める。
「大人しく忠告を聞いておれば、失わずにすんだ命もあったかもしれぬと言うに…」
「独断で飛び出した小娘がどうなろうと俺の知ったことでは無いが…少々腹が立った」
「強がりはよせ。魔王と言うから少しは期待していたが…人型の魔王とはな。悪魔や魔獣型であれば多少は面白くなったろうに、これでは楽しめそうもない」
その瞬間、フローヴェルの周囲に溢れていた闇の魔力が術者の元へと集まり、魔王の背に6枚の翼を成した。
「俺が人型だと言ったか、骸骨」
「ほう、堕天使…!魔神型とは…このような地で貴様のような希少種に出逢えるとは思っていなかったぞ…!」
霊王は品定めをするかのようにフローヴェルを眺める。
その姿は自身が負けるなどとは微塵も思っていない、強者の傲りとも言える絶大なる自信から来る姿であった。
「しかとその空虚な眼に焼き付けておくが良い。貴様を屠る相手の姿をな」
「素晴らしい!実に素晴らしい!これ程の器に出逢えるとは…!お主の体を奪えば、この世界から生者を一掃することも容易かろう…!」
「よく喋る骸骨だ、目障りなことこの上無い。消え失せろ……古代禁呪・レディッシュヘル」
フローヴェルの右手に宿りし漆黒の魔力、左手に宿りし真紅の魔力がそれぞれ天へと昇り、さながら血の雨のような赤黒い流星雨となって大地に降り注ぐ。
「ハーッハッハッハ…!凄まじい魔力…だが所詮は闇の力!存在そのものが闇の化身である我には効かぬ…!」
「…メリーベルの言った通り、か。やはり俺の力では貴様を倒しきれぬらしいな」
フローヴェルは自嘲気味に首を竦めて呟く。
「ほう…?もう諦めると申すのか、堕天使の王よ!あの小娘ですら貴様より抗ってみせたぞ!それでも勝負を投げると言うのならそれもよい…朽ち果てろ!禁霊術・デッドインパルス…!」
霊王から夥しい数の死霊が放たれ、全方位からフローヴェルに襲いかかる。
「早まるな、誰も諦めるなどと言ってはいない…バニシング・ポイント!」
フローヴェルの周囲の空間に数々の黒い渦の様な亀裂が生まれ、襲い来る死霊を吸収していく。
しかし死霊の数の方が圧倒的に多く、亀裂をすり抜けた死霊の怨念がフローヴェルを襲う。
「くっ…王を名乗るだけのことはあるな…なかなかに効く」
「我に刃向ったこと、今更悔やんでも遅いぞ…ハァーハッハ!」
「俺は…この国を愛している。そしてこの国に住まう家族達を心より愛している」
「ほぉう…ならばどうする、地に額を擦りつけ許しを乞うとでも申すか」
「かつては貴様の配下であったとしても…今のメリーベルは俺の家族だ。貴様には家族を傷付けた罪を贖ってもらう」
「その闘志は見事なものだが、貴様の力は我には通じぬ。足掻いたところで結果は見え透いておろう」
「返す言葉も無い。故に、少々卑怯な手を使わせてもらうぞ」
フローヴェルが両手を大きく広げ、自身の全ての魔力を解放させる。
「俺には父親がいてな…今ではそれなりに尊敬してやっているが、昔はとにかく親父が嫌いで仕方なかった」
「…何を申すかと思えば。それは遺言のつもりか?」
「親父と本気で戦ったこともある。その際、人間としての命と引き換えに親父の力を半分奪ってやった」
「思い出話に付き合う気は無い。消え失せよ…!」
フローヴェルの話を打ち切り、霊王は先程の数倍はいるであろう膨大な数の死霊を放った。
「親の力に頼るのは些か癪だが、家族を守る為にはそれもまた仕方あるまい」
「禁霊術・ヘル・スクリーム!」
その瞬間。
フローヴェルに放たれた死霊は、彼が軽く手を払っただけで、その全てが無へと帰した。
「祈れ、貴様自身の行く末を。これより先は神の領域…低俗な霊如きが太刀打ち出来るなど努々思うなかれ」
先刻までよりも更に威厳に満ちた声でそう告げる魔王。
彼の6枚の翼のうち半分、3枚は神々しい魔力に包まれた純白の翼に変化していた。
普段は髪で隠れている左目は彼の怒りを象徴するかのような真紅を湛え、霊王を見据える。
「おのれ…何をしおった…堕天使の翼が光を取り戻すなどありえぬ…」
「物好きな女神達がいてな。流石に完全に天使へと戻ることは不可能だが、半分程度ならば昔の姿に戻ることが出来る。何れにせよ今の貴様がすべきことは懺悔のみと知れ」
「翼が白くなっただけで、随分と偉そうではないか…!気に入らぬ…大禁霊術・スクリームオブゴースト!」
「天帝・レイオブジェネシス」
霊王が術を行使するよりも早く、フローヴェルが放った光の波動の前に、霊王の配下である死霊達は一瞬で浄化された。
「馬鹿な…このようなことが…有り得ぬ!断じて有り得ぬ…!」
「光に裁かれよ…セフィラ・ゲート」
「貴様ああああ!!!許さん!許さんぞ…!」
夕日で朱く染まる空を割って、巨大な箱舟が姿を現す。
霊王の頭上遥か天空に現れたその箱舟は、船底の巨大な砲門を開き…人智を超えた質量の光を霊王へと投下した。
「馬鹿な、馬鹿なあああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!」
「…終わったぞ、メリーベル」
フローヴェルは離れた場所で横たわるメリーベルの元へと近付き、彼女を抱きかかえた。
「…見てたわ。何よあれ…そんなに強いなら先に言いなさいよ」
「あれは親父の力。俺の実力では無い。それに一時的とはいえ天使の力を顕現させると、酷く疲れる」
「そう。でもよかった、あなたもこの国も無事で…」
「帰るとしよう、我らが愛するイリアスフィーナへ」
──イリアスフィーナ王国、メリーベルの部屋
霊王の襲撃から数日が経過した。
「……うぅん」
自身のほぼ全ての魔力を使い果たし眠りについたメリーベルは、数日間の魔力充電の後、ようやく目を覚ました。
「メリーベル…!やっと目が覚めたのね…よかった…」
彼女の看病をしていた侍女が安堵の声を漏らす。
「そっか…私…うん…もう大丈夫。ありがとう」
「陛下もきっとご安心なさるわ、本当によかった…」
ふとメリーベルが顔を上げると、侍女の隣で椅子に座ったまま寝入っているフローヴェルが視界に入った。
「…フローヴェル?」
「あなたが寝ている間、ずっと陛下が魔力を分け与えていたの…早く回復するようにって。自分も相当無茶した後なのにね」
「…何をやってるのよ、あなたは」
メリーベルはそう呟きながら、気持ちよさそうに眠る主人を見つめた。
「今は少し疲れて寝てしまわれたけど…陛下の方は心配無いわ。流石はうちの王様ね」
「…そう」
「あなたも目を覚ましたし、私は仕事に戻るわ。陛下はもう少し寝かせておいてあげて」
それだけ言い残すと、侍女は部屋を後にした。
「フローヴェル…ありがとね」
聞こえるはずのない感謝の言葉。
それでもメリーベルは言わずにはいられなかった。
「…ああ、大いに感謝するが良い」
「…え?」
返ってくるはずの無い言葉。
それは幻聴や空耳の類ではなく、確かに彼女の耳に届いた。
「…起きてたの?」
「お前達の会話が聞こえてな…」
フローヴェルが欠伸をしながら答える。
「…今更訂正するつもりもないわ。フローヴェル、本当にありがとう」
「礼は受け取っておくが…真に礼を言うべきは俺の方だ。手段に問題こそあったが、この国を護ろうとしてくれたこと…感謝する」
「べ、別にお礼を言われるほどのことはしてないわよ。ただこの国はちょっといいなぁって思ってたから、あんなやつにこの国が汚されるのが嫌だっただけよ」
「メリーベル」
「なぁに?」
「俺の女になれ」
唐突に告げられた言葉に、メリーベルは思わず赤面する。
「え、え…?」
「お前には王妃の1人として、今後もこの国を護って欲しいと思う。そして願わくば、この俺のことも支えて欲しい」
「え…いやそれは…嬉しいけど…突然すぎると申しますか…」
「…返答は?」
「…喜んで」
「ふっ…ならば今後ともよろしく頼むぞ、愛する我が妻よ」
フローヴェルはそう言うなり椅子から立ち上がり、メリーベルを抱き締めた。
「し、仕方ないからよろしくしてあげるわ…仕方ないから…」
かくしてイリアスフィーナ王国に新たな王妃が誕生した。
霊姫メリーベル。彼女の働きにより、イリアスフィーナは更なる発展を遂げる。
広大な国土、豊かな経済、高い文化。
彼らにとって、イリアスフィーナにとって、全てが順調だった。
刻碑歴1000年。
ある事件が起きるまでは。
-Fin-
「死霊の軍勢?」
昼下がりの会議室。
手元の資料に目を通したフローヴェルは、眠気を押し殺したような声色で聞き返す。
如何に軍事会議とはいえ、食後の睡魔には抗い難いのだろう。
「どうやら冥界より現れし死霊達が、我が国に向かって進軍しているようです」
会議の場を取り仕切る騎士団長エヴァルトが、眠そうに目を擦る君主に詳細な説明を行う。
「低俗な亡者の分際でこの地を狙うとは…良い度胸だ」
「死霊って…幽霊のこと?そんなものが実在するのかしら」
魔王の娘、真宵が死霊の存在そのものに疑問を投げかける。
いきなり幽霊がやってくるなどと言われれば、それも当然の反応だろう。
「エーテル体やアストラル体とでも言った方が理解し易いか。強い怨念を抱いて死んでいった者は、死後自らの魔力により肉体…即ちエーテル体を形成することがある」
議題に興味を持ったのか、先刻から欠伸を連発していたフローヴェルが世に言う「幽霊」を理論的に説明する。
「しかしエーテル体に自我を持つ者は少なく、今回のように統率のとれた動きは難しいかと思いますが…」
イリアスフィーナ最高司令官ノワールが疑問を呈する。
死した後、肉の器を捨てエーテル体を形成する際に、殆どの霊は自我を失う。
しかし向かって来ている死霊達は、1つの軍として統制がとれているという。
「自我を持つ上位種が下級霊を率いていると見るのが妥当、かしらね。強力な死霊ならそれが可能よ」
王妃アリシアがノワールの分析に補足を加える。
魔族と同様に、霊にも「格」というものがある。
最上位に位置する死霊は上級悪魔や高位精霊にも近しい存在となり、自我は勿論のこと、それ以外にも強力な力を得る。
「我々も同様の見解です。大陸内に侵攻されると厄介、最北端に隊を配置し死霊を迎え撃つべきかと」
「異論無い。しかしエヴァルトよ、貴様は霊体と戦ったことはあるのか」
「いえ。お恥ずかしい限りですが、一度も…」
「彼奴等に剣や弓による攻撃は効き難い。魔導師を多く連れて行け。特に炎や光の魔法を使える者が良い」
「は!了解しました」
「兵士達の武器には私が光の加護を授けましょう。少しは戦えるようになるはずです」
「そ、そんな王妃様の加護など恐れ多い…!」
「死んで彼奴等の仲間になってしまっては笑えぬ、貰っておけ。アリシア、頼むぞ」
「それではエヴァルト。後程、皆を集めてもらえるかしら」
「は!身に余る光栄です。必ずや祖国を護ってみせましょう」
──イリアスフィーナ王国、謁見の間
軍事会議から一週間が経過し、大陸の北端では王国軍と死霊軍の戦が始まっていた。
謁見の間には伝令の兵士と、玉座に座り兵士からの報告に耳を傾けるフローヴェル、そして真宵の姿があった。
「──以上の事柄から、現時点では我らイリアスフィーナが優勢となっています」
「そうか、よくやった。伝令ご苦労であったな、下がって良いぞ」
「はっ!失礼致します」
伝令役の兵士が見えなくなると、傍らに控えていた真宵がぽつりと呟いた。
「こんなものなの?死霊って」
真宵は暗に拍子抜けであると告げていた。
「如何に大半が下級霊の軍勢とはいえ、些か容易すぎるな。敵が策を巡らせている可能性も捨てきれぬところだ」
「こちらの戦力を見極めている可能性や今侵攻している死霊達が尖兵である可能性は?」
「…有り得るな」
玉座に君臨するフローヴェルと、それに寄りかかるように寄り添う真宵。
静まり返った謁見の間で、親子は此度の戦について議論を重ねるのだった。
それから数時間が経過した。
「伝令!伝令です…!」
兵士の1人が息を切らしながら、広間に飛び込んで来る。
その様子からして、緊急を要するものと容易に推測することが出来る。
「何事だ」
焦る素振りを一切見せず、フローヴェルが口を開く。
「て、敵の将が姿を現しました!現在エヴァルト団長が応戦していますが、状況は不利と言えます…!」
「ほう…我が国が誇る剣聖を手玉に取るか。中々に骨がありそうだな」
「…幽霊に骨はあるのかしら」
「くっくっく…その通りだな、真宵よ」
「へ、陛下…それに王女殿下…御冗談を言っておられる状況では…!」
無論そんな状況でないことはフローヴェルも承知していた。
それ以上にこういった状況で上に立つ者が狼狽えては、国全体に不安が蔓延することを、彼は知っていた。
「承知している。それで、援軍の要請か?」
「いえ、敵の将が陛下に会わせろと要求しており…」
恐らく増援を寄越せといった内容であろうと推測していたフローヴェルは、予想外の内容に目を丸くした。
「まぁよかろう。どのみちエヴァが押されるような相手であれば、俺が出向くのが最善か」
フローヴェルは玉座から腰を上げると、娘に向き直った。
「真宵、しばし国を預けるぞ」
「仕方ないわね、留守番は任されてあげるわ。いってらっしゃい、お父様」
「ご多忙のところ恐れ入ります…!転移門の用意があります、こちらへ…!」
そう言いながら先導する兵士と共に、フローヴェルは部屋を後にした。
──イリアスフィーナ最北端、クロシアン海岸
「くっ…これほどとは…!」
大陸最北端の海岸では、騎士団長エヴァルトと…桃色のドレスを纏った金髪の少女が相対していた。
小柄な体と幼い顔立ちの少女は一見すると良家の子女のようにも見えるが、その雰囲気は明らかに異質だった。
「全く…面倒ね。さっさと死んでくださらない?」
悲痛な叫びをあげる死霊達に馬車を引かせ、その上に座する少女は退屈そうに呟いた。
周囲には王国軍によって倒された死霊の残骸、そして傷付き倒れる王国軍の兵士達の姿があった。
お互いに戦える戦力は自分のみ。
そんな状況でありながら少女の立ち振る舞いには余裕が感じられた。
「まだだ…貴様を祖国へ入れるわけにはいかない…!」
死力を振り絞り、エヴァルトが剣を握る手に力を込める。
「あなたはもう飽きたって言ってるでしょう?さっさとフローヴェルを呼べば助けてあげるって言ったのに」
少女がその手に魔力を集中させる。
暗澹たる魔力は死霊の怨念へとその質を変化させ、少女の周囲を取り巻いていった。
「さようなら。霊術・デッドリーテラー」
死者の魂を統合したエネルギーの塊が、エヴァルトに向けて放たれる。
「くっ…申し訳ありません…陛下…!」
「禁術・シャドウフレア」
突如後方より放たれた黒色の光は死霊の魂を燃やし尽くし、有り余る魔力はその余波で少女が座する馬車をも屠った。
「不敬にもこの俺を呼び付けたのは貴様か、女」
黒色の光を放った主フローヴェルが転移門よりその姿を顕現させ、着弾の瞬間に転移したであろう未だ身綺麗な少女を睨み付ける。
「あら、そうよ?あなたがフローヴェルね…ふぅん、思ったよりいい男じゃない」
「陛下…」
「遅くなってすまなかったな、エヴァ。医療部隊を連れてきた、これより負傷者の手当てに当たらせる」
幼き日の自分が囚われた日、助けに来たフローヴェルにかけられた言葉。
エヴァルトはその言葉に、未だ自分が未熟であることを思い知らされると共に、絶大な頼もしさを感じていた。
「ちょっと!私を無視しないでもらえるかしら!フローヴェル!」
「…煩い小娘だ。霊にも騒がしい者はいるのだな」
フローヴェルが心底鬱陶しそうに少女を見据える。
「腹が立つ男ね、小娘じゃなくてメリーベルと呼んでもらえるかしら。冥界の姫を前にして図が高くてよ」
「貴様が姫だろうが俺は王だ、敬意を払う必要は無い。そもそも何故貴様は俺の名を知っている、何の為に我が国へ攻め入った」
「あら、簡単な話よ。私の目的の達成の為に力のある手下が欲しくてね。それなりに名の知れた魔王であるあなたなら適任だと思わない?」
「…目的?」
「それを今のあなたに言う必要は無いわ。私に隷属して…そうね、首輪でも付けたら教えてあげる」
「…不愉快な小娘だ。しかしながら、叶わぬ夢を口にする様は可愛らしくもあるな」
「ちょうどお気に入りの馬車を壊されてしまったことだし…まずは代わりに馬車でも引いてもらおうかしら!」
「その愚かな願い、打ち砕いてくれよう…!」
──────────────────────────────
「さて、小娘。確か先刻、誰かに首輪を付けると申していたな」
「ひっ…!」
「馬車馬にするとも聞こえた気がするが…俺の気の所為だったか」
「え、ええ!きっとそうよ…!」
「と、申しているが…お前達、どうだ?」
フローヴェルが治療中の兵士達に尋ねる。
「陛下、俺も聞きましたぜー」
「私も、この両の耳でしっかりと」
「陛下に犬耳付けて散歩に連れていくとかぬかしてやがったな」
「そ、それは言ってないわ!」
メリーベルが慌てて否定する。
が、その瞬間フローヴェルに小さな頭を鷲掴みにされる。
「ほう…それ以外は確かに申した、ということで相違無いな」
「いえいえいえ滅相もございません…!」
勝負は一瞬でついた。
確かにメリーベルは上級の魔族すら軽く超える力を有していた。
しかし、基礎戦闘能力、魔力、経験。
フローヴェルはそのいずれをとっても少女を上回って余りあった。
特に経験の差に寄る部分は大きく、勝負になるはずも無く現在に至る。
「さて、この小娘。どうしてくれようか」
「イリアスフィーナに弓を引いたのです、処刑でよろしいのでは?」
治療を終え、傍らに控えていたエヴァルトが進言する。
「しかしエヴァルト。既に死している死霊を処刑して何の意味がある」
「そ、それは…」
「扱いに困るな…とりあえず投獄しておけ。転移を封じる結界を忘れるな」
「あら、この私を捕虜にするつもり?それならふかふかのベッドがあるお部屋で…」
「黙れ小娘」
──イリアスフィーナ王国、地下牢
「メリーベル、お前の処遇が決定した」
薄暗い地下牢。
結界札に囲まれたその牢獄内の前で、フローヴェルが口を開いた。
「…好きにしなさい」
牢獄内で静かに佇む少女が小さく呟く。
「そう邪険にするな。取って食おうとは思っていない」
「…何をさせるつもり?」
「お前には俺の召使いとして働いてもらう」
「…へ?」
「明日より勤務開始だ。部屋を宛がってやる故、今日のところは休むが良い」
「敵の将である私を引き入れるつもり?どうかしてるわ」
「我々も人手が足りているわけでは無いのでな。霊の手も借りたいと言ったところだ」
「私が隙をついてあなたを襲う、とは考えないの?」
「好きにしろ。どうせお前の力量ではこの俺に対して何も出来まい」
フローヴェルはそれだけ呟くと、静かに牢獄を後にした。
──イリアスフィーナ王国、王室
「陛下、おはようございます」
翌朝。
侍女に優しく起こされ、フローヴェルは目を覚ました。
眠い目を擦りつつ、ベッドから起き上がる。
「ほら、メリーベル!あなたも陛下にご挨拶よ!」
「うぅ…お、おはようございます…」
そこにはメイド服に身を包んだメリーベルが立っていた。
「くっくっく…中々に似合っているじゃないか、メリーベル」
「うるさい!この馬鹿!」
「メリーベル!あなた新入りの癖に陛下になんて口を…!」
「良い、好きにさせろ。無論、業務に支障が生じるようであれば罰を与えて構わぬが」
「畏まりました。メリーベル、まずは陛下の髪を梳かして差し上げなさい。これからはあなたの仕事よ」
「どうして私がこんなこと…」
メリーベルが渋々櫛を受け取り、フローヴェルの髪を梳いていく。
「っ…下手糞め、もっと丁寧にやれ」
「そんなこと言われたって、こんなことしたことないんだから仕方ないでしょ!今まではやってもらう側だったんだから!」
「メリーベル、「女子力」というものを存じているか」
「何よそれ。知るわけないでしょ」
「民から聞いた話なのだがな。女が持つ女としての力、器量、魅力。そういった類を数値化したものらしい」
「そ、それがどうしたのよ…」
「お前の女子力は間違いなく0だ」
「…な、何を…!」
「確かにこれは…酷いですね」
傍らに控えていた侍女が頷く。
「であろう?冥界では子女の教育も行っていないのか。そもそも死する前はどうしていたのか」
「し、仕方ないでしょ。生前の記憶なんて持ってないんだから…」
メリーベルが何処か寂しそうに俯く。
「ならばこれから出来るようになっていけばいい、期待しているぞ」
フローヴェルが少女の頭にぽんと手を置き、優しく告げた。
それから数か月の月日が流れた。
月が夜空を明るく照らす時間。
夕食を食べ終え寛いでいたフローヴェルの部屋に、来客が訪れる。
「入れ」
コンコンと扉を軽く叩かれ、フローヴェルは扉の向こうにいる者に入室を促す。
「フローヴェル、ちょっといいかしら」
フローヴェルの言葉を受けて部屋に入って来たのは、霊体の少女メリーベルだった。
霊体である彼女ならばそもそも壁などすり抜けられるのだが、そうしないのは彼女なりの礼儀だった。
「メリーベルか、何の用だ?」
「あら、侍女は用が無ければ主人の元へ来てはいけないの?」
「何の用かと尋ねただけであろう…来るなり面倒な奴だ」
「顔に書いてあるのよ、顔に」
言葉では面倒と言いながらも、フローヴェルは自らの部屋を訪ねてきた少女を自室に招き入れる。
「ねぇ、フローヴェル。今日のお夕食どうだった?」
「悪くなかったな、俺好みの味付けだった。シェフもさぞ工夫を凝らしたことであろう」
「ふふふ」
「…?」
「残念でしたー!あれを作ったのは私よ」
「なんだと……くっ」
「あら、訂正してももう遅くてよ?あなたの本音はしっかりと聞かせてもらったわ。このメリーベル様の作った夕食がとびきり美味しかったって…ねえ?」
「謀ったな小娘が……と言いたいところではあるが、美味であったのは事実。素晴らしい成長だ、褒めて遣わす」
「あら、素直じゃない。…まぁ、アリシアお姉様のおかげなんだけどね」
フローヴェルに頭を撫でられ若干照れくさそうにしていたメリーベルが白状する。
「お前がアリシアに師事していたのは知っている。それを含めても、素晴らしい成長だと言っている」
「お姉様に教われば誰でも上達する気はするけどね、お姉様だし」
「……随分と仲良くなったものだ」
「ところでフローヴェル、今の私の女子力はどれくらいかしら?」
メリーベルがさも自信ありげに胸を張る。
自信でも納得のいく成果だったのだろう。
「ふむ、53万程度か」
「それ高いの?」
「惑星を1つ征服出来る程度の女子力だそうだ」
「ふーん、相変わらずよくわからない数値ね…」
そうは言いつつも満更ではない様子のメリーベルを見つめ、フローヴェルは呟いた。
「アリシアに対してもそうだが……随分とこの国に馴染んだものだな」
「おかげさまでね。ここはいいところよ、自分が霊であることを忘れてしまいそうになるくらい」
「イリアスフィーナはかつての俺が描いた夢そのもの。そう感じてもらえたなら王としてこれ程嬉しいことはない」
「……だからこそ、この国はあいつらなんかに渡せない」
メリーベルがそれまでとは一転して真剣な表情でぽつりと呟いた。
彼女が抱いている不安、それを聞き出す為にフローヴェルは問いかける。
「…?あいつらとは誰のことだ」
「冥界の王族よ…とてつもない力を持った死霊の王の軍勢」
「お前の仲間がお前を取り戻しに来るとでも言うのか」
「その逆よ…生者に破れた恥晒しの後始末に来るのでしょうね。あなたが気にする必要はないわ。元々彼らとは考えが合わなかった…生者を皆殺しにして死霊の王国をつくるとか興味無いのよ。だから私はこの国を攻め落としてあなたを従え、霊王を倒すつもりだった」
「……なるほど、目的とはそのことか」
「そうよ。あなたほどの魔族なら…倒すまでとはいかなくても、致命傷くらいは与えられると思ったから」
「メリーベル、お前の事情は大体把握した。どのみちこのままではイリアスフィーナも狙われるのであろう。であれば然るべき備えはしておかなくてはな」
「いいえ、その必要は無いわ…」
それまで真剣な口調で通していたメリーベルが、突如穏やかな笑顔を見せた。
「…何?」
「私の策は…あなたを捨て駒にし、霊王に致命傷を与えることだった」
「俺が勝てないと思われているのは心外だが…まぁ良い、続けろ」
「でも、今の私にそれはもう出来ない。この国と…あなたを愛してしまったから」
メリーベルは寂しそうに呟き、儚く笑ってみせた。
「ならば何も問題は無い。我が闇の力の前では死霊と言えど跪く。俺がその霊王とやらを下す、お前はこれからもここにいれば良い」
拒絶の意味を込め、メリーベルが静かに首を振った。
「霊王は冥界に巣食う死霊の怨念を常に吸収し続けている。その結果、闇の力に対する絶対的な耐性を持っているの…いくらあなたでも倒すことまでは出来ない」
「お前と戦った時が全力だと思っているのなら勘違いも甚だしい。そもそも…」
そう言いかけたところで、彼が次に紡ごうとしていた言葉はメリーベルの唇によって塞がれた。
「大好きよ、フローヴェル……ごめんね」
「待て…っ…お前、何をした…!」
突如襲い来る強烈な睡魔に抗いながら、フローヴェルが恐らくの原因であろう少女を問い詰める。
「催眠魔法よ…勿論それだけじゃ効かないでしょうから、食事に薬も混ぜたけど」
「そういう…ことか…だからお前は…料理を振る舞うなどと…」
「勿論それもあるけど…本当は最後に…あなたに私の手料理を食べてもらいたかったの。いっぱい練習したから」
「最後…だと…何をする…つもりだ…!」
「あいつらは私が命に代えても止めるわ…元々死んでるけどね。あなたはそのまま寝ていればいい。本来なら一週間以上目が覚めないでしょうけど…きっとあなたなら数日で目を覚ますわ」
「やめ…ろ…馬鹿な…真似は…する…な…」
「さようなら、フローヴェル。短い間だったけれど…あなたの傍にいられて幸せだったわ」
静かにベッドに崩れ落ちた主の姿を見て、少女は部屋を後にするのだった。
翌日。
──イリアスフィーナ王国、王室
「……朝?いや、もう昼過ぎか…」
フローヴェルが辺りを見回すと、既に日は昇り切っていた。
「…寝こけてしまったか。メリーベルは何をしている、起こしにすら来ないとは…」
そう呟いたところではっと我に返る。
昨夜メリーベルと交わした会話を、薬と魔法の所為で朦朧とする記憶の中から必死に救い上げる。
彼女は自身を眠らせ、恐らく単身で敵の元へ赴いた。
寝起きの頭を全力で回転させ、フローヴェルは勢いよく部屋から飛び出す。
「へ、陛下…!?いかがなさったんですか、そんなに慌てて…」
「丁度良い、メリーベルはどこにいる…!」
手近なところにいた侍女を捕まえメリーベルの所在を尋ねるが、侍女はきょとんとした表情で答えた。
「メリーベル…ですか?そういえば今日は見ていませんね…どうしたのかしら」
「あの小娘…!早まったな…!」
「え、ちょ!陛下!どちらへ!」
「しばらく出てくる!皆に伝えておけ!」
それだけ告げるとフローヴェルは黒い霧状の魔力に包まれ、その場から消え去った。
──イリアスフィーナ最北端、クロシアン海岸
数か月前、まだ敵同士であったフローヴェルとメリーベルが戦った海岸。
その海岸に、再び少女は立っていた。
以前はフローヴェルが立った側…国を守る者が立つ側に。
その周囲には夥しい数の死霊の遺骸。
そして少女の眼前に相対するは、悍ましくも威厳のある風貌の骸骨。
一目で死霊達の王であると見て取れる強大な敵を前に、メリーベルは一歩も退かずに戦っていた。
「解せん…解せんな、メリーベルよ。腐っても冥界の姫の1人である貴様が、何故生者の肩を持つ」
地獄の底から響くような声で、霊王は自分達を裏切った少女を糾弾する。
「きっと…あなたには未来永劫わからないでしょうね…霊王」
「そんなにこの地が大切か。ならば貴様が倒れた後はこの地を我ら死霊の千年王国としよう」
「…そんなこと、させるわけないでしょこの骸骨…!」
メリーベルの手から霊術が発せられる…が霊王の周囲に揺蕩う死霊の壁に阻まれ、霧散する。
「この数が相手だ…万に一つも貴様に勝機が無いことはわかっておろう。今許しを乞えば罰を与える程度で許してやろうて」
「私はここで消えてもいい。でも…この国と…この国に住む人達は守ってみせるわ…!」
「愚かな。貴様程度の小娘が足掻いたところで、この国の運命は何も変わらぬ…!禁霊術・アンギッシュ…!」
「あああああああっ!!!!」
呪詛のような言霊がメリーベルの脳内に入り込み、メリーベルの精神に直接苦痛を与える。
「つまらぬ。さっさと忌まわしき生者達の国を落としに参ろうか」
「…待ちなさい…まだ…終わってないわ…」
メリーベルがよろめきながらも、再び立ち上がる。
「我が攻撃を受けてなお精神が崩壊しておらぬのは称賛に値するが、最早貴様には何も出来まい」
「やってみなきゃ…わからない…でしょ…っ…」
既に魔力も体力も限界を超えているメリーベルは、ついに自らの体を支えることも出来ずに、緩やかに地面に崩れ落ちていった。
その瞬間。
辺りに闇の魔力が広がり、それまで何も無かった空間から金髪の男が現れた。
倒れる寸前だった少女の体を抱き抱え、金髪の男は怒りに満ちた表情で霊王を見据えた。
「ほう、貴様がこの地の王か。なかなかどうして、良い面構えではないか」
「黙れ」
「今何か申したか。何やら無礼な言葉が聞こえた気がしたが…」
「二度言わせるな、黙れ」
普段ならば鋭い眼差しの中にも優しさを湛えていた魔王の碧い右目は、氷のように静かな迫力を宿し、霊王を唯々睨んでいた。
「フローヴェル…あいつと戦っちゃ駄目…早く逃げて…」
彼の腕に抱き抱えられたメリーベルが、精一杯の力で言葉を絞り出す。
「…小娘の分際で出張るからこうなる。後は寝ていろ」
フローヴェルはその場に少女を寝かせ、霊王へと歩を進める。
「大人しく忠告を聞いておれば、失わずにすんだ命もあったかもしれぬと言うに…」
「独断で飛び出した小娘がどうなろうと俺の知ったことでは無いが…少々腹が立った」
「強がりはよせ。魔王と言うから少しは期待していたが…人型の魔王とはな。悪魔や魔獣型であれば多少は面白くなったろうに、これでは楽しめそうもない」
その瞬間、フローヴェルの周囲に溢れていた闇の魔力が術者の元へと集まり、魔王の背に6枚の翼を成した。
「俺が人型だと言ったか、骸骨」
「ほう、堕天使…!魔神型とは…このような地で貴様のような希少種に出逢えるとは思っていなかったぞ…!」
霊王は品定めをするかのようにフローヴェルを眺める。
その姿は自身が負けるなどとは微塵も思っていない、強者の傲りとも言える絶大なる自信から来る姿であった。
「しかとその空虚な眼に焼き付けておくが良い。貴様を屠る相手の姿をな」
「素晴らしい!実に素晴らしい!これ程の器に出逢えるとは…!お主の体を奪えば、この世界から生者を一掃することも容易かろう…!」
「よく喋る骸骨だ、目障りなことこの上無い。消え失せろ……古代禁呪・レディッシュヘル」
フローヴェルの右手に宿りし漆黒の魔力、左手に宿りし真紅の魔力がそれぞれ天へと昇り、さながら血の雨のような赤黒い流星雨となって大地に降り注ぐ。
「ハーッハッハッハ…!凄まじい魔力…だが所詮は闇の力!存在そのものが闇の化身である我には効かぬ…!」
「…メリーベルの言った通り、か。やはり俺の力では貴様を倒しきれぬらしいな」
フローヴェルは自嘲気味に首を竦めて呟く。
「ほう…?もう諦めると申すのか、堕天使の王よ!あの小娘ですら貴様より抗ってみせたぞ!それでも勝負を投げると言うのならそれもよい…朽ち果てろ!禁霊術・デッドインパルス…!」
霊王から夥しい数の死霊が放たれ、全方位からフローヴェルに襲いかかる。
「早まるな、誰も諦めるなどと言ってはいない…バニシング・ポイント!」
フローヴェルの周囲の空間に数々の黒い渦の様な亀裂が生まれ、襲い来る死霊を吸収していく。
しかし死霊の数の方が圧倒的に多く、亀裂をすり抜けた死霊の怨念がフローヴェルを襲う。
「くっ…王を名乗るだけのことはあるな…なかなかに効く」
「我に刃向ったこと、今更悔やんでも遅いぞ…ハァーハッハ!」
「俺は…この国を愛している。そしてこの国に住まう家族達を心より愛している」
「ほぉう…ならばどうする、地に額を擦りつけ許しを乞うとでも申すか」
「かつては貴様の配下であったとしても…今のメリーベルは俺の家族だ。貴様には家族を傷付けた罪を贖ってもらう」
「その闘志は見事なものだが、貴様の力は我には通じぬ。足掻いたところで結果は見え透いておろう」
「返す言葉も無い。故に、少々卑怯な手を使わせてもらうぞ」
フローヴェルが両手を大きく広げ、自身の全ての魔力を解放させる。
「俺には父親がいてな…今ではそれなりに尊敬してやっているが、昔はとにかく親父が嫌いで仕方なかった」
「…何を申すかと思えば。それは遺言のつもりか?」
「親父と本気で戦ったこともある。その際、人間としての命と引き換えに親父の力を半分奪ってやった」
「思い出話に付き合う気は無い。消え失せよ…!」
フローヴェルの話を打ち切り、霊王は先程の数倍はいるであろう膨大な数の死霊を放った。
「親の力に頼るのは些か癪だが、家族を守る為にはそれもまた仕方あるまい」
「禁霊術・ヘル・スクリーム!」
その瞬間。
フローヴェルに放たれた死霊は、彼が軽く手を払っただけで、その全てが無へと帰した。
「祈れ、貴様自身の行く末を。これより先は神の領域…低俗な霊如きが太刀打ち出来るなど努々思うなかれ」
先刻までよりも更に威厳に満ちた声でそう告げる魔王。
彼の6枚の翼のうち半分、3枚は神々しい魔力に包まれた純白の翼に変化していた。
普段は髪で隠れている左目は彼の怒りを象徴するかのような真紅を湛え、霊王を見据える。
「おのれ…何をしおった…堕天使の翼が光を取り戻すなどありえぬ…」
「物好きな女神達がいてな。流石に完全に天使へと戻ることは不可能だが、半分程度ならば昔の姿に戻ることが出来る。何れにせよ今の貴様がすべきことは懺悔のみと知れ」
「翼が白くなっただけで、随分と偉そうではないか…!気に入らぬ…大禁霊術・スクリームオブゴースト!」
「天帝・レイオブジェネシス」
霊王が術を行使するよりも早く、フローヴェルが放った光の波動の前に、霊王の配下である死霊達は一瞬で浄化された。
「馬鹿な…このようなことが…有り得ぬ!断じて有り得ぬ…!」
「光に裁かれよ…セフィラ・ゲート」
「貴様ああああ!!!許さん!許さんぞ…!」
夕日で朱く染まる空を割って、巨大な箱舟が姿を現す。
霊王の頭上遥か天空に現れたその箱舟は、船底の巨大な砲門を開き…人智を超えた質量の光を霊王へと投下した。
「馬鹿な、馬鹿なあああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!」
「…終わったぞ、メリーベル」
フローヴェルは離れた場所で横たわるメリーベルの元へと近付き、彼女を抱きかかえた。
「…見てたわ。何よあれ…そんなに強いなら先に言いなさいよ」
「あれは親父の力。俺の実力では無い。それに一時的とはいえ天使の力を顕現させると、酷く疲れる」
「そう。でもよかった、あなたもこの国も無事で…」
「帰るとしよう、我らが愛するイリアスフィーナへ」
──イリアスフィーナ王国、メリーベルの部屋
霊王の襲撃から数日が経過した。
「……うぅん」
自身のほぼ全ての魔力を使い果たし眠りについたメリーベルは、数日間の魔力充電の後、ようやく目を覚ました。
「メリーベル…!やっと目が覚めたのね…よかった…」
彼女の看病をしていた侍女が安堵の声を漏らす。
「そっか…私…うん…もう大丈夫。ありがとう」
「陛下もきっとご安心なさるわ、本当によかった…」
ふとメリーベルが顔を上げると、侍女の隣で椅子に座ったまま寝入っているフローヴェルが視界に入った。
「…フローヴェル?」
「あなたが寝ている間、ずっと陛下が魔力を分け与えていたの…早く回復するようにって。自分も相当無茶した後なのにね」
「…何をやってるのよ、あなたは」
メリーベルはそう呟きながら、気持ちよさそうに眠る主人を見つめた。
「今は少し疲れて寝てしまわれたけど…陛下の方は心配無いわ。流石はうちの王様ね」
「…そう」
「あなたも目を覚ましたし、私は仕事に戻るわ。陛下はもう少し寝かせておいてあげて」
それだけ言い残すと、侍女は部屋を後にした。
「フローヴェル…ありがとね」
聞こえるはずのない感謝の言葉。
それでもメリーベルは言わずにはいられなかった。
「…ああ、大いに感謝するが良い」
「…え?」
返ってくるはずの無い言葉。
それは幻聴や空耳の類ではなく、確かに彼女の耳に届いた。
「…起きてたの?」
「お前達の会話が聞こえてな…」
フローヴェルが欠伸をしながら答える。
