『Fairy Hands 』 Masakoのブログ

『Fairy Hands 』 Masakoのブログ

京都市・北区・上賀茂神社近く
ナチュラルケアサロン「Fairy Hands」と
花の絵と刺繍 『お花の癒し Fairy Hands』のオーナー
Masakoのブログです。
サロンの情報や作品、日々の事など綴ります。
よろしくお願いします。

Amebaでブログを始めよう!

これはまだあちらこちらにドクダミが繁茂しているとき、6月の話です。


植物園にも、家の庭にも、ドクダミの白い可愛い花が目立つようになった頃、
他にも魅力的な花がたくさんあるにもかかわらず、何故かドクダミをスケッチしようと思い立ちました。

植物園でも描いて、家に帰ってからも描いて、裏庭のものを家に持ち帰っては花瓶に活けて、それを前から後ろから描いてー。

なぜこんなに描きたくなるのー?と思いながら、次の日もまた描いて。

こんな経験は初めてでした。

ハート型の葉っぱ、白い十字の花、なんとなく描く前からチラッとこの花の持ってるエネルギーが想像できそうな情報はなるべく考えないように、私はドクダミのありのままを見るように描いてみました。
ただ、何故、こんなに惹きつけられるのかと思いながら。

ひと通り、いっぱい描いたなーと我ながら感心して一区切りつけた日、夜中に作業机に花瓶の花を並べてボーッと眺めていた時、急に私のハートが締め付けられるような、葉っぱの一枚一枚から愛の波動がすごい圧力で迫ってきました。


やっぱり愛の花なんだな、ドクダミって。
そう感じて答えの半分を理解して、その感覚に驚きながら眠りにつきました。



日を置いて、次のスケッチの材料を探していた時、私はまたもやドクダミを見ていました。

玄関先の梅の木の根本に生えているドクダミの中に、3つの花が並んで咲いている個体を見つけました。
3つ並んで咲いてるのは珍しいかなと思って、部屋に持ち帰りスケッチしました。
よく見ると、3つの花のうちの1つは、
普通は4枚の白い花びらなのに3枚しかなくて、それもまた珍しいと思いました


描き終えて、3つの花、3枚の花びら、3なんだなあー、3は調和かな?とかいろんなことを考えているうちに、三位一体の文字が浮かびました。

父と子と聖霊とー、キリスト、ん?キリスト意識?、無条件の愛、ワンネス、
連想ゲームみたいに頭の中で、ドクダミのハートの葉っぱと白い神聖な十字の花、キリストの血を表すような赤い茎、
上に上に伸びながら花を咲かせて行くその様、そして、薬草としてのたくさんの効能。
あの夜押し寄せた強烈な愛の感覚と一体になって、
『あー、ドクダミは宇宙の根元の大きな愛の意識なんじゃないだろうか』
そのひらめきに私の胸はドキドキし、とても合点がいきました。


私の今生のテーマは『愛』だったのかなと今の私は認識しています。

無条件の愛が持てるように、
愛の人でいることが私の目標です。


そうでありたいと思うから、こんなにこの花を描きたくなったのかな。


フラワーエッセンスを学ぶには、実際の植物と触れ合うことが大切と教わったことが、とてもよくわかった経験でした。

偉大なる植物に少し近づけた気がしました。

フラワーエッセンスを作られている方達は、こんな風に植物と響き合ってその本質や秘密を教えてもらっているのかなと想像しました。


私は私にとってのドクダミを知ることが出来ました。

ドクダミの絵を見るたびに、キリスト意識を、無条件の愛を感じて、ハートから生きることを大切にしたいと思い出すことが出来そうです。

 どんな紫陽花が咲くのかすっかり忘れていた茎の先に、輝くような真っ白な額縁と中心の紫のグラデーションが美しい花を見つけた時、もうそんなに長くはないですよ、とお迎えの近づいている義母の顔が重なりました。

波乱万丈な人生を小さな身体で一生懸命生き抜いた義母。
薄紫の洋服が1番似合っていた、アメジストのイメージがある義母。

認知症が進んで、最後の3年間は家で見てあげられなかったけれど、先月の末に安らかに眠るように旅立ちました。

93歳の大往生。最期の姿は本当に気高く美しいお顔でした。



 私がこの家の人になって35年、初めの5年は少しだけ離れた所に住んでいたけれど、後の30年近くは完全同居ではないものの、同じ屋根の下で暮らしました。

やんちゃで家庭を顧みない義父と長男である主人は、当然ながらしっくり行かず、義父としっかり者の義母との仲も、似た者同士の腐れ縁という一面もありながら、表面的には喧嘩が絶えませんでした。


