「…駄目だぁ。」
そう言いながら、私は机に突っ伏した。
机の上には「世界の神話」「命名辞典」などといった分厚い本がいくつも重なっている。
私は、カノン・メンフィス…いや、今は羽佐間カノンか。
ここ、竜宮島でアルヴィスのメンバーとして働いている。
…元々はファフナーパイロットだが、もうほとんど『電池切れ』だからな…。
今はファフナーの整備など、自分にできることを自分で探して動いている。
昔の自分…ただ誰かの指示を待ち、戦って果てることしか考えていなかった自分とは大違いだ。
そして今この瞬間も、自分ができること、したいこと、誰かにしてあげたいことに全力を注いでいる訳だが…完全に暗礁に乗り上げてしまっていた。
「自信作だったんだけどなぁ」
事の経緯は半日前までさかのぼる。
新世代のパイロット達専用にチューンされた三体のファフナー。
それらに、新人たちが島の新たなる剣となり盾となり…そして必ず生きて戻ってこられるように祈りを込めて、各機体に「愛称」をつけたのだが…。まさか全部ボツになるなんて。
「しかも色まで変更とは…今頃整備ドッグは大忙しだろうな。」
『色をピンクに』と言われた時の整備班の顔を想像して、ちょっとだけ楽しくなる。
さて、こちらもまだまだ頑張らなければ。
突っ伏していた身体を無理やり戻して背伸びをすると、知らずのうちに凝ってしまっていた肩周りがコキコキ鳴った。この疲労も誰かの為だと思えば気持ちがいいものだ。
とはいったものの…。
「何がダメだったんだろうか?」
私の故郷アイルランドの神話から、三人の乗る機体の特徴に合った名前を何日もかけて選んだのだが…。
マークエルフ改は搭乗者である御門零央の適正を生かす近接戦闘系の機体として改修されたため、生き残れるよう願いをこめて、己の姿を敵から隠してくれる魔法の霧「フェート・フィアダ」の名を。
最新鋭の武器「ガンドレイク」を装備した鏑木彗のゼクス改には、誰よりも早く戦場に駆けつける空戦仕様に沿った名前として、抜こうと思うだけでひとりでに鞘から抜ける伝説の剣「フラガ・ラッハ」の名を。
そして守りの要である「イージス」を標準装備している水鏡美三香用のヒュンフ改には、アイルランドにおける大英雄クーフーリンが殴っても、飛んでいきこそすれ壊れなかった聖なる石「リア・ファル」の名をつけた。
私の中では本決まりだったがまだ正式配備ではなかったため、一応「仮登録」という風に三人には伝えたのだが…、なぜか三人とも気に入らなかったようだ。
曰く「呼びにくい」「かっこいいのがいい」「もっといい名前を」
…呼びにくいはまだ分かるが、十分かっこいい名前だとは思うのだがなぁ。
やはり知名度の問題だろうか。となると…。
重なっていた本の中から「世界の神話、伝説の武器」という本を開く。
三人がより分かりやすいように、三機のそれぞれの特徴「剣」「盾」「空を飛ぶ」を重点に置いて考えてみよう。
…ふむ。剣ならば、やはりアーサー王の「エクスカリバー」だな。知名度、逸話ともに申し分ない。
盾は…やっぱり一番の認知度は「イージス」になるよなぁ。そもそも有名な盾って時点でほとんど道がない…。
そのままだとさすがにおかしいし…。よし。ここは現地読みの「アイギス」にしよう。そっちの方がなんとなく響きもかっこいい気がする。
そうするとあとは、ゼクス改の「空を飛ぶ」だが、ふむ。空を飛ぶ道具か…。
さらに本を読み進める。
あ、ヘルメスの靴があるな。ヘルメス自体はメジャーな存在だし。
…って、ちょっと待てよ。ヘルメスの靴にイージス…どちらもメドゥーサ討伐の時の武器や道具だな。そうすると、エルフ改の「剣」もメドゥーサを討伐した剣、「ハルペー」に揃えるべきか…?
