世の中って矛盾だらけ。

こう言えばああ言って、ああ言えばこう言う


人ってどうしても正解を求めたり、いいとか悪いとかのチョイスをしたがる。

でも正解の中にもまた正解、不正解がありまた正解を求め、いい悪いのチョイスをしてもさらにいいの中、悪い中でも更にチョイスを続ける。

対人であれば自分の小さな価値観の中で追及したり追い詰めたり、その中で争いが起き、傷つけ傷つけられ、孤立し、また人を求めて同じ事を繰り返す。

結局、求めたり決めつけた所で
それらはただ頭の中で起きてるだけで
全ての事柄はただそれが在るだけ。

なのに、こうだああだ考えた所で結局それに答えなんてないのに、さらにこねくり回して余計に迷宮入りする。

視野を広く考えるとか、価値観を広げるとかっていうのもただ選択肢を増やすだけでそれは無限大に存在するし、決めつけにくくする様に誤魔化してるだけなんだと思う。

確かに捉え方ひとつなんだけど、良く捉えようとしてもその裏には悪い捉え方も存在する訳で、結局頭の中で起きてる世界の中でいる事には変わりはない。

よくポジティブ、ネガティヴっていうのが広がっていてポジティブがいい、ネガティヴは悪いみたいな価値観が存在するけど、いい悪いって言ってる時点で同じ事なんじゃないかと思う。


結局人は決めつけるのが好きな生き物で、いつまでたってもその中で生きて得たり失ったり喜んだり悲しんだりしてる。

山あり谷あり、人生って確かにそんなもんだしそれこそ矛盾の中で生きてる。


それが人間らしいといえば人間らしいんだけど、いつまでたってもそのままだと正直進歩が無いんじゃないかと。

やってる行為自体が違うだけで、それ以外は無も変わらない。

その物事を体験した時に喜んだり悲しんだり、毎回それの連続。

そのまま歳を重ねて老け込んでもずっと同じ事してる。

悩みが無い人なんていないって言うけど、そんな悩みや心配を抱え込んだまま死んでいくのか。

それじゃあ自我が芽生えてきた若者と何ら変わりがない。

無駄に歳くってるだけ。

人は死ぬまで未熟なのかもしれないし完璧になんてなれないけど
何が大切かっていったらそんな未熟な自分を受け入れる事に意味があるんだと思う。

悩んだり不安があるなら、そんな悩みや不安を抱く自分を受け入れる事。

そんなものはただ自分の頭の中で作ってるだけで実際には存在しない。

必死にしがみつく自分に気付く事。

気付けば自分を知れる
そして自分を知る事がしがみついている自分を自由にさせる事に繋がる

本来、自由が当たり前で
矛盾っていう小さな世界は自由に気付く為に用意されているんだと思う

だから人は矛盾の中でああでも無いこうでもない、行ったり来たりするんだと思う。

それに気付く為に

だから無条件に死んじゃえばそれに気付ける
矛盾なんて無いという事に。

亡くなる=無くなる

無いというのはフリー、つまり自由。


それを何とか生きてるうちに気付けば人生の中でも自由に生きられます。

どうせみんな最後には自由になるけど、なんかの手違いかわかんないけど人間としてプレイしてる期間も自由でいた方が楽なんじゃない?って事っす。