言語そのものを規定したものは存在しないから言語の解釈に”正しい”ということはないんじゃないかと最近考える。それに辞書や文法書というのは言語を言語で補っている循環定義にすぎないので辞書や文法書の解釈にも正しさは存在しない。こんなことを考えると言葉の使い方なんてどうでもいいじゃないかと気楽に思える。