将来のために良いか悪いかを判断できるのに、楽な悪いほうをとる癖がついていないか。
何でも新しく始めたり、普段より負荷がかかることをやるのは面倒だ。
結果がわからないと色々考え慎重になり、あれこれ言い訳していつもやらない。
進んでみないと何も変わらないのに、毎回考えて行動できないようではいけない。
良い流れをつくる必要があるだろう。

スポーツ前には、ウォーミングアップをする。
体を温めるためでもあるが、神経の準備でもある。
使う筋肉を直前に動かしておくことで、神経の伝達を慣れさせる。
スポーツ以外でも同じだと思う。
自分で悪いと思うことも良いと思うことも、1度やって慣れている。
きっかけ、タイミング、やる気と色々待っていても何も変わらない。
良いと思ったら、その神経の流れを作って慣れさせる。
すぐに結果を求めて頑張ってるのにと思う人は、1ヶ月準備期間だと楽な気持ちでやってみる。
自分を騙してでも、多少の損をしてでも必要なものをとるときがあるはず。
動けば変わるよ。

先日、帰省中のついでにYモバイルのポケットWiFiをアップグレードした。
結果は、失敗!!
なぜ失敗かというと、305ZTは規制が厳しく、私には合わなかったからだ。
使い放題には3日1GB制限があり、月7GB以上の使用も500MB毎の無料追加できる。
モバイルルーターで家のネットを済ませようとしていた私には残念な商品です。
軽いネットをちょこちょこやる人のためのルーターで、つまらない7GB制限なしの製品なのだ。
ネットで動画を見たり、音楽聴きながらネットサーフィンをすると、3時間程度で1G超えてしまう。
例えば、休みの土曜日に規制になると、日曜日は0.7Mbps程度の速さしかでてくれない。
しかも、メンテナンス中は500MBの追加ができないのがまたひどい。

4月中旬に契約したが、3日1GB制限の重要な部分をさらっと言われ、今のところ規制でてないという嘘も言われた。
さらっと言われ、問題ないと思ったが、最近の「こともあります」は注意すべきところだった。
「規制されることもあります」は「規制されます」と取るとこだったのに、帰省中で油断していた。
「今のところ規制の報告はきていない」はもう誰を信じればいいのかわからなくなる。
こういう契約には1社以外聞かないといけないし、1社も1店舗1人から聞くのは危険でした。
田舎に帰省中のときにやったのがそもそもの失敗でした。

実際使ってみると、なんか遅いなと思うわけで、レビュー調べて、でるわでるわのクレームの嵐。
無料解約した人もいるみたいですけどね。
私は事前調査と契約時の確認を怠った教訓として、2年間動画を少なくする生活を続けてから解約しようと思う。

WIMAXなら500円程度高くなるが、7G制限なしで3日3Gというもの。
しかも、家電量販店に行ったら最新機種で5万、1つ前にでたものなら6万のキャッシュバックがあった。
WIMAXなら、キャッシュバックで2年間かかる金額が半額程度になり、速くて制限の少ない端末が手に入ったということ。

キャッシュバックであれ買えたなとか思う、今日この頃。
周りを頼り続けるのは、その場の効率は良いが要領が悪い。
頼ると確実な力が身に付きにくく、高くなる要求を自身の力で解決できなくなる。
そのときの壁を自身で突き破るのは苦労が必要で、駄目になりかけるだろう。

人間性は集団の問題解決にはいいが、自身の問題解決には邪魔になる。
悪い現実を知れば失望する、他人と比較すれば嫉妬する、結果がでないと消沈する。
能力云々の話ではなくそれらをどう制御するか重要だ。
誰しもがそういうプロセスを経験し、制御している。

失敗したものに対して同じ力・同じ方法で挑んだなら、また失敗する。
今までとどこかを変える必要があし、もっとできるはずだ。
容姿や体力が衰えていくなか、中身だけでも輝いていないと自信が持てない。
中身のある良さを、どんなに嫌になっても途中で腐らずに当たり前のように追い求める。
今の理想は叶えられないもので、叶える気も無いもの。
理想というか妄想であり、完璧な存在になりたがっている。
何でも知っていて何でもできる、たぶん神とか言われるような。
そんな妄想をして寝ると、朝がきて悲しくなる。
日常生活は無感情で、まるでゾンビのよう。
「やりたくないことをやっていく人生に何があるのだろうか」って理想論者の問題解いてさ。
未来がとてつもなく暗く、どんどんそこに向かって暗くなってきている。
消えてしまいたいほど、笑顔なんて作れないほど悲しい現実を知るときがくるかもしれない。
簡単に生きれない、どうしようもない愚か者。
もっとずっと楽しく生きれるように、ただ待っている。
たぶん自分の人生は、ただ何かを待って終わるんだろう。
人生を無駄に使ってしまいそうだ。
ざっくりした日常は、繰り返しでしかないだろう。
大きな変化が非日常を体験させてくれるのだが、そんなことは急には起こらない。
いきなり建物が建ったり、外国語が堪能になんてあるわけがない。
小さな変化の積み重ねが大きな変化になる。

