「次田展之」という名前を目にして、どんな人物なのか気になった方も多いのではないでしょうか。
実はこの方、医師でありながらパイロットでもあります。
この記事では、その経歴と現在の活動を整理します。
| 気になるポイント | 分かっていること |
|---|---|
| 氏名 | 次田展之(つぎた のぶゆき) |
| 出身 | 神奈川県相模原市 |
| 職業 | 医師/パイロット |
| 活動の場 | 瀬戸内海の離島にある3つの診療所 |
| 呼ばれ方 | フライングドクター |
▶ 出身大学や3つの診療所の場所、受賞歴まで詳しくは 完全版の記事 でまとめています。
次田展之とはどんな人物なのか
まずは経歴の入り口から見ていきましょう。
空に囲まれて育った少年時代
次田展之さんは神奈川県相模原市の生まれで、父・母との3人家族で育ちました。
父親は外資系の大手航空会社に勤めていたそうです。家の中は海外の食器や調度品であふれていたと、本人が新聞連載で語っています。
空の仕事が食卓の話題にのぼる家庭。後に自ら操縦桿を握ることになる原点は、このあたりに置かれているといえそうです。
そんな環境で育った少年が選んだ進路は、意外にも医学の道でした。
医学部に通いながら渡米
次田展之さんの経歴で驚かされるのが、学生時代の行動力です。
医学部に通いながら渡米し、米国で小型飛行機の操縦免許を取得しています。訓練地はカリフォルニアでした。
医学部といえば、実習と試験に追われる生活の代名詞のような場所です。その合間を縫って海を渡っていたわけですから、相当な熱量ですよね。
米国は、日本に比べて小型機の訓練環境が整っている国です。飛行時間を確保しやすく、費用も抑えられます。本気で免許を取ろうとすれば、渡米はむしろ合理的な選択だったといえます。
そしてこの滞在中に、人生を変える光景に出合います。空港の近くで見た、ある飛行の姿でした。
この体験をきっかけに、次田展之さんは医師をしながらある飛行チームに所属することになります。趣味の延長ではなく、観客の前で演技をする側に回ったわけですね。
次田展之が選んだ離島医療の現場
ここからは、現在の活動を見ていきます。
医師がいない島に診療所を開いた
飛行チームを離れた後、次田展之さんは医師としての土台づくりに専念します。
大学付属病院で、麻酔や救急救命、外科、皮膚科、内科とあらゆる分野を経験したと語っています。へき地に赴任した場合も想定して、あえて幅を広げたそうです。
専門を一つに絞らなかったのは、そのためです。医師が一人しかいない場所では、来た患者をすべて診なければなりませんからね。
安定した勤務医の生活になじんでしまうのでは、という迷いも本人が口にしています。その警戒心が、次の一歩を後押ししたわけですね。
そして選んだのが、医師が不在だった瀬戸内海の小さな島でした。既存の診療所を引き継ぐのではなく、自分で開くという道です。
ヘリを操縦して島を回る理由
拠点はその後も増え、現在は3つの島の診療所を運営しています。
ここで問題になるのが移動です。島と島のあいだは海であり、船の便は時刻表に縛られます。急な往診に、船のダイヤは待ってくれません。
その答えが、自ら操縦するヘリコプターでした。学生時代に取った免許が、20年以上を経て仕事の道具になったわけですね。
ヘリのプロペラ音が聞こえたら診療所が開く合図。島ではそんなふうに受け止められているそうです。時計を見るより、空から届く音のほうが確実だということですね。
ちなみに移動手段はヘリだけではありません。船舶免許も持っており、小型船で訪問診療に向かうこともあるといいます。空と海の両方を使い分けられる医師というのは、そういないはずです。
島民に親しまれる医師の素顔
その働きは、外部からも高く評価されています。へき地医療に尽くす医師をたたえる賞も受けました。
地元の子どもたちが手作りしたかるたに、次田展之さん自身が登場しているというエピソードもあります。遊びの札に描かれるほど、日常に溶け込んだ存在なんですね。
趣味は柔術や総合格闘技。曲技飛行に格闘技と、身体を張る分野が並ぶあたりに人柄がにじみます。
なお、配偶者やお子さんについては公式に公表されていません。医療者であり一般の方でもあるため、この記事でも家族の詳細には触れない形にしておきます。