何日かまえから、のどに違和感がある。

痰が詰まってるような、かんじだ。

こうなると声を出すのがおっくうになってくるのだ。

でも随分この状態のような気がするので、

のどがすっきりしてる状態が過去にあったのか

それも実は怪しい。

実は声を出したり、人と会話したりが面倒な時に

こういう状態になるのではないかとひそかに考えている。

体の新たなサイン。

いーよ喋んなくて、のど、そんなだし。

無理しないでいいよ、別に、のどがそんなだからしょううがないよ。

って体が言ってくれているのだとしたら、なんてご主人思いなんだろう。

話さないことの精神的な罪悪感をうまくフォローしてくれているとは・・・愛い奴め

ということで、僕があまりしゃべらなくてもそれは不機嫌だからとか厭世的になってる

とかじゃなくて、のどがいまいちだからということで、ひとつお願いします。





高村薫の小説が進まない。

「太陽を曳く馬」

宗教を扱う重厚な小説ということだ。

僕の志向にどんぴしゃり。

だが、難解だ。

まず文章が難解だ、展開も難解だ。

以前彼女の本を一度途中でリタイアしたことがある。

なんだったかは失念したが、そういった場合たいてい僕は

その作家の本を二度とは読まない傾向にある。

糞作家と酷評しさえする。心の中で。


だがしかし、高村薫だけは「まだ、自分には早かった・・」と思ってしまったのだ、その時。

つまり、自分が読書人として未熟なために読みこなせない自らの過ちであると。

なんたる謙虚。

大江健三郎にさえ、キレて酷評したのに。心の中で。

なんだろうかこの差は・・

新聞で高村薫はなかなか硬派な論評を展開している。それが好きだからか。

なんだかわからんけど怖そうなオバハンだからか・・・


てな変遷をへて、随分読書もしたので再チャレンジということで

読み始めたのであるが・・このざま

悔しいが難しい。でも今回は意地でも読み切る覚悟である。

こんな訳のわからない覚悟をさせるあたり、

高村マジックにまたしてもかかってしまっている。




今日も何気ない憂鬱な週の初め。

しかも雨ときたものだ。

駅まで随分離れている我が家。

しかも、近くにバスは通らない。

おのずと歩きか自転車の二者択一。

自転車の場合は駐輪場に停めなくてはならないので

お金がかかる。

歩きの場合はお金がかからず、しかも運動にもなる。

ということで歩きを選択している従来の僕である。

しかし、雨の時は濡れる時間を短縮したいので

自転車の登場だ。

さっそうと繰り出すペダルがなんだかとてつもなく漕ぎにくい。

それもそのはず、後輪パンク。ペシャンコ。

しばし呆然としつつ。即座に対策を考える。

考えうるすべてのアイデアを総動員するあたり

寝過して飛び起きたときの心象風景にどこか似ている。

そして僕は、自宅の自転車置き場に静かに愛車を停車して

駅に向かって小走りに足を運ぶ。