「…今更訂正するつもりもないわ。フローヴェル、本当にありがとう」
「礼は受け取っておくが…真に礼を言うべきは俺の方だ。手段に問題こそあったが、この国を護ろうとしてくれたこと…感謝する」
「べ、別にお礼を言われるほどのことはしてないわよ。ただこの国はちょっといいなぁって思ってたから、あんなやつにこの国が汚されるのが嫌だっただけよ」
「メリーベル」
「なぁに?」
「俺の女になれ」
唐突に告げられた言葉に、メリーベルは思わず赤面する。
「え、え…?」
「お前には王妃の1人として、今後もこの国を護って欲しいと思う。そして願わくば、この俺のことも支えて欲しい」
「え…いやそれは…嬉しいけど…突然すぎると申しますか…」
「…返答は?」
「…喜んで」
「ふっ…ならば今後ともよろしく頼むぞ、愛する我が妻よ」
フローヴェルはそう言うなり椅子から立ち上がり、メリーベルを抱き締めた。
「し、仕方ないからよろしくしてあげるわ…仕方ないから…」
かくしてイリアスフィーナ王国に新たな王妃が誕生した。
霊姫メリーベル。彼女の働きにより、イリアスフィーナは更なる発展を遂げる。
広大な国土、豊かな経済、高い文化。
彼らにとって、イリアスフィーナにとって、全てが順調だった。
刻碑歴1000年。
ある事件が起きるまでは。
-Fin-
──とある集落(後のイリアスフィーナ王国)
異大陸に存在するとある集落。
権力者が住んでいるのであろう、他と比べると一際大きい屋敷。
そんな大層な屋敷の一室で、少女は目を覚ました。
「ん…ふわぁ…」
寝台から這い出た少女は、寝ぼけ半分で階段を下りていく。
「おはようございます、おとうさま、おかあさま」
リビングで寛ぐ父と、朝食を作る母に挨拶をする。
「おはよう、真宵。良い朝だな」
「もうすぐ朝ご飯ができるから、お顔を洗ってらっしゃい」
「はーい…」
母に顔を洗ってくるよう促された少女、真宵はとてとてと洗面台へ向かう。
「真宵が来てからもう2年かぁ…」
「月日の巡りは早いものだ。最近では真宵の成長が楽しみで堪らんよ」
「言葉を覚えるのも早かったし、ベルには勿体無いくらい賢い娘よね」
「自分のことは棚に上げて…言ってくれるではないか、アリシアよ」
両親がそんな雑談をしている間に、顔を洗った真宵が戻って来た。
どうやらすっかり目は覚めたらしく、テーブルの上の料理を凝視していた。
「ほら、真宵。ちゃんと椅子に座りなさい」
「さて、それでは頂くとしようか」
「いただきます!」
親子3人、どこにでもある平凡な家庭のごく普通の食卓。
2年前、彼女が拾われてきたばかりの頃は考えられない光景だった。
幼いながら苛烈な環境に置かれ、常に虐げられてきた真宵にとって「普通」は「普通」でなかった。
温かい料理を腹いっぱいに食べられることに涙し、夜は薄暗い地下室の悪夢に魘される日々。
それでも両親や集落の人々の暖かさに触れ、少しずつ普通の生活を送れるようになっていった。
人として生きることを許されなかった少女の人生は、ようやく始まったのである。
「フローヴェル様!アリシア様!」
「どうした、騒々しい」
「広場で真宵ちゃんが喧嘩を…!」
「…承知した。行くぞ、アリシア」
「全くもう、あの子は…!」
広場へ向かったフローヴェル達が目にしたものは、傷だらけになった娘と、同じく傷だらけになった青髪の少年であった。
「フローヴェル様!アリシア様!申し訳ありません!うちの子がとんだ不始末を…!」
少年の母親らしき女性が頭を下げる。
「エルザ。ただの子供の喧嘩だ、顔を上げろ」
「とにかく治療するから、2人ともこっちに来なさい…!」
アリシアが傷だらけの2人に回復魔法を施していく。
かつてヴァルハラで治療専門の師団の団長を務めていた彼女は、フローヴェルよりも遥かに回復魔法の扱いに長けていた。
泣きべそをかきながらも、子供達の傷は見る見るうちに完治していった。
「真宵、エヴァ。何があったのか話してみろ」
子供達の傷が治ったところで、フローヴェルが2人を問い正す。
「エヴァが…おとうさまよりつよくなるっていうんだもん…」
真宵が半べそ状態で口を開く。
「それで?」
「まよいちゃんが…ベル兄ちゃんよりつよくなれるわけがないって…」
青髪の少年、エヴァルトも同じように涙を流しながら精いっぱい言葉を紡ぐ。
「だって…おとうさまはせかいでいちばんつよいんだもん…」
フローヴェルが子供達の言い分を聞きながら頭を掻く。
子供は小さな意見の食い違いですら容易に喧嘩に発展する。
「真宵」
「はい…」
「エヴァに謝れ」
「どうして…?わたしほんとのこといったのに…」
真宵が泣き顔のまま、自分に非が無いことを主張する。
フローヴェルは娘の小さな頭を撫でながら、優しく諭すように言った。
「例えそれがどんなことであったとしても、夢を持つ者を否定してはならぬ」
「ゆめ…?」
「お前にもあるだろう。夢とは即ち可能性…この世界で最も尊いものだ」
「うん…わかった。ごめんなさい…」
フローヴェルは、自分の言葉を理解し素直に謝った娘を再び撫でる。
「エヴァ。お前はこの俺より強くなり…何を望む」
「ベル兄ちゃんがあぶないときに…ぼくがまもりたい」
少年が紡ぎ出した言葉を受け、自分の娘にしたように少年の頭を撫でる。
「良い答えだ。だがこの程度のことで泣いているようでは、この俺を超えることは叶わんぞ」
「も、もう泣かないもん…!」
涙を拭い、自分を見つめる少年の姿を見て、フローヴェルは微笑んだ。
「すぐにお前達の時代がやってくる…励むが良い、我が家族達よ」
数年後。
順調に勢力を拡大したフローヴェル達は、小さな国として独立するに至った。
国の名はイリアスフィーナ。
後に異大陸を支配する大国である。
──イリアスフィーナ王国、謁見の間
「馬子にも衣装と言ったところかのう…」
「いきなり押しかけて来るなり失礼な親父だ、全く」
謁見の間では王の衣装に身を包んだフローヴェルと王妃アリシア、そして2人よりも更に厳格な雰囲気を纏う初老の男の3人が談笑していた。
「でも、グレゴリウス様もお元気そうで何よりです」
グレゴリウスと呼ばれた初老の男。
彼は神格を有するに至った大天使中の大天使であり、全ての天使達の父なる存在だった。
「お主達もな。国を作るなどと申した時はどうしたものかと思ったものだ。全く何をやっておる…」
「良いではないか。魔族も天使も人間も、隔たり無く過ごせる国。素晴らしい」
「思いつきで行動しおって…」
「失礼なことを言うな。考えてはいるさ」
「ヴァルハラの天使達に討伐されても知らんぞ、魔王フローヴェルよ」
「その時は久方振りに稽古でもつけてやるとしよう」
「もう、部下いじめはやめなさい!」
3人が昔話に花を咲かせていると、王女である真宵が部屋に入って来た。
「お父様、お母様。ただいま…っておじいさま?」
「おお、真宵か。大きくなったのう」
「おじいさまも元気そうね」
グレゴリウスは自分にとっての孫娘にあたる真宵の頭を撫でる。
「今の台詞、ザ・おじいちゃんって感じですね」
「台本通りでつまらんな」
孫娘を可愛がる祖父を、息子達が茶化す。
「全く、お主達は…。ところで真宵はいくつになったのだったか」
「もうすぐ17歳になるわ、おじいさま」
「月日が流れるのは早いのう。フローヴェルが人間の子供を育てるなぞ言いおった時は頭を抱えたものだが」
「何処に頭を抱える必要があると言うのだ」
「お前はむしろ、何処に頭を抱える必要が無いと思うておる」
「それに関しては私やイリアスフィーナの皆も同感です…」
「お前はどこまで周りに心配をかければ気が済むのだ、馬鹿息子よ」
グレゴリウスが溜息を吐きながら孫娘に向き直る。
「さて、そろそろ帰るとしよう。真宵や、またヴァルハラにも顔を見せに来ておくれ」
「ええ、わかったわ。おじいさま」
それだけ言い残すと、グレゴリウスは部屋から出ていった。
「そういえば、もうじき真宵の誕生日であったか」
「あら、プレゼントでもくれるのかしら」
「望むものがあるのなら考えてやろう」
忌み子として扱われてきた真宵は自身の誕生日を知らなかった。
それを知ったフローヴェルは、真宵のいた村の書物から誕生日を調べた。
尤も書物に記されていた内容は「刻碑暦×年×月×日 不吉の象徴である呪われし子供が生まれ落ちる」と言ったものばかりだったが。
それでも愛する娘の誕生日を知り得た2人は、毎年必ず真宵の誕生日を盛大に祝った。
彼女が生まれてきたことを祝福する為に。
──イリアスフィーナ国立学院
「真宵、お昼いこっ」
「ええ、いいわよ」
友人にランチに誘われた真宵は、読みかけの本を閉じ、席を立つ。
ここはイリアスフィーナが有する国立学院。
全ての子供達に教育の場を、とのアリシアの提案で設立された教育機関である。
王女である真宵も例外では無く、生徒として日々学問に励んでいるのだった。
「ところで真宵、さっきは何の本を読んでたの?」
「ああ、あれ?禁書よ」
「禁書?」
「闇の儀式とか禁術とかが解説されている本よ」
さらりと恐ろしいことを言ってのける真宵に、友人が唖然とする。
「怖っ!なにそれ怖っ!お、面白かった…?」
「ええ、とても勉強になったわ。例えば…天使の生き血は傷や病を治癒する力があるらしいわよ」
「うわー、凄いけどリアルに怖いわそれ…」
「中でも力のある天使の生き血には不老不死の効果もあるそうね」
「やっぱり天使って凄いんだね…天使なんてそうそう会えないと思うけど」
「あら、いるじゃない。ものすご~く力のありそうな天使が身近に2人ほど」
「これさえ無ければ完璧な優等生なのになぁ…」
くすくすと笑う真宵を尻目に、友人は青ざめた顔で料理を口に運ぶのだった。
──イリアスフィーナ王室
コンコン。
「夜分遅くに失礼致します、陛下」
警備中の兵士が自室で寛いでいたフローヴェルの元を訪ねる。
「構わぬ。どうした」
「真宵様が…城門の外で待っているとのことです」
「全く…あやつはこんな時間に何をしようと言うのだ」
フローヴェルは溜息を吐きながら重い腰を上げた。
「行かれるのですか?」
「当然だ。愛する娘の可愛い我が侭だ…面倒ではあるがな」
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
──イリアスフィーナ大平原
城門を抜けた先に広がる大平原。
昼間は行商人達で賑わうその平原は、夜の闇を纏い、独特の静けさに包まれていた。
「あら、来てくれたのね。お父様」
「こんな夜中に一体何の用だ」
夜の大平原にぽつんと佇む真宵に、フローヴェルが若干不機嫌そうに尋ねる。
「今日は何の日かは…知ってるわね」
「お前の誕生日、か」
「ええ。流石、愛するお父様」
真宵がくすくすと妖しげに笑う。
「それで、父にプレゼントでもねだるつもりか」
「あら、その通りよ」
「ならばこのようなところまで呼び出す必要もなかろう」
「そうもいかないのよね、ここで無ければ…私の欲しい物は手に入らない」
真宵の表情から笑みが消え、一転して真剣な表情になる。
「意味がわからんな。何が欲しいと言うのだ」
「ふふ、それはね…」
真宵が懐から一対の扇を取り出す。
双華扇「花惑」
真宵の愛用している武器であり、東方に伝わる神具の一種。
それの意味するところは一つ。
「あなたの血よ…!お父様!」
扇に魔力が集中し、闇夜を照らす桜色の閃光となってフローヴェルを襲う。
「くっ…!」
不意を突かれたフローヴェルは、魔力を集中させた両の腕で極大の閃光を受け止める。
「おおおおおおっ!!」
真宵の放った閃光は魔王の手により圧縮され、握り潰された。
「流石ね。でも隙だらけよ…禁呪・蝶々結び!」
桜色の花びらのような魔力体がフローヴェルを中心に円となり、彼を拘束する。
「くっ…真宵…どういうつもりだ…」
「あら、簡単な話よ。私はあなたの血が欲しい。けれど欲しいと言ってもくれないでしょう?だから勝手に貰っていくことにしたわ」
「何が目的だ…」
「…強大な天使の生き血は不老不死の効果があるそうね」
「…そんなものを得てどうする」
「あなたは何もわかっていないわ、お父様。あなたやお母様は悠久の時を生きる不死の存在。比べて私は唯の人間」
「種族の違いなど何の意味も成さないと…教えてきたはずだ」
「それについてはわかっているつもりよ。だけどね、お父様。私はきっと…あと数十年もすれば死んでしまうわ。お父様達のように永遠を生きる身からすれば…人間の一生なんてほんの一瞬に過ぎないのでしょうね」
「定められた天寿を全う出来ることこそ、真の幸福だ…アリシアや俺はそれが出来ず…今ここにいる」
「私がお婆ちゃんになって…死んだとして…きっとお父様達はとても悲しんでくれるのでしょう。ほんの数十年だけでも一緒に過ごした大切な娘を、永遠に忘れずにいてくれるのでしょう。でも私はそんなの嫌。愛する両親を残して、一人枯れていくなんて絶対に嫌」
「真宵…」
「お父様とお母様が不死の運命を背負っているなら、私も背負う。私はずっと2人の傍にいると決めたのよ…!」
自らの心の内を曝け出した娘を前にし、フローヴェルは考える。
自分達の娘は立派に育ち、自分の意志で永遠の人生を歩もうとしている。
しかし大切な娘にこの業を背負わせてしまっても良いものか。
真宵との別れ。
考えてこなかったはずは無い、そして出来ることなら別れたくは無い。
そんな考えがフローヴェルの頭を巡り、彼の判断を迷わせる。
そうして彼が行きついた答え。
「真宵よ、お前の意志はしかと受け取った。正直に言えば、俺自身も答えを出すことが出来ぬ。よって…今からお前に試練を与える」
「試練…?」
「ああ。我が血を欲するならば力ずくで奪い果せるが良い。但しこの試練、一筋縄ではいかぬぞ」
「私は最初からそのつもりよ、何も問題無いわ」
「ならば娘よ…お前の持つ黄金の可能性、この俺に示して見せよ…!征くぞ!我は魔王…フローヴェル・イヴ・ルシファー也!」
フローヴェルの身を拘束していた真宵の禁呪が、力ずくで引き千切られる。
「なっ…!」
「愛する娘が相手故…命までは奪わぬ。だが覚悟するが良い、少々灸を据えてやろう…!」
フローヴェルの背に6枚の漆黒の翼が顕現する。
魔力の集合体であるフローヴェルの翼。
平時は2枚、ないしは0枚。
それでも上級魔族をゆうに超える力を持つ父。
その父の背には今、真宵も初めて目にする「6枚」の翼が顕現していた。
大地を揺らす膨大な魔力を感じ取り、真宵は思わず後ずさった。
かつて自分を地獄の底から救い上げた父の力。
それは今、天地揺るがす魔王の力となって己に矛先を向けている。
魔法の撃ち合いになればどうみても父に分があることは真宵にもわかっていた。
長期戦は不利、そう判断した真宵はすかさず詠唱を開始する。
「残念だけどお説教ならお断りよ…!禁呪・鬼哭啾々!」
先刻よりも更に大きい、膨大な質量を持った閃光がフローヴェルに放たれる。
その瞬間。
フローヴェルは手を翳し、ぽつりと呟いた。
「禁呪・シャドウフレア」
刹那。
真宵の放った閃光は黒色の大爆発にいとも容易く打ち消される。
「自分の親ながら…正直引くわね、これは…」
「学院では優等生で通っていると聞き及んでいるが…全く、禁呪ばかり使いおって」
「教科書で習うような魔法でどうにかなる相手かしら。それに親が親なら娘も娘ってね…禁呪ばかり使うお父様に言われたくないわ…!秘術・夢幻泡影!」
フローヴェルの周囲に花びらが舞い散る。
「転移する暇など与えないわ。降参する?お父様」
真宵の魔力により作られた桜色の花びらは、フローヴェルを取り囲み、次々に爆ぜる。
「所詮は散り行く花弁。大地に君臨せし雄大なる生命の前では、実に無力なものだな」
「木…?」
突如現れた大樹は、術者を護るかのようにその枝葉でフローヴェルを囲んでいた。
「神樹・ユグドラシル」
「全く…闇魔法以外も使えるなら最初に言って欲しいものね…」
「この身に宿りし略奪の力を忘却したか、娘よ」
「本当になんでもアリね、それ…」
「さて、躾の時間だ」
******************************************
「…真宵!…真宵!」
誰かが私を呼ぶ声がする。
お母様…?
折角気持ちよくお昼寝していたのに。
「あれ、私…」
「全くもう…今日はお出かけするって、あなたが言い出したんでしょう?」
そうだったっけ。
そういえば…そんな気がする。
「たまの休日だ、良いではないか。日頃の疲れも溜まっていることだろう」
出かけると言い出しておいて寝こけてしまった私を、父がフォローする。
「……」
「まだ寝ぼけてるみたいね、お顔を洗ってらっしゃい」
「…夢」
「どうした?」
「…夢を、見ていたの」
「ほう、どんな夢だ」
「私が…お父様と戦う夢…」
「ふふ、親子喧嘩でもしていたの?」
「ううん…お父様の…血が欲しかったの」
「何故そんなものを欲しがる。流石の俺でも若干引くぞ、それは」
「不老不死になって…お父様と…お母様と…ずっと一緒にいたかったの」
「あら、おかしなことを言うのね」
「全くだ。そもそもお前は魔族であろう。ずっと一緒と言うならば既にそうだが」
「え…?」
「何の夢を見ていたのか知らないけど、早く準備をしてきなさい」
「違う…私は人間で…」
「お前が人間だと…?それはどこで覚えた冗談だ、娘よ」
違う。
私は人間で、それ故に不死を望んだ。
違う。
ここは現実じゃない。
「ありがとう…お父様、お母様。お陰で目が覚めたわ」
両手に魔力を集中させる。
「ちょっと…!何をしてるの!」
「ごめんなさい、私には帰る場所があるから…禁呪・幽玄霊舞!」
******************************************
「はぁ…はぁ…帰って…これたようね」
大量の魔力を暴発させた真宵は、息を切らしながら辺りを見渡す。
「ほう、アヴァロンの催眠を自力で破るか。この魔法は自分に厳しくあらねば抜け出すことは叶わぬ…褒めてやろう」
「やはりね…。催眠術や幻術の類だと思ったわ」
「その者が最も望む夢を永久に見せ続ける催眠魔法、アヴァロン。良い夢が見れたであろう」
「おかげさまでね。なんとしても実現させたいと…改めて思ったわ」
「言うは容易いが…随分と疲れているように見えるぞ」
「ええ。次が最後になるわ…私の残り全ての魔力を使って…とっておきの魔法をお父様に贈るわ」
真宵が両の腕を広げ、詠唱を開始する。
「娘からの贈り物とあらば…正面から受け止める他あるまい。来い」
「私の全ての魔力よ…吹き止まぬ花吹雪となって舞い踊りなさい。禁呪…百花繚乱」
真宵が静かに呟くと同時に、彼女の体から全ての魔力が放出されていく。
主の体から放出された魔力は、幾億の花びらとなり夜の大平原を照らしていく。
「…これほどの魔法を行使できるようになったか、真宵」
大平原を埋め尽くすかのように広がる娘の魔法を目の当たりにし、フローヴェルは優しく微笑んだ。
「私の夢の為…爆ぜろ!百花繚乱!」
幾奥の花びらはフローヴェルを取り囲むように収束され、次々に爆発を始める。
「規模が変わろうと同じこと…!神樹・ユグドラシル!」
先に放った秘術と同系統と判断したフローヴェルは、先程と同様に神樹での防御を試みる。
「…くっ!!」
だが、神樹の枝葉は無限に続く爆発に耐え切れず、次第に枯れ落ちていく。
「これで…終わりよ、お父様…!」
「…強く…なったのだな…」
爆発に巻き込まれる刹那、フローヴェルはぽつりと呟いた。
全ての花びらが爆ぜた後。
その身に数多の傷を刻まれ、フローヴェルは膝をついた。
「…お父様!…お父様!」
自らの魔法を受け止めた父を心配し、真宵が駆け寄る。
「…阿呆め。心配するくらいなら最初からやるな」
「ごめんなさい…!お父様、怪我が…」
「この程度の傷、ものの数分もあれば再生される。心配には及ばぬ。それよりも…」
フローヴェルが自らの手を差し出す。
その指先からは不死の力を宿した天使の血が紅い雫となって零れ落ちていた。
「よくぞ我が試練を乗り越えた。褒美だ、受け取るが良い」
「お父様…いいの?」
「褒美だと言っているだろう。早くしろ、再生されてしまうぞ」
「…ありがとう、お父様」
真宵は両手で父の手を取り、口元へ近付ける。
「今日をもってお前は人の道を外れた。永遠の命と引き換えに魔人と呼ばれることになろう。その道は決して易しくは無い…心せよ」
「…はい。いつまでも、あなたの傍に」
この日、かつて忌み子と蔑まれた人間の少女は、魔王の血を受け継ぐ魔人となった。
──イリアスフィーナ王宮、王室
「全く…何を考えているのかしら…」
「それは自分でもそう思っている…」
「あなたもよ、真宵」
「はい…ごめんなさい」
フローヴェルと真宵は、揃ってアリシアに説教をされていた。
勿論、真宵が人の器を捨てたことについて。
「本当にどうするの、こんな取り返しのつかないことをして…」
「真宵の意志は本物であった。俺が与えずとも別の方法を模索したであろう。ならば何らかの代償を背負う他の儀式より…」
「自分の手で、とでも言うつもり?」
「…すまぬ」
「真宵…本当に後悔していない?」
「勿論よ、お母様。これからもお母様達とずっと一緒にいられること、心から嬉しく思っているわ」
「…真宵…!」
アリシアが涙を零しながら真宵を抱きしめる。
「ずっと…ずっと一緒にいようね…」
「ええ、お母様…」
娘との離別。
アリシアも幾度と無く考えてきたこと。
フローヴェル同様、口には出さずとも永久に一緒にいたいと望んでいたのだろう。
ひとしきり叱った後、自分達と生きていくことを望んだ娘を心から祝福していた。
「ね、お父様」
「どうした?」
「どうして魔法だけで戦ったの?」
「何を言いだすのかと思えば…そんなことか」
「私は蹴ったり殴ったりするのは苦手だから…お父様が距離を詰めてきたら勝ち目は無かった」
「夜も深かった…動き回るのが面倒だっただけだ」
「でも…」
「ああ、真宵」
「なぁに?お父様」
「誕生日、おめでとう」
-Fin-
異大陸に存在するとある集落。
権力者が住んでいるのであろう、他と比べると一際大きい屋敷。
そんな大層な屋敷の一室で、少女は目を覚ました。
「ん…ふわぁ…」
寝台から這い出た少女は、寝ぼけ半分で階段を下りていく。
「おはようございます、おとうさま、おかあさま」
リビングで寛ぐ父と、朝食を作る母に挨拶をする。
「おはよう、真宵。良い朝だな」
「もうすぐ朝ご飯ができるから、お顔を洗ってらっしゃい」
「はーい…」
母に顔を洗ってくるよう促された少女、真宵はとてとてと洗面台へ向かう。
「真宵が来てからもう2年かぁ…」
「月日の巡りは早いものだ。最近では真宵の成長が楽しみで堪らんよ」
「言葉を覚えるのも早かったし、ベルには勿体無いくらい賢い娘よね」
「自分のことは棚に上げて…言ってくれるではないか、アリシアよ」
両親がそんな雑談をしている間に、顔を洗った真宵が戻って来た。
どうやらすっかり目は覚めたらしく、テーブルの上の料理を凝視していた。
「ほら、真宵。ちゃんと椅子に座りなさい」
「さて、それでは頂くとしようか」
「いただきます!」
親子3人、どこにでもある平凡な家庭のごく普通の食卓。
2年前、彼女が拾われてきたばかりの頃は考えられない光景だった。
幼いながら苛烈な環境に置かれ、常に虐げられてきた真宵にとって「普通」は「普通」でなかった。
温かい料理を腹いっぱいに食べられることに涙し、夜は薄暗い地下室の悪夢に魘される日々。
それでも両親や集落の人々の暖かさに触れ、少しずつ普通の生活を送れるようになっていった。
人として生きることを許されなかった少女の人生は、ようやく始まったのである。
「フローヴェル様!アリシア様!」
「どうした、騒々しい」
「広場で真宵ちゃんが喧嘩を…!」
「…承知した。行くぞ、アリシア」
「全くもう、あの子は…!」
広場へ向かったフローヴェル達が目にしたものは、傷だらけになった娘と、同じく傷だらけになった青髪の少年であった。
「フローヴェル様!アリシア様!申し訳ありません!うちの子がとんだ不始末を…!」
少年の母親らしき女性が頭を下げる。
「エルザ。ただの子供の喧嘩だ、顔を上げろ」
「とにかく治療するから、2人ともこっちに来なさい…!」
アリシアが傷だらけの2人に回復魔法を施していく。
かつてヴァルハラで治療専門の師団の団長を務めていた彼女は、フローヴェルよりも遥かに回復魔法の扱いに長けていた。
泣きべそをかきながらも、子供達の傷は見る見るうちに完治していった。
「真宵、エヴァ。何があったのか話してみろ」
子供達の傷が治ったところで、フローヴェルが2人を問い正す。
「エヴァが…おとうさまよりつよくなるっていうんだもん…」
真宵が半べそ状態で口を開く。
「それで?」
「まよいちゃんが…ベル兄ちゃんよりつよくなれるわけがないって…」
青髪の少年、エヴァルトも同じように涙を流しながら精いっぱい言葉を紡ぐ。
「だって…おとうさまはせかいでいちばんつよいんだもん…」
フローヴェルが子供達の言い分を聞きながら頭を掻く。
子供は小さな意見の食い違いですら容易に喧嘩に発展する。
「真宵」
「はい…」
「エヴァに謝れ」
「どうして…?わたしほんとのこといったのに…」
真宵が泣き顔のまま、自分に非が無いことを主張する。
フローヴェルは娘の小さな頭を撫でながら、優しく諭すように言った。
「例えそれがどんなことであったとしても、夢を持つ者を否定してはならぬ」
「ゆめ…?」
「お前にもあるだろう。夢とは即ち可能性…この世界で最も尊いものだ」
「うん…わかった。ごめんなさい…」
フローヴェルは、自分の言葉を理解し素直に謝った娘を再び撫でる。
「エヴァ。お前はこの俺より強くなり…何を望む」
「ベル兄ちゃんがあぶないときに…ぼくがまもりたい」
少年が紡ぎ出した言葉を受け、自分の娘にしたように少年の頭を撫でる。
「良い答えだ。だがこの程度のことで泣いているようでは、この俺を超えることは叶わんぞ」
「も、もう泣かないもん…!」
涙を拭い、自分を見つめる少年の姿を見て、フローヴェルは微笑んだ。
「すぐにお前達の時代がやってくる…励むが良い、我が家族達よ」
数年後。
順調に勢力を拡大したフローヴェル達は、小さな国として独立するに至った。
国の名はイリアスフィーナ。
後に異大陸を支配する大国である。
──イリアスフィーナ王国、謁見の間
「馬子にも衣装と言ったところかのう…」
「いきなり押しかけて来るなり失礼な親父だ、全く」
謁見の間では王の衣装に身を包んだフローヴェルと王妃アリシア、そして2人よりも更に厳格な雰囲気を纏う初老の男の3人が談笑していた。
「でも、グレゴリウス様もお元気そうで何よりです」
グレゴリウスと呼ばれた初老の男。
彼は神格を有するに至った大天使中の大天使であり、全ての天使達の父なる存在だった。
「お主達もな。国を作るなどと申した時はどうしたものかと思ったものだ。全く何をやっておる…」
「良いではないか。魔族も天使も人間も、隔たり無く過ごせる国。素晴らしい」
「思いつきで行動しおって…」
「失礼なことを言うな。考えてはいるさ」
「ヴァルハラの天使達に討伐されても知らんぞ、魔王フローヴェルよ」
「その時は久方振りに稽古でもつけてやるとしよう」
「もう、部下いじめはやめなさい!」
3人が昔話に花を咲かせていると、王女である真宵が部屋に入って来た。
「お父様、お母様。ただいま…っておじいさま?」
「おお、真宵か。大きくなったのう」
「おじいさまも元気そうね」
グレゴリウスは自分にとっての孫娘にあたる真宵の頭を撫でる。
「今の台詞、ザ・おじいちゃんって感じですね」
「台本通りでつまらんな」
孫娘を可愛がる祖父を、息子達が茶化す。
「全く、お主達は…。ところで真宵はいくつになったのだったか」
「もうすぐ17歳になるわ、おじいさま」
「月日が流れるのは早いのう。フローヴェルが人間の子供を育てるなぞ言いおった時は頭を抱えたものだが」
「何処に頭を抱える必要があると言うのだ」
「お前はむしろ、何処に頭を抱える必要が無いと思うておる」
「それに関しては私やイリアスフィーナの皆も同感です…」
「お前はどこまで周りに心配をかければ気が済むのだ、馬鹿息子よ」
グレゴリウスが溜息を吐きながら孫娘に向き直る。
「さて、そろそろ帰るとしよう。真宵や、またヴァルハラにも顔を見せに来ておくれ」
「ええ、わかったわ。おじいさま」
それだけ言い残すと、グレゴリウスは部屋から出ていった。
「そういえば、もうじき真宵の誕生日であったか」
「あら、プレゼントでもくれるのかしら」
「望むものがあるのなら考えてやろう」
忌み子として扱われてきた真宵は自身の誕生日を知らなかった。
それを知ったフローヴェルは、真宵のいた村の書物から誕生日を調べた。
尤も書物に記されていた内容は「刻碑暦×年×月×日 不吉の象徴である呪われし子供が生まれ落ちる」と言ったものばかりだったが。
それでも愛する娘の誕生日を知り得た2人は、毎年必ず真宵の誕生日を盛大に祝った。
彼女が生まれてきたことを祝福する為に。
──イリアスフィーナ国立学院
「真宵、お昼いこっ」
「ええ、いいわよ」
友人にランチに誘われた真宵は、読みかけの本を閉じ、席を立つ。
ここはイリアスフィーナが有する国立学院。
全ての子供達に教育の場を、とのアリシアの提案で設立された教育機関である。
王女である真宵も例外では無く、生徒として日々学問に励んでいるのだった。
「ところで真宵、さっきは何の本を読んでたの?」
「ああ、あれ?禁書よ」
「禁書?」
「闇の儀式とか禁術とかが解説されている本よ」
さらりと恐ろしいことを言ってのける真宵に、友人が唖然とする。
「怖っ!なにそれ怖っ!お、面白かった…?」
「ええ、とても勉強になったわ。例えば…天使の生き血は傷や病を治癒する力があるらしいわよ」
「うわー、凄いけどリアルに怖いわそれ…」
「中でも力のある天使の生き血には不老不死の効果もあるそうね」
「やっぱり天使って凄いんだね…天使なんてそうそう会えないと思うけど」
「あら、いるじゃない。ものすご~く力のありそうな天使が身近に2人ほど」
「これさえ無ければ完璧な優等生なのになぁ…」
くすくすと笑う真宵を尻目に、友人は青ざめた顔で料理を口に運ぶのだった。
──イリアスフィーナ王室
コンコン。
「夜分遅くに失礼致します、陛下」
警備中の兵士が自室で寛いでいたフローヴェルの元を訪ねる。
「構わぬ。どうした」
「真宵様が…城門の外で待っているとのことです」
「全く…あやつはこんな時間に何をしようと言うのだ」
フローヴェルは溜息を吐きながら重い腰を上げた。
「行かれるのですか?」
「当然だ。愛する娘の可愛い我が侭だ…面倒ではあるがな」
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
──イリアスフィーナ大平原
城門を抜けた先に広がる大平原。
昼間は行商人達で賑わうその平原は、夜の闇を纏い、独特の静けさに包まれていた。
「あら、来てくれたのね。お父様」
「こんな夜中に一体何の用だ」
夜の大平原にぽつんと佇む真宵に、フローヴェルが若干不機嫌そうに尋ねる。
「今日は何の日かは…知ってるわね」
「お前の誕生日、か」
「ええ。流石、愛するお父様」
真宵がくすくすと妖しげに笑う。
「それで、父にプレゼントでもねだるつもりか」
「あら、その通りよ」
「ならばこのようなところまで呼び出す必要もなかろう」
「そうもいかないのよね、ここで無ければ…私の欲しい物は手に入らない」
真宵の表情から笑みが消え、一転して真剣な表情になる。
「意味がわからんな。何が欲しいと言うのだ」
「ふふ、それはね…」
真宵が懐から一対の扇を取り出す。
双華扇「花惑」
真宵の愛用している武器であり、東方に伝わる神具の一種。
それの意味するところは一つ。
「あなたの血よ…!お父様!」
扇に魔力が集中し、闇夜を照らす桜色の閃光となってフローヴェルを襲う。
「くっ…!」
不意を突かれたフローヴェルは、魔力を集中させた両の腕で極大の閃光を受け止める。
「おおおおおおっ!!」
真宵の放った閃光は魔王の手により圧縮され、握り潰された。
「流石ね。でも隙だらけよ…禁呪・蝶々結び!」
桜色の花びらのような魔力体がフローヴェルを中心に円となり、彼を拘束する。
「くっ…真宵…どういうつもりだ…」
「あら、簡単な話よ。私はあなたの血が欲しい。けれど欲しいと言ってもくれないでしょう?だから勝手に貰っていくことにしたわ」
「何が目的だ…」
「…強大な天使の生き血は不老不死の効果があるそうね」
「…そんなものを得てどうする」
「あなたは何もわかっていないわ、お父様。あなたやお母様は悠久の時を生きる不死の存在。比べて私は唯の人間」
「種族の違いなど何の意味も成さないと…教えてきたはずだ」
「それについてはわかっているつもりよ。だけどね、お父様。私はきっと…あと数十年もすれば死んでしまうわ。お父様達のように永遠を生きる身からすれば…人間の一生なんてほんの一瞬に過ぎないのでしょうね」
「定められた天寿を全う出来ることこそ、真の幸福だ…アリシアや俺はそれが出来ず…今ここにいる」
「私がお婆ちゃんになって…死んだとして…きっとお父様達はとても悲しんでくれるのでしょう。ほんの数十年だけでも一緒に過ごした大切な娘を、永遠に忘れずにいてくれるのでしょう。でも私はそんなの嫌。愛する両親を残して、一人枯れていくなんて絶対に嫌」
「真宵…」
「お父様とお母様が不死の運命を背負っているなら、私も背負う。私はずっと2人の傍にいると決めたのよ…!」
自らの心の内を曝け出した娘を前にし、フローヴェルは考える。
自分達の娘は立派に育ち、自分の意志で永遠の人生を歩もうとしている。
しかし大切な娘にこの業を背負わせてしまっても良いものか。
真宵との別れ。
考えてこなかったはずは無い、そして出来ることなら別れたくは無い。
そんな考えがフローヴェルの頭を巡り、彼の判断を迷わせる。
そうして彼が行きついた答え。
「真宵よ、お前の意志はしかと受け取った。正直に言えば、俺自身も答えを出すことが出来ぬ。よって…今からお前に試練を与える」
「試練…?」
「ああ。我が血を欲するならば力ずくで奪い果せるが良い。但しこの試練、一筋縄ではいかぬぞ」
「私は最初からそのつもりよ、何も問題無いわ」
「ならば娘よ…お前の持つ黄金の可能性、この俺に示して見せよ…!征くぞ!我は魔王…フローヴェル・イヴ・ルシファー也!」
フローヴェルの身を拘束していた真宵の禁呪が、力ずくで引き千切られる。
「なっ…!」
「愛する娘が相手故…命までは奪わぬ。だが覚悟するが良い、少々灸を据えてやろう…!」
フローヴェルの背に6枚の漆黒の翼が顕現する。
魔力の集合体であるフローヴェルの翼。
平時は2枚、ないしは0枚。
それでも上級魔族をゆうに超える力を持つ父。
その父の背には今、真宵も初めて目にする「6枚」の翼が顕現していた。
大地を揺らす膨大な魔力を感じ取り、真宵は思わず後ずさった。
かつて自分を地獄の底から救い上げた父の力。
それは今、天地揺るがす魔王の力となって己に矛先を向けている。
魔法の撃ち合いになればどうみても父に分があることは真宵にもわかっていた。
長期戦は不利、そう判断した真宵はすかさず詠唱を開始する。
「残念だけどお説教ならお断りよ…!禁呪・鬼哭啾々!」
先刻よりも更に大きい、膨大な質量を持った閃光がフローヴェルに放たれる。
その瞬間。
フローヴェルは手を翳し、ぽつりと呟いた。
「禁呪・シャドウフレア」
刹那。
真宵の放った閃光は黒色の大爆発にいとも容易く打ち消される。
「自分の親ながら…正直引くわね、これは…」
「学院では優等生で通っていると聞き及んでいるが…全く、禁呪ばかり使いおって」
「教科書で習うような魔法でどうにかなる相手かしら。それに親が親なら娘も娘ってね…禁呪ばかり使うお父様に言われたくないわ…!秘術・夢幻泡影!」
フローヴェルの周囲に花びらが舞い散る。
「転移する暇など与えないわ。降参する?お父様」
真宵の魔力により作られた桜色の花びらは、フローヴェルを取り囲み、次々に爆ぜる。
「所詮は散り行く花弁。大地に君臨せし雄大なる生命の前では、実に無力なものだな」
「木…?」
突如現れた大樹は、術者を護るかのようにその枝葉でフローヴェルを囲んでいた。
「神樹・ユグドラシル」
「全く…闇魔法以外も使えるなら最初に言って欲しいものね…」
「この身に宿りし略奪の力を忘却したか、娘よ」
「本当になんでもアリね、それ…」
「さて、躾の時間だ」
******************************************
「…真宵!…真宵!」
誰かが私を呼ぶ声がする。
お母様…?
