こんにちは、CHELINKAです。前の記事で自分の名前を誤字っていました。チェリンカちゃんへの冒涜……。上記が正しいスペリングです。

ブログに筆を執るのは約4ヶ月半ぶりですね。それだけアウトプットしたい感情が積み重なってきたということなのですが。本題に入る前に少し小咄でも。

ご存知の方はご存知の通り、相も変わらず某私立中高一貫校の馬車馬として、身を粉にして働いております。2年目です。去年とは環境もうって変わって、去年までは接してこなかった生徒とも接点が生まれて、新たな関わりの中で日々を送っているところです。

そんな新たな関わりの中の1つなのですが、ある中3の女の子2人とちょくちょく廊下で雑談することが増えました。今年彼女らを授業を担当しているわけでもないのにやや不思議な感じですが、ダル絡みパワーというやつでしょう。CHELINKAはダル絡みに定評があるので。

それはさて置いて、2人とも人当たりもよく、いつも楽しそうに生きてるなぁという印象です。そんな彼女らですが、今日はそのうちの1人(Aちゃんとしておきましょう。)の様子があからさまにおかしかったのです。いつもは快活な笑顔を見せてくれる子なのですが、うつむき加減で前髪が貞子の如くダラりと下りて、そこだけ切り取るとさながらホラー映画のワンシーンのようでした。流石にこれには「え、大丈夫?死にかけ?」と声をかけました。「はい……死にかけです……。」と低めのトーンの声で返事が返ってきました。貞子みたいに前髪で顔が隠れたままこっち向いてきたのでちょっと面白かった。(失礼)

必要がない限りは人の事情はあまり深く詮索するタチではないので、「よく分からんけど美味いもん食ってよく寝ろ!」とだけ言っておきました。一応これは個人的に気が滅入った時の対処法としては真理だと思っているので。

すると、どこからともなくBちゃん(Aちゃんといつも一緒にいる2人のうちのもう片方)がやって来て、「私のせいなんです!(*´∀`*)」みたいなノリで謎の自白をしてきました。本当にこんな感じでニッコニコでした。流石に、訳わからんなぁと思い、2人に「どゆこと??」とワケを聞きました。

Aちゃんが煮え切らない!といった様子で、「私はBちゃんよりも努力を重ねてるのに、どうしてもBちゃんには勝てないんです!」と、感情を露わにしてきました。それですべてを悟りました。ああ、期末テストか。と。

僕自身、これにはどうにも適切な言葉をかけてあげることはできませんでした。個人的にはこの「生まれ持った元の能力の差」問題は、劣等種側が折り合いをつけないといけないと考えているからです。まあ、Aちゃん自身もCHELINKAに励ましてもらいたいとか考えているわけじゃないと思うのでセーフ。

読者の皆さんもきっとこういう経験はありますよね。どうしても超えられない才能の差ってやつです。それに直面した時、どう対処していますか?私、気になります!(氷菓見たこと無い顔)

僕もこの23年間の刹那のような人生の間ですが、何度もそんな経験をしてきましたし、今回の本題もそれに近いことなのかもしれません。折り合いは付けているつもりですが、どうにも折り目が付いていかない。折り目のつかない折り紙に存在価値はあるのか?

はてさて、Aちゃんにはこのギャップを乗り越えてもらうことを祈っておいて、本題に移りましょうか。ここから先はネガティブ多めです。閲覧注意(?)

CHELINKAのぐちゃぐちゃになった思考と感情を、文字という媒体でアウトプットすることによって整理する、という具合です。言ってしまえば興味が無い人間にとっては苦痛となりうるし、何よりもwaste of timeです。時間の使い方はしっかり考えましょうね。

御託を並べてはいますが、要は向き合ってこなかった自己の問題が浮き彫りになってきたってだけです。それをどーしよっかなー、どーしよーもないなー。と思いながら書き連ねていくだけです。セルフお悩み相談室。