子供の為にと、生来の我慢強さと負けん気の強さで夫婦別れすることなく2人の息子を育てた義母は、私に子供が授からないことを一度も責めることなく、
子供がいても良いことばっかりじゃないと慰めてくれました。


女としての幸せの薄かった義母とは、嫁姑という関係よりは女同士の関係だったかもしれないなと思います。


息子には出来ない秘密の話を聞いたこともあったし、娘のように信頼してもらったとも思います。


人との境界線が曖昧で、今でいうところのHSP(とっても敏感な人)の傾向がある私は、家族といえどもべったりいるのが苦手で、常に感じる人の気配がとても苦痛なこともありましたが、いろんな経験をさせてもらって、義理の両親2人を見送ることが出来ました。


 80歳を過ぎた頃から認知症の症状が出始め、3年前、義母の面倒を1人で見ることに限界を感じるようになってグループホームに入ってもらおうと決めた時、それまでが余りにしんどくて、その時点で私はもうやり切った思いでした。

 
 何度も何度も繰り返される苦労話、恨み節、楽しかった青春時代の出来事や親兄弟の思い出話、エンドレスで頷き続ける毎日。
これが仕事なら出来るのだろうかと、悩んだ時をさっきふと思い出しました。

 
あの時はもう聞く力が無かったけれど、
もう一度、あのお義母さんの楽しげな声や悪口言って怒って話すのを聞いてみたいと思ったら、少し涙が出ました。



「お疲れ様でした。ありがとうね。」
棺に横たわる義母にそう言ってお花を手向けた時、お別れが悲しいのとは違う、尊い、1人の女性の精一杯の人生を見せてもらったことへの感謝の涙が溢れました。

潔くさっさと極楽浄土へ行ったんじゃないかなと思わせる、気配のなさに、またあの真っ白な額縁の紫陽花の凛とした清らかな姿が目に浮かびました。

 
 去年の秋から今まで、自分にも世間にもいろいろなことがあったのに、ブログを書くのをお休みしていました。 
 また心の内を、花とのことや日々のことを書いてみようかと思っています。

 前回書いたのは、フラワーエッセンスの教室の上級課程を2019年の秋に修了したときのこと。

 あれからも植物を観察するのが常となり、花の絵の作品も徐々に増えて、昨年の暮れに初めての作品展をさせて頂く機会に恵まれました。 
『花の絵と刺しゅう Fairy Hands』の私としての活動の始まりでした。


 フラワーエッセンスを体験的に学ぶことをして、自分の内面に取り組みだすと、もともと心に向き合わずに生きていけない私は、たくさん蓋をしてきた感情に気づき、花の力を借りて本来の自分に近づいていくことが出来ました。

 その課程で、花の心を受け取りながら絵を描くという、今まで思いもしなかった創造の喜びが、それまでやろうとしていたボディケアなどのセラピストとしてのの仕事の喜びを上回るようになっていきました。

 お陰様で、その絵に心を癒されたと感じて下さる方もあり、直接、お身体に触れたり、お話を聞いたりすることがなくても、何か人様のお役に立てていることが嬉しく、花の力の素晴らしさを実感しています。

 コロナの自粛期間も、私自身、やはり植物とフラワーエッセンスに救われました。何も出来ない自分に落ち込み、不安の中で過ごす日々、変わりなく生きる植物、いつものように花開くあり様に、自然は優しくその世界に連れて行ってくれました。フラワーエッセンスにも心のバランスをとれるようサポートしてもらいました。


 この大変な時期は、まだ終わったわけではないけれど、植物との触れ合いが私にとってどれだけ重要なことかということも再認識しました。その恩恵に感謝するばかりです。


 まだこの先のことは考えあぐねています。どうしていったらいいのかも手探りで分かりません。
衝動に任せて、描きたい花を描き、刺したい花を絵にしていくばかりです。

 でもきっと、不思議な力に導かれて花とともに生きていくことを思うようになったのでしょう。

 その道に私の喜びと幸せがあるのでしょう。

 いつも愛をたくさんもらう花達の、その生命の輝きと波動を伝えていけたらいいなと思います。

 そんなことを、このブログにも書いていけたらいいなと思っています。