折角気持ちよくお昼寝していたのに。
「あれ、私…」
「全くもう…今日はお出かけするって、あなたが言い出したんでしょう?」
そうだったっけ。
そういえば…そんな気がする。
「たまの休日だ、良いではないか。日頃の疲れも溜まっていることだろう」
出かけると言い出しておいて寝こけてしまった私を、父がフォローする。
「……」
「まだ寝ぼけてるみたいね、お顔を洗ってらっしゃい」
「…夢」
「どうした?」
「…夢を、見ていたの」
「ほう、どんな夢だ」
「私が…お父様と戦う夢…」
「ふふ、親子喧嘩でもしていたの?」
「ううん…お父様の…血が欲しかったの」
「何故そんなものを欲しがる。流石の俺でも若干引くぞ、それは」
「不老不死になって…お父様と…お母様と…ずっと一緒にいたかったの」
「あら、おかしなことを言うのね」
「全くだ。そもそもお前は魔族であろう。ずっと一緒と言うならば既にそうだが」
「え…?」
「何の夢を見ていたのか知らないけど、早く準備をしてきなさい」
「違う…私は人間で…」
「お前が人間だと…?それはどこで覚えた冗談だ、娘よ」
違う。
私は人間で、それ故に不死を望んだ。
違う。
ここは現実じゃない。
「ありがとう…お父様、お母様。お陰で目が覚めたわ」
両手に魔力を集中させる。
「ちょっと…!何をしてるの!」
「ごめんなさい、私には帰る場所があるから…禁呪・幽玄霊舞!」
******************************************
「はぁ…はぁ…帰って…これたようね」
大量の魔力を暴発させた真宵は、息を切らしながら辺りを見渡す。
「ほう、アヴァロンの催眠を自力で破るか。この魔法は自分に厳しくあらねば抜け出すことは叶わぬ…褒めてやろう」
「やはりね…。催眠術や幻術の類だと思ったわ」
「その者が最も望む夢を永久に見せ続ける催眠魔法、アヴァロン。良い夢が見れたであろう」
「おかげさまでね。なんとしても実現させたいと…改めて思ったわ」
「言うは容易いが…随分と疲れているように見えるぞ」
「ええ。次が最後になるわ…私の残り全ての魔力を使って…とっておきの魔法をお父様に贈るわ」
真宵が両の腕を広げ、詠唱を開始する。
「娘からの贈り物とあらば…正面から受け止める他あるまい。来い」
「私の全ての魔力よ…吹き止まぬ花吹雪となって舞い踊りなさい。禁呪…百花繚乱」
真宵が静かに呟くと同時に、彼女の体から全ての魔力が放出されていく。
主の体から放出された魔力は、幾億の花びらとなり夜の大平原を照らしていく。
「…これほどの魔法を行使できるようになったか、真宵」
大平原を埋め尽くすかのように広がる娘の魔法を目の当たりにし、フローヴェルは優しく微笑んだ。
「私の夢の為…爆ぜろ!百花繚乱!」
幾奥の花びらはフローヴェルを取り囲むように収束され、次々に爆発を始める。
「規模が変わろうと同じこと…!神樹・ユグドラシル!」
先に放った秘術と同系統と判断したフローヴェルは、先程と同様に神樹での防御を試みる。
「…くっ!!」
だが、神樹の枝葉は無限に続く爆発に耐え切れず、次第に枯れ落ちていく。
「これで…終わりよ、お父様…!」
「…強く…なったのだな…」
爆発に巻き込まれる刹那、フローヴェルはぽつりと呟いた。
全ての花びらが爆ぜた後。
その身に数多の傷を刻まれ、フローヴェルは膝をついた。
「…お父様!…お父様!」
自らの魔法を受け止めた父を心配し、真宵が駆け寄る。
「…阿呆め。心配するくらいなら最初からやるな」
「ごめんなさい…!お父様、怪我が…」
「この程度の傷、ものの数分もあれば再生される。心配には及ばぬ。それよりも…」
フローヴェルが自らの手を差し出す。
その指先からは不死の力を宿した天使の血が紅い雫となって零れ落ちていた。
「よくぞ我が試練を乗り越えた。褒美だ、受け取るが良い」
「お父様…いいの?」
「褒美だと言っているだろう。早くしろ、再生されてしまうぞ」
「…ありがとう、お父様」
真宵は両手で父の手を取り、口元へ近付ける。
「今日をもってお前は人の道を外れた。永遠の命と引き換えに魔人と呼ばれることになろう。その道は決して易しくは無い…心せよ」
「…はい。いつまでも、あなたの傍に」
この日、かつて忌み子と蔑まれた人間の少女は、魔王の血を受け継ぐ魔人となった。
──イリアスフィーナ王宮、王室
「全く…何を考えているのかしら…」
「それは自分でもそう思っている…」
「あなたもよ、真宵」
「はい…ごめんなさい」
フローヴェルと真宵は、揃ってアリシアに説教をされていた。
勿論、真宵が人の器を捨てたことについて。
「本当にどうするの、こんな取り返しのつかないことをして…」
「真宵の意志は本物であった。俺が与えずとも別の方法を模索したであろう。ならば何らかの代償を背負う他の儀式より…」
「自分の手で、とでも言うつもり?」
「…すまぬ」
「真宵…本当に後悔していない?」
「勿論よ、お母様。これからもお母様達とずっと一緒にいられること、心から嬉しく思っているわ」
「…真宵…!」
アリシアが涙を零しながら真宵を抱きしめる。
「ずっと…ずっと一緒にいようね…」
「ええ、お母様…」
娘との離別。
アリシアも幾度と無く考えてきたこと。
フローヴェル同様、口には出さずとも永久に一緒にいたいと望んでいたのだろう。
ひとしきり叱った後、自分達と生きていくことを望んだ娘を心から祝福していた。
「ね、お父様」
「どうした?」
「どうして魔法だけで戦ったの?」
「何を言いだすのかと思えば…そんなことか」
「私は蹴ったり殴ったりするのは苦手だから…お父様が距離を詰めてきたら勝ち目は無かった」
「夜も深かった…動き回るのが面倒だっただけだ」
「でも…」
「ああ、真宵」
「なぁに?お父様」
「誕生日、おめでとう」
-Fin-
「さて…長々と紡いできた御伽噺も、ようやくひとつの終わりを迎えよう」
「遂に少女との再会を果たした男は、数奇なる運命の歯車に巻き込まれていく」
「その先にあるのは希望か、それとも絶望か。しかとその目に焼き付けろ…愚かな男が辿る運命の道標を!」
──かくして運命の車輪は回り続ける
──ヴァルハラ神殿内部、神の間
「堕天の儀?なんだそれは」
ふいに親父が発した単語の意味がわからず、俺はオウム返しのように聞き返した。
その名から察するに、何らかの儀式であることは間違い無いのだろうが、それ以上のことは推測できない。
尤も、あまり良い儀式でも無さそうだが。
「堕天の意味は知っておるかの」
「天使の矜持に反した者の翼は黒く染まり、以降は魔族として扱われる」
流石にそれくらいは知っている。
天使の歴史や知識などには一切興味が無かったが、師団長を務める以上は必要な知識だと親父に叩き込まれた。
レ・ミゼラブルで知識を奪ってしまえれば楽だったのだが、流石に同族にこの力を使うわけにはいかない。
こんな俺にも、最低限の常識はあるのだ。
「うむ、正解じゃ。堕天の儀とは力に溺れた天使が自らの魂を闇に売り渡し、更なる力を得る儀式のことらしい」
「それはそれは、便利な儀式があるものだ」
と口にしてみたものの、手軽に力を手に入れるなど不可能に近い。
おそらく何らかのリスクを伴うのだろう。
察するに、強制的に堕天使を作る儀式のようなものか。
「馬鹿たれが。無論、翼は黒く染まり、ヴァルハラを追われる」
「成程、そう上手くはいかないものだな」
やはりか。
そう上手い話が転がっているはずも無い。
「近頃、堕天の儀を行い、ヴァルハラを追われる者が増えておる」
「凡俗は大変なことだな、かような面倒を踏まねば力を得ることすら叶わんとは」
どうせ悠久の時を生きる存在である天使だ。
地道に鍛錬を重ねて強くなろうという意志は無いのか、嘆かわしい。
「それだけの話ならばまだ良いのだが、どうやら裏で糸を引いているものがおる」
「ほう…」
「このヴァルハラで最も神の座を強く求めている者と言えばわかるかの」
「パーシヴァルか…」
第1師団長、パーシヴァル。
名実共にヴァルハラ最強の天使と呼ばれる男。
その力は戦闘専門の師団の中でも群を抜いている。
「うむ。次期神の座に最も近い者だ。事実、今回の件が無ければ私は迷わず後任に任命していたことだろう」
「そんな次期神様は堕天して魔王の座でも目指すというのか、ご苦労なことだ」
「いいや、奴は実験しておるのだ。堕天せずに堕天の儀を行う方法を…」
成程、つまるところ新たな儀式の開発と言ったところか。
おそらく堕天の儀をベースにした、力を解放する儀式を作りたいのだろう。
「便利ではないか」
「阿呆。何人の天使が犠牲になったと思っておる」
それもそうか。
頭の良い馬鹿は得てして加減というものを知らない。
「しかし数多の天使を犠牲にしている時点で、天使の矜持に反しているだろう。パーシヴァル自身が堕天しそうなものだが」
「あくまで犠牲者達に自発的にやらせているそうだ。弱味を握られている者達を使ってな」
狡猾。
まさにそんな言葉が相応しい男だ。
個人的には嫌いでは無いが。
「よくぞクルクルと頭が回ることだ」
「褒めとる場合か。以上を部下に調べさせたのだが、未だに確証は掴んでいない」
「簡単には尻尾を掴ませない自信があるからこそ、行動に移しているのだろう」
元来、冷静沈着という言葉が相応しい男だ。
何をするにも石橋を叩く男がこれだけの大事を成し遂げようとしているのだ。
入念な準備をしているのだろう。
「そこでフローヴェル。お主にパーシヴァルの監視を頼みたい」
「断る、他をあたれ」
何故俺がそんなことをしなければならないと言う意味を込め、即答する。
生憎興味は無い、勝手にやって欲しい。
「たまには親孝行せんか、馬鹿息子」
「痛っ…そういうことなら確証が得られた時点で親父が始末すればいいだろう」
親父の力は光を司る力。
魔法なども勿論使えるが、その力の最たるものは光の速度での移動。
極端な話、光の速度を持った質量に殴られでもしたらその時点で相手は消滅する。
細かいことはわからないが、パーシヴァルと言えど問題にならないだろう。
「それができぬからお主に頼んでおるのだ」
「できない?」
「パーシヴァルは私よりも強い」
「冗談のつもりか?」
人知を超えた存在である神々。
その1人に名を連ねる者が勝てない相手などいるものか。
「昔の私なら何の問題も無かったろうがな…お主に力を奪われた今では奴には勝てまい」
成程。
過去を引き合いに出し、俺を嗾けようという魂胆か。
「何度頼んでも同じだ。第4師団は戦闘部隊だ、監視などくだらない任務ができるか」
俺は吐き捨てるように拒否の意を示し、神の間を後にした。
──ヴァルハラ神殿内部、大食堂
訓練の後は腹が減るものだ。
兵士達はしばらく動けないとのことなので、先に食事を摂りにきた。
全く、ほんの少ししごいただけで情けない。
鬼の第4師団が聞いて呆れる。
「やあ、フローヴェル。一緒にいいかな?」
そんなことを考えながら食事をしていると、1人の男が相席を求めてきた。
「パーシヴァルか。好きにするがいい」
第1師団長パーシヴァル。
しばしばエリート部隊などとも例えられる第1師団の団長であり、ヴァルハラ最強の天使との呼び声も高い男だ。
「最近の天使達の相次ぐ堕天化、嘆かわしいことだと思わないか」
「食事時ですら仕事の話か。お前には敵わないな」
親父の話では黒幕はパーシヴァルらしいが…
演じているのか、それとも全くの濡れ衣なのか。
「フローヴェル、お前はこの忌々しき事態に何も感じないのか?」
「リスクを覚悟の上で力を求めるなら、好きにすればいい。そんなものは本人の自由だ」
何が善で何が悪か。
そんなくだらない定義に興味はない。
例えいくら善行を積もうとも、力が無ければ大切なものすら守れないのだ。
「そうか…そういえばお前は人間だった頃は悪党だったと言っていたな」
「ああ。力を求める者の気持ちはわかっているつもりだ」
「では仮にリスクも無く確実に力を得られる方法があったとしたら…お前はどうするんだ?」
「迷わず力を求めるだろうな」
尤もレ・ミゼラブルを使えば力を得ること自体は非常に容易いのだが。
仲間にすら恐れられてしまうので、レ・ミゼラブルのことは親父とアリシア以外は知らない。
「成程…お前なら俺の相棒に相応しいかもしれないな、ふふ…」
「相棒…?」
「ああ、今夜俺の部屋に来てくれ。話したいことがある」
「悪いがそっちの気は無い」
「ち、違う!変な勘繰りをするんじゃない!とにかく今夜だ、いいな!」
そう言い残し、パーシヴァルは食堂を後にした。
──ヴァルハラ神殿内、大廊下
「ベル、何悪い顔してるのー?」
廊下を歩いていると、金髪の天使が顔を覗き込んできた。
「悪い顔とはご挨拶だな。弁えよ、アリシア第7師団長」
第7師団は治癒魔法に特化した師団であり、アリシアはその団長を務めている。
昔は自分には何の力も無いと言っていたが、どうやら彼女には治癒魔法の才能があったらしい。
その才たるや凄まじく、瞬く間に師団長に抜擢されたほどだった。
「つーん」
そんなアリシアが露骨に不機嫌そうな顔をしている。
「どうした」
「そんな態度のベルとはお話しませーん」
そんな態度、とはアリシアに対して余所余所しい態度をとったことだろう。
とはいえここは人気の多い大廊下。
2人の師団長が馴れ合っている様など、下級天使に見せるべきものではない。
「そうか、ならばこれにて失礼する」
俺はそれだけ告げ、アリシアと別れようとする。
「…こいつ信じられない」
やれやれ。
これ以上冷たくすると後が面倒臭そうだ。
「悪いが俺は忙しい。また後でかまってやる」
アリシアの頭にポンと手を置く。
「もう!どうせまた危ないことに首突っ込んでるんでしょ!?」
「好きで突っ込んでるわけではない」
「ほらやっぱり危ないことなんだ…」
危ないこと、か。
恐らく今回の事件はパーシヴァルの手によるものだろう。
そしてパーシヴァルは俺を仲間に引き入れようとしている。
一方で親父はパーシヴァルを監視するように命じた。
つまるところ、どちらに手を貸し、どちらと敵対するかということになる。
「ちょっとベル、聞いてるの?」
再びアリシアが顔を覗き込んでくる。
「聞いてない」
「絶対嘘だ!」
「さて、本当にそろそろ失礼する。また後でな、アリシア」
「はーい、またねー!」
アリシアの声を背に受け、俺はひらひらと手を振って返した。
俺の最も大切なもの。
それは言うまでもなく、アリシア。
彼女を守る為ならば、俺はどんなことでもするだろう。
彼女を守る為ならば、俺は再び闇に堕ちよう。
──パーシヴァル私室
「さて、話とは何だ?それなりに面白い話を期待してもいいのだろうな」
その日の夜、俺はパーシヴァルの部屋を訪れた。
「ふふ、勿論だ。かけたまえ」
パーシヴァルにソファに座るように促される。
柔らかそうなソファに腰を下ろし、差し出された紅茶を口に含む。
「それで、何の相談だ」
「昼間の話の続きだが…リスクを背負わず、力を手にする方法があるんだ」
やはりそうきたか。
各師団長達の私室は尋常ではないセキュリティが施されている。
本人の許可無く部屋に立ち入ることは絶対に出来ない。
要するに、秘密の話にはうってつけの場所だ。
「興味深いな、詳しく聞かせてもらおう」
「君なら必ず興味を持ってくれると思っていたよ、フローヴェル」
「それは何よりだ」
どちらからともなく、笑い合う。
およそ天使とは思えない笑みを浮かべながら。
「堕天の儀を改良して、堕天することなく力を解放する儀式を作ったんだ」
「ほう、ということは…」
パーシヴァルの顔をちらりと見る。
「察しがいいな。最近相次いでいる天使達の堕天化は、この儀式を作り上げる為のモルモットだ」
「やはりか…」
「どうする、天使の矜持に反する俺を処刑するかい?」
「悪いが善だの悪だのというくだらない定義には興味が無いものでな」
再び邪悪な笑みを浮かべて笑い合う。
「流石だよフローヴェル…!正直なところ、君と戦う事態だけは避けたかったんだ」
やはりここで難色を示したら俺と戦うつもりだったか。
俺としてもヴァルハラ最強の天使様と戦うなどという面倒は避けたい。
「それで、俺に何をしろと言うんだ?」
「この儀式を用いて我々の力を解放し、グレゴリウスを討つ。力を貸して欲しい」
「成程、それで俺か…」
親父の力が衰えていることを知っているのは俺だけだ。
パーシヴァルはおそらく、力を解放したとしても1人で勝てる相手では無いと思っているのだろう。
教えてやっても良いが、パーシヴァルからするとその時点で俺と組む必要は無くなる。
どころか今度は俺を始末しようとしてくるだろう。
ここは黙っておくのが得策といったところか。
「ああ、お前が人間だった頃にグレゴリウスを追い詰めたという話は聞き及んでいる。2人でかかれば間違いなく我々の勝利だ」
「それで、グレゴリウスを倒してどうする」
「俺がヴァルハラを支配する」
「それはそれは、大層な野望だな」
自らの野望を打ち明けたパーシヴァルを笑ってみせる。
勿論冗談では無いことは承知の上だ。
「その時、お前には俺の右腕として働いて欲しいんだ、フローヴェル」
「この俺を飼い慣らそうと言うのか?パーシヴァルよ」
俺は不機嫌そうにパーシヴァルを睨んでみせる。
実際機嫌を損ねたわけではないが、交渉術の一環だ。
「飼い慣らそうなどとは思っていないよ。お前とは良き相棒として共にヴァルハラを作り変えていきたいと思っている。が、どうせお前のことだ。頂点の座は面倒臭がるだろう?」
「残念ながらお前の言う通りだ。いいだろう、交渉成立だ」
「そう言ってくれると思っていた。では後日、儀式を執り行う。それなりに時間のかかる儀式だ。闘技場を貸切り、外を部下に見張らせるとしようか」
「闘技場で大丈夫なのか?」
「問題無い、師団長2人が訓練に使用すると言えば入ってくる者もいないだろう」
「それもそうか。それでは当日を楽しみにしていよう」
「ああ…俺達が…ヴァルハラの新たな支配者となるんだ!ハァーッハハハッ!!」
──ヴァルハラ神殿内、闘技場
静まり返った闘技場。
普段は鉄の音と人の声に溢れているその場所は、静寂に包まれていた。
「さぁ、始めようか。フローヴェルよ」
「ああ。入口には理由は言わずに第4師団の連中を集めておいた。第1師団がいるのでは必要無かったかもしれないがな」
「いやいや、助かるよ。ではまず俺が最初に手本を見せる。その後、同様の手順でお前もやってみるんだ」
「了解した、それでは見学させてもらうとしよう」
パーシヴァルが闘技場の中心に向かっていく。
闘技場には巨大な魔法陣が描かれていた。
「始めるぞ…!」
魔法陣の中心へと至ったパーシヴァルは、両手を広げ詠唱を開始する。
詠唱が始まったのを確認し、俺は腰から長剣を抜く。
親父から奪った力を行使し、光の速度で対象に斬りかかる。
刹那。
パーシヴァルの首筋から夥しい量の血飛沫が飛ぶ。
「ッ…!何をする!フローヴェル、貴様ァァァァ!!」
パーシヴァルが傷口を抑えながら叫ぶ。
「簡単な話だ。お前の命はここで潰える、それだけだ」
追撃を与えるべく、俺は再び長剣を構える。
「…今になって神の座が惜しくなったか!?この俺を裏切るとはな…!」
「お前の言う支配…ヴァルハラの未来…そこにアリシアの笑顔は無かった。俺はアリシアが笑顔でいてくれるなら、他に何もいらない」
再びパーシヴァルへ斬りかかる。
キィン!
パーシヴァルも剣を抜き、俺の斬撃を受け止める。
「ほう、なかなかやるじゃあないか!」
「あくまであの女に拘るか…!いいだろう、貴様を始末した後はあの女だ…!」
パーシヴァルの傷口が光に包まれ、見る見るうちに傷が塞がっていく。
おそらく自然治癒能力の一種だろう。
「そのようなことを言われては本気で戦うほかあるまい。死んで後悔するなよ、パーシヴァル…!」
「それだけの力を持ちながら1人の女に固執する…!それが貴様の弱点だ、フローヴェル…!」
パーシヴァルと剣を打ち合いながら、詠唱を開始する。
「الحكم أن يكون دهور في خاطئين الشخص الذي المطهر الظلام」
「なんだ、その魔法は…!?」
自分の知らない詠唱を警戒したパーシヴァルが瞬時に距離を取る。
「彼女の存在が、闇に囚われた俺に光をくれた。彼女の笑顔のお陰で、俺はこうして家族を守って戦える」
「あのような軟弱者達が家族だと…笑わせるなっ!」
「煉獄に焼かれよ…ゲヘナ…!」
闘技場が煉獄の焔に包まれる。
自身すら包み込む地獄の炎を前にし、懐かしい記憶が甦る。
それは、初めて親父と会った日。
俺は全ての憎しみを込めてこの魔法を放った。
人間としての俺が、全ての憎悪を込めて放った獄炎。
だが、今日は違う。
アリシアや親父、気の合う仲間や部下達。
そんな大切な家族達を守る為に、この魔法を使おう。
「これは…闇のロスト・スペル…何故貴様が扱える…!」
「生憎と俺は不良天使でな」
獄炎が数多の火柱となって、パーシヴァルを襲う。
パーシヴァルはそれを全て紙一重で躱す。
最強の天使と呼ばれるだけのことはある。
「貴様ァ…!外に控える我が部下達よ!聖地ヴァルハラに火を放った反逆者、フローヴェルを捕えよ!」
パーシヴァルが闘技場の入り口に向かって叫ぶ。
だが、第1師団の兵士達の姿は誰1人として見えない。
「どういうことだ…入口で待機しているはずだろう…!」
「ふはははは!大方エリート様達は、うちのならず者に手を焼いているのではないか」
「貴様…何をした…!」
「今の俺は1人ではない。家族の力を借りるのは至極当然であろう」
──闘技場前
「お前ら!気合入れろ!誰1人として団長の元へ行かせんじゃねえぞ!」
第4師団副団長ダグラスの怒号が響く。
「団長の手を煩わせんじゃねえぞ!てめぇら!」
「たりめぇだ!団長のご決断を無駄にしてたまっかよ…!」
ダグラスの指揮の元、第4師団の兵士達がパーシヴァルより突入の名を受けた第1師団を迎え撃つ。
フローヴェルが彼らに命じた任務、それは事情を知らない者達の介入を防ぐこと。
此度の事件の謀反人であるパーシヴァルを自分が討伐する。
窮地に陥った彼は、自分の部下に援軍を求めるだろう。
それをお前達全員で、命を奪わない程度に妨害して欲しい。
尊敬する自分達の上役が頭を下げる姿を見て、彼らは何も言わずにこれを快諾した。
「おいおい…こんなモンかぁ、エリート共!団長のシゴきの方が100倍キツかったぜ…!」
「ぎゃははは!あの人と比べてやるんじゃねえよ…!おら、次!かかってきやがれ!」
性格こそ難はあれど実力は一流の彼らは、第1師団の兵士達を圧倒していった。
「貴様ら…この闇の炎を見ろ…!あの男はヴァルハラに弓を引いた罪人だぞ…!」
第1師団の兵士が声を上げる。
「どっちが正しいかなんて興味ねぇ…!てめぇらの団長が裏で悪事を働いていることもどうでもいい…!あの人はな…俺達みたいな連中を家族と呼んでくれたんだよ!命を預けるには十分だろうがよ!」
「応ともよ!ここは第4師団改め、フローヴェル一家が死守させて貰うぜ…!」
───闘技場内
「どうやら外でも戦が始まったらしいな」
「貴様ァ…!」
増援が来ないと悟ったパーシヴァルが俺を睨み付ける。
「部下達の為にも、早めに片付けてやらねばな」
「抜かせ…!貴様に勝利など無い…!」
キィンキィン!
