蒼い文箱
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回転木馬のデッドヒート  

情報が氾濫する現代社会。

歯車がぎっしり詰まった精密機械のような現代社会の中で、人生が噛み合っている者、外れてしまった者、辞めてしまった者、それぞれがそれぞれの空間で人生が繰り広げられている。

村上春樹が描く人間のスケッチ。

それらを集めたスケッチブックが「回転木馬のデッドヒート」だ。


「運が悪いのよ。」


村上春樹が描く女性の言葉は、何気ない言葉でも、どこまでも続く深緑の深みがある。


「1968年のことです。」


村上春樹がそう書くと、1968年という年代がリアルに頭の中で繰り広げられる。1968年がどういう年だったかは分からない。しかし、村上春樹が1968年と表現すれば、空間が奇妙にゆがみ1968年となる。


アイロンの匂いとビリー・ジョエルと朝のシャワー  


私は村上春樹のこんな表現が大好きだ。

典型的な日曜日の朝の表現。

からっとした天気の日曜日。平凡な日曜日。しかしとてつもなく不安な朝。

このたった3語の組み合わせで、いくつにも絡み合った感情や情景が表現されている。


「そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない。わからないな。」


村上春樹はよくこんな台詞を主人公に言わせる。

私もこんな気持ちによくなるが、現実の社会では白黒をはっきり付けるように求められる。でも、実際は白と黒、この2つじゃ表現しきれない。人生は2択じゃないんだ。


「それはメリーゴーランドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗り換えることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを繰り広げているように見える。」


秋の夜更けに静かに読む短編としては、最高の一冊です。何回読み返しても飽きません。




おもいで

晴れた10月の早朝は、高くて透明な青色が街全体を包み込み、その空気はひんやりとした水分を含んでいて体にとても心地よい。

「おはよう。今日も良い天気じゃねぇ。」

いつものおじいちゃんが後ろから私に声をかける。
去年の散歩デビューの朝、緊張しながら歩いている私に声をかけてきてくれたのがこのおじいちゃんだ。季節の話、お花の話、私の仕事の愚痴など、毎日お喋りをしながら散歩をしているが、おじいちゃんのことは名前さえも知らない。しかしそのような心地よい距離が私をいつも和ませ、安心させてくれる。

「やっと今週から暇になりそう。今年の夏も全く休みがなかったわ。」
「わしらは忙しいあんたらが羨ましいんだけどなぁ。」

庭先に咲いているシュウメイギクが、私たちの歩幅に合わせて小さく揺れる。2人の足音が朝の空気にこだまする。

「ところで今日はバーゲンがある日なんじゃ。一緒に来てみるかい?」
「こんな早朝から?」

バーゲン会場は散歩の折り返し地点である秋桜公園の中に、いつの間にかテント張りで作られていた。中を覗くと人混みでごったがえしている。ワゴンの中にはビデオカセットのようなものが山ほど積み上げられ、人々は2個3個と手に持っている。よく見ると高齢者ばかりのようだ。おじいちゃんは会場の中へどんどん進んで行き、私もその後に続く。

「これは若いもんが夏に作った思い出なんじゃ。」
「思い出?」
「そう。いらなくなった思い出。これはサラリーマンが仕事に追われ夏休みを取れなかった思い出。これはひと夏の恋が終止符を打った思い出。今じゃ季節はずれのものばかりじゃが、思い出が作りにくくなったわしら高齢者にとっては、このバーゲン会場でそれらを選ぶのがとても楽しみなんじゃ。」

朝日がテントの中に一筋差し込み、喧騒の中にふと静寂を感じる。
耳の中で囁くような声が、秋桜公園の鳥たちのさえずりと同化する。

「人は忙しい時が、一番幸せなんじゃよ。」


華鬘草

5月8日

私はお花についてはかなり詳しい。友達は私のことを「歩く花図鑑」って言うぐらいだ。だから隣のお姉さんが今日買ってきたお花は華鬘草だということに、すぐ気が付いた。

私の2階の部屋からはお姉さんのお部屋が見える。ルックスもスタイルも立ち振る舞いも美しいお姉さんは、私の憧れの人だ。悪いと思いつつも、カーテンが開いているときはいつも盗み見してしまう。それはまるで男の子が女の子を
ドキドキしながら覗き見するような感じかも。

