岸田理生作品の火學お七
元は八百屋お七からきているのだ
その稽古が始まっている
殆ど身体を動かして遊んでいる
僕はこっちの方が好き
台本を読むのも好きなのだけど
結局何をどう生かして良いのかわからなくなる
それっぽく聞こえるようになるだけなのが
これまでの反省で
身体の意識が変化してくると
声や思考も変わってくるので
それが面白い確かな手応えを感じたりして
よりそこから出たものが良いものと
判断する事が出来る
それは半端にやってもあまり効果がなく
十分に身体を使う
しかし脳天が痛くなるほど疲れる
今までは稽古っぽく稽古をしてきたのだなと思う
いや作品にも寄るか
八百屋お七を今ネットでざっと読んだ
僕は誤解をしていたのだ
実は僕の家の近所に刑に処された場所がある
ずっと怖いイメージだったのだけど
その人物は嘘か真か
一途に人を想う
そのお七や吉三郎の人間の形に
人を愛しく思う
タイムイズマネーの世の中や
また気づかない内にそうなってる自分や
でもそれすらも誰かの笑顔が見たい一心であったり
それに振り回される僕達もやはり同じように
その業も
また愛しいと思える
なんだか心が軽くなった