目にも止まらぬ速さで斬り結ぶ。
俺自身が親父の力を使いこなせていないということと、そもそも力を半分しか奪っていないことを差し引いても剣速は相当のはずだが…問題無く斬り合ってくる辺りは流石と言わざるを得ない。
「…どうやら剣では勝負が着かなそうだな」
「どうした、息が上がっているぞフローヴェル…!」
「お互い様だろう…闇の裁きを受けよ、ナイトフォール!」
闘技場の上空から、巨大な黒い柱がパーシヴァル目がけて着弾する。
広範囲殲滅用の闇魔法、ダークアトレイアの力を全て1本に集約した魔法だ。
当たれば跡形も無く消滅するはずだが…
「はははっ…愚かだな、フローヴェル…!聖なる力を極めた俺に闇の力など通じるはずが無いだろう!」
やはりこの程度では浄化されてしまうか。
だがそれでいい。
時間を稼ぐことが最大の目的だ。
「…タルタロスの鎖」
空間から鎖が現れ、パーシヴァルの体を拘束する。
「…地獄の鎖だと…くっ…こんなもの…!」
鎖の拘束から逃れようとパーシヴァルが暴れる。
恐らくパーシヴァルクラスの天使を縛るには力不足だろう。
時間稼ぎからの時間稼ぎ。
全ては次に放つ大魔法の為の布石。
左手で胸のペンダントを握る。
人間としてのアリシアが死んだ日、彼女から託されたペンダントだ。
人間としての俺が死んだ日…獄炎に焼かれても、彼女の尊い意志は砕けなかった。
そんな強い意志を宿したペンダントを握り、彼女を想う。
「アリシア…力を貸してくれ」
「無駄だ…!身動き出来ずとも、闇の力など一瞬で浄化してくれる…!」
「汚れ無き天空の光よ、大地を貪る闇の劫火よ。愛すべき者達を護る為、今こそ其の力を一つに合わせん!開闢の光よ、終焉の闇よ!愚かなる罪人を裁き給え!ラグナロク!」
アリシアから受け取った聖なる力が、辺りに広がる獄炎を統制する。
聖なる力により神炎となった獄炎は、巨大な炎の柱となりパーシヴァルを焼き尽くしていく。
「ぐああああああっ!バカな…何だ!この魔法は…!浄化できぬ…!」
「罪深き男が彼女の尊い意志を浄化しようなど笑止千万、大人しく神炎に裁かれるがいい」
神の炎ラグナロクは罪人を焼き尽くし、消えた。
「フローヴェル…貴様…許さぬ…」
パーシヴァルがよろめきながら立ち上がる。
「まだ息があるとは驚いた」
「先の一撃、全ての魔力を注ぎ込んだのだろう。今の貴様は完全に無力だ…!潔く負けを認めるが良い…」
確かにラグナロクに全ての魔力を持っていかれてしまった。
今の俺には、低級魔法すら撃つことは叶わないだろう。
それでも不敵に笑い、パーシヴァルを見据える。
「いいや、敗者はお前だ…パーシヴァル」
パーシヴァルの眼前に掌を翳す。
お前の所為で散々辛い目にあってきた。
お前の所為で大切なものは全て奪われた。
幾度と無くお前を恨んだ。
それでも親父は、自分の才能と向き合えと言った。
その言葉を信じてここまで来た。
だから、今回だけは。
大切なものを守る為に、力を貸してくれ。
「レ・ミゼラブル」
「何だ…これは!やめろ!俺の力が!俺の力が!うわあああああああああああああああああ!!!!!」
「さらばだ、偽りの光よ」
全ての力を失ったパーシヴァルの首を、胴から斬り離す。
これで全てが終わった。
──闘技場前
「団長!終わったんすか…!」
「ああ、パーシヴァルは始末した。親父を呼んで来てくれ」
部下の1人に親父を呼びに行くように命じる。
第1師団の兵士は皆、完全に第4師団に制圧されていた。
「団長、本当にお疲れ様っした!」
「お前達には助けられた。礼を言う」
「へへっ、団長に素直に感謝されると照れますね!」
「終わったようだの…」
部下に呼ばれた親父が向かってくる。
「ああ…今まで世話になったな、親父よ」
「え、いきなり何言ってんだよ団長!人が悪いぜ!」
「黙っていてすまなかった。俺はこのままヴァルハラに居続けることはできない」
「おいおい、冗談が過ぎるぜ!団長!パーシヴァルを倒した英雄が何言ってんだよ!第1師団の連中にはちゃんと説明すればいいだろ!?」
「お前達、黙ってフローヴェルの話を聞いてやれ」
親父の言葉を受けて、部下達が静まり返る。
それを確認してから、俺はゆっくりと口を開く。
──数日前
「親父、やはりパーシヴァルが黒幕のようだ」
「やはりか…あの馬鹿息子め…!」
「確証も取れた。すぐにでも討伐する」
討伐するならば早い方がいい。
これ以上犠牲者が増える前に。
「だがフローヴェル…同族であるパーシヴァルを討つということが、どういうことかわかっておるのか」
「同胞を討った叛逆者フローヴェルは、間違いなく堕天するだろうな」
簡単なことだ。
仲間同士の争いを生まぬように、我々天使はそのように作られている。
「お主…!そこまでわかっておって何故…!」
「パーシヴァルを倒せるのは俺だけだろう。あいつを野放しにしておいたら、ヴァルハラは崩壊する」
「だが…ヴァルハラの脅威を取り除いたとしても、お主自身はヴァルハラには居られなくなってしまうだろう」
「覚悟の上だ。親父やアリシア、第4師団の連中には大切なものを貰った。あいつの好きにはさせない」
「別の手を考えることはできんのか…」
「悠長に事を構えている暇は無いだろう。気にするな、親孝行のようなものだ」
──闘技場前
「なんだよ…じゃあアンタは…ここに居られなくなることを知っていて、パーシヴァルと戦ったのか…!」
「…そうだ」
「勝っても負けてもアンタの居場所は無くなるのに…何でそんな馬鹿な真似をしたんだよ!団長!」
俺が堕天するという事実は、連中には話していなかった。
話していたら連中もすんなり協力はしてくれなかっただろう。
「ここは俺の愛すべき故郷だ。あんな男に奪われるのが気に入らなかっただけだ…」
「またそうやってかっこつけるんだから…!」
聞き慣れた声を耳にし、思わず顔を上げる。
そこには走って駆け付けたんだろうか、息を切らしたアリシアが立っていた。
「アリシア…すまなかった」
「ベルの馬鹿…折角また会えたのに…」
「お前や親父、第4師団の馬鹿ども。大切な家族達を与えてくれたヴァルハラを護りたかった…許せ」
「ベルはいつもそう…1人で難しいこと考えて…勝手に行動して…」
「…すまない。俺はいなくなるが、どうか元気でやって欲しい」
そろそろ、時間だ。
翼が黒く染まり始める。
「団長…翼が…!」
「そろそろだな…俺は行くとしよう」
「団長、本当に行っちまうのかよ…!」
「これからの俺は魔族…在るべき場所へ還るだけだ…ダグラス!」
「…はい」
俺は腹心とも言える部下、副団長ダグラスを呼ぶ。
「第4師団はお前に任せる…頼んだぞ」
「っ…わかり…ました…」
ダグラスの肩にぽんと手を乗せ、後任を命じる。
ダグラスも涙声になりながらではあるが、引き受けてくれた。
さぁ、これで思い残すことは何も無い。
「親父、世話になった」
「フローヴェル…」
「何をシケた面している。息子が実家を出ていくのがそんなに寂しいか、親父よ」
「馬鹿なことを言うんじゃない…」
「たまには里帰りしてやる、息災でな」
父親に別れを告げ、アリシアに向き直る。
「さて、アリシア…」
「ベル、どうしても行っちゃうの?」
「ああ。堕天使がヴァルハラにいては他の天使に示しがつかないだろう」
「なら私も一緒に行く!もう離れ離れになるのは嫌だから…」
アリシアの顔が、冗談では無いことを告げている。
昔からこうなると何を言っても聞かない彼女だが、今回ばかりは事情が違う。
彼女は再び平和が訪れたヴァルハラで、静かに暮らすべきだ。
「アリシア、わかってくれ。お前は──」
「ふむ、ならばアリシアよ。お主もフローヴェルと一緒に行ってやってはくれんかのう。この馬鹿息子だけでは何をしでかすかわかったものではない。お主がおれば安心できる」
俺の言葉を遮るように親父が口を挟んでくる。
「決まりだね、ベル!」
本音を言えば俺はこれから先もアリシアと一緒にいたい。
けれど彼女はここで平和に暮らした方が幸せだと思う。
俺はこれから、道標の無い道を手探りで歩いていく。
家族と離れ、1人荒野の果てを彷徨う流浪の旅。
そんな旅に彼女を巻き込むわけにはいかない。
いいや。
もう後ろ向きに考えるのはやめにしよう。
彼女がずっと笑顔で過ごせる居場所を、俺が作ればいい。
天使も魔族も人間も、住む人々が皆笑って過ごせるような、夢のような場所。
そんな場所を作ろう。
それが俺の夢。
さらば、ヴァルハラ。
さらば、我が愛する家族達よ。
ありがとう。
──イリアスフィーナ王国、会議室
「納得できません…!王である貴方御自ら視察へ出向くなど!」
今日は王国の定例会議。
国をより豊かにする為に、人間達が生活を営むブリアティルト大陸への視察へ出向く。
そう提案してみたのだが、腹心であるノワールが難色を示す。
「不満があるなら申してみよ、ノワール」
「陛下がご不在の間、国はいかがされるおつもりなのですか!」
「俺が不在の間は、全権を王妃達に委ねる。俺自身も週に何度かは戻るつもりだ。それでも問題があるのか?」
「ちなみに私も一緒に行くわよ。いいわよね、お母様」
愛娘である真宵が、火に油を注ぐ。
正直なところ、それは今言って欲しくはなかった。
「フローヴェル…あなたのそういうところは今に始まったことでは無いので、何を言っても仕方ありませんが、真宵に何かあったらと思うと心配です。ノワール…あなたも一緒に行ってくれますか?」
「わ、私ですか…!?」
王妃直々に指名され、ノワールが目を丸くしている。
確かにノワールがいれば何かと便利かもしれない。
「よし、決まりだな。真宵、ノワール、準備にかかれ」
「楽しくなりそうね、お父様」
「どうして私まで…うう…」
──イリアスフィーナ王国、フローヴェル私室
コンコン。
「入れ」
ノックの音が聞こえたので、入室を許可する。
すると、美しい金髪を持つ純白の天使が姿を現した。
イリアスフィーナ王国第一王妃、アリシア・イヴ・ルシファー。
国内一と呼ばれる美貌に、上品な立ち振る舞い。
イリアスフィーナの全ての女性の憧れとも言える、俺の妻の1人だった。
「アリシアか、どうした?」
俺は妻を迎え入れ、用件を聞く。
すると、上品な王妃様はいきなり大きなため息を零した。
「ほんっと信じられない…真宵まで連れて行くなんて」
どうやらお説教だったらしい。
会議の場で妙に聞き分けが良いと思っていたが、こういうことか。
「地が出ているぞ、アリシア」
「話を逸らさないで!聞いてるの?ベル!」
魔族となってヴァルハラを後にした俺は、気の合う仲間達と集落を作り暮らしていた。
その集落も歳月を重ねるごとに大きくなり、正式に国を立ち上げようという話になった際、集落の指導者であった俺が王を任され、その妻であるアリシアは必然的に王妃となった。
それ以来、彼女自身も王妃としての立ち振る舞いに気を使ってきたらしく、今では立派に王妃を務めている。
が、キレると昔の口調に戻ってしまうのだった。
これはこれで好きなのだが。
「まさか真宵まで行くと言い出すとはな……俺も予想外だった」
「あの子は私の天使なのにいい!」
天使はお前だ、と言いかけたが冗談を言える雰囲気ではないので黙っておく。
確かに幼子だった真宵を連れ帰ってから、一番可愛がっていたのがアリシアだ。
「本人が行きたいと言っているのだ、もう親がとやかく言う年齢でも無いだろう」
魔族である俺の血を取り入れ、儀式により魔人となった真宵は齢100を超える。
本当に、親があれこれ口を出す必要は無いと思う。
「あーん、まよいいいい…絶対に週に一度は帰るように言っておいてね!」
「断る。自分で言えばよかろう」
「やだ!私が真宵に嫌われちゃうじゃない!」
俺が娘に嫌われるのは良いのか、妻よ。
「俺がいない間に親父が来たら伝えておいてもらえるか」
「はいはい、拳骨されないようにね」
確かに親父なら、国を預かる者が何をやっておる!馬鹿者!と光速の鉄拳が飛んできかねない。
それは避けたいところだった。
「俺は人々が常に笑顔でいられる国を作る。お前も力を貸してくれ、アリシア」
「もう、仕方ないなぁ…気を付けて行って来てね?ベル」
大切なものを守る為に、再び闇に堕ちた。
でも、大丈夫。
光の中にパーシヴァルのような闇が紛れることもあるように、闇の中にも光は存在するから。
それに
もう1人じゃないから。
──王都セリオン、フローヴェル邸
「さて、如何であったか。光を求め、闇を彷徨いし男の物語は」
「…おや、寝てしまったか。些か長く話し過ぎたか」
「本来誰にも語ることは無い、知られざる御伽噺だ。これで良い」
堕天使はそう呟くと、来客にそっと毛布をかけて部屋を後にした。
-Fin-
「遂に少女との再会を果たした男は、数奇なる運命の歯車に巻き込まれていく」
「その先にあるのは希望か、それとも絶望か。しかとその目に焼き付けろ…愚かな男が辿る運命の道標を!」
──かくして運命の車輪は回り続ける
──ヴァルハラ神殿内部、神の間
「堕天の儀?なんだそれは」
ふいに親父が発した単語の意味がわからず、俺はオウム返しのように聞き返した。
その名から察するに、何らかの儀式であることは間違い無いのだろうが、それ以上のことは推測できない。
尤も、あまり良い儀式でも無さそうだが。
「堕天の意味は知っておるかの」
「天使の矜持に反した者の翼は黒く染まり、以降は魔族として扱われる」
流石にそれくらいは知っている。
天使の歴史や知識などには一切興味が無かったが、師団長を務める以上は必要な知識だと親父に叩き込まれた。
レ・ミゼラブルで知識を奪ってしまえれば楽だったのだが、流石に同族にこの力を使うわけにはいかない。
こんな俺にも、最低限の常識はあるのだ。
「うむ、正解じゃ。堕天の儀とは力に溺れた天使が自らの魂を闇に売り渡し、更なる力を得る儀式のことらしい」
「それはそれは、便利な儀式があるものだ」
と口にしてみたものの、手軽に力を手に入れるなど不可能に近い。
おそらく何らかのリスクを伴うのだろう。
察するに、強制的に堕天使を作る儀式のようなものか。
「馬鹿たれが。無論、翼は黒く染まり、ヴァルハラを追われる」
「成程、そう上手くはいかないものだな」
やはりか。
そう上手い話が転がっているはずも無い。
「近頃、堕天の儀を行い、ヴァルハラを追われる者が増えておる」
「凡俗は大変なことだな、かような面倒を踏まねば力を得ることすら叶わんとは」
どうせ悠久の時を生きる存在である天使だ。
地道に鍛錬を重ねて強くなろうという意志は無いのか、嘆かわしい。
「それだけの話ならばまだ良いのだが、どうやら裏で糸を引いているものがおる」
「ほう…」
「このヴァルハラで最も神の座を強く求めている者と言えばわかるかの」
「パーシヴァルか…」
第1師団長、パーシヴァル。
名実共にヴァルハラ最強の天使と呼ばれる男。
その力は戦闘専門の師団の中でも群を抜いている。
「うむ。次期神の座に最も近い者だ。事実、今回の件が無ければ私は迷わず後任に任命していたことだろう」
「そんな次期神様は堕天して魔王の座でも目指すというのか、ご苦労なことだ」
「いいや、奴は実験しておるのだ。堕天せずに堕天の儀を行う方法を…」
成程、つまるところ新たな儀式の開発と言ったところか。
おそらく堕天の儀をベースにした、力を解放する儀式を作りたいのだろう。
「便利ではないか」
「阿呆。何人の天使が犠牲になったと思っておる」
それもそうか。
頭の良い馬鹿は得てして加減というものを知らない。
「しかし数多の天使を犠牲にしている時点で、天使の矜持に反しているだろう。パーシヴァル自身が堕天しそうなものだが」
「あくまで犠牲者達に自発的にやらせているそうだ。弱味を握られている者達を使ってな」
狡猾。
まさにそんな言葉が相応しい男だ。
個人的には嫌いでは無いが。
「よくぞクルクルと頭が回ることだ」
「褒めとる場合か。以上を部下に調べさせたのだが、未だに確証は掴んでいない」
「簡単には尻尾を掴ませない自信があるからこそ、行動に移しているのだろう」
元来、冷静沈着という言葉が相応しい男だ。
何をするにも石橋を叩く男がこれだけの大事を成し遂げようとしているのだ。
入念な準備をしているのだろう。
「そこでフローヴェル。お主にパーシヴァルの監視を頼みたい」
「断る、他をあたれ」
何故俺がそんなことをしなければならないと言う意味を込め、即答する。
生憎興味は無い、勝手にやって欲しい。
「たまには親孝行せんか、馬鹿息子」
「痛っ…そういうことなら確証が得られた時点で親父が始末すればいいだろう」
親父の力は光を司る力。
魔法なども勿論使えるが、その力の最たるものは光の速度での移動。
極端な話、光の速度を持った質量に殴られでもしたらその時点で相手は消滅する。
細かいことはわからないが、パーシヴァルと言えど問題にならないだろう。
「それができぬからお主に頼んでおるのだ」
「できない?」
「パーシヴァルは私よりも強い」
「冗談のつもりか?」
人知を超えた存在である神々。
その1人に名を連ねる者が勝てない相手などいるものか。
「昔の私なら何の問題も無かったろうがな…お主に力を奪われた今では奴には勝てまい」
成程。
過去を引き合いに出し、俺を嗾けようという魂胆か。
「何度頼んでも同じだ。第4師団は戦闘部隊だ、監視などくだらない任務ができるか」
俺は吐き捨てるように拒否の意を示し、神の間を後にした。
──ヴァルハラ神殿内部、大食堂
訓練の後は腹が減るものだ。
兵士達はしばらく動けないとのことなので、先に食事を摂りにきた。
全く、ほんの少ししごいただけで情けない。
鬼の第4師団が聞いて呆れる。
「やあ、フローヴェル。一緒にいいかな?」
そんなことを考えながら食事をしていると、1人の男が相席を求めてきた。
「パーシヴァルか。好きにするがいい」
第1師団長パーシヴァル。
しばしばエリート部隊などとも例えられる第1師団の団長であり、ヴァルハラ最強の天使との呼び声も高い男だ。
「最近の天使達の相次ぐ堕天化、嘆かわしいことだと思わないか」
「食事時ですら仕事の話か。お前には敵わないな」
親父の話では黒幕はパーシヴァルらしいが…
演じているのか、それとも全くの濡れ衣なのか。
「フローヴェル、お前はこの忌々しき事態に何も感じないのか?」
「リスクを覚悟の上で力を求めるなら、好きにすればいい。そんなものは本人の自由だ」
何が善で何が悪か。
そんなくだらない定義に興味はない。
例えいくら善行を積もうとも、力が無ければ大切なものすら守れないのだ。
「そうか…そういえばお前は人間だった頃は悪党だったと言っていたな」
「ああ。力を求める者の気持ちはわかっているつもりだ」
「では仮にリスクも無く確実に力を得られる方法があったとしたら…お前はどうするんだ?」
「迷わず力を求めるだろうな」
尤もレ・ミゼラブルを使えば力を得ること自体は非常に容易いのだが。
仲間にすら恐れられてしまうので、レ・ミゼラブルのことは親父とアリシア以外は知らない。
「成程…お前なら俺の相棒に相応しいかもしれないな、ふふ…」
「相棒…?」
「ああ、今夜俺の部屋に来てくれ。話したいことがある」
「悪いがそっちの気は無い」
「ち、違う!変な勘繰りをするんじゃない!とにかく今夜だ、いいな!」
そう言い残し、パーシヴァルは食堂を後にした。
──ヴァルハラ神殿内、大廊下
「ベル、何悪い顔してるのー?」
廊下を歩いていると、金髪の天使が顔を覗き込んできた。
「悪い顔とはご挨拶だな。弁えよ、アリシア第7師団長」
第7師団は治癒魔法に特化した師団であり、アリシアはその団長を務めている。
昔は自分には何の力も無いと言っていたが、どうやら彼女には治癒魔法の才能があったらしい。
その才たるや凄まじく、瞬く間に師団長に抜擢されたほどだった。
「つーん」
そんなアリシアが露骨に不機嫌そうな顔をしている。
「どうした」
「そんな態度のベルとはお話しませーん」
そんな態度、とはアリシアに対して余所余所しい態度をとったことだろう。
とはいえここは人気の多い大廊下。
2人の師団長が馴れ合っている様など、下級天使に見せるべきものではない。
「そうか、ならばこれにて失礼する」
俺はそれだけ告げ、アリシアと別れようとする。
「…こいつ信じられない」
やれやれ。
これ以上冷たくすると後が面倒臭そうだ。
「悪いが俺は忙しい。また後でかまってやる」
アリシアの頭にポンと手を置く。
「もう!どうせまた危ないことに首突っ込んでるんでしょ!?」
「好きで突っ込んでるわけではない」
「ほらやっぱり危ないことなんだ…」
危ないこと、か。
恐らく今回の事件はパーシヴァルの手によるものだろう。
そしてパーシヴァルは俺を仲間に引き入れようとしている。
一方で親父はパーシヴァルを監視するように命じた。
つまるところ、どちらに手を貸し、どちらと敵対するかということになる。
「ちょっとベル、聞いてるの?」
再びアリシアが顔を覗き込んでくる。
「聞いてない」
「絶対嘘だ!」
「さて、本当にそろそろ失礼する。また後でな、アリシア」
「はーい、またねー!」
アリシアの声を背に受け、俺はひらひらと手を振って返した。
俺の最も大切なもの。
それは言うまでもなく、アリシア。
彼女を守る為ならば、俺はどんなことでもするだろう。
彼女を守る為ならば、俺は再び闇に堕ちよう。
──パーシヴァル私室
「さて、話とは何だ?それなりに面白い話を期待してもいいのだろうな」
その日の夜、俺はパーシヴァルの部屋を訪れた。
「ふふ、勿論だ。かけたまえ」
パーシヴァルにソファに座るように促される。
柔らかそうなソファに腰を下ろし、差し出された紅茶を口に含む。
「それで、何の相談だ」
「昼間の話の続きだが…リスクを背負わず、力を手にする方法があるんだ」
やはりそうきたか。
各師団長達の私室は尋常ではないセキュリティが施されている。
本人の許可無く部屋に立ち入ることは絶対に出来ない。
要するに、秘密の話にはうってつけの場所だ。
「興味深いな、詳しく聞かせてもらおう」
「君なら必ず興味を持ってくれると思っていたよ、フローヴェル」
「それは何よりだ」
どちらからともなく、笑い合う。
およそ天使とは思えない笑みを浮かべながら。
「堕天の儀を改良して、堕天することなく力を解放する儀式を作ったんだ」
「ほう、ということは…」
パーシヴァルの顔をちらりと見る。
「察しがいいな。最近相次いでいる天使達の堕天化は、この儀式を作り上げる為のモルモットだ」
「やはりか…」
「どうする、天使の矜持に反する俺を処刑するかい?」
「悪いが善だの悪だのというくだらない定義には興味が無いものでな」
再び邪悪な笑みを浮かべて笑い合う。
「流石だよフローヴェル…!正直なところ、君と戦う事態だけは避けたかったんだ」
やはりここで難色を示したら俺と戦うつもりだったか。
俺としてもヴァルハラ最強の天使様と戦うなどという面倒は避けたい。
「それで、俺に何をしろと言うんだ?」
「この儀式を用いて我々の力を解放し、グレゴリウスを討つ。力を貸して欲しい」
「成程、それで俺か…」
親父の力が衰えていることを知っているのは俺だけだ。
パーシヴァルはおそらく、力を解放したとしても1人で勝てる相手では無いと思っているのだろう。
教えてやっても良いが、パーシヴァルからするとその時点で俺と組む必要は無くなる。
どころか今度は俺を始末しようとしてくるだろう。
ここは黙っておくのが得策といったところか。
「ああ、お前が人間だった頃にグレゴリウスを追い詰めたという話は聞き及んでいる。2人でかかれば間違いなく我々の勝利だ」
「それで、グレゴリウスを倒してどうする」
「俺がヴァルハラを支配する」
「それはそれは、大層な野望だな」
自らの野望を打ち明けたパーシヴァルを笑ってみせる。
勿論冗談では無いことは承知の上だ。
「その時、お前には俺の右腕として働いて欲しいんだ、フローヴェル」
「この俺を飼い慣らそうと言うのか?パーシヴァルよ」
俺は不機嫌そうにパーシヴァルを睨んでみせる。
実際機嫌を損ねたわけではないが、交渉術の一環だ。
「飼い慣らそうなどとは思っていないよ。お前とは良き相棒として共にヴァルハラを作り変えていきたいと思っている。が、どうせお前のことだ。頂点の座は面倒臭がるだろう?」
「残念ながらお前の言う通りだ。いいだろう、交渉成立だ」
「そう言ってくれると思っていた。では後日、儀式を執り行う。それなりに時間のかかる儀式だ。闘技場を貸切り、外を部下に見張らせるとしようか」
「闘技場で大丈夫なのか?」
「問題無い、師団長2人が訓練に使用すると言えば入ってくる者もいないだろう」
「それもそうか。それでは当日を楽しみにしていよう」
「ああ…俺達が…ヴァルハラの新たな支配者となるんだ!ハァーッハハハッ!!」
──ヴァルハラ神殿内、闘技場
静まり返った闘技場。
普段は鉄の音と人の声に溢れているその場所は、静寂に包まれていた。
「さぁ、始めようか。フローヴェルよ」
「ああ。入口には理由は言わずに第4師団の連中を集めておいた。第1師団がいるのでは必要無かったかもしれないがな」
「いやいや、助かるよ。ではまず俺が最初に手本を見せる。その後、同様の手順でお前もやってみるんだ」
「了解した、それでは見学させてもらうとしよう」
パーシヴァルが闘技場の中心に向かっていく。
闘技場には巨大な魔法陣が描かれていた。
「始めるぞ…!」
魔法陣の中心へと至ったパーシヴァルは、両手を広げ詠唱を開始する。
詠唱が始まったのを確認し、俺は腰から長剣を抜く。
親父から奪った力を行使し、光の速度で対象に斬りかかる。
刹那。
パーシヴァルの首筋から夥しい量の血飛沫が飛ぶ。
「ッ…!何をする!フローヴェル、貴様ァァァァ!!」
パーシヴァルが傷口を抑えながら叫ぶ。
「簡単な話だ。お前の命はここで潰える、それだけだ」
追撃を与えるべく、俺は再び長剣を構える。
「…今になって神の座が惜しくなったか!?この俺を裏切るとはな…!」
「お前の言う支配…ヴァルハラの未来…そこにアリシアの笑顔は無かった。俺はアリシアが笑顔でいてくれるなら、他に何もいらない」
再びパーシヴァルへ斬りかかる。
キィン!
パーシヴァルも剣を抜き、俺の斬撃を受け止める。
「ほう、なかなかやるじゃあないか!」
「あくまであの女に拘るか…!いいだろう、貴様を始末した後はあの女だ…!」
パーシヴァルの傷口が光に包まれ、見る見るうちに傷が塞がっていく。
おそらく自然治癒能力の一種だろう。
「そのようなことを言われては本気で戦うほかあるまい。死んで後悔するなよ、パーシヴァル…!」
「それだけの力を持ちながら1人の女に固執する…!それが貴様の弱点だ、フローヴェル…!」
パーシヴァルと剣を打ち合いながら、詠唱を開始する。
「الحكم أن يكون دهور في خاطئين الشخص الذي المطهر الظلام」
「なんだ、その魔法は…!?」
自分の知らない詠唱を警戒したパーシヴァルが瞬時に距離を取る。
「彼女の存在が、闇に囚われた俺に光をくれた。彼女の笑顔のお陰で、俺はこうして家族を守って戦える」
「あのような軟弱者達が家族だと…笑わせるなっ!」
「煉獄に焼かれよ…ゲヘナ…!」
闘技場が煉獄の焔に包まれる。
自身すら包み込む地獄の炎を前にし、懐かしい記憶が甦る。
それは、初めて親父と会った日。
俺は全ての憎しみを込めてこの魔法を放った。
人間としての俺が、全ての憎悪を込めて放った獄炎。
だが、今日は違う。
アリシアや親父、気の合う仲間や部下達。
そんな大切な家族達を守る為に、この魔法を使おう。
「これは…闇のロスト・スペル…何故貴様が扱える…!」
「生憎と俺は不良天使でな」
獄炎が数多の火柱となって、パーシヴァルを襲う。
パーシヴァルはそれを全て紙一重で躱す。
最強の天使と呼ばれるだけのことはある。
「貴様ァ…!外に控える我が部下達よ!聖地ヴァルハラに火を放った反逆者、フローヴェルを捕えよ!」
パーシヴァルが闘技場の入り口に向かって叫ぶ。
だが、第1師団の兵士達の姿は誰1人として見えない。
「どういうことだ…入口で待機しているはずだろう…!」
「ふはははは!大方エリート様達は、うちのならず者に手を焼いているのではないか」
「貴様…何をした…!」
「今の俺は1人ではない。家族の力を借りるのは至極当然であろう」
──闘技場前
「お前ら!気合入れろ!誰1人として団長の元へ行かせんじゃねえぞ!」
第4師団副団長ダグラスの怒号が響く。
「団長の手を煩わせんじゃねえぞ!てめぇら!」
「たりめぇだ!団長のご決断を無駄にしてたまっかよ…!」
ダグラスの指揮の元、第4師団の兵士達がパーシヴァルより突入の名を受けた第1師団を迎え撃つ。
フローヴェルが彼らに命じた任務、それは事情を知らない者達の介入を防ぐこと。
此度の事件の謀反人であるパーシヴァルを自分が討伐する。
窮地に陥った彼は、自分の部下に援軍を求めるだろう。
それをお前達全員で、命を奪わない程度に妨害して欲しい。
尊敬する自分達の上役が頭を下げる姿を見て、彼らは何も言わずにこれを快諾した。
「おいおい…こんなモンかぁ、エリート共!団長のシゴきの方が100倍キツかったぜ…!」
「ぎゃははは!あの人と比べてやるんじゃねえよ…!おら、次!かかってきやがれ!」
性格こそ難はあれど実力は一流の彼らは、第1師団の兵士達を圧倒していった。
「貴様ら…この闇の炎を見ろ…!あの男はヴァルハラに弓を引いた罪人だぞ…!」
第1師団の兵士が声を上げる。
「どっちが正しいかなんて興味ねぇ…!てめぇらの団長が裏で悪事を働いていることもどうでもいい…!あの人はな…俺達みたいな連中を家族と呼んでくれたんだよ!命を預けるには十分だろうがよ!」
「応ともよ!ここは第4師団改め、フローヴェル一家が死守させて貰うぜ…!」
───闘技場内
「どうやら外でも戦が始まったらしいな」
「貴様ァ…!」
増援が来ないと悟ったパーシヴァルが俺を睨み付ける。
「部下達の為にも、早めに片付けてやらねばな」
「抜かせ…!貴様に勝利など無い…!」
キィンキィン!
目にも止まらぬ速さで斬り結ぶ。
俺自身が親父の力を使いこなせていないということと、そもそも力を半分しか奪っていないことを差し引いても剣速は相当のはずだが…問題無く斬り合ってくる辺りは流石と言わざるを得ない。
「…どうやら剣では勝負が着かなそうだな」
「どうした、息が上がっているぞフローヴェル…!」
「お互い様だろう…闇の裁きを受けよ、ナイトフォール!」
闘技場の上空から、巨大な黒い柱がパーシヴァル目がけて着弾する。
広範囲殲滅用の闇魔法、ダークアトレイアの力を全て1本に集約した魔法だ。
当たれば跡形も無く消滅するはずだが…
「はははっ…愚かだな、フローヴェル…!聖なる力を極めた俺に闇の力など通じるはずが無いだろう!」
やはりこの程度では浄化されてしまうか。
だがそれでいい。
時間を稼ぐことが最大の目的だ。
「…タルタロスの鎖」
空間から鎖が現れ、パーシヴァルの体を拘束する。
「…地獄の鎖だと…くっ…こんなもの…!」
鎖の拘束から逃れようとパーシヴァルが暴れる。
恐らくパーシヴァルクラスの天使を縛るには力不足だろう。
時間稼ぎからの時間稼ぎ。
全ては次に放つ大魔法の為の布石。
左手で胸のペンダントを握る。
人間としてのアリシアが死んだ日、彼女から託されたペンダントだ。
人間としての俺が死んだ日…獄炎に焼かれても、彼女の尊い意志は砕けなかった。
そんな強い意志を宿したペンダントを握り、彼女を想う。
「アリシア…力を貸してくれ」
「無駄だ…!身動き出来ずとも、闇の力など一瞬で浄化してくれる…!」
「汚れ無き天空の光よ、大地を貪る闇の劫火よ。愛すべき者達を護る為、今こそ其の力を一つに合わせん!開闢の光よ、終焉の闇よ!愚かなる罪人を裁き給え!ラグナロク!」
アリシアから受け取った聖なる力が、辺りに広がる獄炎を統制する。
聖なる力により神炎となった獄炎は、巨大な炎の柱となりパーシヴァルを焼き尽くしていく。
「ぐああああああっ!バカな…何だ!この魔法は…!浄化できぬ…!」
「罪深き男が彼女の尊い意志を浄化しようなど笑止千万、大人しく神炎に裁かれるがいい」
神の炎ラグナロクは罪人を焼き尽くし、消えた。
「フローヴェル…貴様…許さぬ…」
パーシヴァルがよろめきながら立ち上がる。
「まだ息があるとは驚いた」
「先の一撃、全ての魔力を注ぎ込んだのだろう。今の貴様は完全に無力だ…!潔く負けを認めるが良い…」
確かにラグナロクに全ての魔力を持っていかれてしまった。
今の俺には、低級魔法すら撃つことは叶わないだろう。
それでも不敵に笑い、パーシヴァルを見据える。
「いいや、敗者はお前だ…パーシヴァル」
パーシヴァルの眼前に掌を翳す。
お前の所為で散々辛い目にあってきた。
お前の所為で大切なものは全て奪われた。
幾度と無くお前を恨んだ。
それでも親父は、自分の才能と向き合えと言った。
その言葉を信じてここまで来た。
だから、今回だけは。
大切なものを守る為に、力を貸してくれ。
「レ・ミゼラブル」
「何だ…これは!やめろ!俺の力が!俺の力が!うわあああああああああああああああああ!!!!!」
「さらばだ、偽りの光よ」
全ての力を失ったパーシヴァルの首を、胴から斬り離す。
これで全てが終わった。
──闘技場前
「団長!終わったんすか…!」
「ああ、パーシヴァルは始末した。親父を呼んで来てくれ」
部下の1人に親父を呼びに行くように命じる。
第1師団の兵士は皆、完全に第4師団に制圧されていた。
「団長、本当にお疲れ様っした!」
「お前達には助けられた。礼を言う」
「へへっ、団長に素直に感謝されると照れますね!」
「終わったようだの…」
部下に呼ばれた親父が向かってくる。
「ああ…今まで世話になったな、親父よ」
「え、いきなり何言ってんだよ団長!人が悪いぜ!」
「黙っていてすまなかった。俺はこのままヴァルハラに居続けることはできない」
「おいおい、冗談が過ぎるぜ!団長!パーシヴァルを倒した英雄が何言ってんだよ!第1師団の連中にはちゃんと説明すればいいだろ!?」
「お前達、黙ってフローヴェルの話を聞いてやれ」
親父の言葉を受けて、部下達が静まり返る。
それを確認してから、俺はゆっくりと口を開く。
──数日前
「親父、やはりパーシヴァルが黒幕のようだ」
「やはりか…あの馬鹿息子め…!」
「確証も取れた。すぐにでも討伐する」
討伐するならば早い方がいい。
これ以上犠牲者が増える前に。
「だがフローヴェル…同族であるパーシヴァルを討つということが、どういうことかわかっておるのか」
「同胞を討った叛逆者フローヴェルは、間違いなく堕天するだろうな」
簡単なことだ。
仲間同士の争いを生まぬように、我々天使はそのように作られている。
「お主…!そこまでわかっておって何故…!」
「パーシヴァルを倒せるのは俺だけだろう。あいつを野放しにしておいたら、ヴァルハラは崩壊する」
「だが…ヴァルハラの脅威を取り除いたとしても、お主自身はヴァルハラには居られなくなってしまうだろう」
「覚悟の上だ。親父やアリシア、第4師団の連中には大切なものを貰った。あいつの好きにはさせない」
「別の手を考えることはできんのか…」
「悠長に事を構えている暇は無いだろう。気にするな、親孝行のようなものだ」
──闘技場前
「なんだよ…じゃあアンタは…ここに居られなくなることを知っていて、パーシヴァルと戦ったのか…!」
「…そうだ」
「勝っても負けてもアンタの居場所は無くなるのに…何でそんな馬鹿な真似をしたんだよ!団長!」
俺が堕天するという事実は、連中には話していなかった。
話していたら連中もすんなり協力はしてくれなかっただろう。
「ここは俺の愛すべき故郷だ。あんな男に奪われるのが気に入らなかっただけだ…」
「またそうやってかっこつけるんだから…!」
聞き慣れた声を耳にし、思わず顔を上げる。
そこには走って駆け付けたんだろうか、息を切らしたアリシアが立っていた。
「アリシア…すまなかった」
「ベルの馬鹿…折角また会えたのに…」
「お前や親父、第4師団の馬鹿ども。大切な家族達を与えてくれたヴァルハラを護りたかった…許せ」
「ベルはいつもそう…1人で難しいこと考えて…勝手に行動して…」
「…すまない。俺はいなくなるが、どうか元気でやって欲しい」
そろそろ、時間だ。
翼が黒く染まり始める。
「団長…翼が…!」
「そろそろだな…俺は行くとしよう」
「団長、本当に行っちまうのかよ…!」
「これからの俺は魔族…在るべき場所へ還るだけだ…ダグラス!」
「…はい」
俺は腹心とも言える部下、副団長ダグラスを呼ぶ。
「第4師団はお前に任せる…頼んだぞ」
「っ…わかり…ました…」
ダグラスの肩にぽんと手を乗せ、後任を命じる。
ダグラスも涙声になりながらではあるが、引き受けてくれた。
さぁ、これで思い残すことは何も無い。
「親父、世話になった」
「フローヴェル…」
「何をシケた面している。息子が実家を出ていくのがそんなに寂しいか、親父よ」
「馬鹿なことを言うんじゃない…」
「たまには里帰りしてやる、息災でな」
父親に別れを告げ、アリシアに向き直る。
「さて、アリシア…」
「ベル、どうしても行っちゃうの?」
「ああ。堕天使がヴァルハラにいては他の天使に示しがつかないだろう」
「なら私も一緒に行く!もう離れ離れになるのは嫌だから…」
アリシアの顔が、冗談では無いことを告げている。
昔からこうなると何を言っても聞かない彼女だが、今回ばかりは事情が違う。
彼女は再び平和が訪れたヴァルハラで、静かに暮らすべきだ。
「アリシア、わかってくれ。お前は──」
「ふむ、ならばアリシアよ。お主もフローヴェルと一緒に行ってやってはくれんかのう。この馬鹿息子だけでは何をしでかすかわかったものではない。お主がおれば安心できる」
俺の言葉を遮るように親父が口を挟んでくる。
「決まりだね、ベル!」
本音を言えば俺はこれから先もアリシアと一緒にいたい。
けれど彼女はここで平和に暮らした方が幸せだと思う。
俺はこれから、道標の無い道を手探りで歩いていく。
家族と離れ、1人荒野の果てを彷徨う流浪の旅。
そんな旅に彼女を巻き込むわけにはいかない。
いいや。
もう後ろ向きに考えるのはやめにしよう。
彼女がずっと笑顔で過ごせる居場所を、俺が作ればいい。
天使も魔族も人間も、住む人々が皆笑って過ごせるような、夢のような場所。
そんな場所を作ろう。
それが俺の夢。
さらば、ヴァルハラ。
さらば、我が愛する家族達よ。
ありがとう。
──イリアスフィーナ王国、会議室
「納得できません…!王である貴方御自ら視察へ出向くなど!」
今日は王国の定例会議。
国をより豊かにする為に、人間達が生活を営むブリアティルト大陸への視察へ出向く。
そう提案してみたのだが、腹心であるノワールが難色を示す。
「不満があるなら申してみよ、ノワール」
「陛下がご不在の間、国はいかがされるおつもりなのですか!」
「俺が不在の間は、全権を王妃達に委ねる。俺自身も週に何度かは戻るつもりだ。それでも問題があるのか?」
「ちなみに私も一緒に行くわよ。いいわよね、お母様」
愛娘である真宵が、火に油を注ぐ。
正直なところ、それは今言って欲しくはなかった。
「フローヴェル…あなたのそういうところは今に始まったことでは無いので、何を言っても仕方ありませんが、真宵に何かあったらと思うと心配です。ノワール…あなたも一緒に行ってくれますか?」
「わ、私ですか…!?」
王妃直々に指名され、ノワールが目を丸くしている。
確かにノワールがいれば何かと便利かもしれない。
「よし、決まりだな。真宵、ノワール、準備にかかれ」
「楽しくなりそうね、お父様」
「どうして私まで…うう…」
──イリアスフィーナ王国、フローヴェル私室
コンコン。
「入れ」
ノックの音が聞こえたので、入室を許可する。
すると、美しい金髪を持つ純白の天使が姿を現した。
イリアスフィーナ王国第一王妃、アリシア・イヴ・ルシファー。
国内一と呼ばれる美貌に、上品な立ち振る舞い。
イリアスフィーナの全ての女性の憧れとも言える、俺の妻の1人だった。
「アリシアか、どうした?」
俺は妻を迎え入れ、用件を聞く。
すると、上品な王妃様はいきなり大きなため息を零した。
「ほんっと信じられない…真宵まで連れて行くなんて」
どうやらお説教だったらしい。
会議の場で妙に聞き分けが良いと思っていたが、こういうことか。
「地が出ているぞ、アリシア」
「話を逸らさないで!聞いてるの?ベル!」
魔族となってヴァルハラを後にした俺は、気の合う仲間達と集落を作り暮らしていた。
その集落も歳月を重ねるごとに大きくなり、正式に国を立ち上げようという話になった際、集落の指導者であった俺が王を任され、その妻であるアリシアは必然的に王妃となった。
それ以来、彼女自身も王妃としての立ち振る舞いに気を使ってきたらしく、今では立派に王妃を務めている。
が、キレると昔の口調に戻ってしまうのだった。
これはこれで好きなのだが。
「まさか真宵まで行くと言い出すとはな……俺も予想外だった」
「あの子は私の天使なのにいい!」
天使はお前だ、と言いかけたが冗談を言える雰囲気ではないので黙っておく。
確かに幼子だった真宵を連れ帰ってから、一番可愛がっていたのがアリシアだ。
「本人が行きたいと言っているのだ、もう親がとやかく言う年齢でも無いだろう」
魔族である俺の血を取り入れ、儀式により魔人となった真宵は齢100を超える。
本当に、親があれこれ口を出す必要は無いと思う。
「あーん、まよいいいい…絶対に週に一度は帰るように言っておいてね!」
「断る。自分で言えばよかろう」
「やだ!私が真宵に嫌われちゃうじゃない!」
俺が娘に嫌われるのは良いのか、妻よ。
「俺がいない間に親父が来たら伝えておいてもらえるか」
「はいはい、拳骨されないようにね」
確かに親父なら、国を預かる者が何をやっておる!馬鹿者!と光速の鉄拳が飛んできかねない。
それは避けたいところだった。
「俺は人々が常に笑顔でいられる国を作る。お前も力を貸してくれ、アリシア」
「もう、仕方ないなぁ…気を付けて行って来てね?ベル」
大切なものを守る為に、再び闇に堕ちた。
でも、大丈夫。
光の中にパーシヴァルのような闇が紛れることもあるように、闇の中にも光は存在するから。
それに
もう1人じゃないから。
──王都セリオン、フローヴェル邸
「さて、如何であったか。光を求め、闇を彷徨いし男の物語は」
「…おや、寝てしまったか。些か長く話し過ぎたか」
「本来誰にも語ることは無い、知られざる御伽噺だ。これで良い」
堕天使はそう呟くと、来客にそっと毛布をかけて部屋を後にした。
-Fin-
「男は本当に死んだのか?何を言っている、当たり前だろう」
「復讐に囚われた哀れな男は、自らが放った煉獄の焔により消滅した」
「ん?ここにいるのは誰か?ははっ、哀れな男の亡霊かもしれないな」
──戒心せよ
──改心せよ
──改新せよ
──邁進せよ
───天空の神殿、ヴァルハラ内部
「此処は…」
心地よい日差しで目を覚ます。
俺は…何をしていたんだっけ…。
「あら、目が覚めたようですね。今グレゴリウス様を呼んできます」
傍らで女の声がした。
グレゴリウス…?