今回は、

1. CHELINKA、プライドお高め問題
2. やるべきことをやれCHELINKA
3. 人生100年時代って無期懲役?

の3本でお届けします。(ぶっちゃけあまり届けたくはないけど) ここから先は文章にまとまりの「ま」の字もありません。あしからず。

1.CHELINKA、プライドお高め問題

高校2年生になった辺りからでしょうか、人から見下されることに吐くほどの嫌悪感を覚えるようになったのは。

話は遡って中学生の頃、定期テストの点数を周りと競うっていうの流行りますよね。点数をゲーム感覚で競っていたので、勉強は嫌いでしたが、点数を上げるという視座においてはのめり込んでいました。幸か不幸か、中学生の頃の僕の周りはそれはそれはおつむの切れる優秀な人間しかいませんでした。まあ勝てるわけが無いんですね。今そいつらのFacebookを見ると早慶だの旧帝大だのを卒業していて、妙な劣等感を感じますね。当時と何も変わらない。

あの頃も、見下されていた、は言い過ぎかもしれませんが、自分の能力の足りなさに周りに対して劣等感を抱いていました。そのおかげで勉学に必死になれたのは事実ですが、人間性が歪む大きな一因になったのもまた紛れもない事実です。

中学を卒業し、地元の公立高校に進学をしました。まあいわゆる自称進学校というところです。ゆえに、高校1年生の頃は学年でトップレベルの成績ではありました。もう察しの良い方ならお気づきでしょう。3年間、劣等感に苛まれていた人間が、360人の上に立つということがどれだけの脳内麻薬を分泌させるかということです。もちろん周りのレベルがこれまでより低かったことなど百も承知でした。それゆえ、入学した時から「こんなカス共には負けたくねーな。」という思いが強かったです。まあなんと歪んだ人間性だこと。僕の認知と人間性がぐにゃりと形を変え始めたのはこの頃です。

高校2年生になり、色々訳あって成績が急降下していきました。周りから見下されていたかどうかは分かりません、そういう学校ではなかったので僕の被害妄想にすぎないかもしれませんが、傲慢さが独り歩きをしているような状態にさえなっていた僕はもうプライドがズタズタでした。普通はここで自己認知を改め、周りの世界への認識も修正されるとは思うのですが、ちっぽけなプライドを守るために必死だった僕は、子供みたいに拗ねては何かと自分の落ち度を正当化しようとしてたのかもしれません。
これは高3になって、やりたいことだけやって更に成績が下がった時も同様です。(流石に追い詰められすぎて、物理的にどうしようも無かったから首吊る寸前だったけどそれはまた別の話。)
とにかくプライドを捨てられない、見下されるのことに吐き気すら覚える、見下されていないのに勝手に被害妄想にすら繋がる、こんな有様でしょうか。書いてて辛い。

つい6年前の話なので、まあ最近っちゃ最近なのがまた怖い。今だってこれは変わらないのです。辛い。
思えば、このプライドの高さが今CHELINKAを苛んでいる原因なのでしょうか。

これまでのライフステージ(大学生まで)は、勉強さえできていれば社会的ステータスは保たれていたと思います。何か他に欠けていても、「でもまあこいつ成績優秀だしな」という、ある種免罪符になっていました。(と、僕が勝手に思っているだけではあるけど。)

社会人になって、ライフステージが変化しました。これは誰でもそうですよね。その変化に対応できる人間はすごいと思います。僕には残念ながらその能力はなさそうです。だからこそ辛いのかもしれません。

これまで勉強(もっと言えば成績)という非常に小さなものにこだわってきて、それ以外のことを疎かにしすぎてきました。不器用なので。さらに悪いことに、その反動で大学生の4年間は卒業要件を満たすための勉強だけして、後は遊び呆けていました、これもまた僕を苦しめている一因です。自業自得。

自虐とか抜きに、本当に何も出来ない人間です。周りは仕事、友人関係、恋愛、趣味、自己研鑽、必要最低限のスタートラインに立っています。何かしらの悩みは抱えていても、スタートラインに立てていることがすごいんです。スタートラインにすら立てていない上、中途半端にプライドが高い僕は、そこに劣等感を感じては折り合いをつけようとし、付けられないから自分と向き合うのをやめる、を繰り返しています。