「…いや、そもそも外国の神話を持ってくるのが間違いなんじゃないか?」
ここは竜宮島。今は無くなってしまった「日本」を再現した場所だ。ならば日本の神話から持ってきた方が、三人にも分かりやすいんじゃないだろうか。
そう考え、今度は「日本の神話」という本を開く。が…。
「…くっ。難しい漢字が多すぎる…。」
いくら竜宮島の暮らしに慣れてきたとはいえ、常用漢字や専門用語で使う以外の漢字まではさすがに覚えきれてはいない。
散らかっている机の上から「漢和辞書」を探し出し、隣に置いて作業を再開する。
「……!これは…。『三種の神器』というものがあるのか。」
ちょうどよさそうなものを発見して、これで長き戦いに終止符が打てると思い勢い良くページをめくる。
…くそ。また難しい漢字ばかり…!というか、他の島民もこんなの読めないんじゃないのか!?
「え~と…?三種の神器とは、クサナギノツルギ、ヤタノカガミ、ヤサカニノマガタマの3つを指す、か。」
ツルギ、剣ならば、そのままエルフ改に使えそうだな。
カガミ…鏡か。「反射」という意味で捉えれば、「イージス」の効果に照らし合わせられるか…?
そしてマガタマ…。勾玉?初めて聞いたぞこんなもの。
何々?…装身具、つまりアクセサリーの一種なのか。祭祀や儀式の時に使用する…と。
…ゼクス改に共通する箇所が全く無い…。
パタンと音を立てて、分厚い「日本の神話」を閉じる。目を閉じ、本日何回目かの深い溜息をついて、
「また振り出しかぁ。」
またも机に突っ伏した。
…今度こそいけると思ったのになぁ。
どうすればいいのかと突っ伏したまま物思いに耽っていると、突然後ろのドアがノックされた。
「カノン?まだ起きてるのかしら?」
母さんの声だ。慌てて突っ伏していた身体を戻し、
「起きてるよ。お帰り、母さん。」と扉越しに声をかける。
するとガチャッと扉が開き、マグカップを持って母さんが入ってきた。
「ただいま、カノン。根詰めすぎじゃない?はい、コーヒー。」
母さん…軍を抜け、行き場の無くなった私を養子として迎え入れてくれた羽佐間容子は、そういって私にマグカップを差し出した。
「ありがと。母さん。」
差し出されたカップを受け取り、できたてのコーヒーを啜る。
…うん。いい匂いだ。疲れた身体を癒してくれる。
「ずっと作業してたの?」
机の上の惨状を見て、母さんが訊ねて来る。
「うん。なかなかいい名前が思いつかなくて…。母さんは?」
「機体の最終調整も済んだし、再カラーリングの目途も立ったからいったん帰ってきたの。」
「そっか。となるとあとは名前だけか…。」
「もう朝になるわよ?さすがに疲れたんじゃない?」
呆れと笑いを含ませながら、母さんはそう言った。
…もうそんなに時間が経っていたのか。時計を見ると、確かに最後に見た位置とは全然違うところに針がいる。日付が変わる前には作業を始めていたから…5時間ほど格闘していたことになるな。
改めて疲れを実感したが、そうも言っていられない。
「でも、あの三人が安心して戦えるような名前を考えたいんだ。前線に出られない私ができることなんて、これくらいだから…。」
「カノン…。」
そう言った私に、母さんは少し悲しげな顔をした。
…心配させてしまったな。ごめん。母さん。
母さんは軽く溜息をついて、微笑みながらこう言った。
「軽く散歩してきたら?…焦る気持ちもわかるけど、集中力ももう切れてきてる頃でしょ。朝の美味しい空気をいっぱい吸ったら、きっと何か新しいアイデアも思いつくと思うわよ?」
「母さん…。うん。わかった。じゃあ少し散歩してくるよ。」
まだ頑張りたい気持ちは少しだけあったけど、私を心から気遣ってくれているのがわかるから、ここは素直に甘えよう。
私は残っていたコーヒーをクッと飲み、簡単に上着だけ羽織って部屋を出ようとする。
「いってらっしゃい、カノン。」
そう微笑みながら言う母さんに、
「うん。いってきます。ありがと。母さん。」
ちょっとだけ照れながらこう言った。
さて…外に出てきたはいいものの、どこに行こう…。
まぁ、散歩というこくらいだから、目的地など決めずにプラプラ歩けばいいのだろうけど。
それにしても、母さんの言ったとおり本当に空気が美味しい。