そうだ、俺は神を名乗る男と戦い…死んだ。
「…おい、どういうことだ。…何故俺は生きている!」
問い詰めたが答えは無く、女は部屋を出て行った。
追いかけようとしたが酷い痛みが体を襲い、寝台から立ち上がることもできなかった。
「…待て!」
「此処はどこだ!答えろ!」
誰もいなくなった部屋で叫び続ける。
「やれやれ、騒がしいのう。少しは静かに出来んのか、馬鹿たれが」
そんなことを呟きながら、厳格な雰囲気を纏った初老の男が入って来た。
「グレゴリウス…!」
「そういきり立つな、少し話をしようじゃないか」
そう言いながら、グレゴリウスは部屋の椅子に腰掛ける。
「どういうことだ、何故俺達が生きている…」
「ふむ…お主が煉獄の焔を放った後、私は部下の天使達に救出された」
そんなことできるはずがない。
あれは禁呪の中の禁呪だ。
「天使が使える魔法の中に闇を払う浄化の魔法があっての…数十人がかりで行使させた」
「浄化魔法だと…」
光の魔法の一種だろうか。
信仰心など欠片も持ち合わせていない俺は、聖者達の行使する魔法には疎い。
「その時点でお主は死んでおったが、私が魂だけ抽出し、天使として肉体を作り直した」
「…冗談を言うな」
「冗談だと思うなら、背中を確認してみるがいい」
背中…?
腕を背にまわすと、そこにはふわっとした羽毛の感触があった。
「馬…鹿な…」
「少しは信じる気になったかの」
「何故…こんなことを…」
グレゴリウスは俺の命を奪いに来たはずだ。
俺もグレゴリウスを敵と見做し、迎え撃った。
そんなことが可能なのかどうかは置いておくとしても、俺を蘇生させる理由などあるはずがない。
「お主の力により、私の力は半分近く奪われた。このままでは神としての仕事に支障が出かねん。そこでお主を天使として作り直した。今日からお主には私の右腕として働いてもらう」
「何故俺がそんなことをしなければならない。なんならこの場で殺してやりたいくらいだ」
もう一度戦えば、今度こそこの男の息の根を止められる。
「いいや、お主にそれはできんよ」
「やってみなければわからないだろう。天使の器は強大、下級の天使ですら上級魔族に匹敵すると聞く。勝算は充分過ぎる程ある」
「そういうことではない。お主が闇に囚われるきっかけとなった少女…アリシアと言ったかの。お主が私の下で活躍を見せれば、アリシアを天使として蘇生させてやる」
「何…だと…」
「交換条件というわけだ、悪くはなかろう」
アリシアにまた会える。
そう考えた瞬間、意図せず涙が頬を伝った。
「そんなことが…本当に可能なのか…」
「不可能ならばお主はどうしてここにおる。尤も、本来ならば人間の天使化は英雄の魂に限るがのう」
「特例というわけか…」
確かに俺は英雄等とは縁遠い存在だ。
「でなければ誰がわざわざ好き好んで、お主のような大悪党に天使の中の天使、大天使の器など与えるか」
「なるほど…いいだろう」
もしこいつが嘘を吐いているならば、その時はまた戦うだけだ。
それまではグレゴリウスの口車に乗ってやるのも悪くない。
「交渉成立といったところかの。さて、次はお主の力について話したい」
「…レ・ミゼラブルのことか?」
どうやら俺の力に興味を持ったらしい。
俺としてはこの力の所為で平穏な人生を歩むことができなかったのだから、
あまり語りたい話では無いのだが。
「ほう、そのような名前だったか。凡そ世界の全てを手に入れられそうな力に、何故不幸などという名を付けた」
「…本当に欲しかったものは何一つ手に入らなかったからだ」
「ふむ…欲しかったものとは?」
「家族、平穏…心から愛した少女とのかけがえの無い日常」
そうだ。
それさえ手に入れば、こんな力なんていらなかった。
「ならば今日から私がお主の父親だ。父上と呼ぶが良い」
グレゴリウスが急に穏やか笑みを浮かべる。
「何を馬鹿なことを言っている」
「天使として生まれ変わった以上、お主が天使を管理する私の息子であることは間違い無いだろう」
「選ぶ権利くらいは欲しいものだ」
「ははは、そう言うな。仲良くやっていこうじゃないか、息子よ」
グレゴリウスに頭を叩かれる。
先程まで厳格な態度を貫いていた男は、急に馴れ馴れしくなった。
「それで、俺の力の話ではなかったのか」
「おお、そうだった。お主の力だが、天使化するにあたってそのまま残しておいた」
「…こんな力、消えてくれた方がありがたかったんだが」
この力が無ければ、きっと俺にも平穏で幸せな人生が待っていたことだろう。
天使となってしまった今では人間としての平穏な人生など望むべくも無いが、それでもこの力は忌々しいものだ。
「そう言うな、それはお主の才能だ。上手く付き合っていくといい。それからお主の名だが…」
「名前?」
「今日からフローヴェル・イヴ・ルシファーを名乗るが良い」
ファミリーネームというものか。
そもそも生まれた時点で家族などいなかった俺には存在しなかったものだ。
「ルシファー?」
「光をもたらす者、と言う意味だ」
似合わない。
心の底からそう思った。
数日後。
──ヴァルハラ神殿、神の間
「呼んだか、クソ親父」
扉を蹴飛ばし、面倒臭そうに入室する。
ここ数日、頭痛や吐き気が酷く、俺は寝台の上に寝たきりだった。
人間の魂が天使の器に馴染むまでは時間がかかるらしい。
そういった症状が治まり、ようやく神殿内を歩けるようになったのは昨日のことだった。
「おお、よく来たの、フローヴェル」
「それで、何の用だ?」
「そろそろ天使の器も馴染んできた頃だろう。今日よりこのヴァルハラで働いてもらう」
流石にずっと自堕落に生活させてくれるはずも無いか。
「具体的に、何をすればいい」
「ヴァルハラの天使達はいくつかの師団にわかれて行動しておる。人間を観察する師団や戦闘を行う師団、治療専門の師団といった形にな」
人間を観察か…水晶的な物から人間達を眺めていればいいのだろうか。
楽そうだ、それにしよう。
「無論、お主には戦闘専門の師団に入ってもらう」
どうやら俺の考えは見抜かれていたらしい。
「何…だと…」
「何を落胆しておる。それほどの力があるのだ、前線で戦ってもらうに決まっておろう」
さらば、自堕落な日々よ。
「はぁ…まぁ仕方あるまい。具体的には何と戦えばいいんだ?」
「我々の仕事は人間の管理だ。人間達の生活を著しく脅かす魔族や、お主のような大馬鹿者達かの」
「なるほど、人間を侵略する魔族や俺のような大馬鹿…表に出ろ、クソ親父」
「戦闘を生業とする師団にもいくつかあっての。おおそうだ、第4師団には気を付けろ」
「おい、その前に謝罪を──」
「連中は実力こそ確かだが、ならず者の集まりだ。天使でありながら私の命令に従わないことすらある」
それよりも先程の発言に対する謝罪をして欲しい。
「団長であったバルドゥルがつい先日、魔族にやられての。連中も気が立っておる、注意するがよい」
──ヴァルハラ神殿内、訓練場
神の間を後にした俺は、その足で訓練場へと向かった。
何しろ数日間寝たきりだったのだ、少し体を慣らしておきたい。
そう思い、訓練場に足を踏み入れた。
キィン、キィン。
剣と剣が交わる音が聞こえる。
どうやら使用中だったらしい。
折角だ、天使の戦闘を見せてもらおうか。
そんなことを考えていると、数人の男がこちらへ向かってきた。
「おいテメェ、見ねぇ顔だな。新入りか?」
「今日は俺達第4師団様の貸切だ、ぎゃはははは」
「悪いこたぁ言わねぇから帰りな、兄ちゃん」
「おいおい、ブルって動けねえってか!」
男達が口々に野次を飛ばしてくる。
注意しろ、と言われた直後に絡まれてしまっては注意しようもない。
天使は皆清廉潔白な者達だと思っていたが…どんな種族にもこういう手合いはいるものか。
「第4師団…そうか、お前達か」
男達を観察する。
面構えは悪くない、それなりに腕は立つのだろう。
「おぉ、俺らのこと知ってんのか兄ちゃん」
「だったら、俺達がどんなやつらか聞いてんだろ?」
「今土下座すれば見逃してやるぜ、ぎゃははははは!」
「ああ、魔族に敗れた情けない弱虫集団だとよく聞いているよ」
「ああ!?テメェ今なんつった!」
「おい、お前ら!入口塞げ!」
「全員で囲め!こいつ生かして帰すんじゃねえぞ!」
事実を述べただけだが。
どうやら火に油だったらしい。
ちょうど体も鈍っていた、いい準備運動だ。
「次、かかってこい」
いつの間にか、訓練場の中心には屍の山が出来上がっていた。
無論、流石に命までは取っていないが。
「ま、参りました…」
「何モンだよ、あんた…」
腕自慢が聞いて呆れる。
これならグレゴリウス1人を相手にする方が余程骨が折れる。
「フローヴェル・イヴ・ルシファー。しがない大馬鹿者だ」
先日、グレゴリウスから与えられた名を名乗る。
やはり似合わないな。
「まさか…あんたか?神のジジイとドンパチやらかした人間ってのは」
「その後ジジイが天使にしたって噂は本当だったのか…」
どうやら神殿内でも俺のことは噂になっているらしい。
大人数の天使を増援に呼んだのだ。
流石のグレゴリウスも隠し通せるものではなかったらしい。
「あと一歩のところで取り逃がしてしまったがな。思い出すだけでも腹立たしい」
アリシアにもう一度会うという新たな目的が生まれた今ではグレゴリウスの命など興味はない。
それでも、今まで負け知らずだった戦闘で敗れたという事実は、単純に悔しいものだ。
「なぁ、あんた…」
戦闘に参加せず、成り行きを見守っていた男が歩いてくる。
「ん、次はお前か?」
「いいや。第4師団副団長、ダグラスだ。あんたに頼みがある…」
──ヴァルハラ神殿、神の間
「私は注意しろと言ったはずだが…」
「俺は注意していたつもりだったのだがな」
「お主のような大悪党が、よりにもよってならず者達の上に立つなど…」
グレゴリウスは重々しい表情を浮かべ、頭を抱えていた。
その理由というのが…
「ああ!?ジジイ!フローヴェル団長に喧嘩売ってんのか!?」
「団長を侮辱するなら神だろうとぶっ飛ばすぞ、テメェ!」
「団長は素晴らしい御方だ!馬鹿にするなら黙っちゃいねぇぞ!」
副団長ダグラスの頼み。
それは、前隊長の仇である魔族を倒して欲しいとのことだった。
──数日前──
「ふざけるな…天使風情などにこの俺が…!」
「退屈凌ぎにもならないな。さっさと散るが良い、魔王アビゴル」
前隊長を屠った魔族、アビゴル。
彼は今、無様にも地面に這いつくばっていた。
「すげぇ…あのアビゴルが子供扱いかよ…」
後ろに控えているのは第4師団の連中。
共にアビゴルを討つという条件だったが、戦闘範囲に入って来られても邪魔なので待機させている。
「お前達…!全員でこの男を捕えろ!」
魔王の号令で、残っていた彼の眷属達が一斉に襲い掛かる。
「ダークアトレイア」
天から降り注ぐ黒色の光が、彼の居城ごと眷属達を焼き払う。
天使の体は便利な物で、魔力の出力が人間のそれとは比べ物にならない。
詠唱すら省略することができるので、非常に楽だった。
眷属達も全滅し、打つ手の無くなったアビゴルの元へ近づいていく。
「貴様…覚えておけ!俺は必ずや転生を果たし…貴様に復讐する!」
「やめておけ…転生なんて、面倒なだけだ」
黒色の球体が弾け飛び、アビゴルは跡形も無く消滅した。
この一件から、あれよあれよと新たな団長に祭り上げられてしまった。
何者かの下に着くのは柄じゃないので、これでいいのかもしれないが。
「くれぐれも、問題だけは起こしてくれるなよ…」
「保証はしかねるが、善処しよう」
──1年後──
「ちょっ…団長!助けてくれよ…!」
ここは人間達が多く暮らす大陸の、とある荒野。
俺に助けを求めた男は、魔獣の群れに囲まれていた。
「ジャンケンで負けたやつが片付けるんじゃなかったのか?」
近頃、人間達を頻繁に襲っている凶暴な魔獣。
第4師団にこれの討伐任務が下った。
「面倒だからジャンケンで負けたやつがやろう」などと言い出した彼は、実に華麗なる1人負けを披露してくれたのだった。
「ぎゃはははは!そうだそうだ!根性見せろ!言い出しっぺ」
続いて部下達が彼をからかってみせる。
「そんなこと言ってもよ!流石に1人じゃ無理だってこれ…!うぉ!」
やれやれ、情けないことだ。
とはいえ彼の働きによってある程度魔獣の数は減った。
そろそろ助けてやろうか、あまり部下を苛めると親父に怒鳴られそうだ。
「仕方ない、今日の酒はお前が振る舞え」
「ちょ、団長!待ってくれ!俺も一緒に焼かれちまう!」
俺が魔法を行使しようとすると、彼は急いで範囲外へ離脱を試みる。
「酒がかかっているんだ、お前に当てはしまい」
黒色の光が天より降り注ぎ、魔獣達を焼き尽くす。
勿論、部下には当たらないように撃った。
当たったら当たったで面白かったかもしれないが。
「でもよぉ団長、天使の癖に禁呪使いまくりってどうなんだ?」
「どっちかっつーと魔王だな」
「ぎゃはははは、違えねえ!」
「おっかねえおっかねえ!」
言われてみれば、天使達が好んで使う光の魔法はあまり使わない。
特に意識したことは無かったが、やはり使い慣れた魔法に頼ってしまっているのかもしれない。
「お前達のようなならず者どもを抑え付けるには、これぐらいで丁度いい」
「おいおい、ひでぇ言われようだ」
「さて、引き上げるぞ。帰ってあいつの奢りで酒だ」
「ひょー!今日はタダ酒だ!」
──ヴァルハラ神殿内部
「帰ったか、フローヴェル」
部下達と主通路を歩いていると、親父に呼び止められた。
「何だ、親父。俺はこれから酒を飲みたいんだが」
「後にせい、お主に話がある」
こうなってしまうと俺が何を言っても聞き入れてはくれない。
「仕方ない。お前達、先に始めていろ」
俺は観念して部下達に先に行くように指示する。
「で、話とは何だ、親父」
俺の貴重な酒の時間を削った以上、つまらない話をしたらわかっているだろうな。
そんな確認の意味を込めて親父に問う。
「ふむ、今日が何の日か知っておるかの、フローヴェルよ」
いきなり何を言い出したのかと思ってしまった。
特に何か大きな任務があったわけでもないし、神殿内もいつも通りだ。
「さぁな。何の変哲も無い、数あるうちの1日に過ぎないだろう」
「今日はお主の誕生日だ、フローヴェル」
一体何を言い出すんだ、この親父は。
「一体何を言い出すんだ、この親父は。とでも言いたそうな顔だのう」
しまった、顔に出ていたらしい。
「俺は物心ついた時には既に廃墟にいた、と以前にも話しただろう。誕生日など知るはずも無い」
かろうじてフローヴェルという名前だけは知り得たが、その他自分に関する情報は何も知らない。
「そっちの誕生日は知らんがの。今日はお主が天使として生まれ変わってから、ちょうど1年だ」
「ああ、そういうことか…」
勿論覚えてなどいなかったが。
「どうでもよさそうな顔をするな。もっと喜ばんか、ほれ」
有体に言ってしまえば、うざい。
「天使は悠久の時を生きる存在だろう、いちいち誕生日くらいで騒いでいられるか」
「ほう、私が用意したプレゼントを目にしても同じことが言えるかの…?」
反抗期に至った子供は親に対して意味も無く反発すると言うが、まさに今そんな気分だ。
「プレゼント…?」
「息子の誕生日を祝うは父親の務めだからの。お主の部屋に行ってみるがよい」
俺は渋々自室へ向かっていく。
あいつらはきっともう楽しく酒盛りを始めていることだろう、羨ましいことだ。
そんなことを考えながら、自室の扉を開く。
「え、ベル…?」
そこには太陽のような少女が、有りし日の姿で立っていた。
「ア…リ…シア…?」
「ベル!本当にベルなの!?」
これが誕生日プレゼントなのだろうか。
あまりに突然の出来事で、未だに状況が飲み込めずにいた。
「どういうことだ…なぜアリシアが…」
「神様のおじーちゃんがね、新しい命をあげるから、今日から天使として生きなさいって」
天使…確かにアリシアの背中には純白の翼があった。
「はは…親父め、やってくれる…」
どんな手段を使ってでも、アリシアにもう一度会いたかった。
その思いで、これまで天使としての任務もこなしてきた。
やっと。
やっと会えた。
大粒の涙が頬を伝う。
アリシアに泣き虫だと笑われるかな。
それでもいい。
からかわれたってかまわない。
「アリシア…会いたかった」
アリシアの華奢な体を、両の腕で強く抱きしめる。
「私もだよ、ベル…」
アリシアもその小さな腕で抱き返してくる。
どれだけの時間、そうしていただろうか。
ふいに、アリシアが口を開く。
「ベル、大きくなったんだね」
かつての姿のままのアリシアと比べると、確かに俺は歳相応に成長している。
「アリシアもすぐに大きくなるさ」
そう言ってアリシアの頭を撫でる。
「ねえ、ベル」
「ん?」
「神様のおじーちゃんから聞いたよ。私がいなくなってから、ベルがいっぱい悪いことしちゃったって」
かつての俺は、アリシアを失った悲しみから狂ってしまった。
それは取り繕いようの無い事実だし、否定することはできない。
「ああ、たくさんの人の命を奪った」
「ベル、ちょっとかがんで?」
アリシアにせがまれ、彼女と目線の高さを合わせる。
パチーン。
突如、右の頬を痛みが襲う。
どうやら、アリシアに張り手をされたらしい。
「ベルの馬鹿!そんなことしたって私は嬉しくないんだよ!馬鹿!馬鹿!」
アリシアが涙目で叫ぶ。
「ああ、本当にすまなかった…」
「でもね…その代わり、ベルが今…みんなの為に頑張ってるっていうことも聞いた。だから…今ので許してあげる」
「ありがとう、アリシア…」
彼女に拒絶されてもおかしくない罪を、俺は過去に犯した。
それでも張り手の一発で許してくれた彼女を前にして、止まったばかりの涙がもう一度溢れてきた。
「これからも、みんなの為にちゃんと働くこと!私が見てるからね!」
「ああ…約束する…」
広い心を持った小さな少女を抱きしめ、俺は泣き続けた。
「復讐に囚われた哀れな男は、自らが放った煉獄の焔により消滅した」
「ん?ここにいるのは誰か?ははっ、哀れな男の亡霊かもしれないな」
──戒心せよ
──改心せよ
──改新せよ
──邁進せよ
───天空の神殿、ヴァルハラ内部
「此処は…」
心地よい日差しで目を覚ます。
俺は…何をしていたんだっけ…。
「あら、目が覚めたようですね。今グレゴリウス様を呼んできます」
傍らで女の声がした。
グレゴリウス…?
そうだ、俺は神を名乗る男と戦い…死んだ。
「…おい、どういうことだ。…何故俺は生きている!」
問い詰めたが答えは無く、女は部屋を出て行った。
追いかけようとしたが酷い痛みが体を襲い、寝台から立ち上がることもできなかった。
「…待て!」
「此処はどこだ!答えろ!」
誰もいなくなった部屋で叫び続ける。
「やれやれ、騒がしいのう。少しは静かに出来んのか、馬鹿たれが」
そんなことを呟きながら、厳格な雰囲気を纏った初老の男が入って来た。
「グレゴリウス…!」
「そういきり立つな、少し話をしようじゃないか」
そう言いながら、グレゴリウスは部屋の椅子に腰掛ける。
「どういうことだ、何故俺達が生きている…」
「ふむ…お主が煉獄の焔を放った後、私は部下の天使達に救出された」
そんなことできるはずがない。
あれは禁呪の中の禁呪だ。
「天使が使える魔法の中に闇を払う浄化の魔法があっての…数十人がかりで行使させた」
「浄化魔法だと…」
光の魔法の一種だろうか。
信仰心など欠片も持ち合わせていない俺は、聖者達の行使する魔法には疎い。
「その時点でお主は死んでおったが、私が魂だけ抽出し、天使として肉体を作り直した」
「…冗談を言うな」
「冗談だと思うなら、背中を確認してみるがいい」
背中…?
