《2024年 1月31日 改定》
一方迂達赤の兵舎にある隊長の部屋では、チュンソクが卓に向かって無心に書き物をしていた。
こういった雑務は、通常副隊長にやらせるか、口頭で述べたものを隊員に書き写させればいいのだろうが、副隊長時代が長かったせいか雑務をこなすのに慣れてしまっていて、つい自分でやってしまう。
そろそろ鍛錬が終わる頃だろうか。
チュンソクが筆を置いたその時、扉の外から声がかかった。
「チュンソク、入るぞ」
「大護軍!」
ガタンと立ち上がったところで、扉が開いて大護軍チェ・ヨンが入ってくる。
「構わん、続けろ」
そう言うと自ら部屋の隅に置いてある椅子を持って来て、チュンソクの卓の前にどかっと座り込んだ。
「急ぎか?」
「いえ、指導の指南書を書いておりました」
「指南書か」
チェ・ヨンはそれをちらりと眺めると、お前らしいな、と言った。
「一度きちんと作っておきたいと思っていたのです。
今後も役に立つでしょうから…。
出来上がればお持ちしますので、目を通して改善点などご指摘頂ければ…」
「いや、その必要はない」
チェ・ヨンは軽く片手をあげて断った。
「お前が隊長なのだ」
「いやしかし」
チュンソクは眉尻を下げて、言葉を詰まらせた。
事実、今の迂達赤の隊長はチュンソクだが、チェ・ヨンも未だ迂達赤に籍を置いたままだ。
大護軍として戦の指揮を執る事が増えたため隊長から退いたが、未だ王がこの男を側に置きたがっていることが大きな理由だ。
チュンソクよりいくつか年下の、このチェ・ヨンという男は、出会った時から不思議な男だった。
隊長のくせにいつも寝てばかりで、役目には不熱心。
面倒くさいことは全てチュンソクに押し付けた。
口煩くはなかったが、その代わり細やかな指導もない。
鷹揚かと思えば、腹を立てれば人や物にも当たり散らすこともしばしばあったし、背後に鬼が見えるほど恐ろしい時もある。
だが、口に出すことはいつも的を得ていて、やると言ったことは自ら先頭に立ち、必ずやり遂げた。
圧倒的な強さと、端麗な容姿に似合わぬ豪胆さがチェ・ヨンの魅力だった。
この男の命令なら命をかけてもいいと思っている迂達赤がどれだけいた事だろう…。
チュンソクは、今は亡き盟友達の顔を思い浮かべた。
それに比べ…。
チュンソクはつい自分とチェ・ヨンを比べ、大きすぎる背中に気が遠くなる時がある。
チェ・ヨンはチュンソクにとって指針であり、超えられない壁でもあった。
「その筆」
突然チェ・ヨンが話題を変えた。
「はっ?これでございますか?」
チュンソクは自分の手元に目を落とす。
「ああ。良い筆だな。
使い勝手がよさそうだ」
「分かりますか!
確かにこの店の主人の作る筆は他のと比べて書きやすく、最近はここのばかり使っております。
今度買って来ましょうか」
「頼めるか?
いつでも構わん。
慣れない者でも扱いやすいものが何本かあると助かる」
「医仙様にですか?」
「そうだ。悪いな」
「とんでもありません。
それより、何かご用があったのでは」
「ああそうだ。
この前の密書の件だが」
「ああ、あの…」
白い猫の首輪につけてあった密書のことだ。
あれほど探した挙句、出てきたのはなんと大護軍の屋敷からだったらしい。
大護軍の奥方である医仙にすっかり懐いたその白猫は、大護軍の迫害にもめげずずっと居座っているというから大した大物だ。
「そのことで今からスリバンに行くが、お前も来れるか?」
「スリバンですか?
はい、ではお供します」
チュンソクはトクマンに後のことを託すと、ヨンに付いて市井へ向かう。
二人で歩く時、チュンソクはいつも大護軍の僅か半歩ほど斜め後ろに立った。
並ぶには恐れ多く、かといって隔たりすぎない位置。
(そういえば、医仙様は初めから隣に並んでおられたな)
チュンソクは思い出す。
何なら大護軍の前に立ち、無理やり引っ張る勢いだった。
あんなことを出来るのは、彼女を置いて他にはいないだろう。
やっぱりお似合いの二人だったのだ…。
その頃を思い出すと、懐かしいだけではない、なんとも言えない感情が湧き上がる。
「医仙様は…」
「なんだ?」
「お元気でいらっしゃいますか?」
「ああ。お陰様でな。
また典医寺で勤めるようになった故、出会う事もあるだろう。
よろしく頼む」
「とんでもございません!医仙様が居られれば、迂達赤も心強うございます」
何がおかしいのか、チェ・ヨンはふっと柔らかな笑顔を浮かべると、すぐにそれを消した。
そして前を向いたままチュンソクに尋ねた。
「チュンソク、お前…俺が迂達赤にいてやりにくくないか?」
「…何を仰います!!」
チュンソクは大声を出した。
「私がそのような態度を取ったのでしょうか?でしたら、お詫びします」
「いや、そうではない。
ただお前は生真面目だから、いつまでも俺がいては好きな様に出来ないだろうと思っただけだ」
部屋も狭いしな、チェ・ヨンはそう付け加えた。
元々の隊長の部屋は今でもチェ・ヨンが使っているため、隊長であるチュンソクはそれより一回り小さい部屋を使っていた。
「部屋はどこでも構いません。
今でも迂達赤の総司令は大護軍になっておりますゆえ、居て頂かなければ困ります」
「特に何もしていないが」
「良いのです。
睨みをきかせて下さるだけで」
「睨みか」
「はい」
チュンソクは頷いて、慌てて付け加える。
「剣の鍛錬も今まで通りお願いできれば…
あと弓も…」
「こき使う魂胆か」
「…はい。
すみません」
素直に謝ると、チェ・ヨンは珍しく声を出して笑った。
猫ちゃんの名前で、沢山のお返事をありがとうございました!!
一票に、素敵な案も沢山頂き、非常に迷いましたが…決定しました
お楽しみに〜
猫の首輪から始まるメインの謎も、少しずつ進めていきます
あと、この改訂版、お話の後にお知らせなども書きたいので、一旦はオンタイムでアップしますが、そのうち過去の日時に戻しますね〜
★ 霞家とのコラボ話、戻してあります
霞さん、お手数おかけします