小説を読んでいるときに、細かい情報はストーリーに入り込ませてくれる。
一気に全体を表現するより、細部を伝えていったほうが面白いしわかりやすい。
ざっくりしたものも面白いが、深いストーリーには詳細が欠かせない。
小説に限った話ではなく、現実でも大きいことより小さいことのほうが重要ではないかと思う。

今思うと、大学入学時の自分は若者としてよくなかった。
なぜなら変化の存在をよく認識していなかったからだ。
大学では上級生や院生が賢くみえ、自分も勝手にそうなるものだと思っていたが、そうではない。
目に映っていたのは良い学生だけで、そうではない学生もいたはずだ。
勝手に優秀になるのではなくて、そうなるべき行動が必要だった。
また、自分にできないものと決め付けていたことがよくあった。
将来の想像や問題の対処ということだが、入学時は普段の自分だけを考えていた。
これからの自分をちゃんと考えるべきであった。
目標までどんなことがあるかわからないときに、変化の存在は常に注意しておく必要がある。
その変化によって違う方法がとれるし、問題を怖がることもなくなる。
なにより、そのほうが成長できるし楽しいはず。

日常で顕著に現れれば変化に気付くが、徐々に起こる変化はわかりにくい。
日頃から注意して気付いていくことが、自分や他社、また、世界の理解に繋がると思う。
繰り返しというのは、変化の存在に気付けないこと。
変化に自分から近づいていくことで脱却できる。
いつの間にか自信が持てなくなり、何をするでも違和感を感じる。
考えが他の人のより劣っているようだ。
意見を求められれば、聞いたことがある言葉を並べてそれなりの回答をする。
ただただ稚拙な言葉を並べ、当たり障りのない答えで誰の記憶にも残らない。
でも、なんだか周りの人はよく話をしていて、それを見るたび自分の愚かさに嫌気がさす。
意見を出せないのは赤ん坊、ちょっと意見を出すのは子供、良い意見を出せるのが大人で・・・。
よく話す人だったが、いつの間にか話さない人に変わった。
傷つかないように、話さないという手段で自分を守っている。
最近の会話はつまらないものばかりで、すっかり錆びてしまった。
自信は準備から、準備は目的から、目的は気持ちから。
らしさは幻想だろうし、他人も別に素晴らしくはないだろう。
はじめの失敗は経験になるのだから、迷わずいくべきだろう。

忙しいと考える暇もなく進んでいく日々。
でも、休日になって1人になった途端、考えたほうがよさそうな案件が頭をよぎる。
解決できたり無視できるうちはいいが、良くないことが続いているときは難問が離れない。
その難問がどんどん積もって、身動きが取れなくなるときがある。
いらないことは考えないのもいいが、少し考えるのもいいかと深入りする。
その先に何か良いことが待っているのかもしれないが、暗黒面にだけは気をつけよう。


様々なものに影響される。
結局、自分は影響されてできた人工のもの。
何でもないと思っていた小さな出来事が、自分の核の形成に関わっていたりする。
進むと少しの変化に驚くことがあって、よく怖がっていた。
少しでも変わってしまったら、大事なものを失ってしまう気がした。
たぶん大事なものは何かもわかっていなかったし、なかったのかもしれないけど、安心した。
変化しても自分の核はより洗練されただけで、大事そうな部分は綺麗に残っていた。
全てが変化していく時代で、自分が変化しないでいることは辛い。
流れる川でそこにい続けることは難しことだし、代わり映えしない世界には魅力が薄れていく。