腕を背にまわすと、そこにはふわっとした羽毛の感触があった。
「馬…鹿な…」
「少しは信じる気になったかの」
「何故…こんなことを…」
グレゴリウスは俺の命を奪いに来たはずだ。
俺もグレゴリウスを敵と見做し、迎え撃った。
そんなことが可能なのかどうかは置いておくとしても、俺を蘇生させる理由などあるはずがない。
「お主の力により、私の力は半分近く奪われた。このままでは神としての仕事に支障が出かねん。そこでお主を天使として作り直した。今日からお主には私の右腕として働いてもらう」
「何故俺がそんなことをしなければならない。なんならこの場で殺してやりたいくらいだ」
もう一度戦えば、今度こそこの男の息の根を止められる。
「いいや、お主にそれはできんよ」
「やってみなければわからないだろう。天使の器は強大、下級の天使ですら上級魔族に匹敵すると聞く。勝算は充分過ぎる程ある」
「そういうことではない。お主が闇に囚われるきっかけとなった少女…アリシアと言ったかの。お主が私の下で活躍を見せれば、アリシアを天使として蘇生させてやる」
「何…だと…」
「交換条件というわけだ、悪くはなかろう」
アリシアにまた会える。
そう考えた瞬間、意図せず涙が頬を伝った。
「そんなことが…本当に可能なのか…」
「不可能ならばお主はどうしてここにおる。尤も、本来ならば人間の天使化は英雄の魂に限るがのう」
「特例というわけか…」
確かに俺は英雄等とは縁遠い存在だ。
「でなければ誰がわざわざ好き好んで、お主のような大悪党に天使の中の天使、大天使の器など与えるか」
「なるほど…いいだろう」
もしこいつが嘘を吐いているならば、その時はまた戦うだけだ。
それまではグレゴリウスの口車に乗ってやるのも悪くない。
「交渉成立といったところかの。さて、次はお主の力について話したい」
「…レ・ミゼラブルのことか?」
どうやら俺の力に興味を持ったらしい。
俺としてはこの力の所為で平穏な人生を歩むことができなかったのだから、
あまり語りたい話では無いのだが。
「ほう、そのような名前だったか。凡そ世界の全てを手に入れられそうな力に、何故不幸などという名を付けた」
「…本当に欲しかったものは何一つ手に入らなかったからだ」
「ふむ…欲しかったものとは?」
「家族、平穏…心から愛した少女とのかけがえの無い日常」
そうだ。
それさえ手に入れば、こんな力なんていらなかった。
「ならば今日から私がお主の父親だ。父上と呼ぶが良い」
グレゴリウスが急に穏やか笑みを浮かべる。
「何を馬鹿なことを言っている」
「天使として生まれ変わった以上、お主が天使を管理する私の息子であることは間違い無いだろう」
「選ぶ権利くらいは欲しいものだ」
「ははは、そう言うな。仲良くやっていこうじゃないか、息子よ」
グレゴリウスに頭を叩かれる。
先程まで厳格な態度を貫いていた男は、急に馴れ馴れしくなった。
「それで、俺の力の話ではなかったのか」
「おお、そうだった。お主の力だが、天使化するにあたってそのまま残しておいた」
「…こんな力、消えてくれた方がありがたかったんだが」
この力が無ければ、きっと俺にも平穏で幸せな人生が待っていたことだろう。
天使となってしまった今では人間としての平穏な人生など望むべくも無いが、それでもこの力は忌々しいものだ。
「そう言うな、それはお主の才能だ。上手く付き合っていくといい。それからお主の名だが…」
「名前?」
「今日からフローヴェル・イヴ・ルシファーを名乗るが良い」
ファミリーネームというものか。
そもそも生まれた時点で家族などいなかった俺には存在しなかったものだ。
「ルシファー?」
「光をもたらす者、と言う意味だ」
似合わない。
心の底からそう思った。
数日後。
──ヴァルハラ神殿、神の間
「呼んだか、クソ親父」
扉を蹴飛ばし、面倒臭そうに入室する。
ここ数日、頭痛や吐き気が酷く、俺は寝台の上に寝たきりだった。
人間の魂が天使の器に馴染むまでは時間がかかるらしい。
そういった症状が治まり、ようやく神殿内を歩けるようになったのは昨日のことだった。
「おお、よく来たの、フローヴェル」
「それで、何の用だ?」
「そろそろ天使の器も馴染んできた頃だろう。今日よりこのヴァルハラで働いてもらう」
流石にずっと自堕落に生活させてくれるはずも無いか。
「具体的に、何をすればいい」
「ヴァルハラの天使達はいくつかの師団にわかれて行動しておる。人間を観察する師団や戦闘を行う師団、治療専門の師団といった形にな」
人間を観察か…水晶的な物から人間達を眺めていればいいのだろうか。
楽そうだ、それにしよう。
「無論、お主には戦闘専門の師団に入ってもらう」
どうやら俺の考えは見抜かれていたらしい。
「何…だと…」
「何を落胆しておる。それほどの力があるのだ、前線で戦ってもらうに決まっておろう」
さらば、自堕落な日々よ。
「はぁ…まぁ仕方あるまい。具体的には何と戦えばいいんだ?」
「我々の仕事は人間の管理だ。人間達の生活を著しく脅かす魔族や、お主のような大馬鹿者達かの」
「なるほど、人間を侵略する魔族や俺のような大馬鹿…表に出ろ、クソ親父」
「戦闘を生業とする師団にもいくつかあっての。おおそうだ、第4師団には気を付けろ」
「おい、その前に謝罪を──」
「連中は実力こそ確かだが、ならず者の集まりだ。天使でありながら私の命令に従わないことすらある」
それよりも先程の発言に対する謝罪をして欲しい。
「団長であったバルドゥルがつい先日、魔族にやられての。連中も気が立っておる、注意するがよい」
──ヴァルハラ神殿内、訓練場
神の間を後にした俺は、その足で訓練場へと向かった。
何しろ数日間寝たきりだったのだ、少し体を慣らしておきたい。
そう思い、訓練場に足を踏み入れた。
キィン、キィン。
剣と剣が交わる音が聞こえる。
どうやら使用中だったらしい。
折角だ、天使の戦闘を見せてもらおうか。
そんなことを考えていると、数人の男がこちらへ向かってきた。
「おいテメェ、見ねぇ顔だな。新入りか?」
「今日は俺達第4師団様の貸切だ、ぎゃはははは」
「悪いこたぁ言わねぇから帰りな、兄ちゃん」
「おいおい、ブルって動けねえってか!」
男達が口々に野次を飛ばしてくる。
注意しろ、と言われた直後に絡まれてしまっては注意しようもない。
天使は皆清廉潔白な者達だと思っていたが…どんな種族にもこういう手合いはいるものか。
「第4師団…そうか、お前達か」
男達を観察する。
面構えは悪くない、それなりに腕は立つのだろう。
「おぉ、俺らのこと知ってんのか兄ちゃん」
「だったら、俺達がどんなやつらか聞いてんだろ?」
「今土下座すれば見逃してやるぜ、ぎゃははははは!」
「ああ、魔族に敗れた情けない弱虫集団だとよく聞いているよ」
「ああ!?テメェ今なんつった!」
「おい、お前ら!入口塞げ!」
「全員で囲め!こいつ生かして帰すんじゃねえぞ!」
事実を述べただけだが。
どうやら火に油だったらしい。
ちょうど体も鈍っていた、いい準備運動だ。
「次、かかってこい」
いつの間にか、訓練場の中心には屍の山が出来上がっていた。
無論、流石に命までは取っていないが。
「ま、参りました…」
「何モンだよ、あんた…」
腕自慢が聞いて呆れる。
これならグレゴリウス1人を相手にする方が余程骨が折れる。
「フローヴェル・イヴ・ルシファー。しがない大馬鹿者だ」
先日、グレゴリウスから与えられた名を名乗る。
やはり似合わないな。
「まさか…あんたか?神のジジイとドンパチやらかした人間ってのは」
「その後ジジイが天使にしたって噂は本当だったのか…」
どうやら神殿内でも俺のことは噂になっているらしい。
大人数の天使を増援に呼んだのだ。
流石のグレゴリウスも隠し通せるものではなかったらしい。
「あと一歩のところで取り逃がしてしまったがな。思い出すだけでも腹立たしい」
アリシアにもう一度会うという新たな目的が生まれた今ではグレゴリウスの命など興味はない。
それでも、今まで負け知らずだった戦闘で敗れたという事実は、単純に悔しいものだ。
「なぁ、あんた…」
戦闘に参加せず、成り行きを見守っていた男が歩いてくる。
「ん、次はお前か?」
「いいや。第4師団副団長、ダグラスだ。あんたに頼みがある…」
──ヴァルハラ神殿、神の間
「私は注意しろと言ったはずだが…」
「俺は注意していたつもりだったのだがな」
「お主のような大悪党が、よりにもよってならず者達の上に立つなど…」
グレゴリウスは重々しい表情を浮かべ、頭を抱えていた。
その理由というのが…
「ああ!?ジジイ!フローヴェル団長に喧嘩売ってんのか!?」
「団長を侮辱するなら神だろうとぶっ飛ばすぞ、テメェ!」
「団長は素晴らしい御方だ!馬鹿にするなら黙っちゃいねぇぞ!」
副団長ダグラスの頼み。
それは、前隊長の仇である魔族を倒して欲しいとのことだった。
──数日前──
「ふざけるな…天使風情などにこの俺が…!」
「退屈凌ぎにもならないな。さっさと散るが良い、魔王アビゴル」
前隊長を屠った魔族、アビゴル。
彼は今、無様にも地面に這いつくばっていた。
「すげぇ…あのアビゴルが子供扱いかよ…」
後ろに控えているのは第4師団の連中。
共にアビゴルを討つという条件だったが、戦闘範囲に入って来られても邪魔なので待機させている。
「お前達…!全員でこの男を捕えろ!」
魔王の号令で、残っていた彼の眷属達が一斉に襲い掛かる。
「ダークアトレイア」
天から降り注ぐ黒色の光が、彼の居城ごと眷属達を焼き払う。
天使の体は便利な物で、魔力の出力が人間のそれとは比べ物にならない。
詠唱すら省略することができるので、非常に楽だった。
眷属達も全滅し、打つ手の無くなったアビゴルの元へ近づいていく。
「貴様…覚えておけ!俺は必ずや転生を果たし…貴様に復讐する!」
「やめておけ…転生なんて、面倒なだけだ」
黒色の球体が弾け飛び、アビゴルは跡形も無く消滅した。
この一件から、あれよあれよと新たな団長に祭り上げられてしまった。
何者かの下に着くのは柄じゃないので、これでいいのかもしれないが。
「くれぐれも、問題だけは起こしてくれるなよ…」
「保証はしかねるが、善処しよう」
──1年後──
「ちょっ…団長!助けてくれよ…!」
ここは人間達が多く暮らす大陸の、とある荒野。
俺に助けを求めた男は、魔獣の群れに囲まれていた。
「ジャンケンで負けたやつが片付けるんじゃなかったのか?」
近頃、人間達を頻繁に襲っている凶暴な魔獣。
第4師団にこれの討伐任務が下った。
「面倒だからジャンケンで負けたやつがやろう」などと言い出した彼は、実に華麗なる1人負けを披露してくれたのだった。
「ぎゃはははは!そうだそうだ!根性見せろ!言い出しっぺ」
続いて部下達が彼をからかってみせる。
「そんなこと言ってもよ!流石に1人じゃ無理だってこれ…!うぉ!」
やれやれ、情けないことだ。
とはいえ彼の働きによってある程度魔獣の数は減った。
そろそろ助けてやろうか、あまり部下を苛めると親父に怒鳴られそうだ。
「仕方ない、今日の酒はお前が振る舞え」
「ちょ、団長!待ってくれ!俺も一緒に焼かれちまう!」
俺が魔法を行使しようとすると、彼は急いで範囲外へ離脱を試みる。
「酒がかかっているんだ、お前に当てはしまい」
黒色の光が天より降り注ぎ、魔獣達を焼き尽くす。
勿論、部下には当たらないように撃った。
当たったら当たったで面白かったかもしれないが。
「でもよぉ団長、天使の癖に禁呪使いまくりってどうなんだ?」
「どっちかっつーと魔王だな」
「ぎゃはははは、違えねえ!」
「おっかねえおっかねえ!」
言われてみれば、天使達が好んで使う光の魔法はあまり使わない。
特に意識したことは無かったが、やはり使い慣れた魔法に頼ってしまっているのかもしれない。
「お前達のようなならず者どもを抑え付けるには、これぐらいで丁度いい」
「おいおい、ひでぇ言われようだ」
「さて、引き上げるぞ。帰ってあいつの奢りで酒だ」
「ひょー!今日はタダ酒だ!」
──ヴァルハラ神殿内部
「帰ったか、フローヴェル」
部下達と主通路を歩いていると、親父に呼び止められた。
「何だ、親父。俺はこれから酒を飲みたいんだが」
「後にせい、お主に話がある」
こうなってしまうと俺が何を言っても聞き入れてはくれない。
「仕方ない。お前達、先に始めていろ」
俺は観念して部下達に先に行くように指示する。
「で、話とは何だ、親父」
俺の貴重な酒の時間を削った以上、つまらない話をしたらわかっているだろうな。
そんな確認の意味を込めて親父に問う。
「ふむ、今日が何の日か知っておるかの、フローヴェルよ」
いきなり何を言い出したのかと思ってしまった。
特に何か大きな任務があったわけでもないし、神殿内もいつも通りだ。
「さぁな。何の変哲も無い、数あるうちの1日に過ぎないだろう」
「今日はお主の誕生日だ、フローヴェル」
一体何を言い出すんだ、この親父は。
「一体何を言い出すんだ、この親父は。とでも言いたそうな顔だのう」
しまった、顔に出ていたらしい。
「俺は物心ついた時には既に廃墟にいた、と以前にも話しただろう。誕生日など知るはずも無い」
かろうじてフローヴェルという名前だけは知り得たが、その他自分に関する情報は何も知らない。
「そっちの誕生日は知らんがの。今日はお主が天使として生まれ変わってから、ちょうど1年だ」
「ああ、そういうことか…」
勿論覚えてなどいなかったが。
「どうでもよさそうな顔をするな。もっと喜ばんか、ほれ」
有体に言ってしまえば、うざい。
「天使は悠久の時を生きる存在だろう、いちいち誕生日くらいで騒いでいられるか」
「ほう、私が用意したプレゼントを目にしても同じことが言えるかの…?」
反抗期に至った子供は親に対して意味も無く反発すると言うが、まさに今そんな気分だ。
「プレゼント…?」
「息子の誕生日を祝うは父親の務めだからの。お主の部屋に行ってみるがよい」
俺は渋々自室へ向かっていく。
あいつらはきっともう楽しく酒盛りを始めていることだろう、羨ましいことだ。
そんなことを考えながら、自室の扉を開く。
「え、ベル…?」
そこには太陽のような少女が、有りし日の姿で立っていた。
「ア…リ…シア…?」
「ベル!本当にベルなの!?」
これが誕生日プレゼントなのだろうか。
あまりに突然の出来事で、未だに状況が飲み込めずにいた。
「どういうことだ…なぜアリシアが…」
「神様のおじーちゃんがね、新しい命をあげるから、今日から天使として生きなさいって」
天使…確かにアリシアの背中には純白の翼があった。
「はは…親父め、やってくれる…」
どんな手段を使ってでも、アリシアにもう一度会いたかった。
その思いで、これまで天使としての任務もこなしてきた。
やっと。
やっと会えた。
大粒の涙が頬を伝う。
アリシアに泣き虫だと笑われるかな。
それでもいい。
からかわれたってかまわない。
「アリシア…会いたかった」
アリシアの華奢な体を、両の腕で強く抱きしめる。
「私もだよ、ベル…」
アリシアもその小さな腕で抱き返してくる。
どれだけの時間、そうしていただろうか。
ふいに、アリシアが口を開く。
「ベル、大きくなったんだね」
かつての姿のままのアリシアと比べると、確かに俺は歳相応に成長している。
「アリシアもすぐに大きくなるさ」
そう言ってアリシアの頭を撫でる。
「ねえ、ベル」
「ん?」
「神様のおじーちゃんから聞いたよ。私がいなくなってから、ベルがいっぱい悪いことしちゃったって」
かつての俺は、アリシアを失った悲しみから狂ってしまった。
それは取り繕いようの無い事実だし、否定することはできない。
「ああ、たくさんの人の命を奪った」
「ベル、ちょっとかがんで?」
アリシアにせがまれ、彼女と目線の高さを合わせる。
パチーン。
突如、右の頬を痛みが襲う。
どうやら、アリシアに張り手をされたらしい。
「ベルの馬鹿!そんなことしたって私は嬉しくないんだよ!馬鹿!馬鹿!」
アリシアが涙目で叫ぶ。
「ああ、本当にすまなかった…」
「でもね…その代わり、ベルが今…みんなの為に頑張ってるっていうことも聞いた。だから…今ので許してあげる」
「ありがとう、アリシア…」
彼女に拒絶されてもおかしくない罪を、俺は過去に犯した。
それでも張り手の一発で許してくれた彼女を前にして、止まったばかりの涙がもう一度溢れてきた。
「これからも、みんなの為にちゃんと働くこと!私が見てるからね!」
「ああ…約束する…」
広い心を持った小さな少女を抱きしめ、俺は泣き続けた。
「少年がその後どうなったか、だと?まだ聞きたいと申すか、お前は本当に物好きだな」
「しばし待て。紅茶もすっかり冷めてしまった。新しいものを持ってこさせよう」
「さて、どこまで話したか…。ああ、そうだった。少年は友を失い、闇に囚われてしまったのだったな」
「物語は佳境を迎える。始めようか…闇に魂を売った男の、愚かなる復讐劇を!」
──喪失の海
──無力を悟り
──嘆いたあの日
──どこかで壊れてしまった
───某国、郊外
「フローヴェルさん、終わりましたぜ!」
ならず者風の男がこちらへ向かってくる。
「そうか、ご苦労だった」
俺は報告に来た男を労う。
「いえいえ」
男が照れくさそうに笑う。
「それで、生存者は?」
確認の意味を込めて、男を睨み付ける。
先程までにやけていた彼は途端に姿勢を正した。
「へ、へぇ、指示通り、街にいた人間は一人残らず皆殺しでさぁ…」
男の報告を受けた俺は、よくやったという意味を込めて頷きを返す。
「金品はお前達の好きにしろ、俺は興味が無い。次の遠征は3日後だ、準備をしておけ」
「わかりやした、失礼しやす…」
男が一礼して退室する。
ここはとある傭兵団のアジト。
先程の男は傭兵団の団長だ。
アリシアを失った俺は、人間への復讐を開始した。
きっと彼女はそんなことを望まないとわかっていたが、それでも自分の中の闇を抑えることができなかった。
単身街へと赴き、人間という人間を蹂躙する。
そんなことを繰り返していた時に出会ったのがこの傭兵団だった。
傭兵団と言えば聞こえはいいが、実際のところは盗賊団と言った方が近い。
人間であれば等しく復讐の対象だったが、こいつらには利用価値がある。
食事は勝手に出てくるし、寝る場所には困らない。
遠征となれば俺の手足となって働いてくれる。
非常に便利な連中だ。
そういったこともあり、今は彼らの用心棒に落ち着いている。
復讐は始まったばかりだ。
愚かな人間よ、お前達に絶望を与えてやろう。
それから6度の遠征を行った。
それはつまり、6つの街を我々が滅ぼしたことになる。
今日は7度目の遠征。
いつものように人間を血祭りにあげ、傭兵団の連中は金品を漁っている。
そろそろ報告が来てもおかしくは無い頃合いだが…。
それからしばらく待ってみたものの、報告は来ない。
様子がおかしいと思った俺は、街中へ出向いてみる。
そこには住民達の死体と…傭兵達の死体が転がっていた。
誰に殺られた…?
住民は誰一人として残っていなかったはず。
「お主がフローヴェルか…」
前方から初老の男と若い女が歩いてくる。
二人の背中には、白い翼があった。
「誰だ、お前達は。見るからに人間じゃあなさそうだが」
天使族。
人間とは別の世界から、人間を管理する存在。
うわさ話程度には聞いていたが、実際に目にするのは初めてだ。
「貴様…控えろ!神の御前だぞ!」
傍らにいた女の天使が声を上げる。
「神…?」
初老の天使に目を向ける。
「私はグレゴリウス、神格を有するに至った天使…お主達人間の言うところの「神」なる存在の1人だ」
「ははっ…笑える冗談だな、爺さん」
「貴様…!黙って聞いていれば数々の無礼!もう許せん…!」
傍らの女天使が手にした槍を持って突進してくる。
血気盛んなことだ、俺が言えたことじゃあないが。
「愚かなる悪よ、滅びるがいい!!!!」
その槍撃を見切り、彼女の眼前に手をかざす。
「滅びるのは貴様だ、光の者よ」
かざした掌は、女天使の力を根刮ぎ奪っていく。
「やめろ、貴様…何を!うわああああああああ!!!!!」
「天使族も、この程度か」
女戦士は悲鳴をあげ、倒れた。
少し力を奪い過ぎたか。
アリシアが死んだあの日に大暴走したこの力は、それ以来不思議と制御が出来るようになった。
もしかすると、アリシアが手を貸してくれたのかもしれない。
そんなことを考えながら、神を名乗る男を見据える。
「さて、お互い一人ぼっちになったわけだが…どうせこのまま帰るつもりも無いんだろう?爺さん」
「フローヴェルよ…お主はやり過ぎた」
グレゴリウスと名乗った男は険しい表情で語る。
「お主のこれまでの行動は、天空に聳える我が居城ヴァルハラから見ておった。我々はこれ以上、お主を看過することは出来ないと判断した」
「ご苦労なことだ。そんなことの為にわざわざ無駄死にしに来るとは、存外神も暇人らしい」
「幼い頃に悲劇があったとはいえ、お主は少々歪みすぎた。その命、ここで回収する」
「成程…神という存在は純粋な子供にたったひとつの救いも与えず、今更になって俺を裁くというのか…笑わせるなっ!」
「それが運命だったのだ、そこに我々が介入する余地は無い…!」
「ならばそんな役立たずの神など必要無い…!いいだろう、貴様もアリシアへの手向けだ、ジジイ!」
「愚かな…」
先刻まで丸腰だったグレゴリウスが槍を構える。
おそらく一種の魔法だろう。
「宵闇に踊る黒き精霊達よ。汝らの導きの下、彼の者を楽園へと誘い給え!ダークエリュシオン!」
先手を取られる前に、魔法の詠唱を開始する。
空間系の魔法の影響で、辺りが闇に包まれていく。
「…ふんっ!」
グレゴリウスが槍を薙ぐと、魔法によって作り出された闇がいとも容易く払われてしまった。
神を名乗るだけあって、その力量はデタラメらしい。
「人の身でありながらここまでの禁呪を行使するか…やはりお主は危険な男だ」
ならば次の手だ。
両の手を広げ、それぞれの掌に魔力を集約する。
「罪深き者に刻むは復讐の赫、滅びゆく者に与えるは絶望の黒!彷徨える魂よ!渇き、苦しみ、闇へと還れ!グラウンド・ゼロ!」
集約された魔力は黒い球体となる。
その2つの魔力の塊を、グレゴリウス目掛けて投擲する。
球体は対象の元へ着弾し、大爆発を引き起こす。
「くっ…!」
どうやら少しは効いたらしい。
それでも致命傷には到っていない。
流石に一筋縄とはいかないか。
「どうした?余裕が消えたぞ、神」
「やはり他の傭兵共とは格が違うのぉ…」
雑用係と比べられても全く嬉しく無い。
あんな連中は最初から戦力として数えていない。
「お前こそ、なかなか楽しませてくれるじゃないか!」
「そろそろ本気で行かせてもらうとしようかの、人の子よ…!」
グレゴリウスが雷光のような速さで槍を突く。
「っ…!」
回避を試みたものの、流石にこれを見切れるやつは人間じゃない。
腹部に一突き、貰ってしまった、だが…
「…よくこの間合いまで入って来た!俺の血の代償は高いぞ…!」
腹に槍が突き刺さったまま、グレゴリウスの額に手をかざす。
「神の力、この俺が貰い受けよう!」
俺の力がグレゴリウスの力を奪い始める。
俺の勝ちは決まったはずだった。
「小癪な…!」
グレゴリウスはその雷光の如き速さで距離を取った。
「まさか…このような力が存在すると言うのか!」
どうやらかなり警戒されてしまったようだ。
先刻よりも自分の身体に力が満ちているのは感じるが…力の全てを奪えたわけではない。
良くて半分程度と言ったところか。
あの一瞬で離脱できる膂力は流石神と言ったところか。
とはいえ普通に考えればそれでも互角以上には立ち回れるはずだが、この力には欠点がある。
奪った力はすぐには使いこなせない。
自分の身体に馴染むまで、時間がかかってしまう。
それがこの力の最大の欠点。
それでも奪われた側であるグレゴリウスの戦闘力は確実に落ちているはずだ。
こちらも致命傷を貰ってしまったわけだが。
「ハァ…ハァ…気付いたか?神よ…」
腹部から流れる血を抑えながら、グレゴリウスを見据える。
「対象の力を奪う力…なんと傲慢な能力か…」
「俺はこの力で…腐った世界から全てを奪い、全てをアリシアに捧げる!邪魔を…するなああああ!!!!」
残りの力も奪い取る為、俺はグレゴリウスに向かって疾走する。
「虚空より生まれし常闇よ!黒き閃光となりて人の業を裁かん!エンド・ワルツ!」
周囲の空間から、幾千もの黒い閃光が放たれる。
「攻式…紫電一閃」
グレゴリウスが微かに呟く声が聞こえた。
瞬間。
凄まじい突風が吹き荒れ、俺の腹部に大穴を開けた。
どうやらグレゴリウスの突きを喰らったようだが、あまりにも速すぎて何をされたのかわからなかった。
「くっ…こんな…ところで…この俺が…」
身体の感覚が無い。
どうやら、ここまでらしい。
グレゴリウスがこちらに近付いてくる。
「誇れ、人の身でこの神速の槍を受けたのはお主が初めてだ」
勝者の常套句だ…そう気を急くな。
確かに勝負はお前の勝ちであり、俺も死ぬだろう。
だが、お前が生かして帰すとは言っていない。
「……………」
「何を呟いておる。死に際に懺悔かの…?」
「الحكم أن يكون دهور في خاطئين الشخص الذي المطهر الظلام」
「その詠唱は…!」
お前も地獄に道連れだ、グレゴリウス。
煉獄に焼かれろ。
「…ゲヘナ」
俺とグレゴリウス。
2人を中心として黒色の炎が燃え上がる。
「グレゴリウス様!」
「ご無事ですか…!」
複数の声が近付いてくる。
おそらくは増援の天使達だろうか。
無駄だ、もう全てが手遅れだ。
「これは…まさか!」
「お前…達…近寄るんじゃない…煉獄の炎、ゲヘナだ…」
グレゴリウスが増援の天使達を制止する。
煉獄に身を焼かれながら、大したものだ。
「これが…禁呪の中の禁呪…ゲヘナ…」
「すぐに浄化します!どうかそれまでご辛抱を!」
外野が騒ぐ声が聞こえる。
だが…もう…どうでもいい。
意識が遠ざかる。
どうやら俺もここまでらしい。
獄炎の中でこれまでの日々に思いを馳せる。
唯、家族が欲しかった。
唯、平穏が欲しかった。
唯、普通が欲しかった。
唯、アリシアと…ずっと…一緒…に………
「しばし待て。紅茶もすっかり冷めてしまった。新しいものを持ってこさせよう」
「さて、どこまで話したか…。ああ、そうだった。少年は友を失い、闇に囚われてしまったのだったな」
「物語は佳境を迎える。始めようか…闇に魂を売った男の、愚かなる復讐劇を!」
──喪失の海
──無力を悟り
──嘆いたあの日
──どこかで壊れてしまった
───某国、郊外
「フローヴェルさん、終わりましたぜ!」
ならず者風の男がこちらへ向かってくる。
「そうか、ご苦労だった」
俺は報告に来た男を労う。
「いえいえ」
男が照れくさそうに笑う。
「それで、生存者は?」
確認の意味を込めて、男を睨み付ける。
先程までにやけていた彼は途端に姿勢を正した。
「へ、へぇ、指示通り、街にいた人間は一人残らず皆殺しでさぁ…」
男の報告を受けた俺は、よくやったという意味を込めて頷きを返す。
「金品はお前達の好きにしろ、俺は興味が無い。次の遠征は3日後だ、準備をしておけ」
「わかりやした、失礼しやす…」
男が一礼して退室する。
ここはとある傭兵団のアジト。
先程の男は傭兵団の団長だ。
アリシアを失った俺は、人間への復讐を開始した。
きっと彼女はそんなことを望まないとわかっていたが、それでも自分の中の闇を抑えることができなかった。
単身街へと赴き、人間という人間を蹂躙する。
そんなことを繰り返していた時に出会ったのがこの傭兵団だった。
傭兵団と言えば聞こえはいいが、実際のところは盗賊団と言った方が近い。
人間であれば等しく復讐の対象だったが、こいつらには利用価値がある。
食事は勝手に出てくるし、寝る場所には困らない。
遠征となれば俺の手足となって働いてくれる。
非常に便利な連中だ。
そういったこともあり、今は彼らの用心棒に落ち着いている。
復讐は始まったばかりだ。
愚かな人間よ、お前達に絶望を与えてやろう。
それから6度の遠征を行った。
それはつまり、6つの街を我々が滅ぼしたことになる。
今日は7度目の遠征。
いつものように人間を血祭りにあげ、傭兵団の連中は金品を漁っている。
そろそろ報告が来てもおかしくは無い頃合いだが…。
それからしばらく待ってみたものの、報告は来ない。
様子がおかしいと思った俺は、街中へ出向いてみる。
そこには住民達の死体と…傭兵達の死体が転がっていた。
誰に殺られた…?
住民は誰一人として残っていなかったはず。
「お主がフローヴェルか…」
前方から初老の男と若い女が歩いてくる。
二人の背中には、白い翼があった。
「誰だ、お前達は。見るからに人間じゃあなさそうだが」
天使族。
人間とは別の世界から、人間を管理する存在。
うわさ話程度には聞いていたが、実際に目にするのは初めてだ。
「貴様…控えろ!神の御前だぞ!」
傍らにいた女の天使が声を上げる。
「神…?」
初老の天使に目を向ける。
「私はグレゴリウス、神格を有するに至った天使…お主達人間の言うところの「神」なる存在の1人だ」
「ははっ…笑える冗談だな、爺さん」
「貴様…!黙って聞いていれば数々の無礼!もう許せん…!」
傍らの女天使が手にした槍を持って突進してくる。
血気盛んなことだ、俺が言えたことじゃあないが。
「愚かなる悪よ、滅びるがいい!!!!」
その槍撃を見切り、彼女の眼前に手をかざす。
「滅びるのは貴様だ、光の者よ」
かざした掌は、女天使の力を根刮ぎ奪っていく。
「やめろ、貴様…何を!うわああああああああ!!!!!」
「天使族も、この程度か」
女戦士は悲鳴をあげ、倒れた。
少し力を奪い過ぎたか。
アリシアが死んだあの日に大暴走したこの力は、それ以来不思議と制御が出来るようになった。
もしかすると、アリシアが手を貸してくれたのかもしれない。
そんなことを考えながら、神を名乗る男を見据える。
「さて、お互い一人ぼっちになったわけだが…どうせこのまま帰るつもりも無いんだろう?爺さん」
「フローヴェルよ…お主はやり過ぎた」
グレゴリウスと名乗った男は険しい表情で語る。
「お主のこれまでの行動は、天空に聳える我が居城ヴァルハラから見ておった。我々はこれ以上、お主を看過することは出来ないと判断した」
「ご苦労なことだ。そんなことの為にわざわざ無駄死にしに来るとは、存外神も暇人らしい」
「幼い頃に悲劇があったとはいえ、お主は少々歪みすぎた。その命、ここで回収する」
「成程…神という存在は純粋な子供にたったひとつの救いも与えず、今更になって俺を裁くというのか…笑わせるなっ!」
「それが運命だったのだ、そこに我々が介入する余地は無い…!」
「ならばそんな役立たずの神など必要無い…!いいだろう、貴様もアリシアへの手向けだ、ジジイ!」
「愚かな…」
先刻まで丸腰だったグレゴリウスが槍を構える。
おそらく一種の魔法だろう。
「宵闇に踊る黒き精霊達よ。汝らの導きの下、彼の者を楽園へと誘い給え!ダークエリュシオン!」
先手を取られる前に、魔法の詠唱を開始する。
空間系の魔法の影響で、辺りが闇に包まれていく。
「…ふんっ!」
グレゴリウスが槍を薙ぐと、魔法によって作り出された闇がいとも容易く払われてしまった。
神を名乗るだけあって、その力量はデタラメらしい。
「人の身でありながらここまでの禁呪を行使するか…やはりお主は危険な男だ」
ならば次の手だ。
両の手を広げ、それぞれの掌に魔力を集約する。
「罪深き者に刻むは復讐の赫、滅びゆく者に与えるは絶望の黒!彷徨える魂よ!渇き、苦しみ、闇へと還れ!グラウンド・ゼロ!」
集約された魔力は黒い球体となる。
その2つの魔力の塊を、グレゴリウス目掛けて投擲する。
球体は対象の元へ着弾し、大爆発を引き起こす。
「くっ…!」
どうやら少しは効いたらしい。
それでも致命傷には到っていない。
流石に一筋縄とはいかないか。
「どうした?余裕が消えたぞ、神」
「やはり他の傭兵共とは格が違うのぉ…」
雑用係と比べられても全く嬉しく無い。
あんな連中は最初から戦力として数えていない。
「お前こそ、なかなか楽しませてくれるじゃないか!」
「そろそろ本気で行かせてもらうとしようかの、人の子よ…!」
グレゴリウスが雷光のような速さで槍を突く。
「っ…!」
回避を試みたものの、流石にこれを見切れるやつは人間じゃない。
腹部に一突き、貰ってしまった、だが…
「…よくこの間合いまで入って来た!俺の血の代償は高いぞ…!」
腹に槍が突き刺さったまま、グレゴリウスの額に手をかざす。
「神の力、この俺が貰い受けよう!」
俺の力がグレゴリウスの力を奪い始める。
俺の勝ちは決まったはずだった。
「小癪な…!」
グレゴリウスはその雷光の如き速さで距離を取った。
「まさか…このような力が存在すると言うのか!」
どうやらかなり警戒されてしまったようだ。
先刻よりも自分の身体に力が満ちているのは感じるが…力の全てを奪えたわけではない。
良くて半分程度と言ったところか。
あの一瞬で離脱できる膂力は流石神と言ったところか。
とはいえ普通に考えればそれでも互角以上には立ち回れるはずだが、この力には欠点がある。
奪った力はすぐには使いこなせない。
自分の身体に馴染むまで、時間がかかってしまう。
それがこの力の最大の欠点。
それでも奪われた側であるグレゴリウスの戦闘力は確実に落ちているはずだ。
こちらも致命傷を貰ってしまったわけだが。
「ハァ…ハァ…気付いたか?神よ…」
腹部から流れる血を抑えながら、グレゴリウスを見据える。
「対象の力を奪う力…なんと傲慢な能力か…」
「俺はこの力で…腐った世界から全てを奪い、全てをアリシアに捧げる!邪魔を…するなああああ!!!!」
残りの力も奪い取る為、俺はグレゴリウスに向かって疾走する。
「虚空より生まれし常闇よ!黒き閃光となりて人の業を裁かん!エンド・ワルツ!」
周囲の空間から、幾千もの黒い閃光が放たれる。
「攻式…紫電一閃」
グレゴリウスが微かに呟く声が聞こえた。
瞬間。
凄まじい突風が吹き荒れ、俺の腹部に大穴を開けた。
どうやらグレゴリウスの突きを喰らったようだが、あまりにも速すぎて何をされたのかわからなかった。
「くっ…こんな…ところで…この俺が…」
身体の感覚が無い。
どうやら、ここまでらしい。
グレゴリウスがこちらに近付いてくる。
「誇れ、人の身でこの神速の槍を受けたのはお主が初めてだ」
勝者の常套句だ…そう気を急くな。
確かに勝負はお前の勝ちであり、俺も死ぬだろう。
だが、お前が生かして帰すとは言っていない。
「……………」
「何を呟いておる。死に際に懺悔かの…?」
「الحكم أن يكون دهور في خاطئين الشخص الذي المطهر الظلام」
「その詠唱は…!」
お前も地獄に道連れだ、グレゴリウス。
煉獄に焼かれろ。
「…ゲヘナ」
俺とグレゴリウス。
2人を中心として黒色の炎が燃え上がる。
「グレゴリウス様!」
「ご無事ですか…!」
複数の声が近付いてくる。
おそらくは増援の天使達だろうか。
無駄だ、もう全てが手遅れだ。
「これは…まさか!」
「お前…達…近寄るんじゃない…煉獄の炎、ゲヘナだ…」
グレゴリウスが増援の天使達を制止する。
煉獄に身を焼かれながら、大したものだ。
「これが…禁呪の中の禁呪…ゲヘナ…」
「すぐに浄化します!どうかそれまでご辛抱を!」
外野が騒ぐ声が聞こえる。
だが…もう…どうでもいい。
意識が遠ざかる。
どうやら俺もここまでらしい。
獄炎の中でこれまでの日々に思いを馳せる。
唯、家族が欲しかった。
唯、平穏が欲しかった。
唯、普通が欲しかった。
唯、アリシアと…ずっと…一緒…に………
序章「我、闇となりて」
──王都セリオン、フローヴェル邸
「昔話?そなたも大層な変わり者だな。このようなつまらぬ男の過去を知りたいと申すか。知ったところで面白い話ではないし、誰かに話してもまず信じてもらえないだろう。それでも聞きたいと申すのか」
「ははっ、そうか。では丁度暇をもて余していたところだ。物好きなお前の為に、少しだけ御伽噺を紡ぐとしようか。さあ、座り聞け。闇に囚われた一人の少年の噺を…」
──息を断つことは簡単で、
──だけどまだほんの少し君に触れていたい。
──君はこんな僕が生きることを許してくれますか?
