昨日の続きでアファメーションについて触れようと思ったんだけど、昨日ちょっと面白い事があったので。


昨日家に帰ると「さっき○○の道チャリで走ってたでしょ」

と目撃情報。

ははは。まさかがん漕ぎ見られてたとは。

まあそれだけならたいした事はないがその道をチャリで走りながら私はその人の事を考えていたのである。


テレパシーってやっぱあるんだな。

引き寄せなのかもしんないし。

どっちが引き寄せたのかはわからんが。

こういうことってよくあるし。念には注意ですね。

念には念を。てへ。


不思議というほどではないけどちょっとこそばい、おもしろかった話でした。




前回の記事で、私はスピリチュアルに出たり入ったり、、と書いたが、

私がスピリチュアルに気持ちが行く時、、、それは決まって

「辛い時、悲しい時、、、」

である。多少現実逃避的なむきもあると思う。
目の前の自分の力だけではどうしようもならないどん詰まりの現実。。。それを何か違う次元の力がある、とすれば、、、どうにかなるんじゃないか、かわるんじゃないか、なにかそういう次元からのなにかヒントがあるんじゃないか。。。

と。

もう暗中模索、あがき、、である。

そうしてスピリチュアルな世界に触れると、ぱんぱんに張りつめた自分の心の空気が少しふっと和らぐのである。

でも困った状況について、スピリチュアルの世界が直接手を下して助けてくれるという事は、ない。

いやもしかしたら助けてくれているのか気づいていないだけかもしれない。
しかも、自分の望む状況が必ずしもスピリチュアルな世界が望む方向だとは限らないし。

ま、結局そんな事も考えてたらキリがないんだな。ははは。

そして、「アファメーション」というものに希望を見いだし、無料のカード占いなんかに、毎日のようにヒントを求め、、、である。

しかしそういうことを繰り返していると、、、「これでいいのか」と思ってしまう自分である。

希望に満ちあふれ毎日毎日アファメーションをして、こうなればいいという現実を思い描くのはいいのだけど、たまにふと、そんな自分が逆に悲しくなったり、情けなくなったり、何やってんだ自分、と思ったり。そんな時生理前だったりすると、、鬱々とするのだ。女の子は大変だよ。

そういうときは止めてみる。

続けた方がいいアファメーションだけど、疑問をもちながらやるときっと良くない。

アファメーションについてはまたの機会に詳しく書こう。

そして、ともかくそういう世界にばかり「救いを求める」状況にあると、「いかんいかん」となってくる。とっかかりがあまりにも現世欲だからというせいもあるのかもしれないし、あまりにそっちばかりに目を向けていて、現実を充実させてないからかもしれない。

そんなとき例えば恋の悩みだとして、それについて無料のメッセージカード占いみたいなのを引くと、

返ってくる答えが、全然質問にそってないとんちんかんな答えだったりする。

例えばだが「いつ次の彼と出会えますか」、なんて聞いても出てくる答えが「本質」とか「チャクラ」だったりすると、まあ、はぐらかされてるなぁ、とか、ある意味そんな彼の事を考えてるより「本質をしっかりさせるべき」「チャクラのエネルギーをよくするべき」って捉え方もできるし、さらにその方が「出会いに近づくのか!?」なんていう楽観的な捉え方もできるわけだが、、、

まあ要は、「いい加減にしなさい」とか「もっとちゃんと地に足をつけて、やるべき事をきちんとしなさい」ってことである。

そう、わかってる。カードに答えを求めてすぎても、どうしょうもない。

だって私どん詰まっちゃうと、暇さえあればパソコンの前に座って何度も同じ質問でカードひいちゃったりしてね、駄目人間。他にすることあるでしょっての。

そう、見えない未来に一喜一憂するより「『今』こそ良くしなければならないのだ」

はーい。

幸せな『今』の積み重ねが最高の 『今』につながっていく。

未来も結局は『今』だもんね。

もう大事な答えはおぼろげながらわかってるし。

さて、こんな
不安→スピリチュアル→希望(躁)→疑問(これでいいのか)→平常心

というサイクルをバカみたいに毎度繰り返してはいますが、三歩進んで二歩下がっていても、一歩ずつは前進して行けてるし、それでいいんじゃないかな、と思っています。

私の場合のベストバランスは、天命である仕事をさせてもらってる事もあり、

しっかり日常の仕事などを大事にしながら、スピリチュアルな考えを心の片隅に鎮座させておくといったバランスなのだと思っております。

人に寄ってこのバランスも違うと思うけど、私の場合、である。






                                                                                                                                                                                     






小学生の頃は、妖精とか好きで、寝る前にお祈りしたり、何かがあると神様にお願いして。。。。

一緒に住んでいた親戚のおばちゃんが信心深い人だったせいもあると思うが、もともと好きだし心のどっかであると思ってる、。。。精神世界。

大人になった今も、そういう本を読んだりブログで人の意見を知るのが好きである。

ただ、、、たまにそこにどっぷりいると、「あ、これではいけない(自分どっぷりはまりすぎている)」と何故か思ってしまったり、「ちょっとこの人たち妄想はいりすぎじゃんか??危険危険」(ごめんなさい!)と自分をさしおいて思ってしまったり。。。

と、好きなはずなんだけど、たまに抵抗を感じてしまう。
でも辛い事があったりするとそこに答えを求めたり、、、抵抗を感じたり、求めたり、、、

出たり入ったり。。。なのである

そして精神世界、自分の印象としては、、「ざ・きりがない」、、のである。

だって結局目に見えない世界で、妄想でもなんでもあり。
そこを信じるかどうかも自分の自由。
でも信じた方が幸せだよ。。。って。う~ん、そだね。

でもなんだかんだ、どの本もブログも言ってる事の根本は一緒なんだよね。

精神世界ってきっと言葉や数字の世界じゃないから、捉え方、訳し方、関わり方はひとそれぞれ。そしてそういった本を書いたり、ブログを書いたりしてる方々にメッセージを伝える存在たちにも色んな存在や個性があり、きっとゴールは一緒だけど、通り道や、見える景色、聞こえる音は違うんだな。

私の場合、とりあえず今の「出たり入ったり」でいいと思ってる。
必要なときは答えを求めてその流れでどっぷりそっちに持って行かれたり、でもそれに疲れた時は離れればいい。怒るときもあれば悪態だってつくときもある(/ω\)

それでもきっとゴールには向かっている。

そしてこれからも、そういう世界が好きでたまにお祈りしたり、神社に足しげくお参りしたり、さらにはそこで口に出してぶつぶつ言いながらお祈りしてたり、たまに瞑想したりアファメーションしたりしてても、、、そんなことは友達の前では絶対に言えない、見せない。。。どっちかというと「精神世界??なんだっけそれ??」みたいな振る舞いをして行くと思う。。。もともとのキャラもあるからね~
(、、あたしみたいな人実は他にもいるんじゃないかぁ)


まあそこも流れや必要に応じてかわって行くかもしれないねニコニコいつかそういう話を友達の前で声を大にして言うときがくるのかもしれない。



そういえばここんとこ取り憑かれたように眠い日が多いが、なんかの浄化、かなー