お金とか名誉とかそんなことが一番大事なことのように思えてね。
自分の中にないものは、結局全然使えなくて。
物じゃなくて、ちゃんと自分の内にあるものだけが自信につながる。
他のことも生きていくためには必要なことだろうけど。
それが目的になってしまうと、急に悲しくなることがあってね。
今の自分は全て駄目なのであり、全て作り変える必要があるとも思った。
でもそんな作業はいらず、そのままでいい。
そのままの自分を成長させれば、またもとの正しいと思っている道に戻れる。

人からどう見られているかが気になって、結局他の人と同じような考えに矯正する。
人に寄りかかりすぎて自分がわからなくなる。
これは自分の考えか?これは本当に好きなことか?と掘り下げても何もでてこなかった。
自分のことは、自分が一番わからないような気がしていた。
けれども自分は自分に嘘がつけなくて、とても単純だった。
何が好きかとか、あれをやりたいとか、こういう理想があるとかはそのまま素直に受け入れる。
好きだから好きで、やりたいからやるのであって、それが自分だ。
責任はすべて俺にあるのだから、自分の思っている道を行けば良い。
他人の期待よりも自分の期待に応えれば、変わるから楽しく、わからないから進みたくなる。
正しいか正しくないではなくて、自分の答えはそうでしかないということ。
その考えが納得いかないと思ったなら、すぐ変えれば良い。

幸せは環境ではなくて、意識のほうが重要かもしれない。
強い人間と弱い人間ではなく、柔軟に楽しむ人間と柔軟に楽しまない人間だと思う。
全て自分次第だろう。
競争社会だ.
友達と大分差がついた.
友達以外の人とも大分差がついた.
もう登りつめることはないだろう.
中途半端な位置から中途半端な位置に遷移する人生.
自分の人生をなんとなく生きるってやつね.
自分だけの人生なら,いつ死んでもいいのか.

誕生日はどうして祝ってもらえるのだろう.
友達や家族から祝ってもらうって気持ちがいいけど引っかかる.
誕生日会って名前のパーティーか,よく今日まで生きたねおめでとうってことか,生まれた奇跡に乾杯か.
親に生んでくれてありがとうって毎年言うってことならわかる.
凄いことなのかめでたいことなのか祝ってもらうって,誰のために生きてるかわからないな.
どうせ生きてるだけで祝ってもらえるなら,いつ死んでも毎年祝ってくれるよな.
生まれた日ってそんなにめでたいものか.
生まれた日からちょうど20年たったからってなんかすごいかな.
生まれた日から20年と10ヶ月と3日たったのと何が違うのかな.
節目の年なら,むしろ友達とか親とかに感謝したほうがいんじゃないかな.
生きてるから死ぬまで感謝だ.

平和ボケか幸せ過ぎかスターウォーズが好き過ぎか,シスの暗黒面に引きずられてるね 笑.
スターウォーズシリーズは浅く観ても深く観ても面白いんだよな.何回見ても思うけど傑作.
子供の頃はよく日曜の朝にやっていた戦隊物をみてヒーローってのに憧れた.
漫画でもそうだけど,そういうのは困難があってもヒーローが簡単にパワーアップして解決しちゃうんだよね.
スターウォーズはカッコいいし,悪の誘惑とか葛藤とかフィクション過ぎないヒーローをみれるから面白い.
シリーズ全体を観て傑作だと思ったけど,2015年に公開のエピソード7はどうなるかとても楽しみ.
写真を撮って、適当に編集をした。
なんとなく良い感じがする。
自己満足ってものは必要だろう。


IQ200

『経験してみるまでは何事も現実ではない。人生が教えてくれるまでは諺ですら諺とはならない。』
これはJohn Keatsの名言。

生きることは繊細だ。
どうでもいいことに対して、正しいかもわからない納得いく自分の答えを求めたくなることもある。
嫌なことも良い事もない平和な普通の日に、どっか遠くへ行ってなんでもない違う日常をみたくもなる。
思っても見なかった悲しみが襲ってきて,今まであった幸せに縋ってこれからの幸せを見れなくなる。
小さい歯車が1つでも狂いだすとどこまでも狂うかもしれないし、わからないことが多い。
どんなにそのことについて考えていても、体験したときに何を考えるかはわからない。

他人の辛さはわからないし、知らない人の日常が崩れることは想像もできない。
天災・人災・犯罪・身近な人の死・借金とか原因は様々。
本や人の話で知ったことは自分のものにはならない。
人に手伝ってもらってもいいし、自分で解決してもいいし、いつかそういう日が来ることだけわかっておく。
知識は経験ではなく、自分に起こったことが経験。
知識とかイメージって実際とズレがあるから語れない。