──???、廃墟
「ん…ふわぁ…」
廃墟に吹き抜ける、一陣のすきま風で目を冷ます。
腹の音が空腹を告げる。
最後に何かを口にしたのは3日程前だったろうか。
いい加減、何か食べないと…。
川に行って魚でも捕ろうか。
そんなことを考える。
ここはとある王国の町外れにある廃墟。
自分が何の為に存在するのかなんてわからない。
気が付いたら此処にいた。
傍らのプレートに刻んであった「フローヴェル」という記号だけが、自分を表す全てだった。
生まれ持った呪われた力とでも言うのだろうか。
とにかく、そんなものが僕にはあった。
それは周囲の人の「力を奪う力」
体力や魔力だけではなく、相手の才能すらも奪う呪われた力。
芸術に長けた者も、戦闘に秀でた者も、学術に明るい者も、ひとたびこの力が発動すれば、みな凡夫へと成り下がる。
しかも厄介なことに、この力は制御が効かない。
僕自身の感情の高ぶりによって発動し、周囲の力という力を喰らい尽くすまで暴走は止まらない。
そんな事情もあって、街の人々からは忌み嫌われていた。
「家族」が欲しかった。
こんな呪われた僕でも笑って迎え入れてくれる、暖かい家族が。
無論それは叶わぬ願いだと、理解はしていた。
人でありながら過ぎた力を身に宿して生を受けた自分が、「普通」を望むことは叶わないと。
頭では理解していた。
それでも母親と手を繋いで歩く子供を見ると「同じ人間なのにどうして自分だけが」そんなどす黒い感情が渦を巻く。
そんな僕にも1人だけ、友と呼べる人がいた。
どす黒い感情に支配されかけても、自分を見失わずにいられるのは彼女のお陰だろう。
ふと耳を傾けると、誰かの足音が聞こえる。
やがて足音が近付き、1人の少女が視界に映る。
「あ、いた!ベル、おはよ!」
金色の髪の少女は笑顔を浮かべながら、こちらに近付いてくる。
「やあ、アリシア。こんな朝早くから来たらお母さんに怪しまれるよ?」
太陽のように笑う彼女に、こちらも笑顔を返す。
彼女は名はアリシア。
こんな僕にも優しく接してくれる、唯一の友達だ。
いつも明るく優しい彼女は、僕にとって憧れだった。
「はい、ベル!朝ごはん持ってきてあげたよ!お腹すいてたでしょ?」
彼女が持っていた袋からパンを差し出す。
きっと親の目を盗んで持って来たんだろう。
本来なら感謝の言葉のひとつでも言うべきなんだろうが、素直になれない僕はつい強がってしまう。
「心配しなくても今から何か食べようと思ってたんだよ…」
本当はありがとうと言いたいのに、言葉に出せない。
「またそんなこと言ってー!折角持ってきてあげたんだからありがたく食べなさい!」
そんな思惑もアリシアには全部見抜かれていたらしい。
本当に、頭が上がらない。
「ねえ、アリシア」
「なぁに?」
パンを食べ終えた僕は、ずっと疑問に思ってたことを聞いてみる。
「どうしてアリシアは僕と一緒にいてくれるの?街の大人達だって僕を嫌ってるのに…」
人間は歳を重ねるほど、経験を積み、自らの才を研鑽する。
そんな長年積み上げてきた自分自身が、一瞬で奪われる。
僕が大人達にこそ強く蔑まれている理由だった。
「んー、ベルの力のこと?ベルが怒った時とか悲しい時にしか発動しないんでしょ?だったら何も気にすること無いでしょ?」
少し考える素振りを見せた後、また太陽のような笑顔を浮かべ、アリシアは微笑む。
「でも…」
「それに私、普通の女の子だしね!ベルの力だって私の力なんていらないと思うよ!」
それは違う。
「普通」は何物にも代えがたい才能だ。
僕はそれに最も憧れた。
「だからベルはそんなこと気にしなくていいの!私がベルと一緒にいて楽しいからそうしてるんだから!」
額を指で弾かれる。
俗に言う「デコピン」というやつだ。
「いてっ、…わかったよもぉ」
不貞腐れてみせるが、内心は感謝の気持ちでいっぱいだった。
彼女が友達で本当によかったと、心から思える。
自分でも味気無い人生だと思うけど、彼女が傍にいてくれるなら、こんな人生も悪くないのかもしれない。
「あ、そろそろ帰らないと!ベル、またね!」
「うん、気を付けてね、アリシア」
アリシアと別れ、再び廃墟に1人きりになった。
腹が膨れているうちに、食料を確保しておこうか。
そんなことを考え、川へ向かう。
「ふぅ…」
さて、これくらいでいいだろうか。
捕った魚達を見て満足する。
魚を捕ることは僕にとって難しいことではなかった。
雷の魔法で気絶させ、浮かんできた魚を捕るだけだ。
そしてそれを炎の魔法で焼き上げる。
勿論この魔法も人から奪ったものだ。
以前感情が暴走し、力が発動してしまった時に得た魔法。
おそらく周囲に魔法使いでもいたのだろう。
力を奪われた人には申し訳無いが、生活していく上で非常に役に立っている。
「あれ、なんだろう…」
川縁に何か光るものを見つけ、駆け寄っていく。
それは握り拳ほどの大きさの、宝石のように綺麗な石だった。
アリシアにあげたら喜んでくれるだろうか。
そんなことを考えながら帰路に着く。
数日後、いつものようにアリシアが来た。
しかしその表情はどこか暗く、そこに太陽の笑顔は無かった。
「どうしたの?アリシア。顔色がよくないよ」
アリシアを心配する。
「お母さんにね、もうベルのところには行くなって言われちゃった…」
どうやら母親に、ここへ来ていることがバレてしまったらしい。
「そっか…、じゃあしばらくは来ない方がいいね」
見つかってしまった以上は仕方ないだろう。
ほとぼりが冷めるまでここへ来るのは控えてもらおう。
「そんなのやだ!」
アリシアが声を張る。
「友達に会いに来ることの何がいけないの!?なんでベルだけこんな扱いなの!?そんなの大人の勝手じゃない!」
「アリシア…」
とても嬉しかった。
アリシアが友達でいてくれて、本当によかった。
だからこそ、彼女自身の為にもここへ来るのは控えた方がいいと思う。
「大丈夫!今度は見つからないようにするから!」
アリシアは何があっても譲る気は無いのだろう。
こうなってしまうと、僕が何を言っても聞いてくれない。
この場は僕が折れるしかなさそうだった。
「わかったよ、本当に気を付けてね」
「うん!ありがと、ベル」
アリシアの表情に笑顔が戻った。
本当は彼女を止めなければいけないんだろうけど、それでも彼女の笑顔が見たかった。
きっと僕は悪い友達なんだろう。
「あ、そうだ。アリシアに渡したい物があるんだ」
「え、なになに?」
僕はごそごそと、先日川原で見つけた綺麗な石、とても綺麗な紫色の宝石をアリシアに渡す。
「すっごーい!どうしたのこれ!」
「この前川原で拾ったんだ」
「すっごく嬉しい!ありがとね、ベル!」
どうやら喜んでくれたらしい。
「あ、そうだ。いいこと考えちゃった!」
アリシアがいたずらを思いついた時のように微笑む。
「いいこと…?」
「まだひみつ!」
「えー、教えてよー」
こう言われてしまっては、どうしても気になってしまう。
「だめー!お楽しみなの!」
「えー…」
「うーんとね…じゃあ一週間後!そしたら教えてあげる!」
「わかったよ…じゃあ待ってるね」
その日はそう言ってアリシアと別れた。
──一週間後
いつものように吹き抜ける風で目を覚ます。
今日はアリシアとの約束の日だった。
もう少し待てばきっと彼女が来る。
そうすれば、彼女の言っていた「ひみつ」が明らかになる。
そんなことを考えながら、彼女が来るのを楽しみにしていた。
おかしい。
もう時刻は昼を過ぎ、太陽は高く昇っている。
それなのに太陽の少女は僕の前に現れない。
彼女に何かあったのだろうか、脳裏にそんな不安が過る。
「…よし」
こっそり様子を見に行こう。
誰にも見つからないようにすればきっと大丈夫。
僕は急いで街へ向かった。
──街中
彼女の家の近くまで来た。
まだ誰にも見つかっていない、大丈夫だ。
ふと、女の子の声が聞こえた。
耳を澄ましてみる。
「…!ねえ、やめてよ…!」
はっきり聞き取れた。
アリシアの声だ。
彼女の声が聞こえた方に向かって走っていく。
「…アリシア!」
そこには街の人々と、彼女の両親。
そして柄の悪そうな大男達が数人集まっていた。
そして彼らの前に立ちはだかる少女…アリシアだ。
「アリシア、どうしたの!これはいったい…」
人前に出ることも気にせず、彼女の元へ駆け寄る。
「ベル!来ちゃ駄目!」
アリシアが叫ぶ。
来るなと言われても状況が全くわからない。
それよりも、どうみてもアリシアの方が危ない。
助けないと。
「はははっ、お前の方から来てくれるとはなぁ、ガキィ!」
大男が僕を見て笑う。
どうやらこいつらの標的は僕らしい。
「おい、本当にこのガキを殺るだけでいいんだな?」
別の大男が街の人と話をしている。
相手は…アリシアの母親だった。
「ええ、アリシア!早くそこをどきなさい!」
アリシアの母親が声を上げる。
「やだよ!そしたらこの人達にベルが殺されちゃうんでしょ!?絶対どかない!」
なるほど、そういうことか。
どうやら彼女は街の人々全員を敵に回しても、僕の友達でいてくれたらしい。
なんて優しい友達だろうか…でも今はそんなこと言っていられない。
「ベル、ごめんね。私のお母さんが…街の人達が…この人達にベルを殺すように頼んだんだって…私が時間を稼ぐから、今のうちに…」
「大丈夫だよ、アリシア」
彼女の言葉を遮って口を開く。
「え…?」
「こんなことになっても友達でいてくれて、ありがとう。こんな僕が楽しい人生を送れたのは、全部君のおかげだよ、アリシア」
彼女を危険から遠ざける為に色々考えた。
でもこれしかなかった。
僕が大人しく連中に殺されれば、彼女に危険は及ばないだろう。
僕はもう十分生きた。
不幸な境遇だったとは思うけど、それでも素敵な友に恵まれ、充実した人生を送れた。
もう、いいだろう。
大男が手にしていた銃を構える。
「さよなら、アリシア」
最後に、アリシアに向かって微笑む。
今までの感謝の気持ちを込めて。
「ぎゃははは、お別れの挨拶は済んだか、ガキども!」
大男達が笑う。
「じゃあな、ガキ」
銃弾が放たれる。
ドンッ。
僕の体が誰かに突き飛ばされる。
「え…?」
僕を撃ち抜くはずだった弾丸は、僕を突き飛ばした少女…アリシアに直撃した。
「ベル、よかった…間に合って。早く…逃げて…」
アリシアは血を流しながら、その場に倒れた。
「アリシア!アリシア!どうして…」
彼女の元へ駆け寄る。
「駄目だよ、ベル…今のうちに…」
アリシアが弱弱しい声で呟く。
早く治療をしないと…!
「アリシア!あなた達、何をしたかわかっているの!?」
アリシアの母親が大男達に怒鳴る。
「うるせえなあ、あのガキが勝手に出てきたんだろうが。俺達は知らねえよ、ぎゃははは」
「そうだそうだ、手が滑ったんだよ!」
大男達が口々に笑い出す。
「そうだ、手が滑ったんだよ、わりぃな嬢ちゃん…!」
1人の男が続けざまにアリシアに銃弾を放つ。
「痛っ…ぅ…」
「なんてことを…!」
アリシアの母親がその場にへたり込む。
「ぎゃははは、小娘が目障りだったんでなぁ…!こうも邪魔されちゃ依頼もこなせねえ…!」
「そんな…!アリシア…!」
一目で致死量とわかる量の血を流すアリシアを抱き抱える。
アリシアの体はどんどん冷たくなっていった。
これはもう助からないと、子供ながらにわかってしまった。
「ベ…ル、聞い…て…」
「喋っちゃ駄目だ!!今治療してあげるから…!」
「いいの…私は…もう…助から…ない…から…」
アリシアの声がどんどん弱弱しくなっていく。
「そんなこと…」
「ねえ、ベル…これ…あげる…」
アリシアがペンダントのようなものを取り出した。
それはとても綺麗な紫色の宝石のついたペンダントだった。
「え…これ…」
「ベルに…貰ったやつをね…おそろいのペンダントにしてもらったの…きっと…似合うと…思う…から…」
「アリシア…!」
「大事に…してね…さよなら…大好き…な…ベ…ル…」
そう言って、彼女は動かなくなった。
彼女の母親が悲鳴をあげる横で、大男達が大声で笑っている。
どうして彼女のような純粋な少女が殺されなければいけない。
彼女は薄汚れた大人達の策略から、僕を護って死んだ。
僕が生きているから彼女は死ななければいけなかったのだろうか。
…違う。
アリシアを殺したのは紛れも無くこいつらだ。
アリシアを殺したのは人間という存在そのものだ。
アリシアを殺したのはこの薄汚れた世界だ。
「うわあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
僕自身の感情の昂ぶりにより、呪われた力が暴走する。
普段は抑えていた、力の暴走。
でも今日は構わない。
彼女を殺したこの世界に天罰を与える為なら…
僕は闇に堕ちよう。
「な、なんだこのガキ!何しやがった!!」
暴走した力は、周囲の人々の力を片っ端から喰い潰していく。
「おい、お前ら!撃て!さっさとこのガキを殺っちまえ!」
男達が僕に向かって銃弾を放つ。
だがその銃弾は全く違う方向へ飛んでいった。
当たり前だ。
お前達は「銃器の素養」という能力を失った。
素人が撃った銃なんて当たるはずもない。
「アリシア…見ていて…今、君の仇を取るから…こいつらを殺して…!」
小さな両手をいっぱいに広げる。
「暗澹たる闇の深淵に漂いし冥界の姫よ、古き盟約に従い我が手に集い来たれ」
魔法の詠唱を開始する。
今まで奪った魔法の中でも禁忌とされる闇魔法だった。
「我に仇成す全ての者に闇の祝福を与えん」
詠唱を終え、息を深く吸い込む。
「彼女を奪ったこの世界に、死の鉄槌を!ダークアトレイアァァァァァ!!!!!!」
天から黒色の光が降り注ぐ。
その闇の光は街を破壊し、人々を蹂躙する。
「いやだ!たすけてくれえええええ!!」
住民達が逃げ惑う。
逃がす者か。
お前達は一人残らずアリシアに捧げるんだ。
「いやだ!いやだ!いやだあああああああああ!!」
闇の光は無尽蔵に降り注ぎ、周囲の人間という人間に裁きを与える。
しばらくすると、辺りの人間達は全員死体と化した。
辺りに転がっていた「モノ」を蹴り飛ばし、歩みを進める。
これで終わりじゃない。
この世界への復讐は、これから始まるんだ。
彼女にもらったペンダントを握り締める。
そうだよね、アリシア。
──王都セリオン、フローヴェル邸
「昔話?そなたも大層な変わり者だな。このようなつまらぬ男の過去を知りたいと申すか。知ったところで面白い話ではないし、誰かに話してもまず信じてもらえないだろう。それでも聞きたいと申すのか」
「ははっ、そうか。では丁度暇をもて余していたところだ。物好きなお前の為に、少しだけ御伽噺を紡ぐとしようか。さあ、座り聞け。闇に囚われた一人の少年の噺を…」
──息を断つことは簡単で、
──だけどまだほんの少し君に触れていたい。
──君はこんな僕が生きることを許してくれますか?
──???、廃墟
「ん…ふわぁ…」
廃墟に吹き抜ける、一陣のすきま風で目を冷ます。
腹の音が空腹を告げる。
最後に何かを口にしたのは3日程前だったろうか。
いい加減、何か食べないと…。
川に行って魚でも捕ろうか。
そんなことを考える。
ここはとある王国の町外れにある廃墟。
自分が何の為に存在するのかなんてわからない。
気が付いたら此処にいた。
傍らのプレートに刻んであった「フローヴェル」という記号だけが、自分を表す全てだった。
生まれ持った呪われた力とでも言うのだろうか。
とにかく、そんなものが僕にはあった。
それは周囲の人の「力を奪う力」
体力や魔力だけではなく、相手の才能すらも奪う呪われた力。
芸術に長けた者も、戦闘に秀でた者も、学術に明るい者も、ひとたびこの力が発動すれば、みな凡夫へと成り下がる。
しかも厄介なことに、この力は制御が効かない。
僕自身の感情の高ぶりによって発動し、周囲の力という力を喰らい尽くすまで暴走は止まらない。
そんな事情もあって、街の人々からは忌み嫌われていた。
「家族」が欲しかった。
こんな呪われた僕でも笑って迎え入れてくれる、暖かい家族が。
無論それは叶わぬ願いだと、理解はしていた。
人でありながら過ぎた力を身に宿して生を受けた自分が、「普通」を望むことは叶わないと。
頭では理解していた。
それでも母親と手を繋いで歩く子供を見ると「同じ人間なのにどうして自分だけが」そんなどす黒い感情が渦を巻く。
そんな僕にも1人だけ、友と呼べる人がいた。
どす黒い感情に支配されかけても、自分を見失わずにいられるのは彼女のお陰だろう。
ふと耳を傾けると、誰かの足音が聞こえる。
やがて足音が近付き、1人の少女が視界に映る。
「あ、いた!ベル、おはよ!」
金色の髪の少女は笑顔を浮かべながら、こちらに近付いてくる。
「やあ、アリシア。こんな朝早くから来たらお母さんに怪しまれるよ?」
太陽のように笑う彼女に、こちらも笑顔を返す。
彼女は名はアリシア。
こんな僕にも優しく接してくれる、唯一の友達だ。
いつも明るく優しい彼女は、僕にとって憧れだった。
「はい、ベル!朝ごはん持ってきてあげたよ!お腹すいてたでしょ?」
彼女が持っていた袋からパンを差し出す。
きっと親の目を盗んで持って来たんだろう。
本来なら感謝の言葉のひとつでも言うべきなんだろうが、素直になれない僕はつい強がってしまう。
「心配しなくても今から何か食べようと思ってたんだよ…」
本当はありがとうと言いたいのに、言葉に出せない。
「またそんなこと言ってー!折角持ってきてあげたんだからありがたく食べなさい!」
そんな思惑もアリシアには全部見抜かれていたらしい。
本当に、頭が上がらない。
「ねえ、アリシア」
「なぁに?」
パンを食べ終えた僕は、ずっと疑問に思ってたことを聞いてみる。
「どうしてアリシアは僕と一緒にいてくれるの?街の大人達だって僕を嫌ってるのに…」
人間は歳を重ねるほど、経験を積み、自らの才を研鑽する。
そんな長年積み上げてきた自分自身が、一瞬で奪われる。
僕が大人達にこそ強く蔑まれている理由だった。
「んー、ベルの力のこと?ベルが怒った時とか悲しい時にしか発動しないんでしょ?だったら何も気にすること無いでしょ?」
少し考える素振りを見せた後、また太陽のような笑顔を浮かべ、アリシアは微笑む。
「でも…」
「それに私、普通の女の子だしね!ベルの力だって私の力なんていらないと思うよ!」
それは違う。
「普通」は何物にも代えがたい才能だ。
僕はそれに最も憧れた。
「だからベルはそんなこと気にしなくていいの!私がベルと一緒にいて楽しいからそうしてるんだから!」
額を指で弾かれる。
俗に言う「デコピン」というやつだ。
「いてっ、…わかったよもぉ」
不貞腐れてみせるが、内心は感謝の気持ちでいっぱいだった。
彼女が友達で本当によかったと、心から思える。
自分でも味気無い人生だと思うけど、彼女が傍にいてくれるなら、こんな人生も悪くないのかもしれない。
「あ、そろそろ帰らないと!ベル、またね!」
「うん、気を付けてね、アリシア」
アリシアと別れ、再び廃墟に1人きりになった。
腹が膨れているうちに、食料を確保しておこうか。
そんなことを考え、川へ向かう。
「ふぅ…」
さて、これくらいでいいだろうか。
捕った魚達を見て満足する。
魚を捕ることは僕にとって難しいことではなかった。
雷の魔法で気絶させ、浮かんできた魚を捕るだけだ。
そしてそれを炎の魔法で焼き上げる。
勿論この魔法も人から奪ったものだ。
以前感情が暴走し、力が発動してしまった時に得た魔法。
おそらく周囲に魔法使いでもいたのだろう。
力を奪われた人には申し訳無いが、生活していく上で非常に役に立っている。
「あれ、なんだろう…」
川縁に何か光るものを見つけ、駆け寄っていく。
それは握り拳ほどの大きさの、宝石のように綺麗な石だった。
アリシアにあげたら喜んでくれるだろうか。
そんなことを考えながら帰路に着く。
数日後、いつものようにアリシアが来た。
しかしその表情はどこか暗く、そこに太陽の笑顔は無かった。
「どうしたの?アリシア。顔色がよくないよ」
アリシアを心配する。
「お母さんにね、もうベルのところには行くなって言われちゃった…」
どうやら母親に、ここへ来ていることがバレてしまったらしい。
「そっか…、じゃあしばらくは来ない方がいいね」
見つかってしまった以上は仕方ないだろう。
ほとぼりが冷めるまでここへ来るのは控えてもらおう。
「そんなのやだ!」
アリシアが声を張る。
「友達に会いに来ることの何がいけないの!?なんでベルだけこんな扱いなの!?そんなの大人の勝手じゃない!」
「アリシア…」
とても嬉しかった。
アリシアが友達でいてくれて、本当によかった。
だからこそ、彼女自身の為にもここへ来るのは控えた方がいいと思う。
「大丈夫!今度は見つからないようにするから!」
アリシアは何があっても譲る気は無いのだろう。
こうなってしまうと、僕が何を言っても聞いてくれない。
この場は僕が折れるしかなさそうだった。
「わかったよ、本当に気を付けてね」
「うん!ありがと、ベル」
アリシアの表情に笑顔が戻った。
本当は彼女を止めなければいけないんだろうけど、それでも彼女の笑顔が見たかった。
きっと僕は悪い友達なんだろう。
「あ、そうだ。アリシアに渡したい物があるんだ」
「え、なになに?」
僕はごそごそと、先日川原で見つけた綺麗な石、とても綺麗な紫色の宝石をアリシアに渡す。
「すっごーい!どうしたのこれ!」
「この前川原で拾ったんだ」
「すっごく嬉しい!ありがとね、ベル!」
どうやら喜んでくれたらしい。
「あ、そうだ。いいこと考えちゃった!」
アリシアがいたずらを思いついた時のように微笑む。
「いいこと…?」
「まだひみつ!」
「えー、教えてよー」
こう言われてしまっては、どうしても気になってしまう。
「だめー!お楽しみなの!」
「えー…」
「うーんとね…じゃあ一週間後!そしたら教えてあげる!」
「わかったよ…じゃあ待ってるね」
その日はそう言ってアリシアと別れた。
──一週間後
いつものように吹き抜ける風で目を覚ます。
今日はアリシアとの約束の日だった。
もう少し待てばきっと彼女が来る。
そうすれば、彼女の言っていた「ひみつ」が明らかになる。
そんなことを考えながら、彼女が来るのを楽しみにしていた。
おかしい。
もう時刻は昼を過ぎ、太陽は高く昇っている。
それなのに太陽の少女は僕の前に現れない。
彼女に何かあったのだろうか、脳裏にそんな不安が過る。
「…よし」
こっそり様子を見に行こう。
誰にも見つからないようにすればきっと大丈夫。
僕は急いで街へ向かった。
──街中
彼女の家の近くまで来た。
まだ誰にも見つかっていない、大丈夫だ。
ふと、女の子の声が聞こえた。
耳を澄ましてみる。
「…!ねえ、やめてよ…!」
はっきり聞き取れた。
アリシアの声だ。
彼女の声が聞こえた方に向かって走っていく。
「…アリシア!」
そこには街の人々と、彼女の両親。
そして柄の悪そうな大男達が数人集まっていた。
そして彼らの前に立ちはだかる少女…アリシアだ。
「アリシア、どうしたの!これはいったい…」
人前に出ることも気にせず、彼女の元へ駆け寄る。
「ベル!来ちゃ駄目!」
アリシアが叫ぶ。
来るなと言われても状況が全くわからない。
それよりも、どうみてもアリシアの方が危ない。
助けないと。
「はははっ、お前の方から来てくれるとはなぁ、ガキィ!」
大男が僕を見て笑う。
どうやらこいつらの標的は僕らしい。
「おい、本当にこのガキを殺るだけでいいんだな?」
別の大男が街の人と話をしている。
相手は…アリシアの母親だった。
「ええ、アリシア!早くそこをどきなさい!」
アリシアの母親が声を上げる。
「やだよ!そしたらこの人達にベルが殺されちゃうんでしょ!?絶対どかない!」
なるほど、そういうことか。
どうやら彼女は街の人々全員を敵に回しても、僕の友達でいてくれたらしい。
なんて優しい友達だろうか…でも今はそんなこと言っていられない。
「ベル、ごめんね。私のお母さんが…街の人達が…この人達にベルを殺すように頼んだんだって…私が時間を稼ぐから、今のうちに…」
「大丈夫だよ、アリシア」
彼女の言葉を遮って口を開く。
「え…?」
「こんなことになっても友達でいてくれて、ありがとう。こんな僕が楽しい人生を送れたのは、全部君のおかげだよ、アリシア」
彼女を危険から遠ざける為に色々考えた。
でもこれしかなかった。
僕が大人しく連中に殺されれば、彼女に危険は及ばないだろう。
僕はもう十分生きた。
不幸な境遇だったとは思うけど、それでも素敵な友に恵まれ、充実した人生を送れた。
もう、いいだろう。
大男が手にしていた銃を構える。
「さよなら、アリシア」
最後に、アリシアに向かって微笑む。
今までの感謝の気持ちを込めて。
「ぎゃははは、お別れの挨拶は済んだか、ガキども!」
大男達が笑う。
「じゃあな、ガキ」
銃弾が放たれる。
ドンッ。
僕の体が誰かに突き飛ばされる。
「え…?」
僕を撃ち抜くはずだった弾丸は、僕を突き飛ばした少女…アリシアに直撃した。
「ベル、よかった…間に合って。早く…逃げて…」
アリシアは血を流しながら、その場に倒れた。
「アリシア!アリシア!どうして…」
彼女の元へ駆け寄る。
「駄目だよ、ベル…今のうちに…」
アリシアが弱弱しい声で呟く。
早く治療をしないと…!
「アリシア!あなた達、何をしたかわかっているの!?」
アリシアの母親が大男達に怒鳴る。
「うるせえなあ、あのガキが勝手に出てきたんだろうが。俺達は知らねえよ、ぎゃははは」
「そうだそうだ、手が滑ったんだよ!」
大男達が口々に笑い出す。
「そうだ、手が滑ったんだよ、わりぃな嬢ちゃん…!」
1人の男が続けざまにアリシアに銃弾を放つ。
「痛っ…ぅ…」
「なんてことを…!」
アリシアの母親がその場にへたり込む。
「ぎゃははは、小娘が目障りだったんでなぁ…!こうも邪魔されちゃ依頼もこなせねえ…!」
「そんな…!アリシア…!」
一目で致死量とわかる量の血を流すアリシアを抱き抱える。
アリシアの体はどんどん冷たくなっていった。
これはもう助からないと、子供ながらにわかってしまった。
「ベ…ル、聞い…て…」
「喋っちゃ駄目だ!!今治療してあげるから…!」
「いいの…私は…もう…助から…ない…から…」
アリシアの声がどんどん弱弱しくなっていく。
「そんなこと…」
「ねえ、ベル…これ…あげる…」
アリシアがペンダントのようなものを取り出した。
それはとても綺麗な紫色の宝石のついたペンダントだった。
「え…これ…」
「ベルに…貰ったやつをね…おそろいのペンダントにしてもらったの…きっと…似合うと…思う…から…」
「アリシア…!」
「大事に…してね…さよなら…大好き…な…ベ…ル…」
そう言って、彼女は動かなくなった。
彼女の母親が悲鳴をあげる横で、大男達が大声で笑っている。
どうして彼女のような純粋な少女が殺されなければいけない。
彼女は薄汚れた大人達の策略から、僕を護って死んだ。
僕が生きているから彼女は死ななければいけなかったのだろうか。
…違う。
アリシアを殺したのは紛れも無くこいつらだ。
アリシアを殺したのは人間という存在そのものだ。
アリシアを殺したのはこの薄汚れた世界だ。
「うわあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
僕自身の感情の昂ぶりにより、呪われた力が暴走する。
普段は抑えていた、力の暴走。
でも今日は構わない。
彼女を殺したこの世界に天罰を与える為なら…
僕は闇に堕ちよう。
「な、なんだこのガキ!何しやがった!!」
暴走した力は、周囲の人々の力を片っ端から喰い潰していく。
「おい、お前ら!撃て!さっさとこのガキを殺っちまえ!」
男達が僕に向かって銃弾を放つ。
だがその銃弾は全く違う方向へ飛んでいった。
当たり前だ。
お前達は「銃器の素養」という能力を失った。
素人が撃った銃なんて当たるはずもない。
「アリシア…見ていて…今、君の仇を取るから…こいつらを殺して…!」
小さな両手をいっぱいに広げる。
「暗澹たる闇の深淵に漂いし冥界の姫よ、古き盟約に従い我が手に集い来たれ」
魔法の詠唱を開始する。
今まで奪った魔法の中でも禁忌とされる闇魔法だった。
「我に仇成す全ての者に闇の祝福を与えん」
詠唱を終え、息を深く吸い込む。
「彼女を奪ったこの世界に、死の鉄槌を!ダークアトレイアァァァァァ!!!!!!」
天から黒色の光が降り注ぐ。
その闇の光は街を破壊し、人々を蹂躙する。
「いやだ!たすけてくれえええええ!!」
住民達が逃げ惑う。
逃がす者か。
お前達は一人残らずアリシアに捧げるんだ。
「いやだ!いやだ!いやだあああああああああ!!」
闇の光は無尽蔵に降り注ぎ、周囲の人間という人間に裁きを与える。
しばらくすると、辺りの人間達は全員死体と化した。
辺りに転がっていた「モノ」を蹴り飛ばし、歩みを進める。
これで終わりじゃない。
この世界への復讐は、これから始まるんだ。
彼女にもらったペンダントを握り締める。
そうだよね、アリシア。
凍える寒さが身に染みる季節。
私は暖炉で暖まりながら、読書に耽っていた。
手にしている本は陛下の書斎から拝借してきた魔導書。
陛下が暇を持て余して書いた本だ。
あの方にとっては暇潰しでしかなくても、私にとっては非常に勉強になる。
自分の中の世界や視野が広がるような感覚が好きで、私は暇さえあれば本を読んでいた。
「あらノワール、今日はお休みかしら」
談話室で読書に耽っていた私に、同居人であり仕事仲間でもある真宵が声をかける。
「ええ、陛下なら今日は友人の元へ向かうと言ってましたよ」
恐らく今起きたばかりであろう彼女に、父親の行先を告げる。
「そう、今日の食事当番は私だったわね。買い出しに行ってくるわ」
屋敷での食事当番は私と真宵の交代制となっている。
自分の上役であり、祖国の王である陛下に作らせるわけにもいかない…というのも勿論あるが、
それ以上に私と真宵が作らなくてはいけない理由があった。
以前に一度、陛下が夕食を作ったことがある。
本人は「今日の夕食は俺が振る舞おう、お前達は寛いでいると良い」などと上機嫌だった。
娘である真宵は何も気にしていなかったが、仕える身である私はそんなことはさせられないと止めた。
しかし陛下は「祖国での立場もあるだろうが、ここでの我々は生活を共にするただの同居人だ」と言い張って聞かず、
その日私達に夕食を振る舞った。
これがその…なんというか…畏れながら申し上げると、美味しくなかった。
どうやら真宵も同感だったようで、食事は自分達で用意するという真宵の一言で食事当番が決定した。
正直ファインプレーだったと思う。
さて、何をしようか。
真宵が出かけて程無くして、魔導書も読み終えてしまった。
2人が帰ってくるまで、まだ時間はありそうだ。
寒い廊下に出るのが億劫で、つい暖炉の前で微睡んでしまう。
まぁ…いいか。
きっと…2人が戻ったら…起こして…くれ…る…。
深い微睡の中で、遠い日の記憶が甦る。
そういえば、あの日も寒い季節だった気がする。
───ドゥルニール帝国、要塞都市
「そうか、聞きしに勝るイリアスフィーナ、手ごわいな…」
重い表情で父が口を開く。
「はい、正直に申し上げて、我がドゥルニール帝国の敗北は濃厚でしょう…」
鎧姿の兵士が父と話している。
「しかし騎士団長、我々の後ろには民がいる。見捨てて逃げることなどできまい」
我が国、ドゥルニール帝国は隣国であるイリアスフィーナ王国と戦争状態にあった。
近年目覚ましい速度で成長しているイリアスフィーナ王国。
恐らくは隣国を侵略し、更に国力を増強しようという魂胆だろうか。
私の父はイリアスフィーナとの国境に面した要塞都市の領主だった。
イリアスフィーナですら軽々に攻め落とすことは出来ない、堅牢な要塞都市。
そんな都市の領主という大役を長年勤め上げ、民からも慕われている自慢の父だった。
だが恐らくこの戦争に負ければ父は責任を追及され、立場を追われるのだろう。
この戦争に負けるわけにはいかない。
皆が意気込んで戦争に臨んだが、敵国の軍事力は圧倒的だった。
近代的な魔導兵器を次々と投入してくるイリアスフィーナに、帝国と呼ばれたドゥルニールも徐々に追い詰められていった。
「それから領主殿、もう1点報告があります…」
「良い報告か?それとも…」
「…悪い報告です」
「そうか…聞こう」
領主である父と、騎士団長が沈痛な面持ちで会話を続ける。
「皇帝と…国の中枢を担う官僚達が、揃って他国へ亡命したようです」
「なんだと…!それが上に立つ者達のすることか…!」
「こうなってしまった以上、上に指示を仰ぐのは難しいでしょう。我々前線部隊は領主殿の指示に従います、如何されますか」
「降伏するしかあるまい…。その上で、民の生活は保障してもらえるよう頼んでみよう」
私は読書をする振りをしながら、2人の話に聞き耳を立てていた。
皇帝を始めとする帝国の中枢は、皆他国へ逃げたそうだ。
敗北すれば真っ先に処刑されるのは彼らなのだから、気持ちはわかる。
それでも何も知らずに見捨てられた国民達のことを考えると、怒りが沸いてくる。
勿論、戦争の引き金を作ったイリアスフィーナ王国にも。
───イリスフィーナ王国、玉座の間
「フローヴェル陛下、報告致します!」
「騒がしいぞ、エヴァルト騎士団長。そんなに慌ててどうしたと言うのだ、お前らしくもない」
玉座で公務に勤しんでいると、我が国の騎士団長が飛び込んできた。
顔色を変え、額には汗をかいている。
今の姿からはとても想像できないが、彼はイリアスフィーナが誇る騎士団の長を務める男だ。
そんな男がここまで慌てているということは、余程の事態ということか。
「先日、降伏勧告の書簡を届けに赴いた使者からの報告です」
「ほう、返答はどうだった?まだ無意味に抗うとでも申したか」
先日、使者に降伏勧告の書簡を持たせた。
これ以上続けてもドゥルニールにとって益は無い。
今降伏するならば、悪いようにはしない。
そんなありきたりの内容の書状だ。
帝国ドゥルニール。
人間達が暮らすブリアティルト大陸から遥か北方。
人間達が「異大陸」と呼ぶ、魔族の跋扈するこの大陸。
その中でも数少ない「大国」と恐れられている国。
そんな国から宣戦布告の書状が届いたのがつい最近だった。
尤も我が国とて、大国が隣に存在する状況で何の備えもしていないわけはない。
数々の近代魔導兵器で、旧時代の大国様を返り討ちにしたところだった。
さて、先方が真っ当な王ならば降伏を受け入れるはずだが。
「それが…王宮は蛻の殻だったそうです」
「ほう…?」
「逃げたってことかしら?」
傍らで話を聞いていた娘の真宵が会話に入る。
「そのようでございます、真宵様…」
騎士団長が首を縦に振る。
「ふはははは!これは良い!自ら始めた戦争を真っ先に投げ出すか!ははははっ!」
「無様なことね」
「全く、呆れて言葉も出ません」
三者三様に尻尾を巻いて逃げ出した帝国様を嘲嗤う。
「それでエヴァルト騎士団長、前線の方はどうなっている?」
「は!敵方には武装解除する意志は見られず、膠着状態となっております」
「どうするの?お父様」
大勢は決した、だが相手方は武装を解除していない。
恐らくは国の上部が揃って逃亡し、指揮系統が混乱しているのだろう。
「前線へ向かう」
何はともあれ、現場をこの目で見てから判断したいと思った。
「やっぱりね。私もついて行くわ」
孝行娘なのか、物好きなのか。
どうやら真宵もついてくるらしい。
「お待ちください陛下!単身で戦場へ赴かれようなどと、ご無理を仰られては困ります!」
しかし、頭の固い部下に反対されてしまった。
「エヴァ、お前はいつから俺に口答えできるようになった?」
少し苛立ちを顔に出して言ってみる。
これで引き下がってくれるだろうか。
「どうかお聞き入れください、あなたに万が一のことがあっては困ります!」
駄目だった。
昔は俺の言うことを何でも聞く可愛い少年だったと言うのに。
「ならばエヴァ、お前も来い。万が一のことがあったらお前が守れ。それすら出来ないというのなら、何の為の騎士団長か」
「…わかりました。私と数人の騎士が護衛に付きます。それでご容赦下さい」
頑固な騎士団長を説得した俺は、戦地へと赴くのだった。
───ドゥルニール帝国、要塞都市
重苦しい空気に耐えられなくなった私は、屋敷の外へ飛び出した。
部外者である私がいては話し難いこともあるだろう。
かつては活気のあった町並みも今は見る影も無く、冬の寒さが身に染みた。
皇帝達が民を見捨てて逃げたという事実を、最前線で戦う兵士達はまだ知らない。
彼らは何も知らず、ただ自分達の後ろで暮らす民を守っている。
勿論、私から彼らに事実を告げることはできない。
頭ではわかっているのだが、私の足は自然に前線基地へと向かっていた。
