朝から、殺人犯を見せられた。
誰が、人を殺した人を見たいんだろうか??
知りたいと思わないことを知りたくないし、見たいと思わないものを見たくないし、作られた物語に興味もないので、自らテレビを見ることは皆無に等しい。
垂れ流される音は雑音でしかなく、私にとって必要な情報ならば、なんらかの形で必ず知ることになる。
強制的に人の不幸を知らされる仕組みに、違和感しかない。
だって、ネガティブなことがニュースになるのなら、ポジティブなことだってニュースになるべき。
たとえば、どこぞの誰かが、
めちゃくちゃ遠回りした上にやっと伴侶を見つけて、人生の頂点だと思えるくらいの幸せを感じている最中です!!
とか、
一中小企業の契約がうまく進んで、経営が軌道に乗り始めました!!
とか、
長らくニート生活をしていた息子が、就職に成功して独立を決意しました!!
とか。
一般人が不幸な目に合う時は、大々的に取り上げる。
幸せを取り上げられるのは、有名な人達ばかり。
おかしくない??
不安や恐怖を煽るのが、メディアの役目なの??
幸せや安心が起こっても、それは隠しておかなきゃいけないことなの??
とか思ったりしてしまうので、メディアを使って知りたいことを検索するとき、トップページにちらりと出ているニュースですら、そちらに目をやらない。
ようにしてる(笑)
ついでに、特定秘密って。。。w
教えといてくれなきゃ、なにが『秘密』かわからないんですけど
えっ
言っちゃいけないことがなんなのか知らないままに、本人すらなにしたかわからないまま、ある日突然ナゾの案件で逮捕されるってこと??
。。。
しかしながら、もっと違和感を感じるのは、いつでも誰でも、どんな情報でも大概のことは手に入れられるようになったということ。
私が見てきた、いわゆるスマホ世代の人たち。
どんなことでも、大体のことは知ってる。
何かを聞けば、ぱっとスマホを出して検索して答えを出してくれる。
便利なんだとは思う。
でも、頭で知っていることと、身をもって知っていること。
この両者はあまりにも違いすぎることを、知らない。
何かをしたいと思えば、調べてみる。
そして、自分にできそうかどうかのものさしを出す。
やってみた気になってみる。
うまくできそうな気がする!
あまり自分には合わなそうな気がするから、やめとこう。
『コーヒーは、苦い。』
この文面だけを見て、コーヒーの味の何がわかるんだろう??
好きか嫌いかは、飲んでみなければわからない。
苦いままだと飲めないから、どうすれば飲めるようになるのか、試してみなけらばわからない。
すべては、経験をもって知る以外の方法は、ありえない。
誰かの文献を読んで、分かった気になるかもしれない。
でもそれは、分かった気になっているだけ。
しかも、その分かった気になったことすらも、誰かの体験の受け売りでしかない。
自分で体験してみて初めて、それを自分の言葉で語れる。
そして、その体験は、その人にしか訪れない。
誰かに伝えるために経験するんじゃない。
自分で、感じるため。
誰かに知ってほしいからと、目の前にあるものを無視して、伝えることに必死になる。
そして、それを見た人も、その人が体験していることを知っている気になる。
直接の言葉や、目の前のその人の態度でしか、感じることはできないのに。
コミュニケーションは、文字や写真でとるものではない。
直接伝えもしないのに、知った気になってるなんて。
世の中ストーカーだらけ。
ある世代以下になると、急に会話が覚束なくなる。
話していることに、その人の実体験、実感がこもっていないから。
大げさに言うと、姿形は同じ人間なんだけど、別の星に住んでるみたいな感覚になる。
使う言葉の中にあるものを理解しようと思っても、大事な部分が抜け落ちてしまっていて、真意を汲み取ることができない。
同じ言葉を使っているのに、コミュニケーションがとれている気が、まったくしない。
今のコミュニケーションツールでは、好きな人や仲間だけを登録して、その中で文章で会話ができるらしい。
友達とのコミュニケーションですら、そんなかんじ??
苦手な人とだって付き合ってみて初めて、周りにいてくれる人の大切さを知ったりもできる。
その苦手な感覚を克服するコミュニケーション法を編み出せる。
マイナスに感じることを何とかして克服しようと、あの手この手を使ったから、それが体験として次への糧になる。
マイナスだと感じることを、失くしてしまおう。
それじゃ、そこで起こるはずだったことを、すべて奪ってしまう。
便利になったように見える世の中に生きているのは、私も同じ。
でも、便利なんてないあの頃のほうが、たくさんのことを体験した人に溢れていて、成功したことも失敗したこともたくさんの体験談を聞けて、直に伝わってくるものがあった。
ちゃんと目を見て、自らの声と表情で伝えてくれて、人と話すことが楽しかった。
どんな本を読むよりも、遥かにたくさんの種類の情報が、そこにあった。
私はなんでもやってみることを自然と身に付けられていて、経験の素晴らしさを知れる、便利のない世代に生まれてよかったと、心から思う。
なんだかさみしく感じることが多い、今日この頃。