夜から朝に切り替わるこの時間特有の、というものもあるのだろうが、きっとこれもこの島のミールが私たちに最も適した空気を常に循環させてくれているからなのだろうと思う。
「フェストゥムとの共存、か…。」
ただ滅ぼし滅ぼされるだけの関係だと思っていたフェストゥムとの共存など、昔の私なら一笑に付していたことだろう。だけどこの島は、今この瞬間もそれを実践し続けている。
そして、この思想を持つ外の者達と繋がるための島外派遣。
「…成功させないとな。」
そのためにも、ちゃんと三人が気に入る名前を考えないと。
そう気持ちを新たにしながら歩いていると、無意識のうちに私はとある場所にたどり着いていた。
この島で私が一番落ち着く場所、喫茶「楽園」へと。
「こんな時間、まだ誰もいるはずないのにな。」
『本日閉店』の看板を眺めながら、そうひとりごちる。
さて、気分転換もできたことだし、そろそろ戻ろう。
そう思って来た道を戻ろうと振り返ったとき、来た道と逆の方から声がかかった。
「あれ?カノン、こんな時間に何してるんだ?」
ビックリして振り向くと、そこにはいるはずのない人物がいた。
…私をいつも落ち着かせ、そして落ち着かなくさせる人物、『真壁一騎』だ。
「お、おまえこそなんでこんな時間に!」
若干声を裏返しながらも、ひとまず返答した。
「いや、なんか眠れなくてさ。早いけど仕込みでもしようかなって。カノンは?」
「わ、私は…散歩だ。」
「そっか。…入れよ。何の準備もできてないけど、コーヒーぐらいなら出せる。」
そう言って、一騎は店の鍵を開けてさっさと中に入ってしまった。
…こっちはまだうんとも何も言ってないんだが…。
まぁ、気遣いは嬉しいし、そろそろ少し座りたいと思ってたし、コーヒーは今日二杯目だけど、ここのコーヒーは美味しいし…。
そんな風に色んな言い訳を心の中で呟きながら、一騎の後に続いて店に入る。
…開店前の店に入るのは初めてだな。
簡単に片付けられた机や椅子を見回しながら、カウンターの一席に座る。
いつもは遠くの席から一騎が働いている姿を眺めているので、こうして目の前でコーヒーを作る姿を見るのは新鮮だ。
…ん?いつもと何か違う。普通なら気がつかないレベルなのだろうけど、ちょっとした違和感がコーヒーを作る一騎の動きに表れている。なんというか、いつもより真剣な顔つきのくせに、心は違うことを考えていそうというか…。
「ほら、できたぞ。」
そんなことを考えているうちに出来上がったようだ。いただきますと軽く口にしてコーヒーを啜る。
…うん。やっぱりいつもと違う。美味しくはあるけど、ちょっと味がぼやけた感じ。
一騎の顔を見るとやっぱり真剣そうな、でも心ここにあらずな顔つきをしてる。あの顔は…焦り?
と、ここまで考えて、一騎の考えがなんとなくわかった。そしてわざと一騎の顔を見ずにこう言い放つ。
「ザインには絶対に乗せないからな。」
「!!」
一騎がビックリしたような顔でこちらを見る。
…ほらやっぱり。全く、まだそんなことを考えていたのか。
「俺は…まだ乗れる。」
「『ギリギリまだ乗れる』の間違いだろ?そんなヤツを使うわけにはいかない。ましてやザインの同化現象の激しさは他とは比べ物にならない。…あんなもの、使わないに越したことはないんだ。」
そう呟く一騎に、今度はまっすぐ見据えて言い放つ。これだけは譲るわけにはいかない。
…次に一騎がザインに乗れば、もう帰ってこない気がする。そんな根拠のない、だが確信にも近い気持ちを秘めながら、何も言えなくなっている一騎に私は続ける。
「…一騎には、皆の帰る場所でいてほしいんだ。」
「カノン…。」
「今戦っている、そしてこれから戦うことになる皆に、戦いだけが生きる道じゃないってことをお前が証明し続けてほしい。皆、この場所が好きなんだ。」
…もちろん私も…。という言葉は、胸に閉まっておく。
一騎は私の言葉を聴いて少し驚いた顔を見せ、少しだけ俯き、…そして笑った。
「父さんにも同じようなことを言われたよ。」
そう言う一騎の顔はやっといつもの顔に戻っていた。
「カノンにそう言ってもらえて、少し安心した。ありがとうカノン。」
「!!」
っばかっ!急に笑顔でそんなこと言われたら…どんな顔をしていいか分からなくなるっ!