「ノワール様!どうしてこのようなところへ!」
何も知らない兵士が私を見つけ、声をかけてくる。
「いえ、ちょっと皆さんの応援に。何か出来ることがあったら言ってください」
簡素な食事を摂っている兵士もいれば、傷の治療を行う兵士もいた。
私は彼らを見ていて、とても辛い気持ちになった。
「ノワールお嬢様の手を煩わせたら領主様に叱られちまいますよ!」
兵士はそう言って笑い飛ばす。
どうにか彼らを、彼らの家族を守ることはできないだろうか。
そんなことを考えていた折だった。
「おい、あれを見ろ!」
「イリアスフィーナの連中が進軍してきやがった!」
長らく膠着状態にあった前線に、動きがあったらしい。
そうなっては、ちょっと魔法が使える程度の小娘では足手まといだ。
「お嬢様!安全な場所へ!」
兵士が私を避難させようとする。
突如、兵士達が大きな声をあげた。
「おい!あれを見ろ!まさか…!」
「あいつ…イリアスフィーナの王じゃねえか!」
「国王自ら何をしにきやがった…!」
前方に目を向けると、金髪の堕天使が数人の護衛を引き連れてこちらへ向かってきていた。
魔族が多く暮らすこの大陸でも、堕天使は極めて個体数が少ない。
一介の小娘に過ぎない私ですら、あの男を知っている。
イリアスフィーナ国王、フローヴェル・イヴ・ルシファー。
魔王の一角として数えられる、敵国の将だ。
「初めまして、ドゥルニール帝国の勇敢なる兵士達よ」
フローヴェルが片手を広げ、仰々しくお辞儀をする。
それは敬意を表する礼ではなく、明らかに挑発の類だった。
「敵国の大将が何しにきやがった!」
「この場でブチ殺してやろうか!」
兵士達が口々にがなり立てる。
「煩いわね、全員殺す?」
フローヴェルの傍らに控えていた白髪の少女がぽつりと呟く。
「待て、真宵。それでは我々が出張った意味が無いだろう。…エヴァ」
同じく傍らに控えていた騎士風の青年が、フローヴェルの言葉を受けて前へ出る。
「ドゥルニールの兵士達よ!お前達の皇帝は尻尾を巻いて逃げた!お前達に残された道は降伏しかない!潔く敗北を認めろ!」
青年が声を張り上げて叫ぶと、兵士達に動揺が走った。
「馬鹿な!皇帝陛下が逃げるなど!帝国を侮辱するな!」
「でもおい、こんなに長い間上からの指示が来ないっておかしくねえか…?」
「まさか、本当に…」
私はフローヴェルの元へ駆け寄っていく。
事実を知っている私がなんとかするしかないと思ったからだ。
「お嬢様、どこへ…」
「彼らと話をします。貴方は街へ戻り、お父様と騎士団長さんを呼んできてください」
兵士の1人に領主である父と、騎士団長を呼んでくるように頼む。
「お初にお目にかかります、イリアスフィーナ王国国王、フローヴェル・イヴ・ルシファー陛下」
「小娘、貴様は誰だ」
フローヴェルは私を観察するように眺めている。
恐らくは小娘風情が何をしにきたのか、と思っているのだろう。
「この要塞都市の領主オルトヴィーンの娘、ノワールと申します」
「ほう、領主の娘か」
「先程、この戦場の指揮官である父と騎士団長を呼んでくるよう命じました。2人が到着するまで、不肖ながら私がお相手致します」
「ふむ、まあよかろう。単刀直入に言おう、我々はお前達に降伏を勧めに来た」
お前では役者不足、と言われているような気がしたが、それも事実なので否定はしない。
「それだけの為に、国王陛下御自らこのような地へ足を運ばれたと?」
「ああ、部下達に任せていては終わる戦も終わるまい。お前も領主の娘なら、国の中枢が揃って亡命したことは知っているだろう。お前の父親達もさぞ混乱しているだろうと思い、こうして俺自ら赴いてやったのだ。感謝するが良い」
この男ならただ我々を笑う為だけに戦地に赴いたということも考えられたが、どうやらそうではなかったらしい。
「ええ、おかげさまで大混乱ですよ」
私は少々皮肉を込めて言う。
私のような小娘が一国の王に対して皮肉をぶつけるなど本来あってはならないことだが、この男だけは許せなかった。
戦争の引き金を作ったこの男が。
「ふははは!だろうな。王が腰抜けだと大変であろう、ははははっ!」
フローヴェルが楽しそうに笑う様を見て、私の中で何がが弾けた。
「ふざけるな!お前達から戦争を仕掛けておいて、その言い草は何だ!お前達が攻めて来なければ、私達は今日も平和に過ごしていたというのに!」
怒りをぶつけられた彼は怒るでも無く言い返すでも無く、ただ怪訝そうな顔をした。
「ノワールと言ったな。我々が戦争を仕掛けた、とはどういうことだ。詳しく聞かせろ」
「貴方達が戦争を仕掛け、何の罪も無い人々の命を奪ったのでしょう!帝国を侵略し、自国の糧とする為に!」
私は続けざまに彼に怒りをぶつける。
「真宵、エヴァ。どう思う」
「情報操作、かしらね」
「あの狡い皇帝のやりそうな手ですね」
フローヴェルは私を無視し、仲間達と何やら話し込んでいる。
「ノワールよ。まず1つ、お前に真実を教えてやろう。自国の繁栄の為に隣国への侵略を開始したのは、お前達の側だ」
一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。
だって、彼らが戦争をしかけてきたから、今こうやって皆が苦しんでいるわけで……。
「そ、そんなことがあるわけないでしょう!嘘の情報を流して兵士を動揺させようとでも…?」
「いいや、その方の言っていることは正しい」
聞き慣れた声がした。
後ろを振り返ると、父と騎士団長がいた。
「お初にお目にかかります、フローヴェル・イヴ・ルシファー陛下。要塞都市領主、オルトヴィーンと申します。この度は不肖の娘がご無礼を働き、誠に申し訳ございませんでした」
「かまわん。貴様が領主か、待っていたぞ」
次いで、騎士団長がフローヴェルに挨拶をする。
「陛下。我が国の民は今回の戦争について、何も知らされておりません。私の口から、彼らに説明をしてもよろしいでしょうか」
「よかろう。ようやく話のわかる者が来てくれて助かる」
フローヴェルに許可を取り、父が兵士達を集め語り始めた。
この戦争のあらましを。
──この戦争は更なる国力を求めたドゥルニール側によって引き起こされたこと
──民にはイリアスフィーナ側が攻めて来たと偽りの情報を流していたこと
──それらを指示した皇帝達は民を見捨て、真っ先に逃げたということ
兵士達の顔に絶望の色が浮かび始めた。
いきなり残酷な真実を突き付けられたのだから無理もない。
事実、私も父の言っている意味を飲み込めずにいた。
「たった今オルトヴィーンが申した内容に、相違が無いことを認めよう」
静まり返った前線基地に、フローヴェルの声が響く。
「さて、オルトヴィーンよ。俺は改めてお前達に降伏を勧めに来たのだが」
「はい、我々は勧告を受け入れ、降伏致しましょう。これ以上、兵士達に無駄な血を流させたくはありません」
父は降伏を受け入れ、書状に調印した。
「確かに。ではオルトヴィーン、我らイリアスフィーナに弓を引いた罪を償ってもらおうか。皇帝達も亡命先へ引き渡しを要求した後で処刑するが、一先ずこの場での見せしめも必要であろう」
亡命先の国も引き渡しを断れば次は自分達がイリアスフィーナに狙われる、要求にはまず応じるだろう。
「勿論です、陛下。但しひとつ、私めからお願いを申し上げてもよろしいでしょうか」
自分こそがと前へ出ようとした騎士団長を抑え、父が言った。
「許可する、申せ」
「私の首は差し上げます。ですからどうか、国民達は陛下の寛大な御心で見逃してやってください」
「ふはははっ!上に立つ者の鏡だな、お前は!どこかの皇帝に見習わせてやりたいものだ。よかろう……その願い、聞き入れた」
フローヴェルが楽しそうに笑う。
父は今回の戦争の責任を取り、処刑されるらしい。
私は慌てて父の元に駆け寄った。
「待ってください!なぜ父が殺されなくてはいけないのですか!」
「それが戦争だ、小娘」
「でしたら私を代わりに処刑してください!それでどうかご容赦を!」
民の為に尽くしてきた父が、こんなことで死んでいいはずがない。
だったら私が身代りになったほうがいいと思った。
「何を言い出すか!この馬鹿娘!!」
父の怒鳴り声が飛んできた。
いつも冷静で穏やかな父が怒った顔を見るのは初めてだった。
「親より先に死ぬなど親不孝も甚だしい!」
「お父…様…」
「お前は生きるんだ、ノワール」
父は私を力の限り抱きしめた。
「いやだ…お父様…」
私は父の腕の中で泣き崩れていた。
「フローヴェル陛下、お願いがございます」
「申してみろ」
数人の兵士達がフローヴェルの前に立つ。
「我々全員の首を差し上げます、ですから領主殿は見逃してやって頂けませんか」
その言葉を受けて、父が声を張る。
「お前達!何を言い出す!」
だが父の言葉を無視し、フローヴェルは口を開く。
「自分達の命が惜しくないのか」
「オルトヴィーン様は、今まで国民の為にご尽力されてきたお方です。我々は皆、オルトヴィーン様に何度も助けて頂きました。彼の為に使えるのなら、大した価値も無い命ですがいくらでも差し上げます」
フローヴェルの言葉を受けて、兵士の1人が口を開く。
するとそれまでただ成り行きを見ているだけだった他の兵士達も、次々に声をあげた。
「俺もだ!領主殿の為なら身代りでもなんでもやってやる!」
「領主殿に救って頂いたこの命、今こそ領主殿の為に使ってやらぁ!」
兵士達は次々に名乗りをあげた。
「やれやれ、収まりがつかないわね」
白髪の少女が溜息混じりに呟いた。
「黙れ、貴様ら!」
フローヴェルが声を張り上げた。
騒然としていた場は一気に静まり返った。
「お前達は世話になった者の顔に泥を塗り、それで満足か」
兵士達に動揺が走る。
「お前達がこの男を真に思っているのなら…無粋な真似をするんじゃない」
フローヴェルは兵士達を諭すように言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます、陛下」
「礼には及ばない。さて始めようか…スペルヴィア」
「…はい」
フローヴェルが呟くと、何もなかった空間から身の丈程もある大鎌が現れた。
その大鎌を何度か振うと、父の首にぴたりと刃を付けた。
「何か言い残すことはあるか」
フローヴェルが父に問いかける。
「ノワール、母さんを頼むぞ…」
その言葉を聞くや否や、フローヴェルは大鎌を振るった。
「お父様あああああああ!!!!!!!」
私はただ父を見つめて泣き叫んでいた。
次の瞬間。
間違いなく首を切断していたであろう大鎌は、父の髪を数本斬っただけに留まった。
刃は…父の首寸前のところで止まっていた。
「何故…ですか」
父も状況が理解できていないらしかった。
「帝国の幹部であるお前は今の一撃で死んだ。これからはその命、この俺の為に使え」
フローヴェルは不敵な笑みを浮かべながら告げた。
「ば、馬鹿な…」
「ドゥルニールの国土はそのままイリアスフィーナが貰い受けるが、そこを治める者も必要であろう。我々もそこまで人材が余ってはいない。これほどまでに民に慕われているお前ならなかなかに適任ではないか」
困惑する父を余所に、フローヴェルは楽しそうに話す。
「し、しかし我々にも禊というものがございます…!」
「そんなものは今後の働きで取り返してみせろ。民のことを思うのなら、お前の手で守ってみせろ。お前はこれより、イリアスフィーナ領ドゥルニール…領主オルトヴィーンだ」
フローヴェルが父に手を差し伸べる。
「…ありがとうございます…ありがとうございます!この命尽きるまで、陛下のお役に立ってご覧に入れます…!」
父は涙を流しながら彼の手を取った。
「期待している」
2人は兵士達に見守られながら固い握手を交わした。
───イリアスフィーナ領ドゥルニール、オルトヴィーン邸
「ノワールも今日から王宮務めか…寂しくなるな」
「本当ね、体には気を付けるのよ、ノワール」
玄関先で両親に見送られる。
「大丈夫よ。本国からお父様や皆をサポートできるように頑張るわ!」
「ははは!頼もしいことを言ってくれるじゃないか!」
私はあの戦争以来、ドゥルニールの皆の為に何ができるか考えた。
幸い食糧等はフローヴェル陛下が本国から送ってくれたし、領主である父の働きもあり、イリアスフィーナ領ドゥルニールは帝国として君臨していた頃よりも豊かになった。
一気に広大な土地を治める大領主となった父を心配し、陛下は度々様子を見に来てくれた。
尤も、父や民と一緒に酒盛りをして帰っていくだけなのは国王としてちょっとどうかと思うが。
愛するドゥルニールの地で内政に関わる、という道もあった。
しかしいつまでも父の下にいたのでは父を越えることは出来ないと思い、本国へ行くことを決めた。
いつか父を越えて、ドゥルニールの皆を驚かせようと思う。
「陛下にまた酒でも呑もう、と伝えておいてくれ!」
「もう、ほどほどにね。いってきます!」
「…ノワール…ノワール!」
誰かが私の頬をぺちぺちと叩いている。
折角気持ちよく眠っていたのに、誰だろう。
うっすらと目を開けると、そこには見慣れた金髪の堕天使がいた。
「ん…陛下…?」
「起きろ、夕食だ」
そうだ、陛下と真宵が出かけた後、うとうとしてしまったのだった。
時計を見ると既に夕食の時間。
どうやら本気で寝入ってしまっていたらしい。
「すみません、今行きます…」
回らない頭を無理矢理回転させる。
「可愛らしい寝顔であったぞ、ノワール」
陛下がくすくすと笑う。
「お、乙女の寝顔を眺めていたんですか…!?」
「何度起こしても起きないお前が悪い」
「うぅ…」
「真宵が、食事が冷めるから早く降りてこいだそうだ」
「わかりました…」
のそのそと緩慢な動きで歩き出す。
廊下が予想以上に寒く、一気に目が覚める。
そういえば、なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。
……なんだっけ、思い出せない。
「そういえば陛下…私昨日、本国へ帰ったんですが」
もそもそと食事を口に運んでいる陛下を見る。
「そうか、ご苦労であったな」
「陛下の仕事のやり残しがいっぱいあったんですけど」
陛下の手が止まった。
「時にノワールよ、近頃オルトヴィーンには会っているのか。一人娘がいなくなっては、あれも寂しがるであろう」
「父には先日会ってきました、あからさまに話を逸らさないでください!…聞いてます?」
「セフィドの友人達と酒を酌み交わす約束をしていてな…」
「お酒がなんですって…?」
「…すまなかった」
-Fin-
私は暖炉で暖まりながら、読書に耽っていた。
手にしている本は陛下の書斎から拝借してきた魔導書。
陛下が暇を持て余して書いた本だ。
あの方にとっては暇潰しでしかなくても、私にとっては非常に勉強になる。
自分の中の世界や視野が広がるような感覚が好きで、私は暇さえあれば本を読んでいた。
「あらノワール、今日はお休みかしら」
談話室で読書に耽っていた私に、同居人であり仕事仲間でもある真宵が声をかける。
「ええ、陛下なら今日は友人の元へ向かうと言ってましたよ」
恐らく今起きたばかりであろう彼女に、父親の行先を告げる。
「そう、今日の食事当番は私だったわね。買い出しに行ってくるわ」
屋敷での食事当番は私と真宵の交代制となっている。
自分の上役であり、祖国の王である陛下に作らせるわけにもいかない…というのも勿論あるが、
それ以上に私と真宵が作らなくてはいけない理由があった。
以前に一度、陛下が夕食を作ったことがある。
本人は「今日の夕食は俺が振る舞おう、お前達は寛いでいると良い」などと上機嫌だった。
娘である真宵は何も気にしていなかったが、仕える身である私はそんなことはさせられないと止めた。
しかし陛下は「祖国での立場もあるだろうが、ここでの我々は生活を共にするただの同居人だ」と言い張って聞かず、
その日私達に夕食を振る舞った。
これがその…なんというか…畏れながら申し上げると、美味しくなかった。
どうやら真宵も同感だったようで、食事は自分達で用意するという真宵の一言で食事当番が決定した。
正直ファインプレーだったと思う。
さて、何をしようか。
真宵が出かけて程無くして、魔導書も読み終えてしまった。
2人が帰ってくるまで、まだ時間はありそうだ。
寒い廊下に出るのが億劫で、つい暖炉の前で微睡んでしまう。
まぁ…いいか。
きっと…2人が戻ったら…起こして…くれ…る…。
深い微睡の中で、遠い日の記憶が甦る。
そういえば、あの日も寒い季節だった気がする。
───ドゥルニール帝国、要塞都市
「そうか、聞きしに勝るイリアスフィーナ、手ごわいな…」
重い表情で父が口を開く。
「はい、正直に申し上げて、我がドゥルニール帝国の敗北は濃厚でしょう…」
鎧姿の兵士が父と話している。
「しかし騎士団長、我々の後ろには民がいる。見捨てて逃げることなどできまい」
我が国、ドゥルニール帝国は隣国であるイリアスフィーナ王国と戦争状態にあった。
近年目覚ましい速度で成長しているイリアスフィーナ王国。
恐らくは隣国を侵略し、更に国力を増強しようという魂胆だろうか。
私の父はイリアスフィーナとの国境に面した要塞都市の領主だった。
イリアスフィーナですら軽々に攻め落とすことは出来ない、堅牢な要塞都市。
そんな都市の領主という大役を長年勤め上げ、民からも慕われている自慢の父だった。
だが恐らくこの戦争に負ければ父は責任を追及され、立場を追われるのだろう。
この戦争に負けるわけにはいかない。
皆が意気込んで戦争に臨んだが、敵国の軍事力は圧倒的だった。
近代的な魔導兵器を次々と投入してくるイリアスフィーナに、帝国と呼ばれたドゥルニールも徐々に追い詰められていった。
「それから領主殿、もう1点報告があります…」
「良い報告か?それとも…」
「…悪い報告です」
「そうか…聞こう」
領主である父と、騎士団長が沈痛な面持ちで会話を続ける。
「皇帝と…国の中枢を担う官僚達が、揃って他国へ亡命したようです」
「なんだと…!それが上に立つ者達のすることか…!」
「こうなってしまった以上、上に指示を仰ぐのは難しいでしょう。我々前線部隊は領主殿の指示に従います、如何されますか」
「降伏するしかあるまい…。その上で、民の生活は保障してもらえるよう頼んでみよう」
私は読書をする振りをしながら、2人の話に聞き耳を立てていた。
皇帝を始めとする帝国の中枢は、皆他国へ逃げたそうだ。
敗北すれば真っ先に処刑されるのは彼らなのだから、気持ちはわかる。
それでも何も知らずに見捨てられた国民達のことを考えると、怒りが沸いてくる。
勿論、戦争の引き金を作ったイリアスフィーナ王国にも。
───イリスフィーナ王国、玉座の間
「フローヴェル陛下、報告致します!」
「騒がしいぞ、エヴァルト騎士団長。そんなに慌ててどうしたと言うのだ、お前らしくもない」
玉座で公務に勤しんでいると、我が国の騎士団長が飛び込んできた。
顔色を変え、額には汗をかいている。
今の姿からはとても想像できないが、彼はイリアスフィーナが誇る騎士団の長を務める男だ。
そんな男がここまで慌てているということは、余程の事態ということか。
「先日、降伏勧告の書簡を届けに赴いた使者からの報告です」
「ほう、返答はどうだった?まだ無意味に抗うとでも申したか」
先日、使者に降伏勧告の書簡を持たせた。
これ以上続けてもドゥルニールにとって益は無い。
今降伏するならば、悪いようにはしない。
そんなありきたりの内容の書状だ。
帝国ドゥルニール。
人間達が暮らすブリアティルト大陸から遥か北方。
人間達が「異大陸」と呼ぶ、魔族の跋扈するこの大陸。
その中でも数少ない「大国」と恐れられている国。
そんな国から宣戦布告の書状が届いたのがつい最近だった。
尤も我が国とて、大国が隣に存在する状況で何の備えもしていないわけはない。
数々の近代魔導兵器で、旧時代の大国様を返り討ちにしたところだった。
さて、先方が真っ当な王ならば降伏を受け入れるはずだが。
「それが…王宮は蛻の殻だったそうです」
「ほう…?」
「逃げたってことかしら?」
傍らで話を聞いていた娘の真宵が会話に入る。
「そのようでございます、真宵様…」
騎士団長が首を縦に振る。
「ふはははは!これは良い!自ら始めた戦争を真っ先に投げ出すか!ははははっ!」
「無様なことね」
「全く、呆れて言葉も出ません」
三者三様に尻尾を巻いて逃げ出した帝国様を嘲嗤う。
「それでエヴァルト騎士団長、前線の方はどうなっている?」
「は!敵方には武装解除する意志は見られず、膠着状態となっております」
「どうするの?お父様」
大勢は決した、だが相手方は武装を解除していない。
恐らくは国の上部が揃って逃亡し、指揮系統が混乱しているのだろう。
「前線へ向かう」
何はともあれ、現場をこの目で見てから判断したいと思った。
「やっぱりね。私もついて行くわ」
孝行娘なのか、物好きなのか。
どうやら真宵もついてくるらしい。
「お待ちください陛下!単身で戦場へ赴かれようなどと、ご無理を仰られては困ります!」
しかし、頭の固い部下に反対されてしまった。
「エヴァ、お前はいつから俺に口答えできるようになった?」
少し苛立ちを顔に出して言ってみる。
これで引き下がってくれるだろうか。
「どうかお聞き入れください、あなたに万が一のことがあっては困ります!」
駄目だった。
昔は俺の言うことを何でも聞く可愛い少年だったと言うのに。
「ならばエヴァ、お前も来い。万が一のことがあったらお前が守れ。それすら出来ないというのなら、何の為の騎士団長か」
「…わかりました。私と数人の騎士が護衛に付きます。それでご容赦下さい」
頑固な騎士団長を説得した俺は、戦地へと赴くのだった。
───ドゥルニール帝国、要塞都市
重苦しい空気に耐えられなくなった私は、屋敷の外へ飛び出した。
部外者である私がいては話し難いこともあるだろう。
かつては活気のあった町並みも今は見る影も無く、冬の寒さが身に染みた。
皇帝達が民を見捨てて逃げたという事実を、最前線で戦う兵士達はまだ知らない。
彼らは何も知らず、ただ自分達の後ろで暮らす民を守っている。
勿論、私から彼らに事実を告げることはできない。
頭ではわかっているのだが、私の足は自然に前線基地へと向かっていた。
「ノワール様!どうしてこのようなところへ!」
何も知らない兵士が私を見つけ、声をかけてくる。
「いえ、ちょっと皆さんの応援に。何か出来ることがあったら言ってください」
簡素な食事を摂っている兵士もいれば、傷の治療を行う兵士もいた。
私は彼らを見ていて、とても辛い気持ちになった。
「ノワールお嬢様の手を煩わせたら領主様に叱られちまいますよ!」
兵士はそう言って笑い飛ばす。
どうにか彼らを、彼らの家族を守ることはできないだろうか。
そんなことを考えていた折だった。
「おい、あれを見ろ!」
「イリアスフィーナの連中が進軍してきやがった!」
長らく膠着状態にあった前線に、動きがあったらしい。
そうなっては、ちょっと魔法が使える程度の小娘では足手まといだ。
「お嬢様!安全な場所へ!」
兵士が私を避難させようとする。
突如、兵士達が大きな声をあげた。
「おい!あれを見ろ!まさか…!」
「あいつ…イリアスフィーナの王じゃねえか!」
「国王自ら何をしにきやがった…!」
前方に目を向けると、金髪の堕天使が数人の護衛を引き連れてこちらへ向かってきていた。
魔族が多く暮らすこの大陸でも、堕天使は極めて個体数が少ない。
一介の小娘に過ぎない私ですら、あの男を知っている。
イリアスフィーナ国王、フローヴェル・イヴ・ルシファー。
魔王の一角として数えられる、敵国の将だ。
「初めまして、ドゥルニール帝国の勇敢なる兵士達よ」
フローヴェルが片手を広げ、仰々しくお辞儀をする。
それは敬意を表する礼ではなく、明らかに挑発の類だった。
「敵国の大将が何しにきやがった!」
「この場でブチ殺してやろうか!」
兵士達が口々にがなり立てる。
「煩いわね、全員殺す?」
フローヴェルの傍らに控えていた白髪の少女がぽつりと呟く。
「待て、真宵。それでは我々が出張った意味が無いだろう。…エヴァ」
同じく傍らに控えていた騎士風の青年が、フローヴェルの言葉を受けて前へ出る。
「ドゥルニールの兵士達よ!お前達の皇帝は尻尾を巻いて逃げた!お前達に残された道は降伏しかない!潔く敗北を認めろ!」
青年が声を張り上げて叫ぶと、兵士達に動揺が走った。
「馬鹿な!皇帝陛下が逃げるなど!帝国を侮辱するな!」
「でもおい、こんなに長い間上からの指示が来ないっておかしくねえか…?」
「まさか、本当に…」
私はフローヴェルの元へ駆け寄っていく。
事実を知っている私がなんとかするしかないと思ったからだ。
「お嬢様、どこへ…」
「彼らと話をします。貴方は街へ戻り、お父様と騎士団長さんを呼んできてください」
兵士の1人に領主である父と、騎士団長を呼んでくるように頼む。
「お初にお目にかかります、イリアスフィーナ王国国王、フローヴェル・イヴ・ルシファー陛下」
「小娘、貴様は誰だ」
フローヴェルは私を観察するように眺めている。
恐らくは小娘風情が何をしにきたのか、と思っているのだろう。
「この要塞都市の領主オルトヴィーンの娘、ノワールと申します」
「ほう、領主の娘か」
「先程、この戦場の指揮官である父と騎士団長を呼んでくるよう命じました。2人が到着するまで、不肖ながら私がお相手致します」
「ふむ、まあよかろう。単刀直入に言おう、我々はお前達に降伏を勧めに来た」
お前では役者不足、と言われているような気がしたが、それも事実なので否定はしない。
「それだけの為に、国王陛下御自らこのような地へ足を運ばれたと?」
「ああ、部下達に任せていては終わる戦も終わるまい。お前も領主の娘なら、国の中枢が揃って亡命したことは知っているだろう。お前の父親達もさぞ混乱しているだろうと思い、こうして俺自ら赴いてやったのだ。感謝するが良い」
この男ならただ我々を笑う為だけに戦地に赴いたということも考えられたが、どうやらそうではなかったらしい。
「ええ、おかげさまで大混乱ですよ」
私は少々皮肉を込めて言う。
私のような小娘が一国の王に対して皮肉をぶつけるなど本来あってはならないことだが、この男だけは許せなかった。
戦争の引き金を作ったこの男が。
「ふははは!だろうな。王が腰抜けだと大変であろう、ははははっ!」
フローヴェルが楽しそうに笑う様を見て、私の中で何がが弾けた。
「ふざけるな!お前達から戦争を仕掛けておいて、その言い草は何だ!お前達が攻めて来なければ、私達は今日も平和に過ごしていたというのに!」
怒りをぶつけられた彼は怒るでも無く言い返すでも無く、ただ怪訝そうな顔をした。
「ノワールと言ったな。我々が戦争を仕掛けた、とはどういうことだ。詳しく聞かせろ」
「貴方達が戦争を仕掛け、何の罪も無い人々の命を奪ったのでしょう!帝国を侵略し、自国の糧とする為に!」
私は続けざまに彼に怒りをぶつける。
「真宵、エヴァ。どう思う」
「情報操作、かしらね」
「あの狡い皇帝のやりそうな手ですね」
フローヴェルは私を無視し、仲間達と何やら話し込んでいる。
「ノワールよ。まず1つ、お前に真実を教えてやろう。自国の繁栄の為に隣国への侵略を開始したのは、お前達の側だ」
一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。
だって、彼らが戦争をしかけてきたから、今こうやって皆が苦しんでいるわけで……。
「そ、そんなことがあるわけないでしょう!嘘の情報を流して兵士を動揺させようとでも…?」
「いいや、その方の言っていることは正しい」
聞き慣れた声がした。
後ろを振り返ると、父と騎士団長がいた。
「お初にお目にかかります、フローヴェル・イヴ・ルシファー陛下。要塞都市領主、オルトヴィーンと申します。この度は不肖の娘がご無礼を働き、誠に申し訳ございませんでした」
「かまわん。貴様が領主か、待っていたぞ」
次いで、騎士団長がフローヴェルに挨拶をする。
「陛下。我が国の民は今回の戦争について、何も知らされておりません。私の口から、彼らに説明をしてもよろしいでしょうか」
「よかろう。ようやく話のわかる者が来てくれて助かる」
フローヴェルに許可を取り、父が兵士達を集め語り始めた。
この戦争のあらましを。
──この戦争は更なる国力を求めたドゥルニール側によって引き起こされたこと
──民にはイリアスフィーナ側が攻めて来たと偽りの情報を流していたこと
──それらを指示した皇帝達は民を見捨て、真っ先に逃げたということ
兵士達の顔に絶望の色が浮かび始めた。
いきなり残酷な真実を突き付けられたのだから無理もない。
事実、私も父の言っている意味を飲み込めずにいた。
「たった今オルトヴィーンが申した内容に、相違が無いことを認めよう」
静まり返った前線基地に、フローヴェルの声が響く。
「さて、オルトヴィーンよ。俺は改めてお前達に降伏を勧めに来たのだが」
「はい、我々は勧告を受け入れ、降伏致しましょう。これ以上、兵士達に無駄な血を流させたくはありません」
父は降伏を受け入れ、書状に調印した。
「確かに。ではオルトヴィーン、我らイリアスフィーナに弓を引いた罪を償ってもらおうか。皇帝達も亡命先へ引き渡しを要求した後で処刑するが、一先ずこの場での見せしめも必要であろう」
亡命先の国も引き渡しを断れば次は自分達がイリアスフィーナに狙われる、要求にはまず応じるだろう。
「勿論です、陛下。但しひとつ、私めからお願いを申し上げてもよろしいでしょうか」
自分こそがと前へ出ようとした騎士団長を抑え、父が言った。
「許可する、申せ」
「私の首は差し上げます。ですからどうか、国民達は陛下の寛大な御心で見逃してやってください」
「ふはははっ!上に立つ者の鏡だな、お前は!どこかの皇帝に見習わせてやりたいものだ。よかろう……その願い、聞き入れた」
フローヴェルが楽しそうに笑う。
父は今回の戦争の責任を取り、処刑されるらしい。
私は慌てて父の元に駆け寄った。
「待ってください!なぜ父が殺されなくてはいけないのですか!」
「それが戦争だ、小娘」
「でしたら私を代わりに処刑してください!それでどうかご容赦を!」
民の為に尽くしてきた父が、こんなことで死んでいいはずがない。
だったら私が身代りになったほうがいいと思った。
「何を言い出すか!この馬鹿娘!!」
父の怒鳴り声が飛んできた。
いつも冷静で穏やかな父が怒った顔を見るのは初めてだった。
「親より先に死ぬなど親不孝も甚だしい!」
「お父…様…」
「お前は生きるんだ、ノワール」
父は私を力の限り抱きしめた。
「いやだ…お父様…」
私は父の腕の中で泣き崩れていた。
「フローヴェル陛下、お願いがございます」
「申してみろ」
数人の兵士達がフローヴェルの前に立つ。
「我々全員の首を差し上げます、ですから領主殿は見逃してやって頂けませんか」
その言葉を受けて、父が声を張る。
「お前達!何を言い出す!」
だが父の言葉を無視し、フローヴェルは口を開く。
「自分達の命が惜しくないのか」
「オルトヴィーン様は、今まで国民の為にご尽力されてきたお方です。我々は皆、オルトヴィーン様に何度も助けて頂きました。彼の為に使えるのなら、大した価値も無い命ですがいくらでも差し上げます」
フローヴェルの言葉を受けて、兵士の1人が口を開く。
するとそれまでただ成り行きを見ているだけだった他の兵士達も、次々に声をあげた。
「俺もだ!領主殿の為なら身代りでもなんでもやってやる!」
「領主殿に救って頂いたこの命、今こそ領主殿の為に使ってやらぁ!」
兵士達は次々に名乗りをあげた。
「やれやれ、収まりがつかないわね」
白髪の少女が溜息混じりに呟いた。
「黙れ、貴様ら!」
フローヴェルが声を張り上げた。
騒然としていた場は一気に静まり返った。
「お前達は世話になった者の顔に泥を塗り、それで満足か」
兵士達に動揺が走る。
「お前達がこの男を真に思っているのなら…無粋な真似をするんじゃない」
フローヴェルは兵士達を諭すように言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます、陛下」
「礼には及ばない。さて始めようか…スペルヴィア」
「…はい」
フローヴェルが呟くと、何もなかった空間から身の丈程もある大鎌が現れた。
その大鎌を何度か振うと、父の首にぴたりと刃を付けた。
「何か言い残すことはあるか」
フローヴェルが父に問いかける。
「ノワール、母さんを頼むぞ…」
その言葉を聞くや否や、フローヴェルは大鎌を振るった。
「お父様あああああああ!!!!!!!」
私はただ父を見つめて泣き叫んでいた。
次の瞬間。
間違いなく首を切断していたであろう大鎌は、父の髪を数本斬っただけに留まった。
刃は…父の首寸前のところで止まっていた。
「何故…ですか」
父も状況が理解できていないらしかった。
「帝国の幹部であるお前は今の一撃で死んだ。これからはその命、この俺の為に使え」
フローヴェルは不敵な笑みを浮かべながら告げた。
「ば、馬鹿な…」
「ドゥルニールの国土はそのままイリアスフィーナが貰い受けるが、そこを治める者も必要であろう。我々もそこまで人材が余ってはいない。これほどまでに民に慕われているお前ならなかなかに適任ではないか」
困惑する父を余所に、フローヴェルは楽しそうに話す。
「し、しかし我々にも禊というものがございます…!」
「そんなものは今後の働きで取り返してみせろ。民のことを思うのなら、お前の手で守ってみせろ。お前はこれより、イリアスフィーナ領ドゥルニール…領主オルトヴィーンだ」
フローヴェルが父に手を差し伸べる。
「…ありがとうございます…ありがとうございます!この命尽きるまで、陛下のお役に立ってご覧に入れます…!」
父は涙を流しながら彼の手を取った。
「期待している」
2人は兵士達に見守られながら固い握手を交わした。
───イリアスフィーナ領ドゥルニール、オルトヴィーン邸
「ノワールも今日から王宮務めか…寂しくなるな」
「本当ね、体には気を付けるのよ、ノワール」
玄関先で両親に見送られる。
「大丈夫よ。本国からお父様や皆をサポートできるように頑張るわ!」
「ははは!頼もしいことを言ってくれるじゃないか!」
私はあの戦争以来、ドゥルニールの皆の為に何ができるか考えた。
幸い食糧等はフローヴェル陛下が本国から送ってくれたし、領主である父の働きもあり、イリアスフィーナ領ドゥルニールは帝国として君臨していた頃よりも豊かになった。
一気に広大な土地を治める大領主となった父を心配し、陛下は度々様子を見に来てくれた。
尤も、父や民と一緒に酒盛りをして帰っていくだけなのは国王としてちょっとどうかと思うが。
愛するドゥルニールの地で内政に関わる、という道もあった。
しかしいつまでも父の下にいたのでは父を越えることは出来ないと思い、本国へ行くことを決めた。
いつか父を越えて、ドゥルニールの皆を驚かせようと思う。
「陛下にまた酒でも呑もう、と伝えておいてくれ!」
「もう、ほどほどにね。いってきます!」
「…ノワール…ノワール!」
誰かが私の頬をぺちぺちと叩いている。
折角気持ちよく眠っていたのに、誰だろう。
うっすらと目を開けると、そこには見慣れた金髪の堕天使がいた。
「ん…陛下…?」
「起きろ、夕食だ」
そうだ、陛下と真宵が出かけた後、うとうとしてしまったのだった。
時計を見ると既に夕食の時間。
どうやら本気で寝入ってしまっていたらしい。
「すみません、今行きます…」
回らない頭を無理矢理回転させる。
「可愛らしい寝顔であったぞ、ノワール」
陛下がくすくすと笑う。
「お、乙女の寝顔を眺めていたんですか…!?」
「何度起こしても起きないお前が悪い」
「うぅ…」
「真宵が、食事が冷めるから早く降りてこいだそうだ」
「わかりました…」
のそのそと緩慢な動きで歩き出す。
廊下が予想以上に寒く、一気に目が覚める。
そういえば、なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。
……なんだっけ、思い出せない。
「そういえば陛下…私昨日、本国へ帰ったんですが」
もそもそと食事を口に運んでいる陛下を見る。
「そうか、ご苦労であったな」
「陛下の仕事のやり残しがいっぱいあったんですけど」
陛下の手が止まった。
「時にノワールよ、近頃オルトヴィーンには会っているのか。一人娘がいなくなっては、あれも寂しがるであろう」
「父には先日会ってきました、あからさまに話を逸らさないでください!…聞いてます?」
「セフィドの友人達と酒を酌み交わす約束をしていてな…」
「お酒がなんですって…?」
「…すまなかった」
-Fin-