5月11日

お姉さんは帰るとすぐに華鬘草のハート形のお花に話しかける。何を言っているのかは判らないけれど、その表情は真剣で、妖気が立ち上るような感じ。
何かお願い事でもしているのかな?でもお姉さんは知らないんだろうね。華鬘草には毒があるってこと。葉っぱ3枚で子供なら簡単に死んじゃうってことを。

5月13日

今日もお姉さんの部屋には仲の良いお友達とその彼氏が来ている。去年の夏頃から1ヶ月に1回ぐらいはお姉さんの家で食事をしたり談笑したりしているのだ。とっても楽しそう。でもどうししてあんなきれいなお姉さんには彼氏がいないのだろう。絶対もてるはずなのに。
彼女らが帰った後は必ずお姉さんはカーテンを閉め切ってしばらく開けようとしない。どうしてかな?

5月15日

お姉さんが華鬘草の葉っぱをちぎっている。
どうするの?
その葉っぱには毒があるのよ。
もしや何も知らないお姉さんはハーブティーでも作るつもり?
でも私の心配をよそにお姉さんはその後すぐに外出してしまった。
古くなっている葉っぱをちぎっただけかもね。

5月17日

お姉さんは喪服を来ている。今日はひときわ美しく艶やか。鏡の前にじっと立っているお姉さん。
菩薩みたい。
誰が亡くなったのだろうか。


11月14日

あれから6ヶ月間、お姉さんはカーテンを殆ど開けなかった。
でも今日は、仲の良いお友達の彼氏が1人で遊びに来ている。
そう、あの友達の彼氏…。
今まで見たこともないようなお姉さんの嬉しそうな表情。
見つめ合う二人。

ベランダの隅には、華鬘草が風に揺れている。
典麗な枝姿を保ちながら、そして妖艶に。

 学校の帰り道、僕は走って家路を急ぐ。陰湿なあいつらに追いつかれる前に急いで逃げなきゃいけない。僕は攻撃は嫌いだ。逃げるしか他に術を知らないのだ。

自転車屋の角を曲がり自動販売機の前を過ぎれば、急に周りは閑散となり、尖った厚い冷気が僕の頬を容赦なくたたき始める。ここまでくれば、自宅はもう目の前だ。しかし僕はそのまま家には帰らない。家には誰もいないし、あいつらがやって来るのは目に見えているから。

僕は玄関の前の電柱の陰でじっと辺りを見渡す。誰も見ていないことを確認すると、深呼吸してゆっくりと電柱の中へ入る。

 電柱の中はひんやりしていて、一瞬体全体の毛穴が縮むような感じ。
「今日はやけに早いじゃないか。」
マサルがじっとこちらを見て座っていた。
「まあね。あいつらのおかげで最近足が速くなったよ。」
「いつまで逃げるつもりだ?」
マサルは口の端を曲げて面白くなさそうに言う。
「逃げるばかりでは何も解決しないよ。」
「いや、逃げ切ったらこっちの勝ちじゃないか。先行逃げ切り型だよ。」
「ふん。」
つまらなさそうに横を向く。僕は鞄をおろし、ゆったりとした椅子に腰掛ける。

 ここに始めてきたのは、雨の降る日にあいつらから逃げ切れなくなった時のこと。追い込まれて電柱の陰に隠れた時、ふっと体が軽くなり暗闇の中に放り込まれたような衝撃を受け気を失ったのだ。てっきり僕はやられたのかと思った。しかしそうではなく、気が付いてみるとそばにはマサルがいた。そして電柱の中だと言うことを教えられた。

その日から僕は毎日ここに来ている。湿ったカビの臭い。薄暗く5メートル先は漆黒の闇。闇の中に浮かぶ泡の中にいるような不安定な空間。

「君が気が済むまでここにいていい。でも、もうあいつらは来ない。帰る時間だ。」
マサルは説得するように言う。毎日この言葉をマサルがかけるまで、僕は闇の中に身を委ねる。

「そうだね。また明日来るよ。」
「先行逃げ切り型・・か。悪くないね。」

マサルは口の端を曲げてふっと笑う。
「でも、そのうち他の方法も考えなきゃだめだ。攻撃だけが方法じゃないんだぜ。頭を使えよ。」
「うん、分かってる。そのうちに考える。」
「そのうち、か。。。」