「き!気にするな!コーヒーの礼とでも思ってくれればいいっ!」
そう言う私の顔はきっと真っ赤になっているんだろう。そして、一騎はそんな私の気持ちなんて全く気づかずにいつものように返すんだろう。
「? ああ。うん。ありがとう。」
…ほらな。全く…。
「そういえば、カノンも何か悩みがあったんじゃないのか?」
「えっ!?」
急に言われてびっくりする。
「…何でわかったんだ?」
「いや、なんとなくそうかなぁって。散歩してるカノンなんてあんまり見かけなかったし。」
…なんでこんなところだけ察しがいいんだ。もっと他のところにそれが向けば、私も真矢もこんなにモヤモヤすることなんてないのに…。
「? どうした?」
そう聞いてくる一騎に、私は深い溜息を吐いてから事の経緯を説明した。
「なるほど…つまり三人が納得するようなネーミングが考え付かないってことか。」
一騎へのイライラからか少し説明が愚痴っぽくなってしまった気がしたが、とにかく一騎に悩みは伝わったようだ。といってもこれが解決に直接結びつくわけではないのだが…。
「なぁ、ちょっと気づいたことがあるんだけど、いいか?」
「うん?なんだ?」
軽く聞き返す。
「いや、なんで武器や道具の名前なのかなって。神様の名前とかの方がわかりやすいんじゃないか?
ほらファフナーって人型のロボットなわけだし。」
…!!!
それを聞いて、私はしばし呆然としていた。
そうだ。ファフナーは人型兵器。そして、ファフナーのパイロットは「自身がファフナーになる」という意識を常に持って操縦しなければならない。
…それならば、「物」よりも「人」の名前の方が一体になりやすいのは自明の理じゃないか…。
なぜこんな簡単なことが思いつかなかったのか。その答えはすぐに浮かんできた。
つまりは、私の中にまだ残っていた軍人の考えが、無意識的に、ファフナーを、パイロット達を、そして自分すらも『武器、道具』として扱ってしまっていたのだ。
全く、『昔の自分』が聞いて呆れる。全然変われてないじゃないか…。
「カノン?お~いカノン。」
呆然としている私にかかる一騎の声に、ハッと我に返る。
「なんか固まってたけど、大丈夫か?」
「あ、あぁ。うん。大丈夫だ。」
なんとか返事をし、深呼吸して心を整える。そして一騎に聞こえないように呟く。
「…まだまだだなぁ。」
「?どうした?」
「いや、なんでもない。ありがとう一騎。おかげでなんとかなりそうだ。」
「そうなのか?なんかよくわかんないけど。」
「わからなくていい。…さて、そろそろ行くよ。帰って調べ物もしないとだし。」
「あ、ああ。」
ついてこれていない一騎を尻目に立ち上がる。
…全く、自分がどれだけ私の心を揺さぶっているのか、こいつはいつも分かってくれない。
でも…そんな一騎だからこそ、私は…。
そんな気持ちを胸に隠し、私は今日初めての、心からの笑顔で一騎に言った。
「コーヒーごちそうさま!いい名前が決まる事を祈っててくれ!」
「!…ああ。祈ってる。コーヒーくらいならまたいつでも作るよ。」
ちょっとびっくりしてから微笑んでそう言う一騎に手を振って、私は喫茶「楽園」を出る。
さて、もうひと頑張りしますか…!
そこから先は簡単だった。
三人が分かりやすいように「日本の神話」から三人の神様の名前をチョイス。
接近戦仕様のエルフ改には、荒々しく戦う戦神、「スサノオ」の名を。
空戦仕様のゼクス改には、大空に浮かび世界を照らす太陽の神、「アマテラス」の名を。
そして三人のうち唯一女性パイロットが乗ることになるヒュンフ改には、女性神とも示唆されている月の神、
「ツクヨミ」の名をつけた。
そして結果は…どうやら三人とも気に入ってくれたようだ。
「覚えやすい」「かっこいい」
そう言ってもらえてこちらも嬉しくなる。もちろん、後輩の手前そんな顔はできる限り隠してこう告げる。
「たいしたことはない。今のうちに、してほしいことは何でも言え。…いまのうちに…。」
…最後の言葉は少し尻すぼんでしまった。彼らは、これから死と隣り合わせの戦場に向かうことになる。
もちろんそうさせないための努力はいくらでもする。
…今はただ、彼らができる限り長く、楽しい時を過ごせることを祈って、今彼らが浮かべている笑顔を見つめていよう。
了。