3/25 福島県放射線リスクアドバイザー講演会を開催

→大人は年間100mSv までならガンのリスクは上がらないから大丈夫。小さな子どもや妊産婦を守ること。ホットスポット(放射線値の高い地域)は個別の対策が必要。土壌汚染については日本には基準がない

※この「基準がない」ことが村にとって大きな足かせとなった

村はリスクアドバイザーの考え方を基準にリスクの高い子ども、妊産婦、放射線量の高い地域の避難を計画

3/1927 国会議員多数来村(現首相はいまだ来ていない)。

※みなさん「帰って報告します」「言っておきます」と言うが、何一つ実現されていない

3/2930 子どもの甲状腺被ばく検査302人、異常者なし)

3/30 IAEAが飯舘村の土壌からIAEA基準の2倍の放射線物質を観測と政府に報告。

※しかし、同日に原子力安全保安院より、「飯舘村の放射線量は継続的にモニタリングを行っており、これまでの経過からは、“直ちに”健康に影響を与えるような結果は観測されていない。」と発表。これについて、「しかし、気付いた時には手遅れだろう」という意見もあったが、明確な基準や正確な情報が速やかに得られず、村は翻弄された。これにはSPEEDI(300億円もの投資がされた)の発動の遅さも起因している。欲しいデータがはやく来ない。見通しが立てられない。

3/31 IAEA前日の勧告を撤回

IAEAから直接確かめたわけではないが、飯舘村ではないところで行われた調査が政府に報告された可能性があるとのこと

これ以降、枝野官房長官は避難区域の見直しを示唆する発言を繰り返す。

4/7~ 放射線量の高い地域の住民のうち、線量の低い地区への避難を希望する方を移動

4/7~ 3歳未満、妊産婦のいる家庭のうち、避難を希望する方を福島市内の温泉旅館へ移動

4/9 農水大臣来村、要望書提出

4/10 国から計画的避難区域の打診がある。

4/11 政府、計画的避難区域・緊急時避難準備区域の考え方を発表

   村議会事故災害対策特別委員会、企業向け説明会

4/12 災害対策チーム再編

4/1316 全行政区を対象に行政区座談会を6か所で開催。1800人強の参加者

4/15 幼少中の保護者を対象に説明会。保護者からの悲痛な叫び、意見

※飯舘村を動かしているのは村長だけではない。住民自ら自分たちの今後や村のあり方について考えている。行政は住民の意見をすべてデータに残し、整理している。

4/16 副官房長官、内閣府副大臣、経済産業副大臣らが来村し、村・議会・住民代表者へ謝罪および計画的避難区域等を説明。

4/17 枝野官房長官来村

4/22 政府 計画的避難区域(無期限)を設定、公示。国→村への指示(非強制

※避難について、海岸よりの被災者が優先的に避難している為、避難先の確保が困難になっている。子どもたちが学校に通える範囲に、避難所がないとのこと。子どもが居る世帯の多くは既に避難済みであるが、村から離れた所に避難した子どもも多く、人権被害に遭っていないか心配。また、高齢者や要介護者について、屋内は放射線値が屋外の10分の1に抑えられるため、かえって介護老人ホームから外に出さない方が安全という意見もある。

4/23 被災者証明発行開始

4/26 飯舘村帰村プロジェクト「愛する飯舘村を還せ!!村民総決起集会」村の若い人たちを中心に200人以上参加

4/29 村単独災害見舞金給付及び住民説明会

意向調書回収(これからの避難の方針について住民の意向や不安、要望等を調べた調査票調査)

4/30 意向調書入力作業(福島大学40人ボランティア)。

東電副社長謝罪および住民説明会。1300人参加

5/2 復興構想会議委員視察 避難申込書回収~5/6

5/6 避難先施設入居申込書入力作業(福島大学ほか20人ボランティア)

5/7 日本環境教育学会来村調査(子どもたちに行う放射線教育の教材作成のため)