「うん、そのうちにね。」
「明日また来いよ。」

マサルの声が闇の中に吸い込まれていく…。

僕とキリギリス

 「君はいつまでそうやってぐずぐずしてるんだ?」
僕はキリギリスに聞いた。彼はいつでも陽気でお喋りでお洒落で人を退屈させることはないけれど、面倒くさいことや困難なことは全くやろうとしない。僕はいつもクリスマス前のこの時期になると、家と外を数え切れないぐらい往復して食糧を備蓄するのに必死だというのに、彼は部屋の中でいつもバイオリンを弾いている。
「僕は快楽主義者だからね。楽しくなくなったらそれまでさ。」
キリギリスは目を細めてこう言う。
「それにさ、君だって僕のこのバイオリンの音色に癒されているじゃないか。」

 悔しいことに彼の言うことは当たっていた。仕事に疲れて帰ってきたときに、彼は暖かい暖炉と音色をいつも用意してくれていた。しかも彼は料理がうまかった。特に彼の作るパンとシチューは、朝起きる寸前のベッドの中のように、僕の体と心までも暖かく幸せにしてくれる。

そして迎えたクリスマスの朝。
彼はハミングしながら僕に暖かいミルクを注いでくれた。バターがのった焼きたてのパンにカリッと焼いたベーコン。そして卵。もみの木は綿や電飾やオーナメントで飾られ、クリスマスにふさわしい雰囲気を醸し出している。
「みんなが生産性だけを求めていたら、世の中はきっと上手く回らないと思うんだ。」
「どういうことだ?」
「生産性を求める者と精神性を高める者、この2つが上手く合わさって世界は回っていると思うんだ。」
「つまり僕と君のようにか?」
キリギリスはにやりと笑った。
「つまりそう言うことになる。」
今度は僕が笑った。
彼は横に置いてあったバイオリンを持ち、暖炉の前の椅子に座って「主よ人の望みの喜びよ」を弾き始める。暖炉の火とバイオリンの伸びやかな音が合わさり、豪奢な空間が生まれる。
「今日は今までで一番素敵なクリスマスパーティーにするよ。まかせとけ。」
暖炉の中の木がぱちっと音を立てる。
「うん。ありがとう。君には本当に感謝するよ。」

映画館

「早く起きなさい。」
父親にそう言われて僕はベッドから飛び起きる。
今日は水曜日。映画館へ行く日。
水曜の朝は、父親と1キロ程離れた映画館へ毎週通っている。

僕に母親はいない。数年前にここから去って行った。理由は誰も教えてくれないけれど、多分この映画館が関係しているんだと思う。
「私と映画館とどっちが大切なの?」
泣きながら訴える母親の声が、今でも耳の奥に残っているから。

今朝はとても天気が良い。2月の空は悲しいぐらいに高くて寂しい。毎週同じ道を同じように歩いているけれど、空気だけはグラディーションのように少しずつ回っていく。

僕たちが映画館ですることは、映写室の掃除とフイルムの点検だ。とは言っても、僕がすることは掃除だけ。フイルムの点検はまださせて貰えない。一度僕が見よう見まねで点検をしようとしたら、たいそう怒られたことがある。
「いつもお父さんがするっていってるじゃないか。これが壊れたら映画はもう見られないんだぞ。」
今日のフイルムは、パフがちょっと痛んでるみたいだった。でもこれくらいなら問題はない。僕だってそれくらいは分かるのだ。

水曜日の夜はこの映画館で彼らが映画を楽しむ。そのために僕とお父さんは毎週こうやって掃除をし、点検をするのだ。しかし彼らの姿を僕たちは見たことがない。夜に来れば会えるのかもしれないが、彼らはそういうことを極端に嫌うし、僕たちもそういうことには興味がない。ただ僕達は、彼らが残していく古いフイルムに興味があるのだ。白黒の世界に広がるマンダレイのレベッカ。シェルブールの雨傘。スキピイ。僕とお父さんは、彼らの見たフイルムを土曜日の夜に、ここで二人っきりで鑑賞する。そして彼らが持ってくるフイルムを、水曜日の朝にセットする。

「これでよし。」

父親が先に映画館を出る。僕もその後に続く。
太陽が高くなってきた。
空気がほんのりと色づき、回り始める。
それはまるで、映画のフイルムのように。