この先、年齢を重ねるにつれてライフステージは否応なしに変化していきます。自分のキャリアを再び考え直して軌道修正をしたり、結婚して家庭を持つ、というのがまず挙げられるでしょうか。その先にもまだまだ変化があります。

僕自身もいつまでも勉強という1つのものさしでしか測られてこなかった自分の価値にしがみついていないで、変化しなきゃいけないんでしょうね。でも自分にそれ以外の価値があるとはどうしても思えないから厳しいんですよね。まさに劣等種というのをまざまざと突きつけられている現状。プライドはお高めなので、時折、「なんでこんなやつが俺より幸せなんだ?社会的にも生き物的にも優れてるんだ?」と勝手に不条理を作り出してはそれに五寸釘を打つような人生です。2年くらい前から思ってたんですけどね。最近それが本当にひどい。どうすればいいか、そんなのは分かりません。分からないからとりあえず自分の思考を文字にしているだけです。だから言ったでしょう?こんなのは読むに値しないって。Time is money.ですよ?

2. やるべきことをやれCHELINKA

様々コンプレックスを挙げれば枚挙に暇がありませんが、例えば英語系の資格を一切持っていないことはもはや死にたくなるくらいのコンプレックスです。唯一、英語は勉強の延長上で僕が使える自分の能力の1つだと思っているのですが、大学生の時の自分の傲慢さと怠惰さに拠る、自己研鑽不足が今になって自分を苦しめています。能力不足ゆえ、自己研鑽をしようと思ってもなかなか続かず、それも自己嫌悪のループに落とされる要因なのです。プライドだけはあるので、周りと比べはするけどそれによってさらに無気力感が増してくる。そんな状態です。周りは各々自分に必要なことをしっかり勉強しているし、十分な能力もあるって考えると焦りもあり、それによる無気力感が襲ってくると言った具合です。成果を焦りがち。

資格を取れば何か変わるのかな……そう信じてやるしかないのかもしれません。続かないけど、本当に。モチベ維持って難しいですね。
モチベ維持の名案があれば教えて欲しいです。


3. 人生100年時代って無期懲役?

100年も生きてたら途中で飽きると思うんですよね、具体的には30超えたら飽きる気がする。「そんなことないよ!」っていう人は前述したライフステージの変化に対応出来る優等種族の方々でしょうね。僕には真似できそうにありません。
仕事が生きがいなので、「死ぬ訳にはいかない」って思いは大前提にあるんです。今は。
だから死にはしないと思うんですけど、これから先歳を重ねて行った時に価値観がどう変化するかは分からないし、社会的ステータスや生き物的な強さにおいて、あまりに劣等感を感じすぎているせいで生きづらい。ゆえに希死念慮的思想が拭えないんですね。最悪のモンスターですよ、「死ねない理由は持ってるけど死にたい」みたいな。

学生の頃から常々思ってはいたのですが、自分が30過ぎてからの人生に見通しが立たなさすぎて生きるのが怖いってのもあります。こんな劣等種がどう生きていけっていうんだろ、ぽっくりいかねーかなって定期的に考えてます。ライフプランってどうするのでしょう、最適解はまだ見つかりません。今を必死に生きることしか考えられません。それすらキツくなることが往々にしてあるからこんなこと書いてるわけですが。




さて、長いですね。時がどれだけ流れようと僕のブログがコーヒーのお供になる日は来ないでしょう。一生タイトル詐欺。

ここまで読んでくれた方いるの??いたら携帯の前、もしくはPCの前で返事してくださいな。まあ聞こえるわけないけど。

書いてみると分量で何が課題なのか丸わかりですね、悩みの種は多いけれど、多くは自分の能力と性格に収束している。
思考と感情の整理はできたので、あとはここから僕がどう生きていくかです。何かが変わるわけじゃないけど、思考も感情もぐちゃぐちゃのまま生きていくのはしんどいので、まあこれはこれで意義はあるんじゃないかなって。生活のしやすさ的な意味で。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。次はちゃんとしたエピソード持ってきたいです。駄文を書き連ねていたらすみません。

それでは。