○今年の農業について

 米の作付けが国から制限されているため、今年は稲作不可

 国が制限をしておらず、安全が確保された作物についても、「安心」が確保されない限り消費行動にはつながらない。農家はそれを理解しており、今年の野菜の作付けはすべて自ら断念した。畜産について、「牛の移動」を検討しているが、周囲から反対がある。乳牛について、自ら止めることを選択。全頭処分が決定。

○村民が失ったもの

 「こんなに天気がいいのに、家でテレビを見るなんて」と、本当なら野菜を“までいに”育てていたはずの村民は言う。村のおばあちゃんたちは今まで、自ら作った野菜や漬物を隣の人におすそ分けしたりして、ご近所同士のつながりを持っていた。避難所や仮設住宅暮らしになれば、それもかなわない。野山も放射線に汚染されている。山に入って山菜やキノコを採って食べる楽しみが消えた。生存権さえ、脅かされている。

 飯舘村はお金の回らない地域経済でも、豊かな暮らしをしていた国が「お金」で補償しても、償いきれないものがたくさんありすぎる

○マスコミに対して

 センセーショナルな数字を取り上げて騒ぎ立てていても、見ている者の不安をあおるだけ。その数字が持つ意味を、正確に伝えてほしい

56日に飯舘村へボランティアに行ってまいりました。この日、昼食が終わって再度作業に入ろうとしたとき、役場の方がいらして、飯舘村についてのお話をお聞かせくださいました。福島大学の教授がそのように頼んだとのことです。マスメディアには取り上げられない「村の姿」について、お話しいただいたことを以下に載せます。



「東電福島第1原発事故によって、今、飯舘村で何が起こっているのか。」

日時:201156日(金)

報告者:飯舘村総務課企画係長 藤井一彦氏


○飯舘村について

村の基幹産業は農業。しかし、5年に1度は冷害に遭う(特に米)。

冷害に強い農業を目指す→畜産、タバコ、花卉、野菜など多様化。

特に畜産は「飯舘牛」がブランドとして有名。酪農もおこなわれている。

村は年間を通して1日の寒暖差が大きい。

花の発色を良くさせるこの気候を生かし、リンドウやトルコギキョウなどの花卉産業を発展させてきた。また、野菜もこの気候のために甘みを増し、エンドウなど高値で取引されていた。


また、「までいライフ」推進によるテーマ型地域づくりを展開。“までい”とは「丁寧に」「手間暇かけて」「じっくり」という意味を持つ方言。「スローライフ」を飯舘村独自に展開させたものが「までいライフ」。


○震災以降の村の経過(レジュメを基に作成。※は藤井氏のコメント)

3/11 地震発生


3/1120 避難者受入(避難区域から最大6か所に1200人余り避難)

     3月末まで燃料(ガソ、灯油)不足。

3/12~ 原発事故:10km圏内→すぐに20km圏内へ避難、30km圏内は屋内退避区域の設定に (飯舘村はごく一部が屋内退避区域に

3/194/30 希望者の集団避難(栃木県鹿沼市へ504人)

3/20~ 簡易水道等飲料水摂取制限(3/20現在965Bq)、ペットボトル等緊急配布

3/1920 約1300人がスクリーニング検査

全世帯へ非常用給油カード発行

※この時、燃料は郡山市まで届くものの、原発や放射線への懸念から飯舘村まで来てくれる人が現れず、免許を持つ村民や役場の者がタンクローリーを運転しに来たとのこと。


-----「飯舘村の今 その2」 に続く------






久々の更新となりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?



われわれLINKが行ってきた学生企画科目の報告会が、2月12日にあります。

1年間の活動の集大成ですねkirakira*


思えば昨年5月8日に東京丸ビルで開催された「世界フェアトレード・デー」に始まり、


文献を読んだり、資料集めたり、ゴミ拾ったり(;^_^A? ...


あと他にもポスター作ったり広報活動でいろいろな方にお世話になりました。

そして昨年10月9日に『自分を変えて、誰かを変える~ethicalに生きる』


を開催し、イベントとして完成させたこと(*^o^*)flower*




まあ、ゴミ拾いのことは報告しないにしてもw


きちんと学習の成果を発表しなければ(`・ω・´)ゞ




今日はこの辺で→


牛乳太郎牛乳